無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年12月21日(土) 肉!肉!肉!(トラ!トラ!トラ!)/『新世紀エヴァンゲリオン』8巻(GAINAX・貞本義行)

 しばらくサボってたが、そろそろ病院に行かねばクスリが切れる。
 クスリが切れるとどうなるかというと、ともかくカラダがダルくなって、階段を登るにも手すりに持たれかからなければ上がれず、息が切れ動悸は激しくなり血管がうずいて頭痛がし、気力がなくなって人生に嫌気がさし、不法に手に入れた拳銃でもって、通りがかりの「てゆ〜か」なんて言ってる生意気なコギャルを撃ち殺したくなるのである。
 ではクスリを飲むとどうなるかというとひたすら眠くなるので、仕事中もふと気が付いたらイネムリしたりしている。これじゃ仕事にならないなあ。
 ……どんどんクスリを飲もう。

 休日の外出にもしげの車を足に使っているので、しげの機嫌はあまりよくない。かと言って使わないで無視してると「オレのこと嫌い?」と言って泣くので、結局拗ねられる点では同じなのである。だったら「使えるものは親でも使え」である。……諺っぽいけどなんだか下卑てるな、このコトバ。いったい誰が言い出したんだ。
 病院は超混雑していてとても診療時間内に診察が終わりそうな気配がない。検査だけしてもらって、診察は今回はオミット。とりあえず血圧だけは良好だと看護婦さんから聞く。この「血圧だけはいい」おかげでなんとかカラダが持っているのである。

 比恵で車を駐車場に置いて、地下鉄で中洲へ。
 博多座の紀伊國屋に、オタクアミーゴスのチラシを50枚置かせてもらう。天神や博多駅バスセンターと違って、ここの紀伊國屋は演劇専門店なので、チラシ置きが可能なのである。
 ちょうど博多座では、高校演劇の九州大会が行われている。学生さんがこのチラシを見て興味を抱いてくれたら、若いオタクの掘り起こしになるのだが。でも基本的に学生さんはおカネがないからなあ。
 不況のせいもあるのかもしれないが、中高生の1ヶ月の小遣いが「5千円以下」というのはよく聞く。もちろんこれには学校での昼食代や日頃の服飾費などは含まれないのだが、それにしても少なすぎる。私が高校生の頃だった20年前、月に2万円は貰ってたんだがなあ(今の物価に改めれば4万近くになるだろう)。
 まあ、演劇やろうなんて子の中には、大金持ちのボンボンやお嬢ちゃんが案外いたりするから、オタアミチケット3500円くらい屁のカッパよ、ってな具合に来てくれるかもしれない。


 紀伊國屋で、ついでに何かええ本はないかと思って物色していると、店員さんが電話で話している声が耳に入った。何やらお客さんから注文を受けて、本を探している模様である。
 「あの、井上ひさし作の、『脱線トリオのコント集』、ありませんか?」

 ……先に申し上げておくが、私は基本的にお節介は嫌いである。いや、あえて「イジワルである」と言ってもいい。
 ネットの掲示板などで、「○○について教えてくれませんか?」という類の書きこみがあって、その答えを知っていても、「誰かがレスつけるやろ」とか、「人に聞く前に、自分で調べんかい!」と思って無視することも多い。

 しかしである。
 お笑いファンならば、私の気持ちは理解していただけるだろう。この「間違い」だけは、どうしても聞き逃すわけにはいかなかったのだ。
 気がついたときには、横から口出ししていた私がいた。
 「あの、それ、『脱線トリオ』じゃなくて、『てんぷくトリオ』です」
 店員さん、驚く。そりゃそうだろう。ヘンなオヤジがいきなり割り込んで来たのだから。
 「タイトルも『井上ひさしナントカ劇場』(とっさで思い出せなかったが、正確には『井上ひさし笑劇全集』である)って言ってたと思いますよ」
 「あの、出版社はわかりますか?」
 「講談社文庫から上下巻で出てました」
 井上ひさしがまだ売れてなかったころ、ストリップ小屋の前座に出ていたてんぷくトリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)のためにコントの台本を書いていたことは演劇関係者にとってはつとに有名なのだが、もう若い人にはそういった事実はおろか、脱線トリオ(由利徹、南利明、八波むと志or佐山俊二)との区別もつかなくなっているのである。
 ビデオが殆ど残っていない今、このコント集は在りし日のてんぷくトリオのギャグを伝えるものとして貴重なのだが、井上ひさし自身のギャグレベルは、実はそんなに高くない。三人の間と体技で面白く見せていたのである。どこかのテレビ局に眠ってないかなあ、当時の演芸番組とか。
 その本を注文したとおぼしき女性の方からも感謝されたが、とうの昔に絶版本だろうから、果たして手に入るかどうか。


 腹をすかしたしげをなだめるために、リバレインの柳川屋でウナギ。
 ここに来るのも本当に久しぶりで、注文したのは当然櫃まぶし。
 しげは普通にうな丼の梅を頼む。値段を見て控え目にしたのだろうが、胃が心肺を圧迫するほどに肥大しているしげがそんなもので足りるわけがない。
 私が「味見するか?」と差し出したまぶし飯を、サラリと一杯平らげる。
 「ねえ、この『松』とか『特上』とか、どう違うの?」
 「そりゃ、ウナギの量が違うんだよ」
 そこでしげ、無言になってしまったが、どうせ「特上ってどれだけウナギが乗ってるのかなあ、頼んでみたいけど値段が高いしなあ、それでもってたいしてウナギが乗ってなかったりしたらガクーンってなっちゃうしなあ」とか下らないことを考えているに決まっているのだ。


 キャナルでしげの買い物につきあう。劇団のみんなにクリスマスのプレゼントを買ったらしい。
 そのあと、天神東宝に回って、『ゴジラ×メカゴジラ』、二度目の鑑賞。
 なんでまた、と思われるかもしれないが、エロの冒険者さんがホームページの日記で絶賛されていたので、しげが「エロさんが誉めてるなら見なくちゃ」と言い出したのである。
 私がすっかり口を噤んでいるというのに、亭主の言は信頼しないってか。いや、ほんのちょっとでもしげが「面白い」と思ってくれて、「DVD買おうよ」と言ってくれるんだったら万々歳なんだが……。
 『ハム太郎』は前回も眠くなったが、今回もウトウトしてしまう。ドラマにメリハリがないのだな。
 『釈ゴジ』も二度目なので眠くなる。前回もそうだったが、エンドクレジットが流れ出すと、家族連れはゾロゾロとみんな帰って行く。ちょうどラストシーンが流れ出す直前に席を立った親娘がいて、釈が再び登場した瞬間に父親の方がピタリと足を止めた。娘が怪訝そうに父親を見る。
 「ねえ、どしたの? 帰ろうよう」
 「うん」と言いつつ父親、その場を動かずに画面に見入っている。
 「帰ろうよったら、帰ろうよう」
 「うん」やっぱり父さん動かない。そんなに釈が見たいか。
 そもそもエンドクレジットが終わるまで席を立たないってマナーをしつけてない親の方がよくないよな、これ。

