無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年08月18日(水) 見てない映画は☆の数。

 久しぶりの仕事、可もなく不可もなく。
 例によって例のごとく、トンガリさんに関してのトラブルがちょびっとあったのだけれど、ご本人は欠勤であった。つまり「後始末はあんたらでやっとけ」ということか。なかなかいい度胸をしているのである。でもするしかないんだよなあ(+_;)。

 掲示板定連のふーみんさんから、安部公房の『砂の女』のレビューを依頼されたので、20年ぶりくらいに読み返す。これくらい時間が経つと、「読んだ」という記憶はあるが、ディテールは殆ど覚えていない。『壁』も『他人の顔』も『人間そっくり』も『第四間氷期』も同様で、どれくらい忘れているかというと、「えーっと、『壁』って、名前をなくした男が壁になる話だったっけ?」ってなものである。このあたりの作品群は、もう一度読み返したいところだ。
 ついつい、小説本編だけでなく、当時の批評や資料などにも目を通したくなり、本棚をあちこち探る。大学は好きで選んだブンガクブなので、一応その手の資料は山ほどある。けれど、評論家と名のつく人たちがいろいろ言葉を変えて語ってはいても、言ってることは誰しも似たようなものである。結局、安部公房の作品全てに共通するのは、「確かなものなんて何もない」ということである。
 しかしこれ、本気で書き出したら、マジで「安部公房論」になりかねないなあ。できるだけコンパクトにムツカシイ言葉は使わないようにまとめるつもりではいるけれども。
 全体、評論家は無意味にややこしい表現を使いすぎるのである。磯田光一なんか、『砂の女』評で「可塑性の人間観」なんて言い方してたけど、なんで「人間は成長、あるいは変化するものという考え方」と素直に言えんか(つか、前後の文章でそう書いてるし、わざわざ改めてこんなややこしい表現でまとめる必要はないのである)。その点、安岡章太郎なんかは平易な書き方で、わかりやすい。このあたりが評論家と作家の違いかな、とも思う。
 安部公房には映像化された作品も多く(殆ど自分で作ってるんだけどね)、川本喜八郎がアニメ化した『詩人の生涯』などは、私の特に好きな作品である。でも今日、原作戯曲(ラジオドラマ用)を読み返してみて、社会主義的思想の色濃いアニメ版に比べて、原作はずっと象徴的、寓意的なのに気付いた。やはり若い時と今とでは、感じ方にかなりの差が生じている。だからこそ、安部公房が語るごとく、人もまた変化し続けるものなのだということなのだろうが。
 なんか、ほかのコンテンツでもそうだけど、あれこれ資料をひっくり返して見てる時間の方が長いから、なかなか更新が進まないのである。実際に書く時に使えるのは、その一部でしかないのにねえ。


 夕立が激しかったので、タクシーで帰宅。
 しげは案の定、ぐーぐー寝ている。今日は舞台『ピローマン』(マーティン・マクドナー作・長塚圭史演出)のチケット先行発売の日で、しげに電話予約を頼んでいたので、昨日の夜から今日の昼までずっと寝ていないはずである。だから今日は迎えに来れなかったのも仕方がないのだが、寝相の悪いのだけはなんとかならんものか。殆ど布団と格闘してんじゃないかってくらいに転げ回っているが、寝ながら体力使ってちゃ、カラダは休まらないだろうにねえ。
 チケットは一応無事に取れたらしく、パソコン机の上に郵便局への支払いのメモらしきものが乗っている。……けどこれがまるで読めねえ(~_~;)。幼稚園児並の悪筆を誇る(誇るなよ)しげの字で、しかも筆で書いてるものだから、数字が全く読めないのだ。0と1と6の区別がつかないって、どうすんのよ、コレ。
 

