どうしたものか夫はアンジェラ・アキを目の敵にする。
夫曰く「なんか分からんけどカンにさわる」のだとか。私はアンジェラ・アキの事は好きでもなければ嫌いでもない。特に深く考えたこともない。でも、夫がんそんなに嫌うほどかなぁ……と不思議でならなかった。「そうは言うけど、じっくり読んでみると、良い歌詞書いてるよ」と言ってみたところ「なんか中二病臭いと言うか……」と夫。まぁ、実際中高生に需要ありそげな歌詞ではある。
アンジェラ・アキさん『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』の歌詞「分からないではないけどね。でも、私は成長してセーラー服姿のY(娘)が卒業式で『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』とか歌ったら泣く自信あるわ。ってか、絶対泣くね」と夫に言ってみたところ「やめろ!やめてくれ」と夫はジタバタ身悶えしていた。どうやら何か彼の心に刺さる部分があったらしい。
実は私には夫がアンジェラ・アキを目の敵にする理由が分からなくはない。たぶん同族嫌悪なのだと思う。もしも夫がリアル15歳ならガッツリとハートを鷲掴まれていたのだと思う。しかし夫は42歳。42歳のオッサンに、あのノリは耐えられないのだ。
歌でも、映画でも、小説でも、心に響くものって「出会うべき時期」があると思う。
最近、小説や漫画を読んでも「あ〜。このノリ、分からなくはないけど無理だわ」と思う事が多くなった。そして、中高生の頃に大好きで傾倒していた作品は今でも変わらず好きだけど、その作品に出会ったのが今の私だったら無理だろうなぁ……と思う作品は少なくない。勿論、出会う時期がいつであったとしても好きになっただろうと思う作品だってあるのだけれど。たとえば……小説で言うなら、遠藤周作の作品は出会うのがいつであってもハマったと思うけれど、三浦綾子の作品は若い頃に出会ったからこそ心に刺さったのだと思う。
「私がもっと若かったら、きっと楽しめただろうなぁ」と思うような作品と出会うと、自分の感性が老いてきたのを残念に思うけれど、今の私だからこそ感じることが出来る作品にだって出会っているのだと思う。青春なんて一瞬で過ぎてしまうから大切にしなさい……的な事が言われるけれど、それは幾つになっても変わらないんじゃないかと思う。オバサンはオバサンなりに今を大切にしておかないと、きっと今しか味わえない何かも多いのではないだろうか。
……なんて話はここまで。
今日は午前中、定番家事を片付けた後、実家の母を連れて「100センチパーティーのプレゼント」を買いに行ったりと大忙しだった。実家の母と出掛けると色々と草臥れるせいか、帰宅してから娘を迎えに行くまでの時間は炬燵に突っ伏して居眠りしてしまっていた。娘は身体測定で100.5センチだったとニコニコ顔で帰宅。明日は予定通り「100センチパーティー」を開催出来ることになった。そして今週も無事終了。笑顔で週末が迎えられて嬉しいことだ。明日も頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
本日のお弁当。ふりかけおにぎり、ミートボール、たこウィンナー、蓮根キンピラ、スナップエンドウとコーンのバター炒め、うさぎ林檎&バナナ(別容器)。新年初お弁当。久しぶりなので娘の好きな物ばかり詰めてみました。