 しげの映画の感想は聞かずともわかったのであえて声をかけない。
 売店を覗いて、何かしげがほしいのあるかと思ったが、「特にない」と言う。
 「帽子は?」と聞いたが「カッコ悪いから要らない」と切って捨てる。
 やっぱりなあ。こないだ買わんでよかった。
 ストラップにまで手を出していたらキリがないので、結局、今回はグッズ類は一つも買わず。


 そのあとベスト電機のLIMBで予約しておいたDVDを購入。
 最近は紀伊國屋で買った方が10%引きで安いので、あまりLIMBでは予約しなくなっているのだが、こちらの店員さんとも顔馴染になっているので、まだ予約を途切れさせられないのである。待望の『帰ってきたウルトラマン』1〜3巻を入手。
 そのまま店を出ようとしたら、しげが幽鬼のような形相で、背後からフライングクロスアタックをかけてきた。
 グエッと呻いて床に突っ伏した私のアゴをグイッと引き上げて、しげ、「買え〜! これを買え〜!」と1枚のDVDを持って叫ぶ。
 鼻血を垂らしながら薄目で見たそのDVDは、『We are the world』。
 「……な、なんでこんなのを?」
 “ボランティアに回すカネがあったらオレに寄越せ”がモットーのしげが、なぜ『We are the world』? と、誰もが疑問に思うであろう、そう思わず聞いた私に、しげは不敵な笑みを浮かべて、あたかも味皇様のごとく咆哮した。
 「ボエ〜!(翻訳→ダンが出てるんだよぉぉぉぉぉぉ!)」
 しげのそのソニックブームで、途端にベスト電機のビルは一瞬に爆発、崩壊した(ここで「ダンって団しん也?」とかボケかましてたら、私もまたその瓦礫の下に沈んでいただろう)。
 まあちょっとした事故はあったが、しげもほしかったDVDが手に入って、機嫌はよくなった模様。


 更に松屋レディスのオタクコーナーを回る。
 しげのお目当ては、ガンダムのTシャツである。いや、Tシャツもいろいろと面白いブツが出てますな。
 ギレンが胸のところで「諸君らの愛してくれたガルマは死んだ。なぜだ!!」と絶叫。背中の隅でシャアが「ボウヤだからさ」と酒を飲んでいる。……いいわ、これ(^o^)。
 私もいいのがないかと探してみたが、着て歩くのにはイマイチ。
 『デビルマン』のジンメンTシャツと言うのがあったが、面白いけどこんなん着て歩けんわ(^_^;)。だってアナタ、「くるしぃぃぃぃいたいぃぃぃぃたすけてぇぇぇぇおぅおぅおぅぅぅぅ」って呻き声ばっか書かれてるんだもの。

 リーブル天神で来年のカレンダーをいくつか物色。『クレヨンしんちゃん』は当然として、ほかに「これ」というものがない。悩んだ末、『円谷英二生誕100年』カレンダーを買う。でも確か円谷さんの生誕100年って、去年か一昨年じゃなかったっけ。


 8時から、焼肉のウエストでエロの冒険者さん、ぴんでんさん、武内さんと食事。エロさん、ご自宅から天神まで歩いてきたとのこと。いや、歩いて来れない距離ではないが、それでも10キロ近くはないか。
 「おカネなかったんですか?」
 「いやたいした距離じゃありませんから」
 思わず失礼なことを聞いてしまったが、私も若いころは一日その程度歩くのは苦痛じゃなかったからなあ。それだけ私が老けこんじゃったってことである。
 ウエスト、忘年会シーズンでムチャクチャ込んでいて、30分ほど待たされる。
 先発隊でぴんでんさんが来ていたのだが、その頭に乗ってるモノを見て、思わずのけぞる。
 ついさっき、しげと二人して「だせえ」と言って買わなかった『釈ゴジ』「機竜隊」のキャップである。なんとぴんでんさん、私たちと同じ回の映画を見ていたのだ。
 ぴんでんさん、溌剌として「いいでしょ!」と仰る。武内さんも「いいなあ!」と唱和する。これで「いやそれは」とも言えない。同じオタクであっても、人の趣味は様々だなあ、としか言えないが、口はモゴモゴするばかり。いや、こんなに気まずいことはなかった(^_^;)。

 食事の席についても、ぴんでんさん、『釈ゴジ』がいかに素晴らしかったかを熱弁するものだから、こちらはもう、口を差し挟む余裕がない。
 「メーサー隊から外されて、機龍隊に復帰するまで、釈由美子が一人ひたすら走りこむ、あの姿を見て立たなかったら男じゃない!」
 すかさずエロさんのツッコミ。
 「立たねえよ!」
 ぴんでんさんの攻撃の矛先はすぐに私たちにも向く。
 「だいたいあんたたち夫婦は映画を見過ぎて、素直な見方を失ってるんですよ! 釈由美子のどこがよくないんですか!」
 「いや、釈由美子はいいんですけどね、でも話が……」
 「釈由美子がよければそれでいいじゃありませんか! 来年は今年の続編で『釈由美子の逆襲』ですよ!」
 ふと隣のしげを見ると、楽しくてたまらない、という顔でニコニコしている。しげは『釈ゴジ』はもう、『アルマゲドン』とどっこいどっこい、としか見ていないから、熱弁を奮うぴんでんさんがかわいらしくてしかたがないのであろう。
 いや、「たとえ誰がなんと言おうと、オレはこれが好きだ!」と、愛を込めて訴える姿というのは、たとえその愛の対象が○○映画であったとしても、そりゃ美しいものですよ、はい。

 席上、最近出回っているコンピュータウィルスの話になる。
 ウチもZUBATさんやしおやさんの名前でしょっちゅうウィルスメールが届いているのだが、ぴんでんさんのところにもウィルスが送られてきているらしい。それも、以前私が出入りしていたサイトの管理人さんの名前でだ。
 いろいろあってそこにはもう久しく顔を覗かせていないのだが、そう言えば、以前、そこのサイトがウィルスに感染した、という話を人づてに聞いたことがある。そのウィルスが伝播してきたのかどうか断定はできないが、関係者には「ご注意を」とのメールをその人は送ったとのことである。
 ところが私んとこにはそういう通知が一切来ていない。
 つまりその人は、私のパソコンがウィルスに感染しても構わない、と判断したいうことであるのだな。ネチケットをやたらうるさく言う人ではあったが、ご自身のネチケットはいささかも心得ぬ人であるらしい。
 そのヘンに嫌気がさして絶縁したんだけど、なんか未だに最後っ屁かまされちゃってるのかなあ。

