無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月31日(土) ドラキュラ×の味

 正直な話、しげとはもう10年以上も一緒にのたくっているわけだから(しげにとってはついに人生の半分以上、私と一緒にいるのである)、あいつの奇矯な行動にも随分慣れたつもりであった。いきなり踊り出したり(喜びの踊りらしい)、夜中に奇声を上げたり(寝惚けているのだ)、台所で「ひい」と悲鳴を上げたり(たいてい、皿を割ったり、包丁で指を切ったりしている)していても、「よくあること」で驚かないでいた。
 今日も、しげが「ちっち、ちっち」(しげ語でオシッコのことである)とぴょんぴょん跳びながらトイレに向かっても、今更「テメエの年考えろ」とか文句つけることもせず(とうの昔に諦めた)、ほっといたのである。
 ところが突然、トイレからドスの効いた声が響いた。
「なんじゃこりゃあ!」
 若い人には解説が必要だろうが、往年の刑事ドラマ『太陽にほえろ!』中、松田優作扮するジーパン刑事が殉職するシーンで、腹から吹き出た血を見ながら叫んだセリフである。一時期、全国の高校、大学の学園祭、宴会等でこの松田優作のマネがはやって、やがて廃れた。でも未だになにか驚いたときにこのセリフを吐くイタイ人間は存在する。
 けれどそれを自分の女房が、しかもトイレで、隣近所にも聞こえるんじゃないかって声で叫んでるのを聞いた時のショックをご想像頂きたい。あなたの彼氏彼女がそんなことしたらどう思うか。……いや、ホントに何が起きたかと思いました。
 しげがワハワハと笑いながらトイレから出て来たので、「なんだいったい!」と聞いたら、しげ、ケロリとしてこう言った。
「いやー、びっくりした。もう出る出る」
「……おしっこが?」
「うんにゃ」
「う○こ?」
「うんにゃ」
「……じゃあ、何が出たの!」
「×」
……ンなことを大声で近所中に言うなあああ!
「だってすごいんだよ! 見て見て♪」
……ンなモン見せようとするなあああああ!(T∇T)
 伏字にしても何のことかは“オトナ”ならご推察頂けましょう。イヤね、驚いたってのはまだ理解できますけどね、悲鳴を上げたってんなら納得もしますがね、そこでなんで松田優作のマネをするですか。ワタシ、しげの考えてること、分らないアルよ(混乱しているのでエセ中国人化しています)。
 ちなみにこの文章、ちゃんとしげの許可取って書いてます。あなたも、もしもしげのそばにいたら、いつ何時、あんなものやこんなものをいきなり見せられることになるかもしれません。しげと付き合うにはご覚悟を(~_~;)。


 昨日放送されてた『ルパン三世 盗まれたルパン〜コピーキャットは真夏の蝶〜』、途中まで見てたんだけど、作画レベルがまたちょっとダウンした印象で興醒めしてしまった。テレビスペシャルなんだし、1年1本のイベントなんだから、もう少し、構図とか間とかに凝ってほしいと思うんだけど。でも、新創刊された『ルパン三世オフィシャルマガジン』によれば、今回のルパン、原作者のモンキー・パンチは気に入ってるそうだ。うーん(~_~;)。


