2004年09月28日(火) |
スイム35 スイミングパンツをあげる |
スイム35 笠松運動公園屋内プール。 Kノブヒサ氏と行く。 いつもKノブヒサ氏は年代物のスイミングパンツをはいていたので、 今風のスイミングパンツをあげた。 それは3年以上も前に買ったもので、アリーナのスパッツタイプなのだが、 それを着て泳いだのは1回しかない。 どうしてもゴムの上に肉がのってしまう感覚が嫌だし、 これを着て人前に出るのも恥ずかしかった。 少し体を絞ってから着ようと思い、そのまま着る機会がなかったのだ。 自分はもう一着古いスパッツタイプ(同じ理由で着ていない)を持っているので、 誕生日をむかえたばかりのKノブヒサ氏にバースデープレゼントの代わりにあげたのだ。 僕が着られないのなら、当然K氏は着られないはずのサイズなのだが、 K氏はゴムの上に肉がのっていても気にならないようだった。
しかしよく考えてみると、ゴムの上に肉がのってしまうからプールに通っている訳で、 周りを見渡してみると男女問わずそういう人達でプールはゴッタガイしている。 目の保養になるよう女性がいないことにいつも不満を持っていたが、 これはお互い様なのかもしれない。
▼
2003年09月28日(日) 女性は空間感覚をつかむのが苦手らしい
午前中は二日酔いで仕事にならなかった。 久しぶりの二日酔いだ。自分を叱る。落ち込む。
ここのところ面倒くさい仕事が滞っている。スパッといかない。 焦らなきゃいけないのに焦らないという僕の性格がわざわいすうる。 結局進まない。
夜、録画しておいた古いビデオを見る。 ドラマ「王様のレストラン」コミカルでおもしろい。 タイプではないが、出演者の鈴木京香が今と全然変わっていないのがすごい。 平井ケンがエンディングテーマを歌っている。 途中途中のCMにポケットベルのCMが流れていて感慨ぶける。 あの頃は若かった。
ビデオデッキが調子悪い。 今は無き城南デンキ永福町店で買った物で10年以上は使っている。 そろそろ買い替え時かもしれない。
▼
2003年09月27日(土) 木製ゴム鉄砲
ラ式の試合。 雨の中やったのでドロンコ状態。
▼
2003年09月26日(金) 石膏ボードは甘食のように2枚で1組なのだ 2002年09月26日(木) 目標の数字を設定しろ
建設フェスタの準備のために朝8時30分にO山材木店に集合。 今年も木製ゴム鉄砲をやる予定で、その材料を加工した。300丁分を用意。 半分がお茶飲みの時間で、結局12時半までかかった。 若手木材業者の集まりなのだが、製材所、市場、銘木卸し、小売り、とそれぞれ分野が違う。 それぞれの話を聞くことは勉強になるし、同業者同士だと良い刺激にもなる。
午後からは建材問屋の展示会に行く。 東京ビックサイトで行われるかなり大きな展示会だ。 販売店である僕の場合、工務店やこれから家を建てようとする施主さんを連れていって、 ドアや床材、キッチンやお風呂を見てもらうのが本来の主旨で、 そこで契約をしてもらえると尚良い。 たくさんのお客さんを抱えている販売店などは、バスを貸し切って全国からやってくる。 FZ店にはそういうお客さんがいないので、ただ勉強のためだけに新商品などを見に来た。 一人東京くんだりもさみしいので、おもちゃ卸しのKさんを誘ってみた。 たまには異業種の展示会を見てみるのも良いのではないかと思ったのだ。 Kさんは越ヶ谷に納品に行く用事があったので、ちょうど良かったようだ。 なんだかんだこっちを出るのが遅くなってしまい、東京ビックサイトに着いたのは16時近くになってしまった。 展示会は17時までだったのだが、一時間も見れば十分な内容だった。 新商品もあるにはあったが特に興味をひくものはなかった。 どちらかと言うとKさんに見てもらい、異業種の人から見た意見を聞くのが目的だった。 移動の車の中で経営に関していろいろと話を交わした。 