 たらふく食って、閉店まで居座る。っつーか、ひたすら肉食ってたのはしげとぴんでんさん二人だけなんだけど。
 途中、隣近所の席の家族が、そそくさと帰っていったが、私らのシモの話の多さに閉口したのかも。こっちを睨んでたそうだし。どうもこのメンツで飲み食いするときには、ちょっと場所を考えないといけないのようだ(^_^;)。


 マンガ、GAINAX原作・貞本義行漫画『新世紀エヴァンゲリオン』8巻(角川書店/角川コミックス・エース・567円)。
 ようやく「ネルフ誕生」まで来ましたね。
 ユイさんの微笑を見ちゃうと今でもつい、林原めぐみ・オトナバージョンの声を想像しちゃうなあ(^o^)。
 アニメとは微妙なシークエンスの違いを見せつつも大筋では変更なしに来たこのコミック版。今巻も微妙な違いがチラホラと。

 STAGE.49「…Kiss.」。
 暴走したエヴァに取り込まれたシンジをサルベージするエピソード。
 アニメでは『第弐拾話 心のかたち 人のかたち』あたりですね。
 シンジの心象風景の中で、ゲンドウがシンジを見捨てるときのセリフ、「伯父さんの所でいい子にしていろ」……アニメでは「伯父さん」が「先生」だった。親戚いたのかゲンドウ。それともユイの伯父さんかな? まあアニメ版の「先生」同様、この「伯父さん」が登場してくることはないと思うけれど。
 この回でシンジがゲンドウを刺し殺すイメージが挿入。恐怖するシンジだけれど、こうなると最終回でホントにシンジがゲンドウを殺すのって難しくならないかな。それとも殺さずに結末をつけるつもりかも。

 STAGE.50「心の中へ…」。
 母さんがハダカでシンジくんを誘ってくれます(どこへじゃ)。
 これも劇場版最終回のイメージと重なる。別の結末への期待がいやでも膨らむね。
 レイがゲンドウよりもシンジに心を開いていく描写、レイはレイであって、ユイではない、ということをアニメ版よりも明確に描く。
 「いつの間にかそこに碇くんがいる 鈴原君のことでもう立ち直ることはできないと思ってた でも彼は帰って来て私たちを救ってくれた 碇くん戻って来て」
 これはもう、恋する乙女である。こうなるとなおのこと、バックアップというかコピーを取られて何人もいるのであろうレイの存在自体がいたわしい。
 
 STAGE.51「MOTHER」。
 ユイがシンジに指針を示す描写が追加。これも最終話のイメージの前倒し。

 STAGE.52「回想」。
 ここからアニメ版『第弐拾壱話 ネルフ、誕生』編。
 殆ど変更はないが、冬月がユイにふと手を伸ばす描写など、彼女への思いを示す表現がアニメより強調されている。

 STAGE.53「光の巨人」。
 と言えばやっぱりウルトラマン(^o^)。
 ユイの「結婚しました」のかわいいハガキは出て来ない。残念。

 STAGE.54「ネルフ誕生」。
 本部の庭園で語らうシンジとレイ。レイがシンジの手に触れるシーンが追加。
 「初めて触れたときは何も感じなかった
  2度目は少し気持ち悪かった
  3度目は暖かかった スーツを通して碇くんの体温が伝わってきた
  4度目は嬉しかった 私を心配してくれる碇くんの手が
  もう…一度 触れてもいい?」
 触れてもいい、触れてもいい(T∇T)。
 こんなセリフを彼女から言われたら一生かけてもこいつのために生きると誓うぞ、男なら。
 なんかもう、この二人の未来を知ってると、ここで「ノスタル爺」みたいに「抱けえええ!」と叫びたくなるね。

 STAGE.55「伝言」。
 加持の死のシーンが追加。
 血溜りの中の加持を、「迎え」に来る子供たちの幻覚。彼らも死者だとすれば、何らかの理由でシンジたち以前に「抹消」された「チルドレン」たちか?

 STAGE.56「ジェラシー」。
 表紙がセーラー服(夏服)のリツコさんだ。
 嬉しいようなイケナイものを見たような(^o^)。
 リツコが興奮して、一瞬、レイを殺しかける描写が追加。
 「今まで碇司令しか眼中になかったみたいなのに、ふふ、たいしたものね ただの人形かと思っていたら父親と息子を一度に手玉に取ろうとするなんて」
 ……普通、三文メロドラマじゃないんだから、そこまでは言わんぞ(^_^;)。このセリフが全く芝居じみてなくて、サラリと出るから怖いのである。
 「碇司令を見てたのは本当のことかもしれないけど、でも、それは赤木博士も同じなんじゃないですか?」
 このレイのセリフに切れて、リツコはチューブでレイの首を締めかけるのである。母親の赤木ナオコ博士が最初のレイを殺したときの再現。リツコがハッとして「これじゃまるで母さんと同じ……」と心に思うのだが、となるとリツコは母親の死の真相を知っていた?

 ここまででテレビ版の21話までを消化。
 結構テキパキ来たので、当初20巻以上かかるんじゃないかと思われてたコミック版も、どうやら10〜12巻の枠で収まりそうである。
 折り込みチラシに「現在ではまだ発表できない大型企画も」とか書いてあるけど、わざわざ「大型」なんてぶち上げちゃった以上、それに見合う企画って、新作アニメかハリウッド映画化くらいしかないと思うが。……実写化だと大ヒットはちょっと難しいんじゃないか。誰が綾波レイをやれるよ? 加藤夏希は14歳過ぎちゃったぞ(ロビーナちゃんのときアヤナミやればよかったのか)。
 ガイナックスにはエヴァに頼り過ぎて、オフィスアカデミーの二の舞にならないようにしてほしいんだけどねえ。エヴァの新作を作るより、よりみんなまだ『蒼きウル』待ってると思うぞ。

2001年12月21日(金) オトナ買いってコドモしかやらねえよな/アニメ『キカイダー01 THE ANIMATION』2巻
2000年12月21日(木) 北野武は先生役が合うなあ/映画『バトル・ロワイアル』ほか


2002年12月20日(金) 謎のガマと謎のウサギ/DVD『お熱いのがお好き 特別編』/『金色のガッシュ』8巻(雷句誠)

