無責任賛歌
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2004年08月15日(日) |
この日を記念日にしたのは「盆」だから? |
新聞の政府広報(厚生労働省)に、「本日(8月15日)は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。」とある。ふ〜ん、正式には「終戦記念日」とは言わないのだねえ。 厳密に言うならば、「終戦」はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日になるので、この表現の方がよい、ということになる(この日を終戦記念日にして休日にすれば、ゴールデンウィークがまた一日増えるのだがな)。このあたりの知識も、若い人に対してはトリビア。でも一般的な感覚から言えば、8月15日を終戦記念日と考えることに違和感はない。それくらい、当時の日本人にとって、「昨日と今日とで歴史が変わった」と感じるほどの変化があったのだから。 それにしても59年。もう来年は60年か。私も戦後生まれではあるけれども、考えてみたら、生まれた時はまだ戦後17年しか経っちゃいなかったのである。戦争の名残は、まだ随所にあった。子供のころの感覚でいうなら、大人たちはみんな「戦争を知ってる人たち」であったし、小学校の先生たちは、“自分の”戦争体験を語っては反戦を訴えていた。だからこそ言葉に重みがあったし、実感もこもっていたし、説得力もあったのである。みんな、必死になって、あの戦争がいかに悲惨で、愚かであったかを訴えていた。今考えれば、日教組の先生方が多かったせいもあるのだろうが、そういった思想云々を抜きにしても、現実に焼夷弾に家を焼かれ、家族を失った人たちの憎しみと悲しみは、ヒシヒシと伝わっていたのである。今の反戦論者の言質が観念的にしか聞こえないのとはエライ違いであった。 戦争が「体験」として語られず、ただの「歴史」になってしまったのは、この10年くらいであるように思う。「日本がアメリカと戦争したことも知らない子供たち」が話題になり始めたのもそのころからだ。単純に、彼らを責めることはできない。教えるオトナの側がまず、「なぜ戦争のことを語らなければならないのか」、その理由がわからなくなっているのだから。
今日はいつもの練習日。しげはもう着替えるのがめんどうくさいと、最初から浴衣である。私は昨日劇場で買ったばかりの「ガマ王子」のTシャツ。黄色地が目にまぶしい。劇場ではもう一つ、「ザリガニ魔人」のものもあったのだが、まんまザリガニでしかもカエルよりやたらデカかったので、こっちは買わなかった。デザインがどんなのか知りたい方は、コンテンツの「Phantoms of the Paradise」を開いて見ること。 今日はなんかみんな具合が悪かったり都合が悪かったらしくて、来れたのはカトウくんだけ。しげと二人だけのシーンを重点的に。初稿があまりうまくなくてセリフが決まってなかった部分も改稿。なんとか形を整える。 来週あたリから、ぼちぼち黒子さんが揃ってくるので、練習は女の子でいっぱいになるはずである。カトウ君はそれでトテモわくわくしているようだが、当然カッコイイとこを見せようと思ったら、セリフを全部入れといてもらわなければならないよ、とプレッシャーをかける。「いや、そんなこと考えてないですよ!」と懸命に否定していたが、ホンネは奈辺にあるや。 でも実はセリフ入っても全然カッコヨクない役だったりするんだけどね。
練習を1時間早めに切り上げて、父のマンションへ。送り火を庭で焚くが、風が強く、灰がそこら中に飛び散った。庭に干してあった父の洗濯物も少し汚れた。盆の間中、「さっさと行きゃあがって」とか母の悪口言いまくったので、ちょっと怒ってるのかもしれない。怒るくらいなら、夢にでも出てきてくれりゃいいのである。そう言うと、父は、「幽霊になって出て来てくれた方がいいな」と言う。 人があの世とか霊界とか、そんなものを信じたくなるのはこんなときなんだろうが、実際、ホントに霊があるものならば、もっとバンバン出て来てくれてもいいものだ。
