無責任賛歌
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2004年05月23日(日) |
庵野秀明インタビュー&カンヌ映画祭閉幕! |
昼から、千代町のパピオビールームで練習に参加。 最初に集まっていたのは、しげ、鴉丸嬢、其ノ他くん、今回は演出補佐に回ったお久しぶりのよしひと嬢、それから照明でお手伝いしてくれることになった細川彩乃嬢。だいたいウチのメンバーには芸名のほかにニックネームと言うか、仇名がつけられている場合が多いのだが、細川嬢もちょっとトンデモない名前をつけられてしまっている。とてもここには書けないのだが、付けたのはやっぱりしげである。……いやね、愛称ってものはさ、もうちょっと世間的に認めて頂けるコトバを選んだほうがいいと思うんだけれども(-_-;)。それなのにご本人はあまり怒っているような素振りを見せてはいらっしゃらないのであるが、細川嬢の海よりも広く深い心ばえが察せられることである。 今日はチラシと衣裳案の決定なので、私も何枚か下描きを描いたのだが、全部マンガっぽいということでボツ。写真をコラージュしよう、ということになった。 衣裳案は、鴉丸嬢がステキなイラストをたくさん描いてくる。衣裳もそうだが、キャラクターがともかくかわいい。カトウくんなどは何枚も衣装を替えねばならないのでたくさん描いてもらっているのだが、一枚一枚、全部キャラが違っている。往年の光ゲンジの諸星君っぽいのまであったが、どういうキャラをカトウくんに演じさせたいのであろうか。 あとは劇中に使用する曲のサンプルなどを聞いてもらう。今回ともかく使用曲が多いので、音響は大変なのである。 鴉丸嬢、其ノ他くん、細川嬢の3人は今日は用事があるとかで、3時過ぎに帰る。入れ替わるように、カトウくん、桜雅嬢が来て、しげと二人のシーンなどを試演。よしひと嬢はカトウくんの演技を見るのは初めてなので、楽しんでいる。動きはまだ入っていないので、やはりまだ「芝居」にはなっていないのだが、海苔は前回よりよくなってはいる。ただ、二人ともまだ刮舌が甘いので、ことによるとセリフをかなり手直ししなければならなくなるかもしれない。これも今後の課題である。 今日の段階で打ち合わせられることはこのくらいなので、いつもより早め、5時半過ぎにパピオを出る。決めかねていたエンディングに使う曲も固まったので、少しずつ形ができあがってきている感じである。
それから、映画を見るために、キャナルシティまで。 と言っても、レイトショーまでには3時間以上あるので、それまで店を回って時間を潰すことにする。 まずは「ラ・ブーン」で食事。しげお気に入りの手巻きオムライスの店で、角煮オムライスとサラダ。オムライスをクレープのように手巻きしているから、歩きながら食べることもできる、というのが売りなわけだが、実際には歩きながら食べると中身を落っことしそうで危ない。座って食べるしかないのだけれど、「手頃感」はあるので、これはいいアイデアだなあと思う。 それからローソンに回って、野村萬斎の『オイデュプス王』のチケットを購入しようとするが、四日間の公演全てが完売。しげも私も、これはぜひともナマで見たかったんだが、諦めるしかない。実はツテを辿って抽選にも参加していたのだが、それも外れていたのである。野村萬斎、やっぱり「旬」なんだなあ。 福家書店にも回るが、こちらは先日めぼしい本はたいてい買っていたので、特に物色するものはなし。しげにせっつかれて、ここは早々に表に出る。
