無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月29日(日) いっじわっるはっ、たっのしっいなっ/『竜が滅ぶ日』(長谷川裕一)ほか

 黒澤明監督の映画化されずに終わったシナリオ(って山ほどあるんだけど)、『海は見ていた』(原作は山本周五郎『つゆのひぬま』『なんの花か薫る』)、一時期は小泉尭史監督が『雨あがる』に続いて映画化するとか、黒澤久雄が監督するとかウワサが飛んでいたけれど、結局、熊井啓が、「黒澤組のスタッフ・キャストを一切使わない」「脚本を改訂しても構わない」という条件で黒澤久雄と合意したらしい。
 (ニュースとしては先週記者会見があったらしいけど、知ったのが遅れたので今日の分に書く。)
 確かにねえ、清水美砂、遠野凪子、永瀬正敏、吉岡秀隆ってのは従来の黒澤組から考えると「異色」には違いない。どう映画化したって、誉めるにせよ貶すにせよ、「黒澤が映画化してたら」という冠詞がつくことを考えたら、いっそのこと全くの白紙から映画化しようとした熊井監督の気持ちも分らないではないのだ。
 でも熊井監督だから仕方ないと言えば仕方ないのかも知れないけど、いくらなんでもキャスティングが地味過ぎないか?
 日本の役者層が薄いってことは解りはするんだけれどもね、でも、知名度云々以前に、この人たち、そんなに演技力あるのか?
 清水美砂は『未来の思い出』しか記憶にないから(チョイ役で見たことならあるけど)何とも言えないが、男優陣、永瀬も吉岡もなぜこうも重宝されてるか分らないのだよなあ。永瀬はカッコつけてるだけだし、吉岡は私にゃ押井守が演技してるようにしか見えない。演技力以前に「華」がないとも言える。
 「黒澤明」映画である以前に「山本周五郎」映画でもあるのだよ。そのことを考えたらこのキャストは「心の華」(今作ったコトバ)にも欠けると思うのだがどんなもんだろうか。
 これで全てのキャストがそろったってわけでもなかろうから、脇役陣の発表に期待をしよう。


 福岡にも、いよいよ「マツモトキヨシ」がオープンするようである。
 そのCMがテレビで流れ始めているのだが、いかにも「福岡進出!」というイメージを打ち出しているのが笑える。
 女の子をナンパしている若い男、「君、博多生まれだって? 訛りないね」
 女の子、気取って「ずっと東京にいたから……」
 「今度博多にマツモトキヨシができるって知ってる?」
 「え? ちかっぱ、ビックリ!」
 思わず引く男の子を見て、女の子「超ビックリ……」と言い直す。

 他地方の人にはいささか解説が必要か。
 「ちかっぱ」は「力一杯」の省略形。確かに「とても」「非常に」の意味を表す副詞として福岡で使われてはいるが、まあ使ってるのは10代、20代の、しかも多少ガキっぽい連中で、男の子は使っていても、女の子はあまり使わない……と思う。ちょっと前までは「バリ」を使って「バリうま=とても美味しい」とか「バリしけ=たいそう白ける」とか言ってる場合の方が多かった。
 でも30代、40代は全くと言っていいほど使わないから、これは博多弁と言うよりは福岡の「若者語」と考えた方が妥当だろう。「バリ」が消えつつある今、「ちかっぱ」もどこまで生き残るものやら。

