白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2010年05月17日(月) 家族の歪み

昨日の日記…伯母と従姉のことを考えていて、家庭って場所が温かくて愛情にあふれた場所だって思い込みは危険だなぁ……と思った。

家庭は社会の最小の単位と言われる。互いに愛し合い、いたわりあって暮らしていくのが理想だけど、社会にイジメがあるように家庭内にもイジメは存在する。児童虐待やDVは分かりやすいと思うのだけど、もっと地味で陰湿なものだってあると思う。1つ屋根の下に暮らしている血の繋がった人間の集合体だと言うのに、愛されない人がいたりするのは決して珍しいことではない。

私の元同僚で女の子と男の子を育てている母親がいるのだけれど、以前、彼女から「男の子って純粋でいいよ。可愛くて仕方が無い。その点、女の子はねぇ……」と、嫌な話を延々と聞かされたことがある。要するに彼女は息子は愛せても娘のことは愛せないらしい。私は子供が1人しかないくて、しかも娘しか育てていないので「女の子は可愛くない」発言は気分の良い物ではなかったし、それ以上に彼女が子供達に接している姿を見ていて、娘さんが可哀そうでならなかった。

家庭内でのイジメ(イジメと言う言葉がしっくりこないなら「愛されない人がいる」とか「疎外されている人がいる」と置き換えても良いかも)の対象は、子供とは限らない。父親だったり、母親だったり。あるいはお年寄りだったり。今にして思えば私の育った家庭も「健全」とは言い難かった。

人間なのだから完璧な人なんていないのだし、そんな人間達が集まって暮らせば、歪みが出るのも当然のこと。そんな事は、どこの家庭にも多かれ少なかれあるんじゃないかと思う。もし「私の家は仲良しで、そんなことありません!」と胸を張って言える人がいたとするなら、その人は文句のつけようのないほど素晴らしい家庭で暮らしていたか、もしくはその人自身が驚くほど鈍感かのどちらかだと思う。

酷い事って「された人」は一生覚えているけれど「した人」は、覚えているどころか、それが酷い事であったという認識さえ無かったりするのだから。

私は今の家族を愛しているし大切に思っている。そして実家や夫の実家も大切に思っている。今は上手くまわっているけれど、ちょっとしたすれ違いから簡単に崩壊する可能性があるのも理解している。だからこそ慎重に、大切にしなくちゃいけないと思う。努力だけで幸せな家庭が維持出来ると思いあがっている訳ではないけれど、努力をやめたらオシマイだと思うから。

人間関係って、ひとたび崩壊してしまったら、回復するのは難しい。

今日は忙しさにかまけて、娘への対応が一事が万事、雑になってしまっていた。いつもなら待てるところが待てなくて急かしてしまったり、声のトーンが厳しくなってしまったり。自分の余裕のなさを娘に押し付けてはいけないと反省した。明日もバタバタした1日になりそうだけど、気持ちだけでも余裕を持って過ごしたいなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2009年05月17日(日) 新型インフルエンザ
2006年05月17日(水) 否定すること。
2005年05月17日(火) はじめての遅刻
2004年05月17日(月) 結婚適齢期。
2003年05月17日(土) 馴染む・馴染まない
2002年05月17日(金) 大きな声ぢゃ言えないが。

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