白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2007年10月19日(金) 病院で働く人々

入院中、母乳指導が厳しくて「母乳部」などと茶化してみたりしたけれど、それはそれとして、病院のスタッフには心から感謝している。

産婦人科は人手不足だと聞いていたけれど、実際に自分が入院してみてスタッフの少なさを実感した。お世話になった病院は出産の受付を制限していて、妊娠に気付くのが遅れようものなら出産を断られてしまうのだけど、そうでもしなければ、やっていけないのだと思う。

私が娘を出産した日に病院で産声を上げた赤ん坊は5人。もちろん時間差はあるのだけど、助産士さんやドクターは分娩室を行ったり来たりしていた。5人全員がスムーズな出産ならまだしも、命のやり取りをするようなケースもあっただろう。少ないスタッフで、いくつもの出産をこなすのは相当キツいと思われる。

また、病棟スタッフの数も少ないように思った。スタッフはいつも早足。傍目から見ていて「目一杯頑張ってます」と言うのが見て取れるのに、合間に看護実習生の指導も受け入れていた。自分の仕事をしながら人を教えるのはエネルギーがいるって事は私も理解出来るので「大変だなぁ」とて、彼等の仕事を眺めていた。

それでも彼等は笑顔でいるのだ。仕事だから当たり前…と言ってしまえば、それまでだけど、そうそう出来る事では無いと思う。大変な仕事に従事しているのだから、それに見合った収入があると良いのだけど。

退院の挨拶をする時、ナースステーションには1人の看護士さんしかいなかった。「お世話になりました」と頭を下げたが、本当はお世話になった全ての人に頭を下げたかった。

今の私のするべき事は娘を育てる事だけど、いつか自分がしてもらった事を何かの形でお返ししたいと思う。

娘を抱っこして、お乳を飲ませる時の幸せは表現出来ないくらいに強烈なものだ。この幸せは自分1人の力によるものでは無いって事を忘れないようにしなくては。お世話になった病院の人々に心から感謝しつつ今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2005年10月19日(水) ハッピーターン
2003年10月19日(日) オーギョチにハマる
2002年10月19日(土) 教えられないこともある訳で。
2001年10月19日(金) 非・恋愛体質

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