 もともとの博多弁でこういう程度を表す副詞はなにかと言われると、「えらく」「えらか」が思いつく(「えらくきつか=とても苦しい」とか「えらか雨やね=ひどい雨だね」とかいった使い方)のだが、「ちかっぱ」ほどに強くはない。「ちかっぱむかつく」なんて若い人は平気で使ってるけど、私なんかは全然こんな言い方はしない、というよりはできない。だって「ムカツク」こと自体殆どないんだもの。
 別にこれは私が人間がデキているわけではなくて、純粋な博多弁でいうなら、「腹かいて=怒って」終わりになっちゃうからなんだよね。
 「怒り」が持続しないのである。だからとても長いこと「むかついて」なんていられない。それに、博多弁の「腹かく」は共通語の「腹が立つ」とも意味が違う。「ムカツク」や「腹が立つ」は、自分を怒らせた相手に対しても「ムカツクやつ」「腹が立つやつ」という使い方ができるが、「腹かく」は相手には使えないのだ。更に、実際の用例は「腹かいた」と殆どが過去形。
 つまり、怒りの感情が、自分の内部だけに留まり、あっという間に昇華してしまい、あとに残らないのだと考えていただければよい。それが博多人の本来の性格なのである。
 これくらい感情がさっぱりしていれば、「えらく」などの程度の甚だしさを表す言葉だって、そうそう使いはしないのだということがご理解いただけるだろう。他地方から来た人は、口調から博多弁が激しい言語だと錯覚してるようだが、それはごく一部の人々が使っているものであって、もともとの博多弁は、至極、柔らかいものなのだ。
 何度もこの日記に書いてるけど、武田鉄矢は博多人じゃないからね。あれを基準にしないように。
 ほかにも「ものすご」「ものごつ」などの副詞が博多弁には存在するが、これも「えらく」同様、形容詞の副詞的用法から派生した副詞である
にはないのである。
 まあ、「バリ」よりは「ちかっぱ」の方が、意味不明でない分、まだ許せるかな。って別に私が許したりするものでもないんだが。



 定例の劇団の練習日であるが、やっぱりしげは家事を一切していない。
 今週は腰を痛めたという言い訳があるから、なおのこと私に甘えてグータラしている。
 洗濯物が溜まりっぱなしなので、仕方なくまた一週間分の洗濯物を洗濯機に突っ込んでは、ぐわらぐわらと洗っては干し、洗っては干し。
 しかしこう毎回、家事に時間がかかっていては、永遠に練習に参加できないが、しげは要するに私に練習に参加するなということだろうか。だったらさっさと代役を探してもらわないと、困るのは自分の方だと思うぞ。

 遅れて「パピオ」に着いたのは12時過ぎ。
 それでも先週よりは早い。風呂や便所掃除はやっぱり後回しにせざるをえなかったけど。
 今週は、よしひと嬢、穂稀嬢に加え、仕事で佐賀(だったっけ?)に出張していた其ノ他くん、鴉丸嬢も参加。

 其ノ他くん、今回の私の脚本では、相当ムズカシイ、イヤな役を振っているが、「いいの? これ演じても」と聞くと、「まあ、しゃあないっすね」との返事。でも実はある程度はアテガキしているので基本的に「やりにくさ」はないのである。
 それは他のキャラについても同じで、鴉丸嬢など、「自分はこんなんじゃない」と思ってるかもしれないけれど、演劇的な誇張はあれ、結構近い部分があるのである。本人が気づいてないだけで。
 そういうのを演じさせようってんだから、私も意地悪なやつである。

 まず私の脚本の演出プランについての打ち合わせ。
 よしひと嬢、特定のキャラについて「振付が必要だなあ」と漏らすが、基本的にどのキャラにも振り付けは必要なのだがなあ。
 どうもよしひと嬢には、まだまだこの芝居を成立させるための演出プランがよく見えていないようなのである。
 もちろん、芝居がナマモノである以上、「やってみなけりゃ分らない」部分は多々ある。でも実はあの脚本、書いた時点で「これはこう演出しないと芝居が成り立たないなあ」という、ある「仕掛け」を施しているのである。
 脚本を提出した段階で、誰かそれに気がつくかなあ、と思ったが、残念ながら見事なくらいに誰も気づかなかったねえ。

 これは音響を担当する(予定の)私もプランニングせねばならぬことなので、明言しておくが、今回の芝居、一応「ミュージカル仕立て」という微妙な言い方をしているが、たとえ詞の内容がどんなにアホでも、演出的には思いきり「本格ミュージカル」を目指さなければウケない仕組みになっているのだ。