指定の川縁に、線香を立てに車で移動。まだ6時くらいだが、祭壇にはもう随分供物が置かれている。親子連れが、「昔はこれ全部川に流しよったとよ」と説明している。今じゃそれは環境破壊になってしまうが、そういうものを引き受けられないくらいに、川を、海を痩せさせてしまったのはどこのどいつであるのか。 風が強いので、立てられた蝋燭の殆どが消えているが、中に一本、やたらどでかい、百目蝋燭どころか千目蝋燭じゃないのかってくらいのものが立てられていて、これはさすがにぼうぼうと燃えていた。父が、「これくらいのものを立てんと、消えるとばいなあ」と感心してるが、まさか来年はこんなの買うつもりじゃあるまいな(^_^;)。
父を誘って、ダイヤモンドシティまで食事に出る。近くに住んでいるのに父がここに来るのは初めて。「別に買うものない」と言うのだが、グラスの店を通りかかると、ちょっと惹かれたようである。酒に関するものになら興味を抱くってのも、趣味としてはどういうものか。 ステーキの店で食事をして、ジャスコを冷やかして、父をマンションまで送る。何だか今年の盆はあっという間だった。盆がはよくりゃ、はよ戻る。
帰宅して、昨日見た『ガマ王子』のコメントを書き始めるが、書いても書いても終わらない。なんだかやたら「書きたい」気分にさせてしまう芝居だったのであるが、それでも最後のオチだけは伏せるようにする。二度と見る機会がないのならばともかくも、今は舞台もモノによってはDVDになるのである。今回も劇場でDVDの予約を受け付けていたので、これからご覧になる方のために、キモは書かずにおいたのだが、そうなるとやはりどこにどう感動したのか、遠回しな表現にならざるを得ず、隔靴掻痒である。ミステリーの批評でも、これが一番困るのだけれどもね。
今日読んだ本。 マンガ、鬼頭莫宏『ぼくらの』1巻。
2003年08月15日(金) 記念日って何の/DVD『レッド・ドラゴン』 2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一) 2001年08月15日(水) 代打日記 2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか
2004年08月14日(土) |
月に一度はお芝居に。 |
休日であることもあって、ついつい長めに日記を書いてしまっているが、そろそろコンパクトにまとめて書くクセをつけなければ、コンテンツの更新が溜まるばかりなのである。「長い文章は読み応えがあります」というご意見が多いので、ついつい書いてしまうのだけれど、ホントは日記なんて30分以上かけて書いてちゃいけないよねえ(^_^;)。せいぜい2、30行くらいで短く収めておきたいものなのだけれども。
朝は『美少女戦士セーラームーン』に『ケロロ軍曹』。ちゃんと朝起きられれば土曜日の朝も充実しているのである(これを充実と言うかね)。 『ケロロ』は例の『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」のパロディだったけれども、さすがにこれくらいは若い人でも元ネタがわかる人も多いと思う(非オタクはその限りではないが)。再放送は腐るほどされてるし(現在もCSでは放送中)、DVDだって発売されている。もしもまだ見たことがないという人がいたら、DVD第11巻をレンタルで借りて御覧になっていただきたい。『第四惑星の悪夢』と合わせて、「人生が変わる」経験をする人もいるだろうと思う。
昼から、友人のHくんのうちに、しげともども初盆のお参りに。 まあそれは口実で、オタク話をしに行くのが目的のようなものである。だいたい私のSFの知識とかは彼に教えられた面も多い。私なんぞは彼に比べれば全然無知である。 お宅にはかなり以前に伺ったことはあるのだけれども、久しぶりなので、道に迷ってしまい、予定よりちょっと遅れて到着。ご家族の方から「痩せましたねえ」と言われるが、多分一番太っていたときにお会いしているのだろう。100キロ近くあったときもあったから、病気になるのも当然なのだが、それを考えると今20キロも痩せているのだから、もうちょっと健康的であってもよさそうなものなのだが。 