2012年09月12日(水) |
不自然な教育を受けることなく能力を開花している |
数日前のこと。
中央線快速の広告で、目を引く写真があった。
アフリカのどこかの国だろう。 小さい女の子が赤ちゃんを抱いてじっと見つめている。
「お母さんは毎日4時間かけて水汲みに行くために、5歳のダマリスちゃんは一人で小さな妹の面倒を見ています」、とキャプションがついている。
その下に、貧困から救おうというメッセージが添えられている。 セイブチルドレンという団体の広告らしい。
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私は、その後ずっと考えて、今も考え続けている。
セイブチルドレンの志は立派だし、そのことに水をさすつもりはない。
ただ私は、その写真をみて、すごいなあと感心したとしても、 ちっとも貧困であるとか不幸せには見えなかったのだ。
愛おしそうに妹を見つめる姉さんと、すっかり安心しきって甘えた顔をしている妹。
5歳にして、小さい母の顔になっている。 自分に責任があることに誇りをもっているし、責任を果たす能力に誇りをもっている。 水汲みから帰った母は、きっと優しく誉めてくれるだろう。
いったい何がいけないのか。 スナック菓子やゲームを買ってもらえないからだろうか?
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女の子は、不自然な教育を受けることなく、成り行きの中で能力を開花させている。 子守りの風景は、遠い昔の日本でも当たり前のことだったし、 そうして助け合って大きくなった子どもたちが、日本を創ってきた。 おそらく、今までは。
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4時間の子守りは、おそらくは楽ではない。 生きるか死ぬかの厳しい局面をかかえて暮らしていることは、間違いない。
ではその厳しい局面をすっかりなくしてしまえば、人は幸せになれるのだろうか。
電車の乗り降りや飲み食いの仕方までアレコレ指図され、 世の中全体が知能の低下みたいなことになっているこの国だって、 貧困で不幸なのではないのだろうか?
アフリカを救うにせよ、自分の国を立て直すにせよ、 新しいバランスが必要なんじゃないか、と思う。
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