 ウチの俳優の欠点は、自分たちの演技に対する客観的な視点を全く持っていない(簡単に言えば、自分たちが客にどう見えているか全くわかっていない)ことなのだが、おそらく演出する方も、どんな演出をつけたら、どんなふうに見えるか、というものがまだ掴めていないのだろう。
 振付けをつけるにしてもそこには緩急のリズムというものが必要なのであり、不必要なところで妙な動きをつけても、違和感を生じさせるばかりなのである。
 そして、各キャラクターのコントラストをつけつつ、それをアンサンブルとして織り上げていかねばならない。ミュージカルは演技で見せる交響曲なのであって、実は全ての演劇はたとえ歌がなくともセリフと体技で見せるミュージカルでなければならないのだ。
 文学が全て詩から始まっているように、演劇は全て舞楽から始まってるのだから。

 SE・MEの類は0.1秒の狂いも許されない。言い替えれば、録音したMDの操作では絶対に臨場感が出ない箇所が多々あるのだ。部分的にはナマ音(その場での演奏)を行わなければ、演出は不可能なのである。
 音響スタッフ、私一人では絶対に足りない。練習に参加できる音響スタッフが、あと三人は必要なのだ。……よしひとさん、そのことに気がついてたかなあ。ふっふっふ(←マジ意地悪)。

 今更「この脚本やめよう」と言っても遅いんだもんね。
 私が何度も「いいの? これでホントに?」って言ったのに、その意味、全然わかってなかったでしょ? でも、自分たちでゴーサイン出したんだからもう覚悟してもらうしかないんだよ?
 面白いもの作ろうと思ったら、当然本格的にやらなきゃならないところが出てくるのだよ。前に書いたシナリオのほうがずっとやりやすかったんだけど、もう後の祭り。ムズカシイ方を選んだ以上は妥協しないで「完璧」を目指してくださいね。
 あまり意地悪ばかり言ってもなんだから、一つ、解決策を指示しとこう。
 窮余の一策として、スタッフが足りないのなら、俳優たち本人に演奏させる、という手もあるのだよ。つまり「弾き語り」ね。
 でもそれにしたって、そのときはみんなちゃんと練習しなくちゃならないんだよ、振りつけコミでね。
 ……ホントにみんな覚悟してるのかな?
 
 もう一本の芝居(今回は二本立てなのである)、よしひと嬢の方のシナリオ第2稿、未だ完成せず。
 それ自体を責めるつもりはないのだが、私の脚本ができあがっていない時は「キャラクターのイメージが固められない」と文句つけてたしげが、いざ自分が演出する立場に回った途端に、未定稿でもどんどん役作りに注文をつけまくるのは矛盾している。
 今の段階で言えることは、せいぜい「間の取り方」の注文程度ではないのか。キャラの内面にまで踏み込むことは不可能なはずである。特に穂稀嬢は初めての演技なのだし、もっとのびのびと演技させないでどうするのだ。
 はっきり言うがしげが注文つけるたびに穂稀嬢の演技、悪くなってるぞ。先週の一番初めの演技が最高で、後はどんどんレベルダウンしている。
 その辺さりげなく指摘してるのに気がつかないんだものなあ。
 だから、しげはこの芝居で客をどう面白がらせたいのか。笑わせたいのか泣かせたいのか。もっと微妙なものを感じさせたい、というようなシナリオではないので、その辺、はっきりさせないと客は戸惑うばかりだろう。
 私生活で血の巡りが悪いやつが、芝居の時だけマトモになるなんてことは有り得ないのだ。北島マヤじゃないんだから。

 余談。
 よしひと嬢があるセリフを言うとき、私が「バルタン星人に乗り移られたアラシ隊員みたいな口調で喋ったら?」と譬えたら、意味が分ったの、よしひと嬢だけだった……。
 嗚呼、昭和は遠くなりにけり。


 2時半、突然、鈴邑君が来て、いきなり横になって寝たかと思うと、3時にムックリ起きだして、挨拶もせずに帰っていった。
 みんな驚いて、鴉丸嬢などは「何か怒ったの?」と狼狽していたが、鈴邑君はいつもあんな調子で悪気はないのである。自分の言葉をさし挟むところではない、と判断したら全く喋らなかったりするが、たとえ本当に鈴邑君が怒っていたとしてもそれは別に気にすることではない。
 役者(演劇に関わる者)は、言うべきことがある時は言う。言わないことに対して動揺するのは覚悟が足りないだけである。