それでもまだ2時間ほど時間があったので、HMVで、芝居で使うCDを探す。私は私で、『キューティーハニー』のキャンペーンやってるよ、としげから聞いていたので、そちらの興味もあって覗いてみることにしたのだが、なんと庵野秀明監督と、武術指導のシンシア・ラスターさんが来福されてインタビューに答えられていた。こういう僥倖もあるものなのだとビックリ。 庵野監督のお話はだいたい以下の通り。 「『キューティーハニー』は『ハニメーション』と言ってはいますが、昔風に言えばスチールアニメーションです。ハニーの佐藤(江梨子)さんにポーズを取ってもらって、それを撮影して、アニメーションと同じ手法で作ったんです。実写をアニメーションの材料に使うわけで、CGよりずっと手間もお金もかかります。でも、CGにはCGにしかできないことをやっていただくだけで、後は全部こちらでやりたいんですね。ミニチュアもいい出来のものがありまして、ほんの一、二秒しか使わないカットのために、このくらい(10センチほど)の高さのハニーの人形を作って来てたんですけれども、あれは本当にいい出来でした。それは持って帰れなかったんですけれども、別のものは記念に持って帰りました。 ともかく、最初の『ハニー』のアニメの雰囲気を残そう、というのは一番気を付けたことで、音楽も昔のオープニングは全く同じテンポで使っています。アレンジは今風ですけれども、倖田(來未)さんにもそう歌ってくれるように頼みました。あとエンディングの『夜霧のハニー』とBGM一曲は使わせてくれ、と申し出まして、これだけは絶対に譲れない条件でした。結果的にあと2曲使って、他の曲も昔のアニメの雰囲気を感じられるものにしました。サントラも構成まで全部自分でやりました。アニメ業界はそこまでやる人、結構いるんです。 音楽は昔のものしか聞かないですね。それも特撮、アニソンばかりで。最近の曲、歌謡曲とか全然知らないんです。昔のもので充分と言うか、昔のものは今でも変わらないと思ってるんです。趣味が広いようで、実はすごく狭いんです。ぼくの音楽は70年代から80年代初頭で止まってますから。今日もここに来るまでにiポットで聞いてたのは『ファイヤーマン』と『ミラーマン』です。 『キューティーハニー』の続編ですか? それはこの映画がヒットするかどうかですね。映画界というのは、掌を返したように、舌の根の乾かないうちに逆のことを言う人たちばかりですから。今は全くそういう話はないんですけれども、ヒットすればどうなるかわかりません。もしかしたら『ハニー』はぼくのライフワークになるかもしれませんね。今はスカパー用にアニメーションの『Re:キューティーハニー』を作ってますが、これは3本とも監督が全部違って、全部違った作品になっています。 『ハニー』はともかく、笑えて、泣ける映画です。始まって5分で三回笑えるところを作ってます。そして映画が終わって外に出たら心が元気になるような、そういう映画作りを目指しましたし、そうなっていると思います。ぜひ見にきてください」
シンシア・ラスター女史は、「サトエリさんは背が高くてて足が長く、私と体形が全く違うので、立ち方、ポーズの取り方、全て一から考えなければならなかった」と苦労を告白。 「スケジュールは本当に短かったんですけれども、現場はともかく庵野ワールドの人たちばかりなんで、朝から晩まで何時間一緒に仕事してもオーケーみたいな、楽しい雰囲気でした。パソコンとかの専門用語が飛び交ってて、何言ってるかわからなかったんですけれども」
インタビュー自体は30分ほどで終わり。 ハニー関連のものはそんなに買うつもりはなかったのだけれども、せっかくだからと食玩とDVDプレミアム映像集を買う。しげが「これも買って」と言うので、CD『及川光博の世界』も(^o^)。 携帯カメラでキャンペーンのタテ看板なんかを写真に撮っていると、同じく隣で写真を撮っていた20代らしい長髪でやや背の低い女の子から、声をかけられる。 「お客さん、少なかったですねえ。庵野さん、まだあまり有名じゃないんでしょうか」 確かに、集まっていたのはせいぜい20名ほどである。「誰のイベントだ」、とちょっと覗いて、すぐに帰っていった客も何人かいた。「世界の庵野秀明」としてはあまりに寂しい。 「宣伝、あまりしてなかったせいじゃないですかねえ。私も、家内からこういうイベントやってるって教えてもらって来たんですよ」 さすがに「オタクの間だけじゃないでしょうか、有名なのは」とは言えないので、そんな風に返事をした。