白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2009年12月09日(水) 行動の原点

この金曜日は近所の子供&母親有志でクリスマス会を開くことになっている。

会場は我が家。なので勢い私が飲み会で言うところの「幹事」の役を請け負っている。昼食のカレーを作るのと、会計係。その他の雑用(クリスマスカードの作成等)と連絡係。面倒と言えば面倒だけど、負担に思うほどの労働ではない。クリスマス会の参加メンバーからは「面倒ごとを押しつけてしまう形になってゴメンね」と言われたり、あるいは手際を褒められたりするのだけど、褒めてもらうような事は何ひとつない。

何故なら私は娘のために動いているだけであって、他人のために動いているの訳ではないからだ。

「白蓮さんって、いい人ねぇ」的なことを言われたとしても、その行動の原点は「娘のため」だったり「家族のため」だったりする。クリスマス会は娘が楽しい時間を過ごして欲しいから、あれこれ頑張っているだけなのだ。そりゃあ、娘の友達だって可愛いと言えば可愛いけれど、その子達のために、これだけ頑張れるかと言えば答えはNOだ。

今回のことに限らず「いい人ねぇ」みたいな事を言われる時って、たいてい、その行動の原点は自分のためだったり、家族のためだったりする。「情けは人のためならず」のコトワザではないけれど、自分以外の人のために無欲で行動するのは非常に難しい。頭の隅にはチャッカリ計算が働いていたり、別の目的があったりするものだ。

たとえば私が家族以外の人間のために労力を注ぐ相手はなると、その対象は友人だったりする事が多いのだけど、これも突き詰めて言えばその友人が私にとって「好きな人」であり、好きな人が喜ぶところが見たいから…と言う、自分本位な感情が行動の原点になっている。

「無償の愛」なんて言葉があるけれど、あれを実践出来る人って凄いと思う。憧れるけれど、私には到底行きつくことが出来そうにない世界だ。

……などと書いていると、自分が利己的で情の薄い人間のように思えてしまうけれど、じっとして誰の役にも立たない存在でいるよりも、内心はともかく行動して誰かの役に立てる人間でありたいと思う。自分と自分の大切な人が幸せでいられるよう、常に行動していたい。団子虫のように丸く縮んでしまう時もあるのだけれど、なるべく活動的でありたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2006年12月09日(土) 灰谷氏と父の思い出
2005年12月09日(金) みかん考
2004年12月09日(木) ロマンティックが足りませぬ。
2003年12月09日(火) にぎにぎ。
2002年12月09日(月) 元気でやっています。
2001年12月09日(日) 「でも」ぢゃない!(下劣な言葉が含まれるので苦手な方は飛ばしてね)

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