 夕飯、さかいで焼肉。
 しげと方言のことで口ゲンカ……と言ってもこれは本気のケンカではない。
 大修館書店の雑誌『言語』の1月号が「ふるさとのことば」として方言特集を組んでたのである。
 その「広島県」のページを読むと、「はぶてる(=ふくれる・拗ねる)」とある。以前、私に向かってしげが「なに、はぶてとうと」と聞いたことがあって、意味の分らない私が「広島弁で言うな」と言い返したのだが、しげは「はぶてる」が標準語だと主張して憚らなかったのである。
 「はぶてる」が方言だということがこれで証明されたわけだ。ザマヲミロと思ったのだが、しげは「博多の人間に言われたくはないな」と負け惜しみ。こういうところが広島人の潔くないところだろう。
 この本には「福岡県」の方言も紹介されているが、「しろしい(=うっとうしい)」や「せからしか(=うるさい)」はピンと来たのだが、「がまだす(=精出す)」はあまり聞いたことがない。音だけ聞いたら「蝦蟇を出す」という意味にしか取れんな。油でも売るのか。
 「博多ことば」の本にも載っていないから、福岡の方言ではあっても博多ではあまり使わないものなのだろう。博多って、面積的にはすごく狭いからねえ。
 ネットで見ても「がまだす」が例として出てくるのは、長崎、熊本が多い。職場の同僚でしょっちゅうこの言葉使ってる人がいるけどどこの出身の人なのだろう。


 積文館で本を買い、ベスト電機に回る。先日急にウチの掃除機がウンともスンとも言わなくなったので、修理に出していたのを受け取る。ついでにまたDVDを買う。前からねらっていた「ビリー・ワイルダーDVDコレクションボックス」である。『アパートの鍵貸します』『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』『あなただけ今晩は』『恋人よ帰れ!わが胸に』『情婦』の6枚組。小林信彦に言わせれば晩年の気の抜けた作品、ということになろうが、このあたりの作品で私たちは「映画の楽しみ」を知ったのだ。
 昨日からの風邪、またひどくなる。夜はなにか映画を見にいこうと、しげと約束していたのだが、無理そうなので諦める。
 そうしたらしげが「じゃあちょっと鴉丸んところに行って来る」ともう夜中だと言うのに外出しようとする。
 「いったい何の用事?」と聞くと、「ウサギの移動」と答えて出て行った。
 「ふーん」と思わず聞き流してしまったが、考えてみたら「ウサギの移動」って何?


 DVD『お熱いのがお好き 特別編』。
 実は、私のカラオケの定番の一つがマリリン・モンローの(っつーか、ベティ・ブープの、と言うべきか)『愛されたいの』である。気持ち悪がられるのが分ってるので大勢のときに披露したことはないが。
 特別編、と言うだけあって、トニー・カーティスのインタビューほか、特典映像も充実している。楽しいのはマリリン・モンローほか女性だけで結成されたバンド、スウィート・スーのメンバーの同窓会。エミリー役のサンドラ・ワーナーが告白しているが、撮影直後に妊娠したモンローはスチール撮影が行えず、ワーナーが体だけを吹替えて、顔写真を合成したそうだ。うーん、あのポスターの数々、モンローじゃなかったのか。これはビックリ。
 特典もいいけれど、何より素晴らしいのは、日本語吹替えが復刻されていること。テレビサイズなのでところどころ原音に戻ってしまうが、伝説の、向井真理子のあの艶やかなマリリン・モンロー(シュガー)の声が(何しろ「モンローの声で○○○○してくださいというイタズラ電話が向井さんとこに殺到したほどだそうである)、旬の声で聞けるのである。
 モンロー映画が吹替えで放映される機会がめっきり減っちゃった今、これはまさしく秘蔵ものである。
 恐らくこれは1967年に日曜洋画劇場で放映されたものだろう。
 トニー・カーティス(ジョー)は広川太一郎、ジャック・レモン(ジェリー)は愛川欽也。
 DVDにはこれだけしか記載がないが、ジョージ・ラフト(スパッツ・コルンボ)は大木民夫。デイブ・ベリー(ビーンストック)は塩見竜介。ジョージ・E・ストーン(爪楊枝のチャーリー)が永井一郎。ネヘミア・パーソフ(ボナパルト)が雨森雅司。パット・オブライエン(マリガン警部)が大平透。
 聞き取れたのはここまでで、ジョー・E・ブラウン(オズグッド・フィールディング三世)の声もジョーン・ショウリー(スウィート・スー)の声も聞いたことはあるんだがちょっとわからない。このDVD持ってる人でわかった人いるかなあ。あとチョイ役で八奈見乗児や小宮山清が出てたな。毎度毎度思うことだけれど、資料が全く残ってないってことはないはずだから、販売元はこういう資料もきちんと記録しといてくれ。
 今さらこの名作のあらすじだの解説だのをするような野暮はしないが、本作に関するちょっとしたこぼれ話を一つ。本編中に出てくる「チューバ吹きの女の子が無人島で片足のジョッキーと出会った小噺」、これ、落ちを語る前に話が流れちゃって聞けないまま終わっちゃうんだが、三谷幸喜がやたらと「洗面器を頭に乗せた女」の話を自作に盛りこむのはこれのマネ。だからあれにオチはないのである。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』8巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 アニメ化決定だそうだけれど、ギャグの間が結構難しいんじゃないかなあ。『コナン』と『犬夜叉』がロングヒットになってるわりには今一つパッとしないサンデーの起爆剤になるか否か。
 ちょっと私は飽きて来てるんだけれども。
 ここんとこギャグキャラばかりが続いたせいか(前半はやっぱりよく分らないヘンな外人が二人も出るが)、えらくストイックな魔物、ウォンレイが登場。コンビの人間は香港のお嬢さま・リィエン。魔物が中国風だととっつくのも中国人なのかな? それにしてもライバルキャラにどんどん「いい人」が増えてる。話が退屈になってきてるのはそのせいもある。
 もう少し「巨悪」って感じのキャラを出していかないと小ぢんまりと収まっちゃいそうだなあ。



<追記>
 思い出せなかった『お熱いのがお好き』のジョー・E・ブラウン(オズグッド・フィールディング三世)の声、江幡高志(江端高志・江波多寛志・江波多寛児)さんじゃないかな。
 役者としては『どですかでん』や『ゴジラ(84)』、『みんなのいえ』に脇役出演しているが、声優としては『鉄腕アトム(モノクロアニメ版)』のハム・エッグが有名。
 こういう昔の映画って、クレジットが出ないことが多かったから、資料はホントに耳に頼るしかない。八割までは確かだと思うけれど、もう少し確定的な証言がほしいところだ。

2001年12月20日(木) ゴメンね、素直じゃなくってっ/『名探偵コナン』35巻(青山剛昌)ほか
2000年12月20日(水) 敵国降伏/CGアニメ『ポピー・ザ・パフォーマーのひみつ』ほか