 私のこの文章も、随分直截的に書いてあるが、練習の現場では口にしなかったことだ。
 別に意見を言ってもしかたがないとあきらめていたわけではない。血の巡りが悪いしげに直接何かを言ったって、その場でフリーズして思考停止に陥ることは解りきっているからである。
 こうして書いておけば、間を置いて自分のペースでゆっくり考えることができるし、私の意見を乗り越えるアイデアを考えつくことだってできる。まあ、あれだね、前の芝居でよしひと嬢が藤田くんに、「どう演技したらいいか、現場で思いつかなかったら、ゆっくり考えてメモにして」と依頼したのと同じような方法だね。
 確か、あの時、藤田くんはちゃんとメモ出さなかったみたいだけど、そのことについてしげは随分怒ってたから、私の今までの意見も無視はしないだろう。
 期待してるよ。家事も芝居も。
 
 さて、そろそろ芝居のタイトルを考えねばならない、ということで、練習後にみんなで相談。
 今回二本立てということもあって、各タイトルと総合タイトルの三本を考えねばならないので大変である。でもいろいろ出してもらっても、これといったインパクトのものがない。
 結局、仮題としてつけていたものがほぼそのままタイトルとなる。
 問題は総合タイトルだ。

 で、ここで其ノ他君がとんでもないタイトルを提案。
 聞いた途端に全員が爆笑した。
 劇団ホームページにもまだUPしてないので、ここで明かすわけにはいかないのだが、こりゃヒド過ぎるよ、こんなんじゃ客は誰も来ねえよ、という脱力もの、センスのカケラもない。
 でも、最高のインパクトがあったのだ。
 で、決定しちゃった(-_-;)。
 いいのか? 本当にいいのか? 下手すりゃ、演劇集団 P.P.Produce、最低の入場者数を更新するぞ?

 まあ、仏滅に結婚式あげるようなもんかな。


 其ノ他君と鴉丸嬢は先に帰り、「パピオ」のレストランで食事。
 なんだか先週と同じメンツだなあ。
 「そう言えば今日、選挙ですね」と、よしひと嬢が尋ねてくる。「選挙行きましたか?」
 政治的なコメントについては、まあぎりぎりバカ話程度に思ってもらえる程度のことは、この日記にも今までに書いてきているが、支持政党まで類推されるような発言は避けざるをえない。
 私は気にしないが周囲に気にするバカがいるのである。
 しかしはっきり言えることは、私がどの政党に投票しようが大勢に何の影響もないということだ。
 昨日も一昨日も、いや、それ以前から、どこぞからなにやらのコンタクトがあったが、私は私にコンタクトしてくる政治家くらい信用ならないものはないと思っている。
 またまたグラウチョ・マルクスの名言のパクリでした。だって使いやすいんだもん。

 でもこのセリフには落し穴があるのである。
 しげもときどき、「私を好きになる人間なんて信用できない」と口にするのだが、ならば私は当然、しげのことを「嫌いだ」と言い続けなきゃならん理屈になるのだ。
 ……言ってほしいのかな、しげは。

 しかし、今日のしげとよしひと嬢との駄弁りは実に有意義であった。
 今まで十数年、明らかでなかったある事実が判明したのである。
 今だから言えることだが、昔、私はしげとの結婚をある事情から迷っていた。
 いや、ある事情って、しげが未成年だったってことなんだけど。
 しげの果敢なアタックに根負けしかけていた私は、しげに、「よしひとさんに相談してみないか」と下駄を預けたのである(しげとよしひと嬢と私は十年越しの知り合いなのだ)。
 もちろん、よしひと嬢に「あまり早まんないほうがいいよ」と言ってもらうために。
 で、相談を受けたよしひと嬢の返事はどうだったかというと。
 「あ〜? 好きにすればいいんじゃない?」

 その一言が、しげと私との間にあったベルリンの壁を完全に破壊したのである。

 さて、その事実を知ったよしひと嬢曰く。
 「え〜? 全然覚えてない〜。そんなこと言ったぁ?」

 はっはっは。よしひとさん、自分も知らぬ間に愛のキューピットになっていたのだね。
 更に追い討ちをかけるように、よしひと嬢曰く。
 「いいじゃないすか、ちゃんと続いてるんだし」