それにしても、中年のオヤジに声をかけてくるとは変わった女の子だなあ、と思っていたら、女の子は、挨拶をしてこう言った。 「私、フランスの『OTAKU』って雑誌の記者なんです」 ……一瞬、絶句しました。なんか、今日は驚かされることばかりだなあ(^_^;)。 「ご存知ですか?」と聞かれたので、「ええ、雑誌やテレビで見たことはあります」と答える。「わざわざ今日は取材ですか」 「ええ、庵野さんのお話も伺えました」 それからちょっと、ここには書けないヒミツのやりとりをして(^o^)、ついでに、『ハニー』のDVDとミッチーのCDを手に持った姿を写真に撮られてしまう。いやもう、ホントにビックリですがね。もしこのホームページ見てる人でフランスに住んでる人がいたら、来月号の『OTAKU』に私の写真がもしかして載るかもしれませんので、送ってくださいな。f(^^;) 「今日はお話聞けて嬉しかったです」と挨拶してHMVを出たが、それにしてもずいぶん気さくな女の子だったけれども、印象は『ダーティ・ペア』のユリって感じだったなあ。「同じオタクなら、声かけてもヘイキ」とでも思ったんだろうか。でも、世の中には女の子に飢えてるアブナイ独身オタクも結構いるから、記者とは言え、声をかける時には気をつけた方がいいなあとは思うけれども。 ……ああ、いや、別に相手の電話番号とか、そんなの聞き出したりはしてないので、妙な期待はしないように(^_^;)。
映画は『レディ・キラーズ』。トム・ハンクス主演、コーエン兄弟監督による往年の名作『マダムと泥棒』のリメイクである。こういうブラック・コメディは大好きなので手放しで誉めたいところだが、ちょっとラストがあっけなく終わった印象はある。キャラクターがいろんな人種に変わったのがオリジナル版との一番の違いだろうか。 帰宅して、しげと『ハガレン』のDVDを見るが、やっぱりしげは途中でイビキをかきだしてしまうのであった(^o^)。
第57回カンヌ映画祭の各部門の受賞者・作品が決定。 ◎パルムドール(最高賞) 『華氏911』マイケル・ムーア監督(アメリカ) ◎グランプリ(審査員特別大賞) 『オールドボーイ』バク・チャヌク監督(韓国) ◎男優賞 柳楽優弥『誰も知らない』(日本) ◎女優賞 マギー・チャン(張曼玉)『クリーン』(香港) ◎監督賞 トニー・ガトリフ監督『エグザイルス』(アルジェリア) ◎脚本賞 アニエス・ジャウィ、ジャンペール・バクリ『ルック・アット・ミー』(フランス) ◎審査員賞 イルマ・P・ホール『レディ・キラーズ』(アメリカ) アピチャポン・ウェラセタクル『トロピカル・マラディ』(タイ)
一部、ムーア監督がパルム・ドールを取ったのは、政治的配慮のせいだ、との批判があったようだが、現物を見てない以上、私には何とも言えない。スタンディング・オベーションが凄かったという話は聞いたから、それだけが原因ではないと思うのだけれども。 日本のマスコミは、早速「史上最年少受賞」ということで、柳楽優弥くんをフィーチャーし始めているが、これも映画を見ていないから、現段階でコメントすることはない。どちらかというと、大騒ぎしているマスコミの人間たちだって、映画を見ずに記事にしてるんじゃないかって気もするが、そういうものなんだろうね。 『イノセンス』はちょっと残念だった。押井監督は今はまだ次のアニメを作るかどうか未定、ということだそうだけれども、できればまた捲土重来を期してほしいものである。
2003年05月23日(金) すっ飛ばし日記/寝ると怒る女 2002年05月23日(木) 風邪さらに悪化/『パワーパフガールズDVD−BOX/バブルス缶』/『何が何だか』(ナンシー関) 2001年05月23日(水) できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか
2004年05月22日(土) |
関係者にしか意味が分らない文章ですみません。 |