2002年12月19日(木) オタクの明るい未来/『リンダリンダ ラバーソール』(大槻ケンヂ)

 朝、またもやしげ起きてこれず、タクシーで職場へ。
 このとき乗ったタクシーの運ちゃんがなんかボケてて、道を教えても「はあ?」とよく聞こえない様子。「右です」「左です」と、いちいち二回ずつ言わないと伝わらないのだ。
 私はタクシーの運ちゃんの話を聞くのが好きなのだが、たまにこういうのに当たることもあって、そういうときはホントに往生するのである。なんたって「右」と言ってるのに左に曲がられるから、仕方なく「次の次の角を右ですよ」と早めに言うと、次の角で右に曲がられてしまったりするのである。
 朝っぱらから神経使わされたせいか、体調がよくない。
 喉がいがらっぽく、咳も出始めたので、また風邪にかかったかと暗い気分になる。葛根湯を飲んで、体を休め休めしながら仕事。


 職場で若い子たちとお喋りしていると、なぜか「オタクはいかにして恋愛するか」という話になる。というのも話相手は二人だったのだが、そいつら二人が二人して男も女も隠れオタクだったのであった。
 まずそのオタク野郎が、「鬱陶しいオタク」の典型だったと思っていただきたい。大声でしつこくて自分の趣味を押しつけるタイプで、女の子に嫌われて当然、というやつだ。
 「お前さあ、趣味は趣味で持ってていいけどさあ、もう少し、人の気持ち考えろよ。彼女いないだろ?」
 「いませんけど」
 「女の子好きになっても、自分の趣味押しつけるばかりで、女の子から好きになられるような自分になろうなんて考えてないだろ?」
 「……まあ」
 「好きな子いるか?」
 「いやその」
 「どうせお前のことだからさ、好きだけどなかなか言い出せなくてよ、なにかのきっかけで向こうからこっちを見てくれないかなあ、とか甘いこと考えててよ、それでいて偶然目があったらついソッポ向いたりしてよ、優しい思いやりのある言葉の一つも言えなくて、会話すればつまんないことで言い合いのケンカになったりしてさ、本心はいつまでも言えないままで、それ以上関係が進まないとか、そんなガキみたいな恋愛してるんだろ」
 「あの……えらく具体的なんスけど、見てたんすか?」
 「見てなくても当たってるだろう」
 「……当たってます」
 「自分の言いたいことだけ言って、相手の気持ち考えないからそうなるんだよ。相手はお前の大事な大事なフィギュアじゃなくて生身の人間なんだぞ? 自分の思い通りになるって心のどこかで思ってるからゴーマンな態度取って平気でいられるんだよ。そんなことしてたら30過ぎても結婚できなくて、段々焦ってきてちょっとかわいいオタクっぽい女の子がいたら、『この子しかいない!』とか思いこんでムリヤリからんでストーカーめいた行為働いちゃって「気持ち悪い」って嫌われてよ、トモダチからも絶交されて独りぼっちになっちゃうとか、そんな哀れなオタクになっちゃうんだぞ。シンジくんか。だいたいオタク男ってさ、同じ趣味持ってるからってオタク女を好きになるけどさ、オタク女はオタク男が鬱陶しいから嫌いだってことに気づいてないんだよな」
 「あ、あの、なんかスゴイ、イタイんスけど」
 「ある人の実話だ」
 「うひいいいいい!」
 後ろで女の子が笑っていたので、そちらにもネタを振る。
 「女のオタクだって、30過ぎまで独身で結婚できないなんてのいくらでもいるんだぞ。ずっと同人誌でヤオイマンガとか描いててよ、コミケでいいブース取ることだけに命かけててよ、○○サマ〜とか○○サマ〜とか人目も憚らず叫んでるもんだから、『あいつに近づくとヤバいぞ』って男の間でウワサ立てられてよ、宴会のあと『ウチまで送ってやるよ』ってエスコートされてよ、ホントにウチまで送られちゃうような女になっちまうんだよ」
 「あ、あの、ムネがイタイんですけど……」
 「実話だ」
 「ああああああ!」
 「オタクだからって人と違ってていいとか、常識なくていいとか、全部言い訳なんだよ、少しは自分のやってること、見直せよな」
 もちろん、私が自分を見直して見たことなんてないのは言うまでもない。
 「心に棚を作れ!」(by伊吹三郎(^o^))。
 あの、これ冗談の会話ですから、オタクのみなさん、本気で怒らないでね。


 帰りがまた、定期の見回りで遅くなる。
 しげはもう仕事に出かけているので、コンビニでチキンカレーとデミグラスソースオムライスを買って、これが晩飯。
 「ゴジラ名鑑」をいくつか買って、ようやく「メカゴジラ」をゲット。あとは「南海ゴジラ」だけだけれど、さてあと何個買えば手に入ることやら。


 夜、東京のこうたろう君から電話。
 「たまにはこちらから電話でも」とありがたいコトバ。日記に夫婦ゲンカの記述が多いので心配してくれているようだ。
 しげとは年齢差があるので、そのミゾを埋めるには軽いケンカ&たまに重いケンカは必要なのである。何しろしげに私の気持ちが伝わらないように、私もしげの考えてることが分らないのだから。
 仮にホントにリコンなんてことになれば、この日記でどれだけ私がしげに対して乱暴狼藉を働いたかの証拠になるだろうから、慰謝料は私から取り放題だろう。しげにとって不都合なことにはならないはずである。


 大槻ケンヂ『リンダリンダ ラバーソール いかす!バンドブーム天国』(メディアファクトリー・1260円)。
 いわゆる「バンドブーム」というものに私は全く引っかからなかった。
 タイトルにある「リンダリンダ」だって、サビの「リンダリンダー!」って絶叫してるのを何かの番組で見かけたことがあるだけだし、甲本ヒロトの名前も知らなかったのである。っつーか私にとっての甲本ヒロトって、『タイムボカン王道復古』でのセコビッチ・ファンの甲本浩人くんなんだけどな(誰が知ってるそんなもん)。「山本正之と組んでるアニソン歌手」というのが基本イメージなのだ。こんな覚え方されてたら、ブルーハーツファンは激怒するかもしれないが、甲本さんは山本さんを師匠と仰いでるんだから、失礼には当たるまい。ついでに言えば、甲本さんの弟が俳優で元東京サンシャインボーイズの甲本雅裕。弟さんがゲストで出演していた『笑っていいとも』を偶然見ていて知った。トモダチのトモダチの輪はなかなか面白い。
 いやまた話が逸れた。
 要するに私は「イカ天」も全く見てなくて、ロック系とは全く縁がなかったのだが、それがどうして大槻ケンヂにだけは興味を示したかと言うと、この人が江戸川乱歩のファンだったからである。
 何かの番組で、「乱歩の映像化にはもっと超豪華におカネをかけなければならない」と語ってたのを聞いて、得たりや応、と膝を叩いたのである。それから大槻さんが書いたSF小説なども何冊か買ったのだが、すぐに山の中に消えて未だに取り出せない。エッセイをいくつか読んだきりなので、大槻さんの本格的な「小説」(ひたすら自伝に近いが)を読むのはこれが始めてである。

