最近、公園でやたら「爺さま」の姿を見かける。
孫を連れている爺さま。犬を連れている爺さま。杖をついている爺さま。ラジオを持ってくる爺さま。何も連れず、何ももたずにやってくる爺さま。平日の児童公園は爺さまパラダイスと言っても過言ではない。
私は娘を連れて朝な夕なに公園へ出掛けているのだけど、最寄の公園は「小さい子供&母親」という定番な姿は滅多に見かけない。小さい子連れの母親は毎日どこで何をしているのだろうかと疑問に思うことがある。マンション住まいの人達は、きっとマンションの公園へ行くのだろうけれど、小さい子のいる母親がみなマンションに住んでいる訳では無いと思うのだけど。
いまいち賑わっていない近所の公園を賑わしてくれているのが爺さま達だ。私と娘はそんな爺さま達と顔見知りになってしまった。
仕事人間だった人が定年退職した後、嘱託やなんかで第二の仕事を見つけたり、気持ちを切り替えて趣味人になれる人は良いのだけれど、そうでない人達……やるせなく毎日公園に来る爺さま達は暇そうに見えてならない。たとえば、孫連れで公園へ来ていても「孫が可愛くて離れがたいから来た」と言う人と「孫の相手でもしていないと暇だから」と言う人とでは、まったく印象が違うのだ。毎日公園にいる爺さまは断然後者のタイプが多い。
定年後の生き方を充実したものに…なんて言うのは簡単だけど、それまで仕事ばかりして生きてきた人が、定年したから生き方を変えろと言われても上手くはいかないのだろうなぁ。
婆さまは年をとっても「家事」という仕事があるけれど、サラリーマンの爺さまは定年退職したら仕事が無くなってしまう。思えば、ちょっぴり切ない話だ。
今日も娘がお昼寝から起きたら公園へ行くつもりなのだけど、今日もまた爺さま達とあいさつを交わすのだと思う。公園に集う爺さま達に哀愁を感じつつ、日々親交を深めつつある状況について書いてみたところで、今日の日記はこれにてオシマイ。