お昼から、知り合いの劇団の公演があるので、某所まで出かける。何度か日記に書いちゃいるが、ある事情から、芝居の内容とか書くことができない。従って、見た感想とかも内容に触れたような具体的なことは書けない。せっかくの舞台公演なのに、宣伝も充分にできないというのはちょっともったいないと思うので、次回の公演からはそのあたりの「問題点」をクリアーにしてもらいたいものだ。 芝居そのものは、コヤの形状や広さが必ずしもその芝居のそれと合っているとは言い難い面があったので、ちょっと見ていて「苦しそう」であった。役者の演技がかなりコヤの狭さのせいで制約を受けているのである。 例えば、走る演技一つ取ってみても、「ブレーキ」がかかっているのが見ていてハッキリ分かってしまうのだ。ヒロインが、すがろうとする相手を振りほどいて走り去ろうとするときに、「たたら」を踏んでしまっちゃ、それが会場自体に問題があるせいだとわかっちゃいても、ちょっと苦笑してしまう。袖の奥がもっと広ければ、こういう点には気がねすることなく走りこめる。本当ならもっとのびのびと演技できるはずだし、更にはそんなふうに「ブレーキのかかる演技」を強いられる方が、役者の疲労度は高いのである。二時間十分の長丁場、役者がだんだんと疲れて行く様子を見るのはちょっとつらい。 でもこれは劇団の予算的な面での制約もあったのだろうから、同情することであって、文句や批判ではない。こういう会場の問題も、次回から考慮してもらいたいなあという要望のようなものである。 役者さんたちの演技自体は、最初あまり噛み合っているようには見えなかった「間」の取り方が、後半にいくほどよくなっていた。いくつか、そこのセリフは解釈が違うんじゃないかなあ、と思える部分はあったが、出演者がそれぞれのキャラクターを「立てる」ことに成功しているので、さほど引っかかりはしなかった。特に、ワキのヤンキーの兄ちゃんを演じた人が、バカになったりカッコつけしてみたり、実にいい味を出していた。
見終わって、上に書いたようなことを簡単にアンケートに書く。 手伝い人に出張っていたしげや、見に来ていた鴉丸嬢、其ノ他君たちに挨拶をして帰宅。
ここんとこしげと時間が合わないので、買い物に一緒に行くこともできない。夕食は家の近所のラーメン屋で済ます。 ちょうど、北朝鮮での小泉首相の記者会見をテレビでやっていたが、地村さん、蓮池さんとこのご家族5人は日本に帰る、曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんと子供たちは本人たちの意志で居残り、前回の訪朝で死んだとされていた拉致被害者については再調査を“これから”行なう、北朝鮮へのコメ支援は25万トン、というまあそんなところかな、という結末。 日本が今ひとつ強く出られてない感は否めず、「腰砕け」の非難がある程度出ることは必至だろう。ただ、事態が後退しているわけでもないところが微妙なところである。再調査を行なって、横田めぐみさんほかの安否が「やっぱり死亡」ということになったら、その報告までもまだ疑い続けることになるのだろうか。ああいう杜撰な国では、そもそも資料そのものに信頼性がない。横田さんのご両親ほか、拉致被害者の家族会のみなさんに安息の日が訪れることは相当遠くなりそうな気がする。
夜、10時を過ぎてしげは帰宅。今日も疲れていたらしく、即寝。そのあと私はDVD『ハガレン』4巻などを見て、寝る。
2003年05月22日(木) すっ飛ばし日記/本な男 2002年05月22日(水) 風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか 2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』
2004年05月21日(金) |
『イノセンス』カンヌ上映。 |
今日はしげが知り合いの劇団のお手伝いで一日いない。 解放されたような、ちょっと寂しいような。おっと、「ちょっと」だけじゃ、しげの機嫌が悪くなりそうなので「すごく」と言っとこう、一応(^_^;)。