 私は「筋肉少女帯」の曲も殆ど知らない。「高木ブー伝説」もサビの部分しか知らない。「ボヨヨンロック」も聞いたことがない。
 なのにこの小説が面白くて仕方なかったのは、これがまさしく「青春小説」だったからだろう。
 バンドブームとはいったいなんだったのか。全てのものが消費されつくしていく時代の流れの中では、それもまた流行歌の歴史の一つの徒花、と切って捨てることもできようが、その渦中にあったものたちは自らを表現すべく、蠢き、あがいていた。けれど、彼らが表現したかったものはいったい何だったのか。
 実はそんなものはない。彼らにあったのは何かを表現したいいという思いだけであり、それが奇矯なスタイル、奇矯なライブを作り出していった。大槻さんはそう喝破する。舞台でゲロを吐いた男達もいたが、それはなんの表現にもなっていないという意味でまさしく彼らの表現だった。
 無意味さが無為ではないことを示すのが青春小説の謂であるとすれば、まさしくこれは青春小説の名にふさわしい。この小説の切なさはそこから生まれてきている。
 どこに向かって行くのかわからぬまま、殆ど全てのバンドが嵐に飲みこまれ、遭難して行った。そして死んでいった者たち。バンドブームが終わり、イロモノになっていった池田貴族が最後にロックに帰って行く姿は切ない。その曲を私は聞いたこともないのに。
 大槻ケンヂは一応、生き残りはした。けれど失ったものもやはりあった。それはまさしく「青春」そのもの。
 浮気がバレて別れたかつての彼女、コマコとの再会でこの物語は終わる。
 多分、この最終章は大槻さんのフィクションではないかと思うが、コマコは別れた日に大槻さんとした約束を果たしてもらうために、再び大槻さんに会って言葉を伝えるのだ。
 「ラバーソールを買って」
 もう今は誰もそんな厚底靴を履く人はいないだろう。昔のファッションがとてつもなく恥ずかしいのはそれがバカの証明だからだが、コマコは大槻さんに「神様がオーケンにバカやっていいって言ってくれてんだよ」と語る。
 バカの思い出を抱いてコマコは去っていく。けれど、背中を向け、去って行くコマコの姿を大槻さんは描写しない。大槻さんと二度と会うことはないだろうその後ろ姿を、私は勝手に想像する。
 そのとき、コマコは自分の靴をラバーソールに履きかえただろうか。
 読み終わった私がちょっと気になったのはそのことだった。

2001年12月19日(水) 厳密な計算/『透明な季節』(梶龍雄)/『コータローまかりとおる!L』2巻(蛭田達也)ほか
2000年12月19日(火) 多分、ココロが病んでいるのです/『名探偵コナン』30巻(青山剛昌)


2002年12月18日(水) つらいよねえ、やっぱり/『“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期』(デイヴ・ペルザー作/田栗美奈子訳)

 ちょっと楽しい話題から。
 東京書籍発行の中学教科書『新しい社会 公民』の記述の中で、新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」と誤記していたことが判明。
 もちろん東京書籍は来年度用の教科書では修正する措置を取ったそうだが、村の方は「雪を克服しようとしているのに、まったく逆のイメージが広まってしまった」とカンカンに怒ってるそうだ。
 村が怒るのは当然だけれど、申し訳ないことにこういうニュースは大好きである。文部科学省もこのミスに気がつかなかつたってんだから痛快じゃないの。
 原因はパソコンへの入力ミスということで、打ちこんだ人も多分「雪国はツライよ」と信じきっていたに違いないね。だってさあ、「南国はツライよ」とか「常夏はつらいよ」とかじゃあイメージが結びつかなくて誤記のしようがないもの。これが「雪国」だからしっかりハマっちゃったのである。
 それにヒドイ話ではあるが、これで「はつらつ条例」はかえって有名になったんじゃない? こういう事件がない限り私だってそんなん知る機会なかったと思うし。怒るほどマイナスイメージにはなってないと思うけどなあ。雪国の人がはつらつとしてるってんなら、こういうミスも笑って赦してやるくらいの度量があったらよかったと思うんだけど、どうかね。
 それにしても「条例」とは言ってるけど、具体的にはどんなこと記してあるのかねえ。「第一章・雪国人は雪国人としての誇りを持たねばならない」とか?
 「第二章・雪国人は雪との平和的な共存を図り、雪だるま・カマクラ・雪合戦などの雪国文化を後世に伝えるべく努力すべし」とか。
 雪国の商工会議所のあちこちにこれが張られてて、みんな朝礼で唱和してから仕事にかかるんだよ、きっと。
 せっかくだから「ホントはこうです」って宣伝すればいいのにねえ。どうも役所ってとこはアタマが固くてイカンよねえ。


 珍しいことはウチでも起こるという話。
 仕事帰り、迎えに来たしげが愚痴を言う。
 「今日、水漏れがあったんよ」
 「なにそれ」
 「上の階の洗濯機の配管が壊れてて、天井から水が漏れてきたと」
 「それでどしたん」
 「仕方ないから管理会社に電話して直してもらった」
 「直ったんならいいやん」
 「よくないよ、工事の人がくるまで、管理会社の人とずっと世間話しなきゃならなかったんだから」
 「なんて?」
 「『本やビデオがたくさんありますねー』とか、『ガンダム』見つけて『ファンでしたー』とか『イデオンがどうの』とか」。
 どうやら結構オタクな兄ちゃんだったらしい。
 そういう会話は確かにしげは苦手だろうが、それも世間との付き合い方の勉強になるというものだ。
 帰宅して見ると、なるほど、天井にヒビが入っていて、水が漏れた跡がある。洗面器を置いてあるのが昔の貧乏長屋の風景みたいだ。あと数センチずれていたら、DVDプレイヤーにかかっていたところで、危機一髪であった。
 これの修繕費、当然タダなんだろうな。


 今日もしげは早出だと言うので一緒の食事はなし。
 昨日同様、ほっかほっか亭で新発売のガーリックチキン弁当を頼んで食う。こちらの方が昨日のテリヤキより好み。
 新製品に飛び付く、というより、もともと私は定食屋などでも一通りメニューを制覇しないと気が収まらない性格なのである。
 同じものしか頼まないしげと趣味が合わないのも仕方ないか。


