今朝はかねての計画通り、朝食にカップヌードルを食べた。
ものすごく久し振りに食べたカップヌードルは感涙物の美味しさだった。五臓六腑に染み渡る美味さ!思い出込みでの美味しさだとは思うのだけど、大満足の味だった。
カップ麺を食べながら夫と「朝食にカップ麺って、ビジュアル的にはもの哀しいよね」と話をした。バナナとヨーグルトを添えてみたものの、やはりもの哀しさは変わらない。「なんだか引っ越しの日の朝ごはんって感じだねぇ」なんてことを夫と話をした。
私は結婚するまでにも都合、何度か引っ越しを経験している。親の転勤…とかではなく「父が事業に失敗したから」という理由だったので、引っ越しするたびに行く先の家は小さくなっていった。最終的に行きついたのはレトロ…と呼ぶにはあまりにもボロい長屋だった。
カップヌードルを食べながら自分の過去を振り返りつつ「娘はよほどの事が無い限り、自活をはじめるとか結婚する…みたいな巣立ちの意味以外では引っ越しすることは無いんだなぁ」なんてことを思った。夫はサラリーマンで転勤の可能性がゼロとは言わないが、一応「転勤は無いだろう」とのことだし、転勤したところで最終的には大阪に戻ってくる。我が家は築35年を越えたポロ家だが、持家なので娘はたぶん成人するまでこの家で暮らすことになるだろう。
それが娘にとって幸せな事なのかどうかは分からないけれど、出来れば娘はこの家から巣立って欲しいと思う。
話は変わるが今日は雛祭り。朝から張り切ってチラシ寿司を作った。午前10時から集会所で開かれる育児支援に参加するため、昨夜から仕込みをしておいて、猛ダッシュでチラシ寿司作り。娘にとって今年は2度目の雛祭りだが、昨年は乳飲み子だったのでチラシ寿司は食べていないのだ。具の切り方から何から娘仕様のチラシ寿司を作った。
娘の目の前にドンと寿司桶を置いたら、娘は満面の笑みで「キャーッ」っと黄色い声。「これはもらった!」と思うも、チラシ寿司を取り分けたとたん娘は知らん顔。喜ばないどころか口も付けてくれなかった。仕方がないのでチラシ寿司を一口大のおにぎりにした。おにぎりにしてチラシ寿司はパクパク食べてくれたので良かったけれど、母としてはちょっとガッカリな結果だった。
来年はおにぎりにしなくても娘がチラシ寿司を食べてくれると良いなぁ。来年の雛祭りを楽しみにしつつ今日の日記はこれにてオシマイ。