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2004年06月08日(火) |
「人間の存在を少しでも明るく照らし出すことが、芸術家に与えられた使命だと信じています。」(カール・ベーム) |
◆カールベームに教わったこと
私は、14歳の時に、「音楽の友」というクラシック音楽の雑誌で、この言葉を読んだときには、恥ずかしながら意味が良く分からなかった。
カールベームは長い間、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた、20世紀の大指揮者である。昔風のおっかない指揮者である。
ウィーン・フィルなんて、我々からすれば神様のような名オーケストラだが、リハーサルで絞られていた。ニュルンベルグのマイスタージンガー第一幕への前奏曲、というワーグナー入門曲にちょうどいい曲がある。この楽譜(これは、オーケストラのパートをピアノで弾けるようにした、ピアノ譜だが)この第1小節目の最後の8分音符(上の段)の弾き方がなっていない、というのである。芸術とは厳しいものだと思った。
ちなみに、指揮者になろうという人は、音大の指揮科に入る段階で、これぐらいの楽譜(それも、このようなピアノ譜ではなくて、本物のオーケストラスコア。たとえば、こういうもの)は初見でピアノで弾けるぐらいの、基礎が無いと、お話にならないのである。(もちろん、それだけではない。4声の聴音とかね。4つの音が同時になっているのをその場で楽譜に書くのである)こんなことは、前提条件であって、これが弾けたからといって、指揮者になれるという保証は全く無い。天賦の才が必要だ。
1977年にこのカールベームがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに来日した。3月2日、渋谷のNHKホールでベートーベンの交響曲第五番、ハ短調、つまり「運命」が演奏された。私は高校生で、とても高いチケットなど買えるはずも無く、NHK・FMの生中継を夢中になって訊いた。運命の名演には数々あれど、この日の運命は伝説的と言ってよいぐらいの超名演であった。嵐のようなフィナーレ(最終楽章)の一音一音に演奏家の魂が込められているような、渾身の演奏だった。突き抜けるトランペットのG音、ホールの壁が崩れるのではないかというほどの、ティンパニの強打、高音でも絶対にミスをしないウィンナーホルンセクションの神業。
嵐のような拍手がいつまでも続いた。このときに、私はカールベームの言葉が分かった。人間とは、これほどまでに素晴らしい芸術を創り、演奏できる存在であるのを示すこと。それこそ、「人間の存在を少しでも明るく照らし出すこと」だったのか・・・。芸術は偉大である。
◆「武器」よりも「楽器」を
世界の人間が協調しようと思ったら、「武器」を捨てて、「楽器」を持つべきだ。あるいは、お互いの国にオーケストラが出かけていって演奏するべきだ。武器を使って人を殺す訓練をすることなどにエネルギーを費やすのは止めて、楽器を使って、人を幸せにする音楽を演奏できるようになった方が良いに決まっている。
本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれたオーケストラの祖国を、私は、心から憎むことが出来ないのである。
韓国人の名指揮者、チョン・ミョン・フン氏は祖父上が熱心な抗日運動家だったこともあり、指揮者になってからも長い間日本に来なかったが、一度、やむをえない事情で来日して演奏をしたところ、日本のオーケストラからも聴衆からも絶賛された。それ以来、日本人への偏見を棄てようと決めた。芸術を介せば、人種など関係ないんだ、と。
平和に必要なのは多国籍軍ではない。多国籍オーケストラだ。
2003年06月08日(日) 「<オウム>元幹部の新実被告が結婚 連絡役の確保狙い?」 まだ、反省していないようだね。
2002年06月08日(土) あの事件から1年