白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2004年05月16日(日) 切り離し

今日はSさんの赤ちゃんの顔を見に行ってきた。Sさんの実家は大阪南地方にあって、大阪東地方にある私の家からは、かなり遠い。車で行ったことはあったのだが混雑した道を運転するのは嫌なので、今日は電車を乗り継いで行ってみた。

雨の中、傘を差してまだ見ぬ赤ちゃんとの対面にドキドキしながら家を出た。

Sさんちへ向かう快速電車は「前4両が○○行。後4両が△△行。途中◇◇駅で車両切り離し」というタイプのものだった。こういうタイプの電車にはあまり乗ったことがなかったので「なるほどなぁ」と思ったものの、電車のアナウンスを聞いていると、唐突に哀しくなってしまった。

途中まで同じレールに乗っかって同じ方向へ進んでいたのに、ある地点でお別れだなんて。切り離されたが最後それぞれの道へ進んで、もう繋がれることはないだろう車両って、なんだか人の一生と似ているような気がした。

同じ電車に乗り合わせても、それは、ほんの一瞬のことで、ずっと同じ電車に乗っているなんてことは不可能なのだと。途中下車することもあるだろうし、どこかの駅で切り離し作業があるかも知れない。結局のところ自分の旅は自分1人で進まなければいけないのだ。同じ車両に乗り合わせた人がいて、その人と仲良くなれたらラッキー。だけどそれも永遠には続かない訳で。

私の乗っている電車は、いったいどこへ行こうとしているんだろう。私の降りるべき駅は、とんでもなく辺鄙で荒んだところかも知れない。私が現在進行形で一緒に進んでいる人達も、途中下車したり、別の車両に移っていってしまったりして、1人で進んでいかなくちゃいけないのかも知れない。1人になることや、1人でいることを恐れてはいないつもりだけれど、平気と言い切れるほど強くはない自分を嫌というほど感じた。

31歳にもなって女子中学生のようなことを思って、相当真剣に哀しくなってしまった。「いい年して何言ってるの? どうかしちゃったんじゃない?」とセルフ突っ込みを入れながら、しかし哀しくてたまらなかった。

Sさんの赤ちゃんはご機嫌さんで可愛らしかったし、Sさんも元気そうで安心したし、楽しい1日だったのだけど今日は「切り離し」という言葉が妙に引っ掛かっている。今日は赤ちゃん観察日記を書こうと思っていたのになぁ。たまには陰気な日記もいいかもね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2003年05月16日(金) 読書欲とかマスクとか
2002年05月16日(木) 「他人事」だなんて淋し過ぎやしませんか?

白蓮 |MAILHP