Hくんと会うときは、いつも本やDVDの貸し借りをするのが常なのだが(もっとも私は貰ってばかりで私は貸すばかりなので、不公平なことこの上ない)、今日は『みんなのうた』(12巻)と『カリキュラマシーン』(3巻)をお貸しする。お子さんの情操教育によろしかろう、という感じであるが、実は両作ともオタク度はメチャクチャ高いので、「英才教育」をほどこしていただきたいという謂である。で、こちらは『八雲立つ』のコミックを全巻貰った(^_^;)。モノが捨てられない性分というのは全く困ったものであるのだが。 長居をするつもりはなかったが、気がつくと30分ほど話しこむ。お客さまもいらっしゃっていたようなので、辞去。
しげは夜、仕事があるので、帰宅して仮眠。 私は天神に回って、福岡市民会館で後藤ひろひと作、G2演出による舞台『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』を見る。月に一度は芝居を見たいと思っているのだが、今年はなんとかそのペースで見られている。これも福岡に劇場が増え、それなりに公演が打たれるようになったおかげである。なんたって私が子供のころには、本当にこの福岡市民会館、郵便貯金会館(現メルパルクホール)、少年科学文化会館(ここは今でも遠征公演は打たれない)くらいしかなかった。「サンパレス」や「博多座」「シンフォニーホール」のような大きなホール、「西鉄ホール」のような小劇場が増えたおかけで、公演数が増えたのである。 今回は、伊藤秀明と長谷川京子の初舞台、というのがウリで、今日がツアーの大千秋楽。 見に行けるかどうかは分かっていなかったので、前売りは買っていなかったが、当日券で9列目が取れた。なんだか前売りで30列より後ろしか残ってない、なんてこともしょっちゅうなので、これなら当日の飛びこみのほうがよっぽどいい席が取れるというものである。ダフ屋もいたなあ。あれって法律的には問題にならんかといつも思うのだが、取り締まってる様子もあまり見たことないしねえ。たまに法外な値段で売ってた業者が摘発されることはあるけれど、じゃあ適正な値段で転売するのであれば、別に法律違反じゃないってことなんだろうか? お客は殆ど若い女性。これ全部、伊藤英明ファンなんだろうなあ。カップルもチラホラだけれど、40代とかの年配のお客は殆ど見受けられず。タイトルから敬遠するオトナも結構いるかもしれないけれど、後藤脚本はどちらかと言うとウェルメイドな芝居が好きな演劇ファンにこそ見てもらいたい芝居なんだけどねえ。いやもう、今回も笑って泣かせていただきました。伊藤、長谷川両氏の演技は酷評しているものあるが、ハセキョー(と略するのだそうな)の声がやや小さく感じたことを除けば、特にヒドイというほどのものではない。若手に対するバッシング、ヒガミもかなり入っているのだろう。 スタンディングオベーションも凄かった(前回の『人間風車』よりも激しかったかも)。挨拶で、ハセキョーが「これでもうこのセリフを言うこともないのだと思って、気持ちを込めて演じさせていただきました」と涙を流して挨拶。伊藤英明は照れたのか、客席の歓声に「うるせ〜!」の一言だけ。「だって何も言うことないんだもん」と言って笑いを誘っていたが、世の中にはインケンな客も多いから、若手の役者さんはこの手のナマイキに見えるパフォーマンスは避けた方が無難だと思う。実際、ちょっとムカツイてた客もいたようだし。
帰りに、ラーメンを食べて帰宅。まだ6時くらいだったが、しげは仕事に出ていた。体力が続かないと今朝がたまで愚痴を言ってたが、夕べだって10時間も寝てたし、寝過ぎで疲れるのは言い訳にならないと思う。まあ、仕事に出るだけリッパ、と言うべきなんだろうか。 今日劇場で買ったばかりのDVD『人間風車2003』を見る。 2000年の初演版(さらに以前にプロト版もあるそうだ)はナマで見て大感動、これで後藤ひろひとのファンになり、三谷幸喜よりも好きになってしまったのだが、この再演版は初演版ほどには感動せず。永作博美は前回の斎藤由貴より口跡がハッキリしていてよいのだが、主演の入江雅人がどうにもヨワかった。