 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL』7巻(完結)。
 どう完結させるのかと思ったら、原作通り、“『ハレグウ』1巻に続く”、であった。でも、既に内容はお子サマ向けアニメではなくなっているから、テレビシリーズはムリだろうなあ。OVAシリーズで続けてくれると嬉しいのだが、さて、世間のニーズはどれだけあるものか。なんか私の周囲だけだと、このシリーズに対しての反応がイマイチ鈍いもので、ペイする程度の人気はちゃんとあるものかどうか(それなりにはあるのだろうけれど)、不安になるのである。


 『キネマ旬報』8月下旬号で、時代劇、ラブストーリー、アニメーションなど、ジャンル別のオールタイムベストテンを投票、発表している。
 五、六十人の批評家に順不同で十作、候補を提出してもらって集計しているのだが、いつも思うのだけれど、こういう場合、たとえ集計が大変であっても、一人50作くらいは出させないと、ベストの意味はないんじゃないか。たとえジャンル別に絞ったところで、たった10本じゃ、指の間からポロポロ落ちていくように、名作、傑作の数々が評価されないまま抜け落ちて行くのである。
 結果は以下の通り。

〔時代劇〕
1、七人の侍 26票
2、十三人の刺客 23票
3、座頭市物語 19票
  宮本武蔵〔五部作〕(内田吐夢版) 19票
5、東海道四谷怪談 17票
  用心棒 17票
7、人情紙風船 16票
  幕末太陽傅 16票
9、薄桜記 15票
10、丹下左膳餘話 百萬兩の壺 14票

〔ラブストーリー/外国映画〕
1、ローマの休日 18票
2、男と女 11票
3、アパートの鍵貸します 8票
4、シェルブールの雨傘 7票
  隣の女 7票
6、愛の嵐 6票
  逢びき 6票
  イングリッシュ・ペイシェント 6票
  恋人たち 6票
  昼下がりの情事 6票
  旅情 6票

〔アニメーション〕
1、ルパン三世 カリオストロの城 21票
2、となりのトトロ 18票
  ファンタジア 18票
4、風の谷のナウシカ 17票
5、白雪姫 15票
6、AKIRA 14票
7、映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 13票
8、千と千尋の神隠し 10票
  長靴をはいた猫 10票
10、太陽の王子 ホルスの大冒険 9票
  トイ・ストーリー 9票 
  モンスターズ・インク 9票
  やぶにらみの暴君 9票

 なんだこの偏り方は、とお怒りになる映画ファンも多かろうが、ベストテンなんてこんなものである。『七人の侍』にしたところで、選者のうち半分もベストテンの中に入れてはいないわけで(私だって、「時代劇」ジャンルと絞られたら、ベストテンに入れるのには躊躇する)、結局は各々の選者の偏りを「均した」ものでしかない。
 そんなことは昔から言われていることで、「ベストテンなんて意味がない」とは誰しも口にしながら、それでも時折思い出したかのようにこういうベストテンが試みられるといのは、やはりそれ以外に一般人の興味を引く「映画ガイド」、あるいは「マニュアル」が少ないからで(「映画の歴史」とか「研究書」などはあまり読まれない)、こういうところで埋もれがちな「名作」に若い人の目を行かせる効果もあるからだろう。
 でもねえ、批評家と言ったってさ、案外映画見てないし、映画のこと知らないって人も多いしね、さすがにそういう人にベストテン出させるのはどうかって思うけどな。正直に「あまり見てませんが」と断り書き入れてる人には苦笑しちゃうけど。けどねえ、「アニメーション」で『忍者武芸帳』(大島渚)や『新選組』(市川崑)に票を入れてる人までいるからなあ。あれ、マンガを撮影しただけで、アニメーションじゃないってば(まあ本人たちもコメントで「迷って入れた」と書いてたが)。
 まあしかし、あまり人のことは言えない。
 「時代劇」「アニメーション」については、候補に上がった百本以上の作品の大半を見てはいたのだけれど、「ラブストーリー」に関しては、二割もない。趣味に偏りがあるのは当然としても、ちょっとこれはいくらなんでもねえ。普通「映画ファン」を名乗るなら、「恋愛モノ」をこそ見ずにどうするか、ということなのだけれど、なんか他人が「惚れたの腫れたの」やってんの見ててても共感せんのよ。タイトルに「愛」って付くだけで敬遠したくなるし。
 だから私は、『イングリッシュ・ペイシェント』も『逢びき』も『ベティ・ブルー』も『ノッティングヒルの恋人』も『忘れじの面影』も『麗しのサブリナ』も『ブーベの恋人』も見てません(^_^;)。嫌いなんじゃなくて苦手なだけで、これらの作品が見るに値しないと考えているわけではないので、そこんとこ、勘違いしないように。
 なんだ、それで映画について何のかんのとエラソウな口叩いてやがるのか、と鼻白む方もいらっしゃるだろうが、結局人間は自分の見ている範囲の中でしかモノは言えない。どこまで映画を見たところで、全ての映画を見尽くすことはできないのだから、「ここまで見てる」範囲の中で、どれだけのことが見通せているのか、を語るしかないのだ。だからまあ、私は若い人が「すみません、『○○』という名作、実はまだ見てないんです」と言ったところで、馬鹿にもしないし、怒りもしない。どうしたって若い人が見に行く映画は「今」のものばかりになるから、生まれる前の映画だと、見てないのが普通だろう。ただ、曲がりなりにも「プロ」を名乗る人間が「あれも見てない、これも見てない」と威張って言うのは阿呆だ、と言ってるだけなのである。