 最近の日記、話題もあっちこっちに飛んでゴチャゴチャとしてたのだが、それで書き忘れていたこともいくつか。

 俳優の下条正巳さんの死去もそうで、25日にすい臓ガンのために亡くなられていたのだった。享年88。「『男はつらいよ』の『おいちゃん」死す」と、どの新聞にも掲載されていたが(「下条正巳」の名前より大きかった)、これがもう、二つの点で違和感ありまくりである。
 一つは、一作目から同シリーズを見ている人にとっては、森川信以外に「おいちゃん」はありえないという点だ。トラブルメーカーの寅さんを怒鳴りながらも、亡兄の忘れ形見を半端者にしてしまったという負い目を感じさせる演技は、森川信にしか出せない。その意味では二代目おいちゃんの松村達雄とともに、ワリを食った人ではあった。
 これだけでは下条さんが大根であったように聞こえてしまうが、そうではなくて、下条さんには確かに「おいちゃん」のような好々爺然とした役も多かったが、役者としての本領は、別のところにあったのではないかと思うからである。これが第二点の違和感。何度かヤクザ役も演じているのだが、そのときの眼光の鋭さ、陰険な笑いなどは、どちらかと言えばこういう役のほうが似合ってるんじゃないかと思わせるものがあった。少なくとも、「おいちゃん」役だけで片付けてよい人ではない(『円盤戦争バンキッド』にも出ていたらしいが、昔、見てたのは確実なのだけれど、「つまんなかった」という感想だけで、あとは全然記憶にない。奥田瑛二が主役だったってのも、かなりあとになって知ったくらいだからなあ)。
 『男はつらいよ』シリーズの呪縛は、未だに出演者を解き放ってくれてはいない。倍賞千恵子も前田吟も、三崎千恵子も吉岡秀隆も、もしかすると佐藤蛾次郎や関敬六、朝丘ルリ子まで『男はつらいよ』がらみでしか語られない場合もある。もしも朝丘ルリ子が亡くなったら、「リリー死す」とでも見出しに出すつもりか。
 「そういう見方でしか映画を見られないのか」と悲嘆するか、「いや、そういう見方であろうと映画を見てくれる」と好意的に解釈するかは人それぞれだろうが、少なくとも前者が少なければ、DVDボックス『渥美清メモリアル 渥美清・もう一つの世界』なんて企画は通らないのである。「俳優・下条正巳死死去」と素直に書けないマスコミの非常識を声高に叫ぶ人がもっといてもいいと思うのだが。

 映画関係のニュースでは『くりぃむレモン』実写化……というのにのけぞる。監督は『リアリズムの宿』の山下敦弘監督。選ばれたのは当然のごとく『亜美』シリーズみたいだ。いくらアニメの実写化がはやりと言ってもそんなもんにまで目を付けるというのは、なんなんだ、と思ったけど、考えてみりゃ、あれが「妹」ブームの元祖なのかも(^_^;)。別に18禁というわけでもなく、一般公開するみたいだし、本当に17歳の女の子使うみたいだから、意外に普通の映画になるのかもしれないけれど、その主演の村石千春って娘、亜美にしてはチトぼーっとした顔しすぎてないかな? いやまあ、「そんなアダルトアニメなんて知らん」と仰る方にはそんなこと聞かれても答えようがありますまいが。一応、参考までに映画の紹介欄を以下に。↓
http://www.fjmovie.com/main/movie/2004/creamlemon.html

 “普通の”(^o^)テレビアニメ関係でも、秋以降の新番組のホームページなどが続々と開設されているが、『焼きたて!! ジャぱん』とか『リングにかけろ』とかのテレビアニメ化にも驚いた。面白くなるのかどうか、トンガッたものになるか、無難なところで治まるか、どうにも未知数で、判断に困ってしまうのである。
 サンデー系なら『ジャぱん』よりも『かってに改蔵』の方をアニメ化してほしかったくらいなのだが(連載終わったけどね)、料理ものアニメは『ミスター味っ子』以来、間隔置いて作られて来てるし、小学館漫画賞は取ったしで、企画が通りやすかったんだろう。それは一応、分かりはする。分かりはするんだけれども、本当に制作会社のサンライズが面白いと思って作ろうとしてるんだろうか、そこがちょっと疑問ではあるのだ。いくら定期的に仕事を取らないと製作プロダクションは経営していけないものだ、とは言うものの、会社が乗り気じゃないと、ロクでもないものしかできないことは目に見えている。原作は料理ものをマンガとして見せるためにかなり「ムリ」をしているので、そのまま引き写しただけじゃ、ただのヘンなアニメにしかならないし、まして声優演技だけに頼って枚数ケチったりすればショボショボになることは明白だろう。これはテレQでも放映するので、一応、その辺を確かめることはできるんだけど、ちょっとばかし不安。
 『リングにかけろ』は……まあいいか。今アニメ化してもファンになる腐女子はいるのだろうなあ。SFファンはどうする?(^o^)


