白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2010年05月16日(日) 親子関係とか色々。

実家の母は大阪弁的な表現で言うと「ぼちぼち」な感じで退院出来そうだ。

「大丈夫」と言っても入院しなければならないのだから、大丈夫じゃないと言っても過言ではないのだけれど、長期療養しなければならないほどの物ではなかったらしい。1週間か10日か。退院の目途は全く立っていないのだけど、思っていたより軽く済みそうでホッっとした。

一昨夜は母のことで伯父と伯母から電話があった。2人とも妹(母)の病気を心配してくれていて、兄弟ってありがたいなぁ……と思った。伯母からは「子供が顔を見せるのが1番の薬だから、白蓮ちゃんも大変だと思うけれど、マメに行ってあげてね」と、それはそれはクドクドと説教されてしまった。黙って聞いていたけれど内心で「たぶん毎日行くし、私にも家庭があるので病院に付きっきりとか無理だし……」と反発しながら「そうですね。母は孫に夢中ですから、せっせとYを連れていきますね」と言ったところ「あのね。親って、子供がいくつになっても子供が可愛いのよ。孫の可愛さは格別だけど、それは別次元のもので、やっぱり子供のことが気になって仕方ないのよ」なんて話を聞かされた。

伯母には息子が1人、娘が2人いるのだけれど、娘の1人と仲が悪くて、その娘は伯母の家に寄り付かない。「伯母が気になって仕方ない」と言うのは寄りつかない娘のことなのだと思う。彼女は3人の子供を抱えて離婚したばかり。伯母は何か娘の手助けをしたいと思っているらしいのだけど、娘は伯母の助けを拒んでいる。

この話だけ聞くと「なんて酷い娘だ」と思えてしまうのだけど、私は従姉の言い分も分かるので、彼女が母親を嫌っているのも理解できる。従姉は兄弟の中でも勉強が出来なくて両親の愛情は他の兄弟に注がれて、傍目から見ても「あれはちょっと……」と思うような育てられ方をしていた。従姉は家族を嫌っていて思春期の頃は自殺さえ考えていたほどだ。

「どうして伯母は従姉が小さい時に愛してやらなかったんだろう?」と思ってしまうのだけど、伯母は伯母なりに娘を愛していたのだろうか。それとも、年を重ねた今になって「もっと愛してやれば良かった」と気に病むようになったのだろか。私には知るよしも無いが切ない話だ。残念だけど今さら従姉が伯母を許すとは思えない。

伯母と従姉の関係は、私も娘がいるだけに他人事とは思えない。娘はまだまだ幼くて「お母さん大好き」な甘えん坊だけど、娘が成長するにつれ、私と彼女との関係も変化していくだろう。娘が成長して親元から巣立っていくのは歓迎だけど、心まで離れてしまわないような関係を築いていけたらなぁ……と思う。

今日は夫が「病院へは俺とYとで行くから、白蓮さんは美容院へ行ってきたら?」と言ってくれたので、午前中は美容院へ髪を切りに行ってきた。夫の心遣いのおかげで髪型だけでなく気持ちもリフレッシュさせてもらった。今は夫と娘の帰宅を待ちつつ休憩中。昼食は冷やしうどんと天麩羅。お昼間から天麩羅を揚げるなんて娘がいたら至難の技。天麩羅は少し冷めてしまったけれど、まぁ…おうどんに乗せて食べるのだし良しとしてもらおう。夫と娘が早く帰ってこないかなぁ……なんて思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2003年05月16日(金) 読書欲とかマスクとか
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