白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2011年11月22日(火) 干からびない思い出。

昨日、3度も嘔吐した娘。今日はすっかり元気になった。

今日は念のため幼稚園をお休みさせたのだけど「昨日の嘔吐は何だったのだろう?」と思うほどの元気っぷり。今日は消化の良いものだけを食べさせていたのだけれど、明日は普通の物を食べさせても大丈夫だと思う。明日は幼稚園の作品展があり、実家の母も交えて、家族で幼稚園へ行くのを楽しみにしているのだけど、この調子だと無事に行くことが出来そうだ。娘も嬉しそうだが、私も嬉しい。

先週からヤフオクで娘のベビー用品を売っているのだけど、少しずつ行き先が決まってきている。意外な物に自分でも想像もしないような高値がついたり、逆に「これは良いものだし、状態も悪くないんだけどな」というものが売れなかったりと、なかなか興味深い。ヤフオクに出品して売れなかった物は「自分もいらないし、他の人もいらない物だったのだ」ってことで未練があっても捨てることにしている。

人に物をあげる(ヤフオクの場合は売るだけど)のって、本当に難しい。

私の伯母は遊びに行くたびに何某かを持たせてくれるのだけど、もらって困る物ばかりを持たされる。たいていは衣料品で「ものすごく品物が良いから」とくれるのだけど、私の生活はにそぐわない服(専業主婦なのに昔風のスーツやワンピースをもらっても困る)ばかりだし、その上サイズも合っていない。洋裁の趣味でもあればリメイクする事も出来るのだろうけれど、生憎とそういう趣味もない。申し訳ないのだけれど、伯母からもらう大量の衣料品はほとんど処分させてもらっている。

娘の使っていたベビー用品やその他、処分を考えている物でも貰い手のつかない物は、どんなに良い物でも「自分もいらないし、他の人もいらない物」なのだと自分に言い聞かせている。思い出として品物を取っておくのも悪くはないけれど、我が家のような狭小住宅でそんな事をしていたら、たちまち物で溢れてしまう。

物を処分するたびに、いつも思う。人生で本当に必要な物って、そんなに沢山は無いんだ……って事を。

実家にいる頃、諸事情でそれこそ大量の家財道具を処分したことがあるのだけれど、処分して心底困った物なんて何もなかった。お金さえあれば、たいていの物は買える。そして自分にとって本当に大切な思い出は物が無くても干からびたりしないのだ。物に固執するよりも日々の暮らしの中で干からびない思い出を沢山作っていきたいなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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