 今日こそ『ケロロ軍曹』を見てやろうと、テレビの前に陣取ったが、時間を間違えていた。朝10時からなのに、10時半からと勘違いしていたのである。おかげで未だに「アフロ軍曹」を見られていないのである。来週こそは。
 昼から福岡市民会館で、舞台『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』を見る。感想はコンテンツに『そのうち』上げようと思うけれども、いや、スタンディングオベーションのすごいこと。同じ山田和哉演出でも、前回の『GOOD』とは大違いである。レイ・クーニー喜劇の日本化は『君となら』で三谷幸喜が行っており、それが山田氏が最初に演出した舞台だから、「慣れている」と言えば言えるのだろう。
 けれど相変わらず喜劇にうるさいしげは、会場大爆笑のこの芝居にも「つまらなくはないけど、好きにはなれないし、面白いとも言えない」と辛辣。翻訳劇の「ムリ」なところにやたら引っかかってるみたいだけれど、それはないものねだりってものなんだけどなア。


 深夜、WOWOWで『モンキー・パンチ 漫画活動大写真』第1話。あまりおもしろくない短編がいっぱいと、15分アニメ『幕末ヤンキー』に30分アニメ『スパイ貴族』。
 これもアニメーションとして面白いのはオープニングとエンディングだけなんだけど、どの作品も原作読んだことないのばかりだったので、話自体は楽しめた。絵柄としては、これまでのどのモンキーアニメよりも原作の絵柄に近い。『ルパン』もこの絵柄でやってくれるのなら短編だけじゃなくて、ちゃんとした30分ものが見てみたいなあ(不二子の髪形は残念ながらショート・カットバージョンだけど)。

2003年07月31日(木) 女の子がいっぱい/『恋愛自由市場主義宣言! 確実に「ラブ」と「セックス」を手に入れる鉄則」(岡田斗司夫)
2002年07月31日(水) しげ、肉離れ?/『けろけろ 緑の誓い』(矢島さら)/『風雲児たち 幕末編』1巻(みなもと太郎)ほか
2001年07月31日(火) 山田風太郎死す/『新・トンデモ超常現象56の真相』(皆神龍太郎・志水一夫・加門正一)ほか


2004年07月30日(金) 遺産相続って言うのか、こういうのも。

 仕事中に突然、父から携帯に電話が入る。昼日中、連絡を入れてくることは滅多にないのだが、いったいどうしたのかと思ったら、死んだ母の荷物を整理していたら、預金通帳が出てきたというのである。……って、お袋死んだの、平成7年だぞ。今まで荷物の整理ほったらかしてたのか(-_-;)。
 金額はたいしたことなかったらしいのだが、これも「相続」の手続きをしなきゃならないということなのである。「要らないよ、お父さん、貰っときなよ」と言うが、「そういうわけにはいかんったい」と言って父も譲らない。
 「めんどうくさいよ」
 「おれもめんどうくさいばってん、お前に内緒で処分するわけにもいかんめえもん」
 してくれていいのに、と言ったところで聞き入れられそうにないので、仕方なく承知する。ただし、役所で手続きすると言っても、私は昼間抜けるわけにはいかないので、しげに代わりに行ってもらうことにする。
 しげにそのことを伝えたところ、月曜日に父としげとで役所に行く段取りを付けたようだ。「父ちゃんとデートやん、どうしよう。何話せばいいかな」としげは焦っているが、こんな味気のないデートもなかろうと思うのだが。
 ……それはそれとして、しげよ、親父からの携帯の着メロ、よりによってどうして『キューティーハニー』にしたのだ(~_~;)。


 歯医者通い三日目。
 きょうの担当はまた女医さん。治療自体は5分ほどで終わったのだが、いったいいつまでかかるのか分からないのは同じ。けれど「どれくらいかかるでしょうか」ともなかなか聞きにくい雰囲気なのである。それと、マスクをしてモノを喋るのは、もちろんそうしてくれないと困ることではあるのだが、どうも市販のものよりかなり分厚いらしく、何を喋ってるのかよく分からない(~_~;)。「うがいをしてください」ってのも、よく聞こえなくて「うえあいおいえうああい」なんて聞こえるのである。、多分そう言ってるんだろうと類推してうがいをするけれども、これも「今、なんて言ったんですか」とは聞きにくいのである。