Kさんとは定期的に商売について語り合う。良い存在だ。 その後、葛西に移動し環七沿いのミスタードーナツに立ち寄り、コーヒーとオールドファッションを一個食べる。店を出る時にトレーを片付けようとして店員さんに「そのままでいいですよ」と言われてしまう。 そして浦安の少し形態の違うコンビニエンスストアーを見学し、大三角線をディズニーランドまで走り抜け、それから越ヶ谷のおもちゃ屋さんへ向かった。 おもちゃ屋と言うと最近はトイザラスに押され気味で、さびれた商店街の古いおもちゃ屋さんか、 マニアックなフィギュアばかり置いてある店を想像していたのだが、 このおもちゃ屋さんは売り場面もかなり広く、品揃えも偏りがなく豊富だった。 4階建ての店内をくまなく見学した。 物販業において、「在庫」に関する考えは賛否両論ではあるが、 「無い物」を売るのと、「有る物」を売るのとでは売り方も違がければ、 商売の姿勢も変わってくる。自分の場合考え直す必要があるかもしれないと感じた。 店のバックヤードでKさんとそこの社長さんとお客さんのマニアックな会話を立ち聞きするがまったくもってチンプンカンプンだった。 その後再び東京へ戻り、K1を見に来ているKさんの弟と一緒に返る予定だったが、連絡が取れなく見捨てることにした。 そして御徒町駅近くのカレー屋「デリー」でカレーを食べ。 日暮里駅前のラーメン屋「馬族」でラーメンを食べて、 エクセシオールコーヒー(って読むのか?)をテイクアウトして帰路につく。
このように年3、4回はKさんと視察研修みたいなのに出かける。 とにかく見聞を拡げることだ。 次回の予定は10月25日、また東京だ。
▼
2003年09月25日(木) どこか別の会社に就職して毎月ちゃんとした給料をもらう 2002年09月25日(水) 栗
お彼岸の中日。旗日。園、店、ともに休業。 プライベートの予定も無し。 自室を掃除することにする。 掃除機をかけるだけでなく所有物の整理整頓をする。 必要の有無を判断し、無いものは処分する。 こういうことは年に2回はやる必要がある。 特に書類はたまる一方だ。
ここ5年くらいで物に対する考えが大夫変わった。 極力ものを減らす。最小限のもので生活していく。
スイム34 笠松運動公園屋内プール 適度に泳ぐ
▼
2002年09月23日(月) 世界遺産
配達のついでに床屋さんに行った。 方面が一緒だったのだ。 そのあとは方面に関係なく図書館へ行った。 専門書3冊とエッセイ集1冊を借りた。
伯母からもらったスクーターが重宝している。 青柳プールまで7分。県立図書館まで11分で着く。 水戸駅前方面を徘徊するのに大変便利だ。 車で出かけると、水戸と言えども駐車料金がかかる。 先日水戸で集まった会合にもスクーターで出かけた。 車できたTヒロシ君は駐車場料金だけで3000円かかり、 運転代行で4000円近くかかったそうだ。 それで二次会に大工町のスナックまで行ってしまったら2万ではおさまらない。
飲酒でスクーターはもちろん捕まってしまうので、 ある程度のところまで押して歩く。下り坂なのでそう苦にならない。 僕の住んでいる地域と水戸の街の間には一級河川が流れていて、 その周りには田園地帯がひろがっている。 街の喧噪から一転して、のどかな風景に変わる。 そういうのも含めて、歳を追うごとに自分の住んでる地域が段々好きになってきた。
▼
信組の支店長さんに厳しい意見を言われた。 正にその通りで納得せざるをえない。言われて悔しい。 今に見ていろと、心の中が煮え繰り返える。 この気持ちを冷まさないことが大事だ。
ブドウが美味しい。 僕は巨峰が大好きだ。
▼
2003年09月21日(日) 前立腺肥大
スイム33 笠松運動公園屋内プール 毎回500円を払って利用しているのだが、 今日は6000円分のプリペイドカードを買った。 5000円なので1000円お得になる。
今日はマナーの悪い人達が多かった。