 ヘヴィ・ロック・バンドのリンキン・パークが、日本のアニメーションをフィーチャーしたビデオ・クリップを収録したDVDシングル『ブレイキング・ザ・ハビット』(WPBR-90382 2940円)を9月23日にリリースする予定とか。
 オタクなアーチストはアチラにもいっぱいいて、マイケル・ジャクソンなんかもプロモビデオにアニメ・クリップをチラッと入れたりしていたが、今回のはなんと完全新作なんだそうな。中澤一登を作画監督に起用して、GONZOに依頼して作ったって言うんだから、もう本格的である。
 特典映像として、アニメーションのもととなった実写収録風景や、日本のアニメーション・スタジオでのコラボレーション風景なども収録予定、コミック・ブックも付くのだが、これが初回生産限定盤。今予約しないと間に合わない、ということである。
 ……ああ、すっげえ興味が湧いてんだげと、オレ、もともとヘヴィメタ聞いたこともないし、リンキン・パークだって全然知らないのだ。特にファンでもないのにDVD買うのって、邪道かなあ。いや、別にマットウな道を歩かにゃならんと思ってるわけではないけどさ、せめて曲を聞いて好きになれりゃいいがな、とは思うわけよ。どこかで試聴できないものか。

2003年08月18日(月) ギャグをやるなら命がけ/『魔法先生ネギま!』2巻(赤松健)
2002年08月18日(日) 草臥れ休日/アニメ『サイボーグ009』地下帝国“ヨミ”編/『エキストラ・ジョーカー KER』(清涼院流水・蓮見桃衣)ほか
2001年08月18日(土) オトナの玩具はコドモ/『悪魔の手毬唄』(横溝正史・つのだじろう)ほか
2000年08月18日(金) 気が滅入る話/『明日があるさ』(林原めぐみ)ほか