 病院を出て、昨日と同じく、しげと食事でもしようと電話を入れたのだが、クスリが効いていて、呂律が回っていない。
 「迎えには来れるか?」
 「……むひ」
 そりゃ、軟膏だ(-_-;)。本人は「ムリ」と言ったつもりなんだろうが、そう聞こえたことに気づいているやらいないやら。少し時間を置いたほうがよさそうなので、一旦帰宅することにする。
 博多駅で買い物などをしていると、結構時間を食って、帰宅したのは七時すぎ。しげはちょうど起きたばかりだった。どこに食事に行きたいかを聞いたのだが、またまた愚問であった。
 夕食は「焼肉屋さかい」で焼き肉。しげにはロース、ハラミなど。焼き野菜の盛り合わせを頼んだら、珍しくもイモが付いてくる。しかも角切りで、やや大きめ。以前はなかったメニューだが、焼き芋ってオヤツの感覚だから、あまり野菜を食べてるという気がしない。それに石焼き芋と違って蒸さないから、表面がコゲても中まで火が通りきれないのである。ナナメ切りにしてくれてたらよかったのだが、それだとイモがすぐに崩れてしまいそうだ。企画としては面白いが。ちょっとハズレじゃないかな。

 しげは今日、定例の通院日だった。
 毎回、どんなことをカウンセリングの先生と話してるのか、報告を聞くのだが、今日は先日見た「ブルース・ブラザース・ショー」について熱く語ったそうである(^_^;)。まあやっぱり「魂が篭ってない!」旨、トウトウと語ったそうなのだが、カウンセリングの先生、どんな気持ちで聞いてたんだろうか。


 今日も元気に泳ぎ回っているウチのカメ二匹だが、買ってきた時よりもやや大きくなってきたようだ。と言うか、片方がもう片方よりちょっとばかしデカくなってしまったので、ああ、ちゃんと育ってるんだなあと判るようになったのである。小さいほうは臆病で、水槽の中に置いた島の中に隠れて出て来ないことも多いので、エサを食いっぱぐれることが多い。できるだけコイツが泳いでるときにエサを撒くようにしてるんだけど、撒いた途端に逃げだしちゃうから、その隙にもう一匹が寄ってきてあらかた食べ尽くしてしまうのである。何とか対策を講じないといけないのだが。
 でもおかげで2匹の個体の区別がつくようになった(~_~;)。大きい方が「亀吉」で、小さい方が「亀太郎」である。名字の方は未だに掲示板で募集中なのだが、いいのが多くて迷っているのである。まあ、来週くらいまでには決めようと思っているので、考案中の方はお早めに(^o^)。

 水がかなり汚れてきていて、ポンプで入れ換える程度では濁りが取れなくなってきている。やはり下の砂からケースから、全部大洗いしなければいけないようなので、亀吉亀太郎を一時期洗面器に非難させて、風呂場にケースを持ちこんでジャブジャブ洗う。亀の生臭い匂いが風呂場に充満して、しげは「クセ〜!」と鼻をつまむが、生き物が臭くなるのは当たり前である。こういうのをイヤがってちゃ、生き物を飼う資格はないだろう。……なんかこの「資格」とか「覚悟」ってコトバ出すと、すぐ「固いヤツ」とか言われちゃうんだけど、そんなん何もなくて簡単に生き物を捨てたり死なせたりするような糞野郎よりゃマシってもんであろう。
 水中モーターも中からキレイに洗って、消臭剤も入れたから、水は一気に透明になり、匂いも薄くなった。亀吉亀太郎もスイスイ泳ぎ出した。……長生きしてくれるといいなあ、こいつら。


 迷惑メールチェックに引っかからないメールでも、こりゃちょっと怪しいぞ、というものが少なくないのだが、今日来たメールはこんな内容。

題名: メールもらったので返信します
watanabe haruka
私のパソコンに件名も本文も書いていないメールが来たので
とりあえず返信してみました。
私は女性で渡辺と申します。間違いだったらごめんなさい