悪い演技ではないのだけれど、ある意味役を逸脱した前回の生瀬勝久の方がインパクトは強いのである。「不死身の男」を演じる河原雅彦は、全開の阿部サダヲほどの狂気は表現できず。 続けて、DVD『鉄人28号』2巻。不乱拳博士のエピソードだけど、辛気臭いことこの上ない。確かに背景に戦争の陰が色濃く落とされている原作ではあるけれど、それをあまり前面に出すのは物語のテンションを下げることになる。正太郎、鉄人やモンスターを指してやたら「どうしてこんなものを作ったんですか!」って敷島博士に食ってかかるけれど(だからそれは「鉄腕アトム」のセリフだってば)、そこまで言っておきながら、鉄人を操縦するってのは、物語の構造自体が破綻している。まあ『鉄人』だとか横山光輝だと思わなければ、面白いアニメではあるのだけれどもねえ。
あと、今日読んだ本、柴田武『ホンモノの敬語』。
以前からゴタゴタしていた人名用漢字の問題、法制審議会は、昨13日、追加する488字を決定。 6月に一旦公表した追加案には、人名には不適切な漢字がある、という世論の声が大きく、結果、新たに「蔑」「膿」「娼」「骸」「尻」「嘘」「腫」「罵」など79字が削除された。 基本的に私は人名用だろうと、使用できる漢字に制限をつけるべきじゃないと考えている。「もしもバカな親が子供にヘンな名前を付けたらどうするのだ」という意見については「付けたいやつには付けさせとけよ」としか思わない。いつぞやの「悪魔くん」騒ぎについても、宗教的な反発をするならばともかくも、無神論者が文句をつける理屈がよくわからなかった。子供がイジメられたらどうするんだ、という反論については、親がそれを覚悟で付けるんなら、反対の理由もない。まあ、心配しなくても、滅多にこんな漢字使って名前付けるやつもいないよ。『すすめ!パイレーツ』みたいに、「この子にも私と同じ苦しみを味わわせてやるのだ!」と、「花形見・鶴」なんて名前を付ける親はそうそういやしないって。いたとしても何万人に一人の割合だろう。 もちろん、本人の意向を無視している、という意見に対しては納得できはするので、その代わり、改名をもっと自由化したほうがいいと思うのである。小学校を卒業するあたりで、国民全員、改名可能ってことにしたらどうなのかね。昔の日本人は幼名と元服名、両方持ってたんだから。それでも改名しない人間のほうが圧倒的に多いと思うけどなあ。 逆に、ぜひ使えるようにしてくれという世論の要望が多かったと言われる「掬」、なんでこの字に執着する人が多いかがよくわからない。「すくう」だよ? 「水を掬う」「魚を掬う」とかの。悪い字ではないけれど、人の名前にどういう意図で付けようってのかがピンと来ないのである。
2003年08月14日(木) やっぱり長く書けません。/映画『SF巨大生物の島』/DVD『天才マックスの世界』 2002年08月14日(水) 魔性の女/DVD『プカドン交響楽』/『藤子不二雄論』(米沢嘉博)ほか 2001年08月14日(火) 代打日記 2000年08月14日(月) せっかくいい気分だったのに……/映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』ほか
カメを飼い始めてから、ネットで「カメの飼い方」を紹介しているサイトなんかも回るようになってしまったのだが(全く、ネットさまさまだ)、どこのサイトでも最重要事項として書いてあるのが、「カメを捨てないで下さい」……。 父に聞いた話だが、御笠川にも捨てられたミドリガメがウヨウヨいるらしい。カメが好きで飼い始めたはいいものの、持て余して捨てる糞野郎が後を絶たないのだろう。もちろんそのせいでもともとの生態系も崩れてしまう。「命の大切さを教えるために、動物を飼うことも大切」とかほざいてる馬鹿親もいるが、そりゃ最後まで面倒を見る覚悟があってこその言葉だ。たいていの動物はすぐに病気になる。その途端に「命の大切さ」はどこへやら、病院にかけるとカネがかかるとばかりに放置し、死なせたりする例がどれだけあることか。 母は生前、犬を飼っていたが、年を取って(たしか18歳か19歳くらいだったと思う)病気になって死ぬまでの間、何度も動物病院に連れて行き、湯水のようにおカネを使った。