 もちろん、全ては私の「堪忍」に拠るものだということは、この日記をお読みのみなさんにはご理解いただけることと思う。 
 ホントにありがとう。心から感謝してるよ、よしひとさん♪


 食事をすませて帰ろうとすると、またしげがスーパーミルクちゃんの真似をして「寿司食いに行っかあ!」と叫び出す。
 いい加減、聞いてて腹が立っていたので、「よし、じゃあ行こう」と答える。
 「食べたばかりでおなかに入らないよ」
 と言うので、「じゃ、俺一人で行く」と、しげを置き去りにする。
 しげが後ろで泣いてた気もするが気のせいだろう。

 で、ちゃんとお土産に寿司を買って帰ってやるのである。
 さて、こういう行為ははたして愛か憎悪か。


 マンガ、長谷川裕一『スーパーロボット大戦α THE STORY 竜が滅ぶ日』。
 昔、『マジンガーZ対デビルマン』という映画があった。
 『グレートマジンガー対ゲッターロボ』『グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突』『グレンダイザ−・ゲッターロボG・グレートマジンガー 決戦!大海獣』なんてのもあった。
 私は、それらの映画をほぼ全部見ている。中学生に上がるまで、東宝チャンピオン祭りと東映まんが祭りはほぼ欠かさず見に行っていたし(それ以降行かなくなったのはそろそろマンガは卒業、という意識からではなく、親に禁止されたからである)、見損なっていたものも全部テレビでチェックしていたからだ。
 嫌いな作品でもである。
 そう、実はこれらの他作品とのリンクシリーズに私は当時腹を立てていた。
 世界観が違うじゃないか。
 これらの世界がリンクするものならば、なぜテレビシリーズでもミケーネの侵略にゲッターが出張ってこず、百鬼帝国と戦うゲッターGを応援しにグレートが駆けつけないのかと。
 よしんばそれを認めてもタイトルに偽りありじゃないかと憤っていた。
 マジンガーとゲッターは「対」してなどいず、ライバル意識こそあれ、ちゃんと共闘していたからである。
 これらの映画は、映画だけのお祭り、というより、人気取りの姑息な手段と私の目には写ったのだ(だから私は手塚治虫のキャラクターシステムも基本的には嫌いである)。
 ましてや、『スーパーロボット大戦』である。
 一応、全く架空の歴史を作って、原作とは全く係わり合いはないとはしてある。しかし、これだけ多様なデザインのロボットと敵が同時平行して存在し、かつ単純に両陣営に分れている馬鹿馬鹿しさには付いていけなかった。
 こんなデタラメなシリーズがあるか。
 で、この本も全く期待せずに読んだのだ。ゲームでなら設定など考えずにロボット同士を戦わせられても、マンガでそれをやるのは無理だろうと。
 確かに無茶だった。
 妖魔帝国が復活し、メガノイドの反乱があり、ティターンズが台頭して、恐竜帝国が侵攻を開始している世界。
 迎え撃つ、ライディーン、ダイターン3、グルンガスト、ジャイアントロボ、そして、ゲッターロボ。整合性なんてハナから考えちゃいない。  
 でも。
 マジンガーは?
 あろうことか、恐竜帝国に寝返っていたのである!
 つまり、マジンガーZ対ゲッターロボが、ただのゲーム上の対戦ではなく、ある設定のもとに、本当に実現されていたのだ。うーむこれは。
 ちょっと、私の心の中で何かが動いた。
 でも、まだ何かが足りない。この程度で燃えられるものかと思っていた。
 しかし。

 ああっ、ガミアQが地球連邦(byガンダム)の制服を着ているうううっ!
 (何のことか分かるヤツは相当なスケベだ。って私だよ)
 これは名作です。みんな読みなさい(^^)。

 しかし巻末のゲッターロボ斬、これももしかしたらいずれ『ゲッターロボサーガ』の中に組みこまれていくのだろうか……?



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