▼
スイム32
▼
スイム31
▼
2002年09月13日(金) 男子厨房に立たず
HNYEG9月の例会。 社会保険労務士の先生を招いて、年金について話して頂いたのだが、 つまらなかった。
▼
県の建築指導課へ行き事務所登録を済ませてきた。
▼
2003年09月09日(火) 虫食い 2002年09月09日(月) 雨の日は静かに読書など
二日続けて午前様。様々です。 それなりの理由があって、連夜によるベロンベロンなのだ。
自分がどれだけ飲めば、次の日はOKだというのは知っているはずだが、 知っていて、それを越してしまう時がある。
まぁぁそれが二夜続いた訳だが。 今日もまた絶対量を超してしまったと言う訳だ。
久しぶりに俳優I君のおやじさんと飲んだ。 相変わらずパワフルなおやじさんだ。
明日は反省しなければならないかもしれない。 確実に絶対量を超している。
明日は僕のン回目の誕生日、 事務所登録をする。
▼
10円は10円な訳で10円分の価値のものと等価交換することができる。 10円では10円分のアメ玉1個しか買えない。
自分が主張する経済感覚を通すのもの分かるが、 取引を成立させるためには調整して世間に合わせるしかない。 それが合わない場合、取引は不成立となる。 それも仕方がない。
▼
2004年09月06日(月) |
スイム30 事務所開設準備 |
スイム30 年間30回目のプールは笠松運動公園屋内プール。 メインプールは10月からスケートリンクになるので封鎖中。 サブプールだけの開放。プールが半分になったせいもあるが、今日は混んでいた。 それに毎年この季節は人が増えるように思える。 僕は混んでるほうが活気があっていいと思う。 泳ぎにくいかもしれないが、ゆずり合いながら泳げばいい。 そういう知らない人とのコミュニケーションも大事。 我が物顔で俺が主だみたいに泳いでるおじさんもいるが、あれじゃダメだ。
もうすぐ誕生日だ。誕生日にあわせて、事務所登録の申請を出そうと思っている。 受理されて登録される日は少しずれてしまうが、誕生日を事務所開設の日とする。 しかしまだ事務所の名称について迷っている。 名字だけにするかフルネームを入れるか。 事務所にするか室にするか。木造を入れるか。 いろんな本に会社等の名称は短い方が良いと書かれているが、難しいところだ。
▼
2003年09月06日(土) 持ち送り 顔面トス 2002年09月06日(金) 百里基地見学と柴田雄三氏の講演
テレビの津波情報を見ながらここ2、3日分の日記をうめる。 何であろうと続けるということは難しくて、そして続けることができれば、 それは何かしら自信みたいなものにつながるかもしれないと改めて感じる。 この夏は忙しくて日記が書けない日が多かった。 日々の内容が濃ければ濃いほど、キチンと書き留めておけたはずなのに、 それができなかった。悔いが残る。 後日インデックスをながめるだけでもいい。日記を付けていたという記憶だけでもあればいい。 それだけ2004年の夏にいろいろあったからそう思うのだろう。
日記を付けると生活のリズムもとりやすい。 過去の理由付けをしておくと、前に進むのに多少は楽に進める場合があるかもしれない。 そのうちボートは大海原に漕ぎ出す予定だ。
とりあえず今日は凪。 夜遅くにバーミヤンで食事。初めてバーミヤンへ行った。
▼
2003年09月05日(金) 根っこ掘り 2002年09月05日(木) 人にやさしく
今日は朝から防災訓練だった。 ひたちなか市防災訓練。消防団として参加。 今年は河川の氾濫を想定した水防訓練。那珂川の河川敷で行われた。 僕らの役割は土のう積み。数日前に集められて予行練習をやった割には、 まとまりが無く、ダラダラと小汚い土のう積みだった。 緊迫感が無いから仕方がない気がする。 先日の新潟、福井の集中豪雨災害があったばかりで、災害に対する意識は低くはないはずだが、 やらされてる感が強い。