全部私の給料から出してたんだけど(⌒―⌒メ) ……いや、頼まれたら断れねえし。 でもまあ、その程度のことはするのが普通である。ペットショップやホームセンターに通うようになって、動物を飼いに来る客を見てると、見るからにバカヅラしたガキが、さらに輪をかけたようなバカオヤと「カメ飼ってよう、飼って飼って飼って」「うるせえな、ちゃんと世話するか?」「するよう、するするする」「しなかったら捨てるけどいいか?」「いいよう、捨てても」とか会話してるのを聞くと、オマエらを簀巻きにして川に捨てたろか、という気になってしまう。……頼むから、最初から捨てること前提で動物飼うのはやめてくれ(T.T)。 なんだかねえ、「かわいいから」だけで飼って飽きたから捨てるっていうんなら、椎名高志さんのマンガにあったように、「人間のしもべ、哀れで惨めな犬っころ」と名前をつけて飼い続ける方がよっぽどマシだと思うのである。 しげは、「愛人二人と一緒に暮らしてるみたいなもんじゃん」と文句を付けるが、愛人がカメに勝てるか! 盆休みの間は毎日、玄武と竜宮を洗面器に移し換えてベランダに出し、30分ほど日向ぼっこをさせているのだが(紫外線を浴びることでビタミンD3を体内で作り出し、甲羅を丈夫にする働きがあるのだそうな)、盆が明けると週に一度しかこれが出来なくなるのが現在の悩みである。
夕方、父としげと寺を回って、そのあと父のマンションで迎え火。 しげはこないだ買った浴衣を着ていったのだが、父はかわいいねとも見違えたねとも言わない。博多の人間は身内を一切誉めないものだが(それどころか貶しまくるし、誉める人間はウソツキ扱いされる)、もちろんそれは愛情がないからではない。極端な照れ屋であるか、見え透いたお世辞が大っ嫌いなのだと思って頂きたいが、あまりに悪し様に言うものだから(ゴクツブシとかバカアホマヌケは日常語である)、この人は本気で自分のムスコやヨメのことを嫌っているのだろうか、と他地方の人に錯覚されることもしばしばなのである。でも私に言わせれば、ヨソから博多に来ておきながら、その土地の風俗に文句をつける方がどうかしている。関西に行って、「どうしてコイツら関西弁ばかり喋ってるんだ」と文句つけるようなものだ。 母は生前、父のことをもう人間のクズのように言っていた。私も「人間がイヤラシい」とか「女の腐ったの」とか「××××」とか、散々聞かされたものである。父もまた母のことを「所詮女はバカ」とか「ヒステリー」とか「××××」とか、フェミニストが聞いたら激怒するようなことを平気で喋っていた。夫婦喧嘩も日常茶飯事である。喧嘩の原因には、父の浮気もあったようだ。 お互いの話を聞いていた人は、二人の言葉をマに受けて、この夫婦は仲が悪いのだ、と思いこんでいた人も結構いた。いつかリコンするんじゃないか、と思っていた人もいたようである。私も子供のころ、母に「そんなにイヤなら別れたら? ボクは気にせんよ」と水を向けてみたことがある。母の返事は「(別れると)商売に差し支えるからせんよ」というものであった。見栄だけでつらい夫婦関係を続けて行くこともなかろうに、と私は母の思考が理解できなかったが、今思えば、それも母の「照れ」であったのだ。 父の浮気に腹を立てていなかったわけではない。「いやらしい」とか、悪口も全部本音だろう。母は、ウソはしょっちゅうついていたが、姑息なウソは大嫌いだった。けれど、夫婦の仲はそれだけで左右されるものではない。今日、父がしみじみと呟いていたのは、「お母さんは、『別れるくらいなら最初から結婚せん』って言いよったなあ」ということである。ケンカしていながら、最後はそのセリフで終わるのである。私にとっては、両親のような夫婦関係の方が、「サザエさん」的な夫婦より、よっぽど“普通の”夫婦らしい。 頼むから、佐賀とか大分とか長崎とか熊本とか宮崎とか鹿児島とか、そういうド田舎から来といて博多人気質に文句つけるような野暮なことはやめてほしいのである。いや、福岡でも博多以外は全部田舎なんだけどね。……じゃあ、博多人が博多のことを都会だと思ってるかと言うと、全然そうは思っていないのである。なんだそんなの意味不明じゃないか、と文句つける人は永久に博多人の機微はわかんないから博多に来るな。