 デイヴ・ペルザー作・田栗美奈子訳『“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期』(ソニー・マガジンズ/ヴィレッジブックス・650円)。
 ベストセラーの文庫化。
 作者自身がいかに母親から虐待を受けて来たかって経験を語っているだけだから、本来ツッコミの入れようもないはずなんだけれど、一人称の伝記というのは、ともすれば客観性を失う危険を秘めている。
 読んでいて母親の折檻の異常さ、特にデヴィッドを風呂場に閉じ込めてガスで苦しめるなんてのは戦慄ものなんだけれど、そういう描写を読まされるたびにどうにも疑問が涌きあがって、素直に「かわいそう」とか「ひどいなあ」とか思えなくなってしまうのである。つまり、母親の虐待の動機が全く語られない点、それと父親の見て見ぬフリ、この二点が引っかかって、なかなか読み進められないのである。
 もちろん、子供であるデヴィッドにもそれはわからない。彼はいつの間にかどういうわけか兄弟三人のうちたった一人だけ、虐待され始めたのだ。彼が考えていたことは、現実に目の前にある虐待という事実からいかに逃げるかということだけで、「どうして自分が?」と思う余裕すらなかったのである。
 読者は受け入れるしかない。
 親は子を憎み、殴り、刺し、虐待し続けるものなのだと。父親の放置も緩やかな虐待であろう。
 なぜそんなことをするのかと両親に聞いても、恐らく彼ら自身、答えられないだろう。本当は、理由などないのだから。親が子を愛するのに理由がないように。

 私もかつて、子供のころ、父親から「虐待」と言ってもいい折檻を受けたことがしばしばあった。難しいのは、一方で父親に熱愛されたことも間違いない事実として認識していることだ。この矛盾をどう理解すればいいのか?
 母親は私に「お父さんはアンタのことがすごく好きだから、自分の思い通りに育ってくれないのが悔しいんよ」と説明した。
 だからってなあ、殺そうとまでするかなあ。酔っ払ったオヤジに鉄板でアタマ殴られたこともあるんだぞ(私は事故で頭蓋骨にヒビが入っているので、ショックで死ぬ危険もあったのである)。親は子にそんなことまでするのか。いや、酔っ払ってるからこそ本性が現われたのかもしれないが。
 子供のころの私にとって父親は恐怖の対象であった。父と話ができるようになってきたのは皮肉なことに父が病気で老いさらばえてきてからである。今ならケンカして私が負ける心配はない。

 デヴィッドの母親がデヴィッドを憎んで虐待していたのか、それはわからない。あるいはそれが母親の歪んだ愛情の形だったのかもしれないとも思う。それで死んでしまう子も存在するとしても、やはりそれは「愛情」としか言えない場合もあるのだ。
 愛情なんて、もともと人と人を繋ぐものとしては極めて不確定かつ危険なものである。移ろいやすく、アテにならない場合も多い。「家族の絆は愛情」とか、能天気に言い放って平気でいられる人間が多いのは、実は潜在意識の奥底で、その絆が簡単に解けることを知っていて、リセットの準備をしているのではなかろうか。
 でなきゃ、どうしてこんなに欧米でも日本でも離婚率が高くなっているのか?
 子を育てるシステムとして、「個人個人の愛情によって結ばれた家族」というのは、実は極めて持ちが弱いのである。『オトナ帝国の逆襲』でしんちゃんは「ずっとみんなといたいから」と叫んだが、実は原作マンガでは「ずっといっしょ? それもちょっとな」と現実的なことを言っている。ハタチを過ぎても親元から離れないパラサイト・シングルが増えている状況を、果たして「家族の絆」などという甘いコトバで語れるのか?
 疑問が膨らんでしまうのは、デヴィッドの母親は、息子を一生自分の手元から離すまいと思っていたのではないか、という気がするからである。デヴィッドがオトナになって「自立」すれば、自分の行為が白日のもとに晒されるのである。そうならないようにする意図がなければ、どうしてあれほどの虐待を続けられものだろうか。母親は「虐待」という絆で、デヴィッドとの永遠の関係を夢見ていたようにすら思える。実際にデヴィッドは、その虐待される関係から抜けだし、救いを求めることがずっとできなかったのだ。
 これが悲劇でなくてなんであろう。
 子供って、できるだけ早く自立させるもんだと思うんだけれど、違うかね。少なくとも「優しさ」とか「思いやり」とか「気遣い」とか「助け合い」が「強制」される世の中って、すごく気持ちが悪いと思うんだけど、どうかな。

2001年12月18日(火) バラゴンには女の人が入ってるんだよ/映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』ほか
2000年12月18日(月) もしかしたらあなたも覗かれてるかも/『だから声優やめられない!』(山寺宏一)


2002年12月17日(火) 買ったからには見まくるぞ/DVD『七人の侍』『赤ひげ』『蜘蛛巣城』『姿三四郎・最長版』

 昨日外に締め出したしげ、朝になったら帰って来るかと思ったら、音信不通のまま。
 これで仕事場に迎えにも来なかったら、また二、三日追い出しておこうかと思ったが、仕事を終えて駐車場に出てみると、ちゃんと車を乗り付けている。ただゴメンの言葉はない。いやに静かに大人しくはしているが、反省しているわけではないのは分ってるので、早晩またケンカになるであろう。
 しげ、仕事が早いと言うので、コンビニで落としてもらって、自分一人分の夕食の買い物。近所のほっかほっか亭を覗くと、新発売とやらの「てりやきチキン弁当」を売り出していたので、それを買う。ちょっと味が濃いが、まあ悪くはない味。


 初めてアニメ『スパイラル』を見る。
 クリスマスに合わせてか、プレゼントを買う話で、本筋からちょっと離れている印象。思ってたより出来はそう悪くなさそう……と思ったら、作ってるのが『少女革命ウテナ』『エクセルサーガ』のJ.C.STAFF。ああ、こりゃもう少し早めに見ておけばよかった。トリックに難があるのは分るけれど、原作は必ずしも志が低くはないんで、アニメのデキがよければ追っかけてみてもいいかなと考えているのである。