2004年08月17日(火) 「狐の嫁入り」考。…いや、そんな大層なもんじゃなくて。

 盆休み最後の日。
 明日から仕事だけれど、こう見えても仕事はキライではないので、休みが終わって残念、という気持ちはない。イヤなのはまだまだ残暑が厳しいということである。
 朝から映画を見にしげと博多駅まで出かける。映画は『丹下左膳 百万両の壷』。しげは初めは興味を示していたのだが、トヨエツ主演と聞いて、「つまんないんじゃないの?」と渋るようになった。てっきり、大河内傳次郎のオリジナル版の公開だと思いこんでいたのである。名作中の名作であるオリジナル版はそれとして、リメイク版はどこをどう変更したのか、そこが私の気になっていたところである。ちょうど「浴衣か着物を着て行くと千円で入場できます」というキャンペーンをやっていたので、昼でも安く見られるんだよ、と説得して、浴衣を着せて無理矢理引っ張って来た。これでつまんなかったら、またひと悶着ありかねないところだ。
 しげ、ここんとこ浴衣を着続けなので、ムナモトがちょっとゆるんでいる。それが色っぽく見えるならまだいいのだが、虫刺されがちょうどそこにあるので、みっともないだけである。「色っぽくないと?」としげは不満気だが、これから時代劇で、和久井映見とか麻生久美子を見ようってんである。同じ和服でも比較するのはチトおこがましい。てゆーかあ、何をどう着てもー、しげが「色っぽく」なることだけはあり得な〜いと思う。
 私の方はやっぱり「ガマ王子」のTシャツ。それでもなんとなく蒸し暑くて、雨のひと降りでもしてくれりゃいいのにな、と思っていたら、博多駅に着いた途端に、天気雨である。
「狐の嫁入りだな」と言ったら、しげが「どこに狐がいるんだよ?」と突っ込んで来る。
「普通、森にいるだろ、狐は」
「森なんてないじゃん」
「神社にはあるよ。お稲荷さんはどこにでもあるから」
「じゃあ、お稲荷さんからお稲荷さんへ嫁に行くの?」
「そうだよ」
 もう、なんの会話だかよくわからなくなって来たので、受け答えも適当であるが、ふと、気になったのは、どうして天気雨のことを狐の嫁入りと呼ぶのかであった。狐と天狗は同一のもので、天駆けるものであることは疑いない(黒澤明の『夢』では、森の中歩いてたけど)。
 雲もないのに(ホントはある)雨が降るとは、空を狐の嫁入り行列が通っているのだろう、と昔の人が考えたのは分かるのだが、嫁入り行列の最中に「水を撒く」とかする地方があるのだろうか? 夏場の雨だから、「打ち水」でもしてるということなのだろうか。狐の小便でなけりゃいいのだが。

 映画はまあ悪くもないが、かといって感動するほどでもない、という感じ。テレビスペシャルで充分じゃないか、という気がしてしまうのがネックか。しげは柳生源三郎役の野村宏伸が適度にボケた役を演じていたので、満足したようだった。オリジナル版では、長門裕之、津川雅彦のお父さんの沢村国太郎が演じていた役である。でもあれは「強い役を演じることが多い」国太郎が、「見掛け倒しで弱い」役を演じるから面白いので、見かけも中身も弱そうな野村宏伸が演じても当たり前なだけなのだけれども、

 帰りに「レッドキャベツ」に寄って、買い物と水汲み。
 帰宅してオリジナル版『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』をDVDで見返す。林不忘の原作小説も本棚の奥から引っ張り出してきて読み返し。映画の感想をコンテンツに上げるために比較しているのだが、そんなことを細かくやってると、時間はあっという間に過ぎてしまうし、記事はどんどん長くなるばかりなのである。ああ、短くパッパと片付けちゃおうといつも考えているのに(T.T)。


 イギリスのドキュメンタリー映画監督ダニエル・ゴードンとニコラス・ボナーの二人が、北朝鮮に脱走した元米兵を題材にした新作『Crossing the Line』を製作するとか。となれば、あの人も出るのかな? と思い浮かべてしまうジェンキンスさんだけれど、既に面会しているとか。早ッ!(°θ°;)
 日本の映画作家は、こういう事件は時が立たないと扱おうとしないけど、「まだ真相が解明されていない時点で憶測で映画を作って、あとで問題になったら……」とか、気弱なことを考えてる気がしてならない。事件なんて、どこまでいったって完全に真相が分かるもことなんてないだろうに、ドキュメンタリーなら「今」何が起こっているのか、それだけでも取材して映画にするくらいの度胸があってもいいと思うけどね。
 毀誉褒貶半ばする『華氏911』のマイケル・ムーアだけれど、あの「今」を自分の目出切り取ろうとする姿勢は日本の作家たちも見習っていいと思うけどね。。