午後からは建築士会の集まりで、消防団の服装のまま急いで会場にむかうが、 会場には何の貼り出しもなく、確認してみると来週の土曜日だった。 このところこういう勘違いが多い。やはり手帳が必要かもしれない。 来年はポケット手帳を用意しよう。
▼
2002年09月04日(水) ホワイトボード
2004年09月03日(金) |
スイム29 女子大学生と泳ぐ |
スイム29 夕方、Kノブヒサ氏にプールへの誘いのメールを入れる。 しばらくメールが返ってこなかったので、一人で行く準備をしていると、 Kノブヒサ氏から携帯がかかってきた。 話によると、今日は姪っ子とプールに行く約束をしてしまったようで、 そうかと言って、僕が一緒でも支障は無いらしく、 車で迎えに来てくれることになった。
姪っ子をプールに連れて行くというので、小学生くらいの女の子かと思っていたら、 夏休みで帰省中の大学生だった。 Kノブヒサ氏の奥さんのお姉さんの娘さんで、現在金沢の大学に通っている。 見た目は中学生でも通るような童顔で、背も低い。Hショウコちゃんという。 入口で別れた後、最近あまり見かけないフリフリの付いた水着でプールサイドに登場した。 お世辞にもスタイルが良いとは言えないが、どことなく可愛らしい雰囲気を持っている。 スイミングキャップをかぶると、なお一層かわいく見えて、浮き輪が似合いそうだった。 ラッコを見てカワイイと思う感覚が近い。 泳ぎのほうは3年ぶりのプールらしく、25メートルの途中で足をついていた。 この日は個人主義的なFツには珍しく、フリーエリアで一緒に泳いだ。
帰りの車の中では、だいぶ打ち解けて話をしたのだが、 ショウコちゃんはFツとKノブヒサ氏が同年代の友達だと思っていたらしく、 Fツは少しショックを受ける。友達とは言っても年齢は一回りも違うのだ。 確認してみると、なんと3人とも同じ干支だった。
不純な考えは全く無く、たまには若い女の子と話をするのもいいものだと思った。 女の子のいる飲み屋に行けば、もちろんこの位の年齢の女の子と話はするのだが、 それは不純の部類に入ると考える。
▼
2002年09月03日(火) ハヤシライス
日中、高校3年生の時の担任の先生を見かけた。 水戸は笠原の問屋街で、100円で売っている自動販売機がある。 問屋街に来た時は、ここによって缶コーヒーを買う。 先生もそこで何かを買って、車に乗り込んだところだった。 この先生は僕らが卒業した後で、ガンになったと言う噂を聞いていたが、 それから10年以上も経っているから、どうやら回復して元気にはなったようだ。 年齢から言って、すでに定年を過ぎたかもしれない。 車の後部座席には釣り道具らしき物が積み込まれていた。
小、中、高と計10人の担任の先生とめぐり会ってきたが、 この高校卒業時のAツトム先生には、全くもって何の恩も感じていない。 国語の先生なのだが、いわゆる事なかれタイプの先生で、良い話をしてくれた記憶が全く無い。 僕の方からも距離をとっていたし、先生から歩みよってくることも無かった。 進路指導もいいかげんだった。 僕の場合、部活動の先生との方が繋がりが強かったせいもあるかもしれない。 高校3年生の3学期、僕の成績はクラスで最下位だった。 この頃、勉強に関しては何もやる気がなかった。 それがこの担任Aツトム先生のせいだとは思っていないが、 この多感な高校卒業時にもう少し影響力のある先生と出会っていたらと、 僕のこれまでの人生において、もったいない部分だったような気がする。
だから街で見かけた時に、声をかける気にもならなかった。 その代わりに軽く会釈をしたのだが、向こうは全く気付かなかったようだ。 それも分かるから、別に会釈したぶん損したとも思わなかったし、 気分を害することもなかった。
▼
2003年09月02日(火) 常連風 2002年09月02日(月) 炎熱商人
|