白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2010年09月30日(木) 溺れる恋。

この1〜2週間はレンタルDVDをたくさん視聴した。

平日に夫の帰宅が比較的早い日は、夫が夕食だの入浴だの済ませて後で何某かのテレビ番組を観る習慣がある。たいていは録画した番組なのだけど、この秋は観る物が少なくてDVDを借りることが多かった。その中に濃い恋愛物があって「これ、すごく面白いね!特に『恋に溺れてる』って感じが!」と夫に言ったら、夫から「それは白蓮さんが恋愛に溺れた経験が無いからでしょ?」と指摘されてしまった。反論の余地は無かった。

独身時代から、この日記に何度も書いているけれど私は恋愛に対して淡白な人間で、思えば今までの人生で「恋に溺れた」って経験が1度もない。

恋愛以外の事柄(たとえば仕事とか趣味とか友達関係とか家族のこととか)は、比較的一生懸命取り組む方だと思う。なのに何故、恋愛にた対してだけは必死になれなかったのだろう? 自分でもよく分からない。そういう相手に出会わなかっただけなのかも知れないし、私自身の資質に問題があったのかも知れない。今さらな話だけれど、ちょっと勿体なかったな……と思う。

そもそも恋愛と言う意味で人に惚れることが滅多になかった。夫と結婚する以前には本気で人を好きになったことはあったけれど、ちゃんと踏み込んでいかなかったので笑っちゃうほど手前で終わってしまった。「ちゃんとした恋愛をしてこなかった」ってのは私にとってコンプレックスの1つだったりする。

なので恋愛とちゃんと取り組んでいる人の話を聞いたり、そういう映画を観たり小説を読むと、そこには私が踏み込むことの出来なかった世界が広がっていて「すごいなぁ…」と感心してしまうのだ。

恋愛に突っ込んでいける人と、そうでない人って、どこがどう違うのだろうなぁ……

私にとって「恋愛」は永遠の謎だ。もっとも考えたところで分かるような問題ではないのだけれど。恋情には疎いけれど、人並みに愛情は持っているつもりでいる。謎は謎のまま、その辺に置いておいて、私は私が愛情を注ぐべき相手に愛情を注いで生きていこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2008年09月30日(火) 追体験
2007年09月30日(日) 鯵祭り
2006年09月30日(土) 休日を1人で
2005年09月30日(金) しましまのはなし
2004年09月30日(木) 心機一転。
2003年09月30日(火) 職場の人間関係。
2002年09月30日(月) 事後報告の女。

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