株券を売却するために、母の戸籍を取り寄せてみて判明したことであるが、母方のヒイヒイ爺さんの名前、「亀太郎」であった。わあ、まさか自分の先祖の名前をペットに付けていたとは(付けたのはしげだけど)。明治の初めか江戸のころの人だろうが、当然「デバガメ」事件よりは以前の生まれであろう。そうでなきゃ、ちょっと外聞の悪い名前だものなあ。もっとも、ムカシの人はそんな「名前が同じだから世間体が悪い」とか、特に気にしない人も多かったかもしれないが。世間サマを気にするような「中流以上の家庭」が増えていくのは、やはり戦後の風俗なのである。 デバガメの語源(池田亀太郎という明治期の覗き魔の仇名)が世間から忘れられていったのも恐らくは戦後以降のことだろうが、「亀太郎」という名前が流行らなくなったのは、別に「デバガメ」を連想するからではなくて、単に動物の名前を流用すること習慣自体がなくなっていったためだろう。……ムカシは女の人でも「おクマさん」とか「おトラさん」とかいたのにねえ。
父のマンションの近くのウェスタンの店で食事。 しげは生ビールをジョッキで二杯、飲み干してしまったので、酒が抜けるまで運転できず。父のマンションで、しばらく夕涼みして帰る。その間、父は焼酎を飲みっぱなし。糖尿はどうなった(~_~;)。 こないだまでは、8月いっぱいで仕事を引退すると言っていた父、姉のことが心配なのでやっぱりもう少し働く、と言い出す。もうちょっとだけ続くんじゃって言って20巻以上続いたマンガみたいだなあ(^_^;)。 まあ、働けるのなら働けるだけ働いたらいいとは思うが、やめるのやめないので姉のほうが振り回されてやしないかと思うと、そちらのほうが心配なのである。
今日読んだ本。 マンガ、西原理恵子『サイバラ茸』3巻。
いま、最もつまらないミステリーマンガの一つ、金成陽三郎原作、山口譲司作画の『ミステリー民俗学者 八雲樹』が、10月15日からテレビ朝日系金曜ナイトドラマ枠(金曜・午後11時15分)でテレビドラマ化。テレビ局って、ホントに企画力ないのな、とゲンナリしてしまうが、主役を聞いてまた頭を抱えた。なんとあの及川“ミッチー”光博である。連続ドラマの主演は初めてだとか。 しげは「王子さま」のころからミッチーのファンである。「王子さま」と言われれば、「カレー」か「ミッチー」を連想する、というくらいの熱の入れようで、間違っても、テニスのうんたらかんたらではない。 しかし、ついこないだ、しげに「もう『八雲』はつまんないというより、『マンガとしていかがなものか』と思うからから買うまいよ」と言われて、私も観念したところであった。それがまあなんという皮肉、これではマンガも帯がつくから買わねばならないではないか。いや、私は困ってないけど、しげは困るかなあ、と思って、「及川光博、『八雲』に出るけど、録画する?」と聞いてみた。即答で「うん」。 「マンガは続き買う?」「うん」 ……あれだけ嫌ってたのにこの豹変ぶりはなんだ。そんなにミッチーがいいか。私の亀好きを非難できた義理ではないだろう。でも、マンガならともかく、テレビであの既成の小説のトリックパクリまくりのドラマやるのって問題ないのかなあ。ファンの指摘が激しくなるだけど……と思ったけど、これまでにもやっぱりパクリまくりの『ケイゾク』や『トリック』が成立してるから、まあいいいのかもね。 及川光博はもうすぐ公開される『IZO』(三池崇史監督の、岡田以蔵が現代に転生して悪を切りまくるという、まあなんちゅうか……ってな映画)にも出演するらしいけど、これも見に行くことになるんかねえ。
2003年08月13日(水) でもちょっとだけ長く書きました。/『雨天順延 テレビ消灯時間5』(ナンシー関) 2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪) 2001年08月13日(月) 代打日記 2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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