先の連休中に夫の実家へ遊びに行った時のこと。「今年は猛暑で柿が駄目になってしまっている」と義母が言った。
夫の実家はけっこう広くて庭には果実の成る木が植えてある。柿が2本、八朔1本、すももが1本。義母は柿農家で産まれ育ったせいか、果物を育てるのがとても上手で、どの果物も甘くて美味しい。私は果実の成る木を育てたことが無いのでよく分からないけれど、果実を美味しく育てるのは難しいと聞いている。義母の育てた果物を御近所の人にお裾わけした際「これだけ美味しく育てるのは難しいよ」と言われたことがあるほどに、義母の育てる果物は美味しい。
なので「それは残念ですね。毎年楽しみにしているのに…」と言うと義母は言った。「おかげで今年は助かったわ。私、柿ってあんまり好きじゃないしね」
……知らなかった。義母が柿を好きじゃなかったなんて。
丹精込めて育てているのを知っていたので、てっきり大好きで世話をしているのだとばかり思っていた。私は驚いたことを告げ「じゃあ、どうして植えたのですか?」と訊ねてみた。なんでも家を新築した時、義母の母親が柿を、長兄が八朔を勝手に植えていったのだと言う。ちなみに八朔に至っては「まったく好きじゃない」とのこと。義母はかれこれ35年以上、あまり好きじゃない果物の木を育て続けてきたのだった。
夫も義母が柿や八朔を好きじゃなかったって事実を知らなかったらしい。もしかしたら義母の子供達は誰も知らないのかも知れない。義母は自分が好きじゃない果物の木を長年、丹精込めて育て続けてきたのだと思うと、胸が詰まってしまった。嫁いだ娘に、あるいは嫁いだ妹に良かれと思って果実の木を植えた義母の実家の家族の気持ちも分かるし「それって、実は嬉しくないんだけど」と言えなかった義母の気持ちもよく分かる。義母はこれからも身体が動く限り「あまり好きじゃない果物の木」を丹精込めて育てていくのだろう。
「なんだか言い出せなくて、ずっと言い出せずに自分の中で抱えていました」って事、誰だって、1つや2つ抱えているのではないだろうか? それは些細なことかも知れないし、もしかしたら重たい秘密かも知れない。いつか誰かにぶちまけてしまうのが幸せなのか、それともずっと秘め続けているのが幸せなのか……。
義母と話しをしていて色々と考え込んでしまった。私自身、こうやって口では言えないことを日記に書いたりしているけれど、ここに書いていることだけが全てではなく、むしろ書けないことの方がずっと多い。人は単純だったり複雑だったり色々な面を持っている。
……と、この話はここまで。これ以上書いていたら余計なことが出てきてしまいそう。週の折り返しの今日は午前も午後も出掛けていた。今日くらい涼しければ公園で遊ぶのが楽で良い。明日、大阪は雨とのこと。今週はなんだかんだと外で過ごしているので中休みさせてもらおうかなぁ……なんてことを思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ、