私は今、専業主婦で1歳児の娘を育てている。日々、娘が幸せであるよう最善を尽くしているつもりだが、それが最善かどうかなんて誰にも分からないんだなぁ……なんてことを、ふと思った。
前回の日記で「娘にはこの家から巣立って欲しい」というようなことを書いた。家族仲良く健康で、しかも経済的に困窮していない状態をキープしたまま娘を成人させたいと思っている訳だが、それが将来的に見て娘の幸せに直結すると言う保障はどこにもない。
ふと結婚するまでの自分を振り返ってみて思った。私は確かに色々な意味で「満ち足りた生活」を送っていた訳ではなかったけれど、決して不幸では無かったな……と。
「絵に描いたように幸せな家庭」に育った子供が幸せになれるとは限らない。傍からみると「なんの不自由もなく」大きくなった人で不幸のループにハマってしまった人は沢山いる。残念ながら私の周囲にもそういう人はいる。
結局のところ娘の幸せは娘自身が自分の手で掴み取るしかない。娘がちゃんと「幸せを掴む手」を持っていることを祈るしかない。
親が出来ることって、ほんの少ししかないのだなぁ……と思う。
子を愛し、ある程度まで大きくすること以外は、「何があっても親だけは貴方の味方だから」と言うことを伝え、子が追い詰められた時に帰る場所を提供するくらいだろうか。
とりあえず今は「娘が笑顔でいられるように」過ごすというのが私の仕事だと思っている。しかし、ふとした拍子に子を育てるということの責任の重さを感じて「この子の将来はどうなるのだろう」なんて思ったりもするのだ。
もっとも、毎日そんなことを考えてるいかと言うとそんなことは無い。むしろ目の前のことをこなしていくのが精一杯。差しあたっての心配ごとは「明日は雨降りらしいけれど、どうやって過ごそうかな」ってこと。考えるのも大事だけれど、まずは目の前の事から片付けていこう……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。