 あまりクドクドと書いていない普通の文章なので、一瞬、本当に間違いメールなのか、返信してあげた方がいいのかな、と思ってしまったのだが、よく考えてみれば、空メールに「とりあえず返信」する人間なんているわきゃない。しかも「女性で渡辺」なんて、言う必要もないことだし。
 念のため、ネットで「とりあえず返信してみました」でGoogle検索してみたら、みごとに数十件、ヒットした。もしかして、この手の詐欺にうっかり引っかかっちゃう人もいたらいけないので、私も本文掲載しときます。同姓同名の「ワタナベ・ハルカ」さんには悪いけれど、これは名前隠しちゃいけないと思うから。


 第61回ベネチア国際映画祭のコンペ部門に、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』が出品されることが決定。
 ベルリン映画祭、アカデミー賞に引き続き、これも受賞が期待されるわけだけれども、ベネチアはある意味カンヌよりも「新しい才能」を発掘することに熱心な映画祭だから、既に功成り名を遂げている宮崎作品にはちょっと不利かもしれないと思う。


 読んだ本、マンガ、田中芳樹 ・垣之内成美『薬師寺涼子の怪奇事件簿 摩天楼』1巻。
 芦辺 拓・ 宗 美智子『森江春策の事件簿―赤死病の館の殺人』。

2003年07月30日(水) マヌケな人々/『二葉亭四迷の明治四十一年』(関川夏央)/映画『山の音』/『住めば都のコスモス荘』1・2巻(阿智太郎・矢上裕)
2002年07月30日(火) ウチにキンチョールはない。/『ゴーストハンター ラプラスの魔』(安田均・山本弘)ほか
2001年07月30日(月) 八女って全国的にどの程度有名なんだ?/『ロマンアルバム・太陽の王子ホルスの大冒険』ほか


2004年07月29日(木) やっぱり「じゃないですか」はいやじゃないですか。

 歯医者通い二日目。薬を詰めてフタをかぶせて一日経ったら取り、一日経ったら取り、の繰り返しだが、いったい治療に何日かかることやら。
 昨日担当してくれたのは女医さんだったが、今日は若い男の先生。どうやらご夫婦で経営されているらしい。一応、カルテに眼を通してはいるのだろうが、椅子に座るなり、挨拶もなしに「はい、口を空けて」といきなり治療を始めたのには驚いた。愛想がないのは仕事に徹しているせいなのかもしれないけれど、「こんにちは、調子はいかがですか?」くらいは言ってほしいものである。
 折れた歯の根元あたりをドリルか何かでチュインチュインと削られるが、痛みは全くない。薬はよく効いているようである。
 治療が終わっても、先生はやっぱり挨拶なしで引っ込まれたので、どうしていいかわからず椅子に座っていると、看護師さんから、「終わりですよ」と言われた。次にいつ来ればいいのか、何の示唆もないので、「あのう、明日また来ればいいんでしょうか」と聞くと、いかにも当たり前、という口調で「そうですよ?」と返事されてしまった。いや、当たり前と言えば当たり前なんだろうけれど、それでも一応「明日また来てください」とか何とかいうのが普通なんじゃないだろうか。ちょっと通うのが不安になってくるのである。

 病院が終わってしげに連絡を取るが、どうやら寝ているらしく、返事がない。
 仕方なく帰りのバスに乗りかけたところで、電話がかかってきた。「今起きた〜」とふにゃふにゃな声。こうも予想通りたと、意外性がなくて面白味がない。
 博多駅で待ち合わせて、夕食はレストランでハンバーグとか。いや、麻酔がちょっと効いてるのかもしれないが、何食ったかよく覚えてないのである(^_^;)。


