2012年09月11日(火) |
僕らはみんなで生きている |
東日本大震災から −福島第一原子力発電所の事故から− 1年半。 そして、アメリカ同時多発テロ事件から11年、である。
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ある場所では自然の脅威を、またある場所ではテロという人の暴力を、 悲しみとともに、静かに振り返る。
どちらにも共通しているのは、我々は、 −望むと望まざるに関わらず− すっかり損なわれてしまったその後を、 なんとかやっていかなければならない、ということだ。
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我々は孤立した存在ではない。 人と人が手を携え支えあうことは、希望に結びつく。
そして日本人は、困難に直面した時、それがとても上手だ、と最近思う。 おおげさでないし、作為的でなく、驚くほど自然にそうなる。
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我々は、孤立した存在ではない。
震災に同時多発テロを重ね合わせた時、 つまり「人の暴力」が加わる時、 私はこのことについてもう少し深く考える。
私達は、歓迎されるものも歓迎されないものも、一緒にやっていかなければいけない。 嫌だからといって排除することは不可能だ。
受け入れられないものを排除せずに共存していくことも、日本人は上手だ。 それは、全てを排除できないということ、矛盾するものをそのままにしておいても大丈夫だ、ということをよく知っているからだと思う。
そうだから、未来への希望のよすがとするのは政治や国家ではなくて、 私達が個人として他者と手を取り合って在ることだけなのだと思っている。
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