JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆池田小事件で殺された子供達と親御さんを思う。 mixiというのに入って、最初は下らんと思っていたが、最近、ニュースに関して書かれた日記を読むことが出来るメリットに改めて気付いた。 「世の中どうかしている」「変な奴が増えている」「物騒な世の中になったものだ」 という趣旨である。 私が何を書きたいか、というと、事件の犠牲になった子供の気持ち、親御さんの気持ちを真剣に想像している人があまりいないのが残念だ、 ということである。「犠牲者の冥福を祈る」と書いてあるのはまだ良い方だが、多くは7年前の事件を日記の「ネタ」と見なしている。 薄情なものだ。 私は、7年前の今日、包丁を振りかざす大男の宅間に追いかけられ、追い詰められ、押さえつけられ、「先生、助けて!」と叫び、 その願いも空しく、刃に刺されて死んだ子供達が、どれほど、怖かっただろう、痛かっただろう、苦しかっただろう、と想像する。 胸が張り裂けそうだ。 そういう気持ちが人々の中に希薄であるように感じられるのが、悲しい。 犠牲になったお子さんの一人の父親は、私の会社の同期である。 その同期と私は、特別に親しい間柄ではないが、仕事で何度も連絡を取り合ったことがある。 彼の気持ちを思うと、7年経った今でも何と声をかけたらよいか分からない。 何事もなかったかのように振る舞うのも冷たい。 しかし、ありきたりの慰めの言葉は、彼を余計に苦しめるかも知れぬ。 何と云ったらいいのだろう。どう接したら良いのだろう。 7年経っても、分からない。苦しい。 ◆秋葉原の通り魔・・・・・この野郎・・・・。 散々ニュースで報じられているが、日記には、「記録」という一面があるので、一応、記事を載せる。 ◆記事:秋葉原通り魔:死亡7人、負傷10人に…25歳男を逮捕(毎日新聞 2008年6月8日 最終更新 23時14分)) NHKニュースによれば、過去10年に起きた「通り魔事件」は計67件だが、「路上で起きた」通り魔事件としては、 今日の秋葉原の犯行が、その犠牲者数において最悪なのだそうだ。 うるさいことを言うなら、この表現も引っかかる。犠牲者の数が少なければ良いのか? 何も悪いことをしていない、善良な市民が一人の男の身勝手により、突如生命を失うのは、死者の数に関わらず「最悪」の出来事だろう。 そして、いつも無性に腹が立つのは、犯人の犯行動機である。 「世の中が嫌になった。生活に疲れた」 だと? 馬鹿野郎! たかが25歳のガキの分際で世の中が嫌になった、とか生意気ぬかすんじゃねえ! 世の中が嫌なものじゃないと思っているのか。世の中は何でも自分にとって快い仕組みになっていると思っているのか。 シャバに良いことは少ない。嫌なことばかりだ。誰でも、嫌なことを抱えている。しかし、それを抱えつつ我慢して生きている。 世の中が嫌になったことが人殺しの言い訳になるのなら、俺なんか、今までの人生で1,000人ぐらい人を殺しているよ。 甘ったれるな、この小僧。殺された人の今までの人生はどうなるんだ。残された家族はどうなるんだ。 通り魔の犯人はいつもこうだ。頭の中には自分の事しかない。この自己中心性、小児性、衝動性。 神も仏もあるものか 犠牲になった方々のご冥福を祈る。今日の現場は私の勤務先のそばだ。 明日、お悔やみに行ってこよう。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2007年06月08日(金) 「年金記録漏れ、社保庁長官ら街頭でおわびチラシ」←バカ。そんなヒマがあったら調べろ。
JIRO
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