 文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が本日発表。「檄(げき)を飛ばす」「姑息(こそく)な」「憮然(ぶぜん)とした」などの言葉について、約7割の人が本来と異なる意味で理解していることが判明。
 こういう調査は、たいてい「誤用の多い語」を選んで調査しているので、結果が悪く出るのは当然なのである。だからこの結果のみをもってして、「近ごろの若い者は言葉を知らん」と嘆くのは即断に過ぎるのである。
 第一この手の誤用は、若者だけじゃなくて、トシヨリにだっていくらでもいるんだから(^o^)。言葉の意味は時代の変遷に従って様々に変化するのは必然である。辞書引いたって、「【意味】〜、または〜」とか、「【意味】〜、転じて〜」とか、長い歴史の中で意味が一定ではなかったことを示しているものはたくさんあり、誤用の方が世間に浸透してしまって、本来の意味が失われてしまった場合だって、枚挙に暇がない。
 シティボーイズのスケッチで、大竹まことが「『カンペキ』の『ペキ』って、『壁(カベ)』だよな?」と言うと、みんないっせいに「そうそうそう」と頷き、いとうせいこうだけが「カベじゃないですよ、下が『土』じゃなくて『玉』ですよ(璧)」と主張するのに、相手をしてもらえない、というギャグがあったが、気がついたら、正しいことを言ってるのは「あなただけかもしれません」という事態に陥っていることは容易に想像できるのである。
 だから、正答も誤答もいっしょくた、というのでは意志の疎通ができなくて困る、なんとかして「正しい」日本語を浸透させないと、という主張をされる方の「焦り」も分からないではないのだが、だとしたらこんな大雑把な分析ではなくて、一つ一つの語について、この変化はなぜ起こったのか、それは本当に「ゆゆしき」事態なのか、許容されるべき変化なのか、詳細に検討を加えないことには、なかなか判断もつくまいと思うのである。

 調査は、全国の十六歳以上の男女三千人を対象に、個別面接形式で行われている。
 六つの慣用句について、それぞれ、本来の意味、それと違う意味を含む五つの選択肢から選んでもらう形だが、その選択肢の内訳は、「正答」、「誤答」が一つずつ、残りは「両方」「この二つ以外」「分からない」となっている。

《慣用句等の理解度》
(○は本来の意味、△は違う意味。数字は%)
「檄を飛ばす」
 ○自分の主張を広く知らせる 15
 △元気のない人に刺激を与える74
「姑息」
 ○一時しのぎ        13
 △ひきょうな        70
「憮然」
 ○失望してぼんやりしている 16
 △腹を立てている様子    69
「雨模様」
 ○雨が降りそうな様子    38
 △小雨が降ったりやんだり  45
「さわり」
 ○話などの要点       31
 △話などの最初の部分    59
「住めば都」
 ○住み慣れれば住み良く思う 96
 △住むのだったら都会が良い 2