 先週のアメリカでの映画の興行収入、新作が3本、ベストテン入り。
 1位の『エイリアンvs.プレデター』は3825万ドルで初登場1位を獲得、2位は『プリティ・プリンセス2』で2300万ドルで2位、4位には『"Yu-Gi-Oh! The Movie』が入り936万ドル。
 で、4位の作品のタイトルを見て、あれっ? と思ったわけだ。これなんと、“日本未公開”の、『遊戯王 デュエルモンスターズ』の劇場版だったんだねえ。向こうでも別に「Game King」とか翻訳せずに、日本語のまんまなんだね。
 まあ、私は『遊戯王』は原作もアニメもそんなに熱心に追いかけてないから、「アメリカ、ヨーロッパ“だけ”でヒット、と言われても、「へえ、ふ〜ん、そう」てな感想しか浮かばないのだが、西欧人のどれだけが、『ポケモン』や本作が日本製アニメだって知ってるんだろうか。「ジャパニメーション」や「ANIME」なんて言葉、オタク以外でどれだけ浸透してるのかつて思ったら、あまり手放しでは喜べないと思うんだけれど。

2003年08月17日(日) 穏やかな休日/映画『宮本武蔵』『續宮本武蔵 一乗寺の決斗』『宮本武蔵完結篇 決闘巌流島』
2002年08月17日(土) しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん/アニメ『プリンセスチュチュ』第1話/映画『ピンポン』
2001年08月17日(金) 代打日記
2000年08月17日(木) 明日から仕事/『夜刀の神つかい』(奥瀬サキ・志水アキ)ほか


2004年08月16日(月) 老けてるけどトシヨリってほどじゃないぞ。

 昨日の日記で、私が戦後17年経って生まれたと書いてるのをしげが読んで、「えっ、アンタってそんなに若かったの!?」と驚く。
 「だってアンタって、戦時中は焼夷弾に追われて、戦後は焼け跡をウロチョロしてて、住んでるのはバラックって、イメージがあるし」
 ……いや、確かに私ゃ老け顔だけど、そこまでのことはないぞ。古い話は確かに知ってるが、無理に年よりぶっちゃいない。一応、1歳後半から2歳くらいの記憶はもうハッキリしているから、昭和39〜40年あたりから私の記憶は始まっている。
 『鉄腕アトム』『鉄人28号』以後のテレピアニメは確かにリアルタイムで見てるけれど、それ以前の「実写版」には間に合っちゃいない。『月光仮面』も『快傑ハリマオ』も再放送で見た口だ。ウルトラシリーズは第1弾の『ウルトラQ』から、映画の『ガメラ』も第一作からしっかり見ている。けれど『ゴジラ』はせいぜい「エビラ」からという情けない位置。『スチャラカ社員』は気付いたらやってたけど、『てなもんや三度笠』は初回から記憶がある。「少年サンデー」、「少年マガジン」は生まれる前からあったが、『少年ジャンプ』の創刊には立ち会ってる。せいぜいその程度の「古さ」なのだ。オタクとしては、第一世代のギリギリケツっぺたにくっついてる世代だ。私より1歳若くなると、もう『アトム』や『鉄人』、『ウルトラQ』のリアルタイムでの記憶はない。言っとくが、私の子供のころにはもう日本から「焼け跡」なんてすっかり無くなってたぞ。傷痍軍人と靴磨きはまだいたが(~_~;)。
 ……つかよー、お前、自分の相方の年齢も忘れてたってか(-_-;)。