 さて、今日は黒澤明ボックスのまとめ見。一度見てるやつばかりだし、筋は先刻ご承知、という方もおられようから、今回見て、改めて気づいたところだけ。
 まずは途中まで見てたDVD『七人の侍』後編。
 これも語りだすと長くなりそうだなあ。できるだけ短くいこう。
 最初に見たのは多分中学生か高校生のころだと思うけれど、そのときは登場人物に好き嫌いが結構あった。
 七人の侍で好きなのは、久蔵・勘兵衛・五郎兵衛・七郎次・平八の順で、勝四郎と菊千代は嫌い。百姓はみんな嫌いだった。要するに足引っ張るやつが嫌いだつたのだね。
 ところがこのトシになって見返してみると、この嫌いだったはずの青二才たちが全く逆にいとおしく見えてくるのである。百姓の利吉の軽率で平八が、菊千代の先走りのせいで五郎兵衛が死んだと言うのに、中学生のころは腹を立ててた私が今は「それも仕方がないよなあ、若いんだし」という気持ちになっているのである。それどころか彼らの若さ故の苦悩が昔よりヒシヒシと伝わってくるのだ。
 考えてみたら、黒澤監督は常々「私は青二才が好きだ」と公言していた。たとえ失敗しても、人を傷つけても、そこで泣き、自らを責め、そこから先に進もうとする意志が若者には見える。それをこそ黒澤監督は「オトナ」として愛したのだろう。
 なるほど、平八が死んでも五郎兵衛が死んでも、勘兵衛たち「オトナ」は、一切その責任を利吉や菊千代に着せようとはしなかった。彼らの「若さ故の過ち」はオトナが引き受けなければならない自らの罪でもあるからだろう。
 ……そう思うと現実のオトナって、みんなオトナになりきれてないトッチャンボーヤばかりだよなあ。いったいいつから日本は「オトナ」のいない社会になってしまったのか。
 メイキングには、当時の撮影風景もチラリと収録。


 DVD『赤ひげ』。
 これもまた「青二才」の物語である。パンフレット(これがもうムチャクチャ分厚い)によれば、史実の小石川診療所には赤ひげこと新出去定のような名医はおらず、診療所と言うよりは隔離所のようなもので、病人はあまりここに入りたがらなかったと言うことだ。とすればこれもまた「映画」という名のファンタジーであるのだろう。
 ファンタジーではあっても、その描写の仕方自体は実にリアルだ。
 加山雄三演ずる保本がその高慢から診療所のお仕着せを着るようになるまで、随分時間がかかる。
 六助の死、女の手術、おくにの告白、狂女に殺されかけ、瀕死の佐八に彼の過去を聞かされ、そしてようやくお仕着せを着るのである。自分がここで何をしなければならないか、若造が気付くにはこれだけの手間がかかるということだ。その間、赤ひげはただ保本を見守って待っているだけ。
 この「待つ」ということが今のオトナにはできないのだね。患者に触れ、彼らの心を知ることができれば、自然に自分のすべきことは知れるものだという信念と、若造への信頼がなければ、「待つ」ことはできない。オトナがオトナになりきれないのは、つまりは自らを信じることすらできなくなってるからではないのか。
 ……なんだか青臭い教育論になりそうだからこのへんでやめるけど、説教するだけが能じゃないよなってことは言えるのではなかろうか。
 あともう一つだけ。食事のシーンで去定と森半太夫、保本が三人並んで食事を取るシーンがあるが、これ、『家族ゲーム』で森田芳光がやってた手だなあ。もちろん先にやったのは黒澤さんのほうなので、また私の中で森田芳光の評価が低くなってしまった。


 DVD『蜘蛛巣城』。
 説明は要らないだろうが、シェークスピア『マクベス』の時代劇版である。
 最初劇場で見たときにはセリフが割れてて殆ど聞き取れなかったんだけれど、ノイズが取り除かれて音声もシャープになり、日本語字幕もつくので随分見やすくなった。
 今見るとまさしく舞台を意識してる演出をしてるな、と判るのは、殺人のシーンが殆ど省略されているからである。城主・都築国春を鷲津武時が殺すシーンも、盟友三木義明を家来に暗殺させるシーンもみなカット。けれどこれは鷲津が自らの罪から目を逸らし続けたことの象徴でもある。結局彼は身分不相応な野心に身を滅ぼした、哀れな小さな人間に過ぎないのだ。
 もともとの舞台がそういう脚本になってるのだから、日本に舞台を移しているとは言え、これは原典に忠実な映像化と言えるだろう。
 昔見たときには気付かなかったが、チョイ役で「蜃気楼博士」井上昭文や、「コロンボ」小池朝雄、「ムーミンパパ」高木均などが出演してたのを見つけるのも楽しい。


 DVD『姿三四郎』。
 ご存知の方も多いと思うが、黒澤明のデビュー作である本作の完全版は今のところ存在しない。戦後の再映時に、上映時間の制限を受けてネガからカットされ、そのまま紛失してしまったのだ。カット部分は二十分に及び、その部分は現在、字幕で解説されている。
 以前から「海外には日本映画の失われた作品が埋もれているのではないか」というウワサはたびたびあった。しかし、それがどこにどういう形で残されているかは皆目見当がつかなかった。ところがソ連邦が崩壊したことがこの「失われたフィルム」探索に一筋の光明をもたらしたのである。
 戦時中に満州からロシアに移送されたフィルムの中に、『姿三四郎』の編集版があり、そこに日本版にはないシーンがいくつか発見されたのだ。今回DVD化されたのは、そのカット部分を復元、挿入した、現時点における「最長版」である。
 残念ながら、あまりにも有名な、猫が飛び降りるのを三四郎が見て、投げられても着地する方法を思いつくシーンは今回も発見されなかった。このシーンを亡母は当然見ていて、生前見ていることを自慢して、私を悔しがらせていたものだったが。
 川崎のぼるのマンガ、『いなかっぺ大将』で全く同じエピソードが披露されるが(そのときの猫がニャンコ先生)、これはもちろん『姿三四郎』へのオマージュである。
 今回の復元シーンで最も長いのは、月形龍之介演ずる檜垣源之助が、村井半助の娘・小夜(原作の乙美に当たる)に言い寄るシーン、父親の半助に婚約を取り付けようとするシーンである。これがないと、三四郎との三角関係がはっきりしないよなあ。全く、このシーンの復活は実に喜ばしい。
 村井半助を試合で傷つけてしまった三四郎は、小夜の誘いにも「顔向けができない」と会おうとしない。このシーンも今回の復活。とか何とか言いながら、次のカットでちゃっかりと小夜と一緒に歩いているのだから、カタブツなようでいて小夜に惹かれてしまっている三四郎の純情さ、かわいらしさがここで強調されることになる。こういうユーモラスなシーンは、やっぱりカットされちゃ困るね。
 せっかくこれだけ復元されたんだから、東宝、リバイバル上映くらいしたらどうか。そういう発想がないから、この国では映画文化がいつまで経ってもマトモに評価されないんである。

2001年12月17日(月) はったらっくおっじさん/『BEST13 of ゴルゴ13』(さいとう・たかを)
2000年12月17日(日) 今世紀最後のゴジラ/映画『ゴジラ×メガギラスG 消滅作戦』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)