 この調査をする前に、まず、これらの言葉を「知っているか」「使ったことがあるか」その「浸透度」自体を調査しないとデータとして不充分だと思う(どういうわけだか文化庁は、これらの言葉については浸透度を調べず、他の慣用句、「取り付く島がない」「押しも押されもせぬ」「的を射る」についてだけ、浸透度を調べている。これらの三つの慣用句については、「使わない」という回答が若者の10%を越えているが、これを多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだ。どっちにしろ、これらの言葉も「誤用」が多いことでは有名である。「取り付く島がない」は42%が「取り付く暇がない」、「押しも押されもせぬ」は51%が「押しも押されぬ」、「的を射る」を「的を得る」と誤用していた人は54%に上る。これは意味の誤用ではなくて、言葉遣いの間違いだから、会話中、意味が伝わらないわけではない)。
 いったい日常生活でどの程度これらの言葉が認識されているか、客観的に判断することは難しいのだが、なんとか類推することができなくもない。少なくとも正答率の高い、「住めば都」などは日常会話の中でも結構頻繁に使うことがあるのだろう。転勤や引っ越しの経験のない人の方が少なかろうし、これなどは「生活密着型」の慣用句と言える。
 あとは軒並み誤答率の方が高いが、正直な話、どれも「聞いたことも使ったこともない」人が結構な数でいるのではないか。そういう人があえて選択肢の中から答えを選べば、例えば「檄」と「激」を取り違えて、「刺激を与える」と誤答してしまう可能性は高い。素直に「分からない」と答えた人もいるかもしれないが、なんとなく聞いたことがある、程度なら、人はこれが正答だ、というものを語感のみで答えてしまうものである。だいたい、こういう言葉を「使ったことがない」人にとっては、その言葉の意味が何か、なんて「どーだっていいじゃん」の世界なのである。なんでもかんでも「どーだっていい」で済ましてたら、その人本人が「どーだっていい」存在であることを公言してるのも同然だと思うのだが。
 そういうコトバとアタマの不自由な人は別として、思い込みで誤った使い方をしている人はどうしてなのか、ということなのである。言葉は当然、「誰かが使っているのを聞いて」、覚えていくものだから、「そのように勘違いしてもおかしくない状況」が、本来の使用法の中にも存在していた場合だってありえるのではないか。
 そう考えると、「檄を飛ばす」の誤用も、あながち完全に間違いとは言えないことが見えてくる。「檄文」を飛ばさなきゃならないということは、それだけ世間の人々が沈滞していて、自己主張できないでいる状況が往々にしてあるということでもある。だから、「檄文」に「元気のない人に刺激を与える」効果があることは充分考えられることなのだ。「檄」と「激」の類似による勘違いだけではない。
 「姑息」についても、一時しのぎの手段を卑怯な手段として糾弾することは別におかしいことではない。三谷幸喜の『その場しのぎの男たち』の登場人物たちは、「一時しのぎ」でもあり「卑怯」でもあった。この転用は容易に起こり得るのである。
 「憮然」の「憮」の字は、字面通り、「心」が「無い」様子である。本義は確かに「がっかりしてぼんやりしている」ことだが、既に転じて「不満を感じながらどうすることもできず押し黙るさま」との意味で使用される場合が多く、「旺文社国語辞典」(第九版)では、その意味も併記されている。ここから「腹が立っている様子」まで辿りつくのはもうすぐだ。
 つまりこれらの誤用は、実際の場面で誤って使われていても、その誤りに気がつかないことも多いと考えられる。「あの人、憮然としているね」と言った場合、ともかく「押し黙っている」点では同じだから、「ぼんやりしている」とも「怒っている」の両方に取れる場合がありえる、ということだ。だから、選択肢を「押し黙っていること」と「おしゃべりなこと」とでもすれば、これは正答率が一気に上がるに違いない。つまり「腹を立てている」を誤答とするのは、「細かいニュアンスの違い」までを問題にした場合に限る、ということになるのだ。
 それに対して、「雨模様」と「さわり」の誤用は、正答率との差が近いこともあって、誤用されては困るたぐいのものである。本来の使用法の中に、誤用の可能性もあまり認められない。だから、意味を正しく認識している者とそうでない者との間で、「雨模様だし、早く帰ろうよ」「え? まだ降ってないよ?」とか、「サワリだけ話してよ」「だから最初から話してるじゃない!」と、トンチンカンな会話になる可能性もある。「小春日和」を「春」のことと勘違いするのと同様、「雨」という単語が入っているために、もう雨が降っているものと勘違いし、「触る」という言葉は次にさらに何か具体的な行動に出ることを予想させるから(「つかむ」とか「もむ」とか(^o^))、「最初だけ」というように勘違いしてしまうものであろう。これらの誤用は、実際に正しく使われている状況を経験していれば、間違える危険は少ないはずなのだ。……死語になりかけてるのかなあ、「雨模様」も「さわり」も。
 じゃあ、誤用をなくすにゃどうしたらいいかと言うと、これ、「間違った言葉遣いをしてる人間を馬鹿にする」しかないんだよね。まあ、角が立たないように優しく注意する、という方法を認めないわけじゃないんだけど、それこそ経験者には分かるだろうが、言葉を間違えて「恥をかいた」経験がないと、人は学習しないものなのだ。優しく言っても忘れるだけだし。私も、高校のころ、“danger”を「ダンガー」と読んで大恥かいた記憶は、今でも忘れられないのである(もちろん、『帰ってきたウルトラマン』に出てきた怪獣「ダンガー」と取り違えたのである)。
 2ちゃんねるで「ガイシュツですが」が流行したのはもう何年も前だが、恐らく最初に「既出」を「ガイシュツ」と読み間違えて馬鹿にされた人は、2度と言い間違え、書き間違えすることはあるまい。ちなみにしげは今でも「示唆」を「ししゅん」と読み間違えています。私が優しく言っても全然訂正できないので、みんなでしげを馬鹿にしてやってください。