 明日で、盆休みもおしまい。一週間とちょっとのお休みだったけれど、日記とコンテンツの更新に追われてただけの休みだったような。……ハイ、部屋の片付けはやっぱり終わりませんでした。どうせオレなんてな。
 でもそうやってやっさ書いてるコンテンツだけれども、読んだ本、マンガ、映画の感想、殆どアップできていない。予定では映画の感想は一日三つほど書いて、その合間にDVDも一日二本くらい見て、本も毎日1、2冊は読んで、余裕があれば他のコンテンツの更新もしちゃおうと思ってたんだけれどもね。
 もう、コンテンツが書いても書いても終わらねえんでやんの(~_~;)。
 できるだけテレビも見ず(見ちゃうと書きたいこと増えるし)、本とDVDだけに専念しようと思ったんだけど、難しかったねえ。
 一応、今日は頑張って、DVDでミッシェル・オスロの『キリクと魔女』と、カレル・ゼマンの『クラバート』を見た。こういうのを見ると、「日本のアニメは世界一」なんて嘯いてるココロの狭いアニメファンに、「もちっと目を広げてよ」と言いたくなってしまうのである。ユーリ・ノルシュテインやフレデリック・バックが存命中だというのに、口が裂けてもそんな身贔屓発言はできませんて。オスロ監督は高畑勲を立てて、「日本が世界一です」とか言ってくれてたけどね。
 読んだ本は、大塚康生の『リトル・ニモの野望』。これ、大塚さんは遺書のつもりで書いたんじゃなかろうか。

 しげも今日は一日寝てばかり。
 鬱でしばらく仕事を休んでいた時は、家事もちょこちょことはしていたのだけれど、仕事を再開してからはまた全くしなくなった。
 今日も買い物に誘ったら、「愛人(=カメ)の水汲みに行くのなんてヤ」と抜かしやがったので、「じゃあ、メシも作らなくていいんだな? オレはオレで勝手にメシ作って食うけど、おまえのは要らないな?」と念を押してほったらかす。
 うどんを作って食ってたら、しげはモノ欲しそうに近くにやって来たが、当然無視して一人で全部食べた。ツマランことを言うから損することになるのである。それがわかってて、あえてやるのだから、やはりしげの知能はカメ以下である。そりゃ、愛人の方に気持ちは移るってば。


 児童買春禁止法違反などの罪に問われていた映画監督の今関あきよし被告が、懲役2年4月の実刑判決。
 執行猶予が付かなかったということは、判明している事件以外にもかなり「余罪」があるのだろうな。判決理由の「映画監督の地位を悪用し『芸能人に会わせる』などと言葉巧みに誘い出し、被害者の好奇心や無思慮につけこんだ卑劣な犯行。常習性もうかがわれるの「常習性」というところで、多分かなりな数の「証人」が証言台に立ったんだろう(出られない人は文書で回答したかな)。
 マンガやドラマじゃよくある「地位を利用して」ってのを地でやってるってだけでも幻滅だけれども、「やっぱりそういう世界なのか」と、芸能界、映画界への憧れを抱いていたかもしれないウラ若き乙女たちに、多大なるショックを与えてしまった罪はかなり深い。役者になろう、歌手になろう、声優になろうって人たちの中には、なんだかんだ言っても、「夢」とか「理想」を持ってこの世界に入ってくる純朴な子がまだまだ多いからねえ。
 やっぱり、本気でこの世界に入ろうって考えてる若い子は、それ相応の「覚悟」はいるだろうと思うのである。別に犯される覚悟ってことじゃなくて、「甘い罠」はどこにでも転がっていて、そんなもんに引っかからない「目」を持つことが必要になる、ということだ。一時的にカラダ使って目的果たしてもなー、本当に本人に才能がなきゃ、続かない世界なんだから。
 今関監督はとっ捕まったけど、まだまだ「お目こぼし」頂いている人たちは多いと思うのである。……いやねえ、今度の芝居で黒子やってくれる子の中に、本気で「声優」目指してる若い子がいるもんでね。充分用心して欲しいなって思ってるのよ。少女は食われるの早いし。

2003年08月16日(土) 危険な予感/『空想科学大戦1』(柳田理科雄・筆吉純一郎)
2002年08月16日(金) ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか
2001年08月16日(木) 代打日記
2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)