 調査では、「新しい表現」として、「若者言葉」の浸透度も同時に調べているのであるが、こちらはより厄介である。なにしろこれは既に「間違い」とは言えなくなっているのだから。
 「何気なく」の意味で「なにげに」を使う人が24%、「すごく速い」と言わずに「すごい速い」と使う人が46 %。「一歳年上」を表す「一コ上」は51 %、「チョー」(とても)は21%、「むかつく」は48 %となっている。こんなのも私にはムリをしないと全く使えないのだが、若い人はおろか、大人にも既に違和感はなくなってきつつあるのだろう。全て前回調査より使用率がアップしている。
 佐藤雅彦の『毎月新聞』の中で徹底的に批判されていた「じゃないですか」の浸透率も高い。相手に確認を求める必然性もないのに、「歯をみがくじゃないですか。その前に……」のような使い方をされても、「なんで『歯をみがく前に』と短く言えんのだ」と腹立たしいだけなのだが、これも前回調査の13%から19%に増えている。「じゃないですか」という表現が間違いなのではなく、どうして使う必要がない時にまでいちいち「じゃないですか」と言わなきゃならないのか? これもやはり、現代人の不安神経症の表れと言えるかもしれない。人間関係が希薄になっているから、些細なことでも確認を取らないと落ちつかなくなってしまっているのである。しかし、言われた方は、「アンタ、そんなに私との間にカベ感じてたの」と、逆に相手との距離をむりやり認識させられるわけだから、不愉快な気分にさせられて仕方がない。
 ところがねえ、六十歳以上のひとでもねえ、8%の人が「なにげに」、20%が「一コ上」、34%が「すごい速い」などの表現を使うと回答してるのよ。その理由を文化庁の国語課は、「こうした言葉が高齢者にも広がったのは、若い人たちとの会話で使わないとコミュニケートできないということも影響しているかもしれない」と分析してるんだけど、そうかもしれないねえ。哀しいけどその気分、わかんなくもないから。私も、「てゆーかあ」とか「〜してるし」とか、無理して使ってるし。でないとホントに私の言葉って、固くなっちゃって、若い人には読みづらかろうし、自分で読んでてもつらくて仕方がなくなることだってあるのだ。
 でも、「ムカツク」とかは生理的嫌悪感が強くて、どうしても使えない。てゆーかあ、「ムカツク」気分とかあ、心の中に存在してないから? 使いようがないってゆーかあ(「怒り」の感情がないんじゃなくて、それを腹にためこむような「ムカツク」気分にはならないの)。
 まあ、これはよくてあれはダメ、という基準は、意志の疎通がどの程度可能か、という点にあるのだけれど、これには感覚的なものも多分に作用しているので、どうしたって明確な境界線が引けるものではない。結局は「時代の推移」を見て判断していくしか仕方がないのだが、そうなると言葉遣いについてはオールドタイプである私などは、他人と会話すること自体、だんだんイヤになってしまうのである。
 ……だから、私だって、毎度毎度「その言葉遣い間違ってるよ」って指摘ばかりしてたかないんだってば。私が他人のコトバの揚げ足取りがやたら好きなヤツだとか思ってたらとんだ誤解だ。そんな、周囲のヘンな言葉遣いをいちいち訂正していったら、あまりに量が多すぎて、仕事もなにもできゃしない。私ゃ9割方のイカレた言葉遣いを見逃しているんだって。ただ、どうしても「今言ったの、これこれこういう意味?」と聞き返して確認しなきゃならないことがあって、それが人によっては「イヤミ」と取られてしまうことがあるのだ。
 だから、自分の言葉遣いの方がヘンだって可能性も少しは考えてほしいんだけどねえ。

2003年07月29日(火) ちょっとだけギャグの話/『キャラクター小説の作り方』(大塚英志)
2002年07月29日(月) 肉は血となり肉となる/『砲神エグザクソン』5巻(園田健一)/DVD『マジンカイザー』6巻ほか
2001年07月29日(日) いっじわっるはっ、たっのしっいなっ/『竜が滅ぶ日』(長谷川裕一)ほか



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