銀行に寄ったりと私用がいろいろとあったので、仕事を半ドンで終えて、博多駅まで出る。 銀行でお金を卸して、郵便局で振り込み。これは七月にある『イット・ランズ・イン・ザ・ファミリー』のチケットを買うため。コメディ作家、レイ・クーニーの代表作、『パパ・アイ・ラヴ・ユー』の改題(というか、原題に戻したもの)、再演。キャストは上川隆也・羽田美智子・濱田マリ・綾田俊樹。舞台役者としてはどんなものなのかよく知らないが、ともかくクーニーの芝居をいっぺんこの目で見てみたかったというのが動機である。……考えてみたら、ニール・サイモンだって、台本で読むかテレビで見てるばかりで、ナマの舞台を見たことってないのである。仮にも芝居の台本書いてる人間が年に10本程度しか芝居を見にいってないってのは恥ずかしい限りなのだが、先立つものと相談したら、これが精一杯なのである。
そのあとキャナルシティまで歩いていって、AMCで今日が最終日の『フォーチュン・クッキー』を見る。2週間で打ち切りというのはちょっと早い気がするが、オリジナルの『フリーキー・フライデー』は輸入すらされなかった(テレビ放映のみ)から、見られただけまだマシか。客は私の他にカップルがひと組だけ。なんだか二人きりの空間を邪魔したみたいでちょっと心苦しい。映画は母と娘の入れ替わりものだが、オリジナル版よりずっと脚本が練られていて、現代的になっているのがミソ。
もう一本、夜、映画を見る予定なので、本屋を2、3軒、回ったりして時間をつぶす。 紀伊國屋で予約しておいたDVDを購入。買おう買おうと思ってなかなか手が出ないでいた講談社の「ミステリーランド」シリーズをまとめて買う。有栖川有栖、小野不由美、島田荘司、高田崇史、竹本健治、西澤保彦、森博嗣といった当代第1線のミステリ作家達が、少年向けにミステリーを執筆していくもの。まさに江戸川乱歩の少年探偵シリーズ再び、という企画で、青少年の活字離れ云々に対して、出版社が具体的な対応策を考えている嬉しい例である。……できれば角川あたりが、昔の文庫版ジュブナイルシリーズを復活させてくれたらもっと嬉しいんだけどねえ。
夜、シネ・リーブル博多駅で5周年記念「怪奇幻想文学秘宝館」シリーズの最終回『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』を見る。前に見てるやつではあるが、こういうサベツ問題にひっかかってるせいで、ビデオソフト化が見込めない映画は、上映の機会があるたびに見ておきたいのである。「知ってる人は知ってる」映画だから、100人ほどしか入らない会場が満席どころかパイプ椅子の増設に立見まで出る大盛況。私と同じく、必ずしも初見の人ばかりではないのだろう、随所にある爆笑シーンにも、場内、それほど笑いは起こらない。 私はといえば、確かに最初見た時にはその驚きの「作り」に呆気に取られたのだが、二度目となるとかえって石井監督の乱歩に対する思いの方が胸を打って、とても笑って見てなどいられない。つか、また泣いてるし。なんだかもう、涙腺がゆるみっぱなしなのである。
映画が終わって、バスがもうなくなっていたので、しげに連絡を入れて迎えに来てもらう。一日歩きっぱなしで、さすがに家まで1時間半かけて歩いて帰る気にはならなかった。しげも一日お手伝いで疲れ切っていたのだろう。 「『理由』を見て寝る」と言って、DVDをかけて見始めたのだが、数分もしないうちにイビキをかき始めた。昨日一昨日もこんな調子だったし、しげが『理由』を見られるのはいつの日になるのだろうか。 今日買ってきたDVD『丹下左膳余話 百万両の壷』と『キル・ビルvol.1』を続けて見る。『百万両』は、GHQによってカットされていた立ち回りのシーン20秒が復活した、今のところの最長版。見てみりゃ分かるが、なんでこの程度のシーンがカットされたのかわけが解らない。ともかく「刀を抜いたらダメ」ってことだったんだろう、としか言いようがない。この程度の描写を残酷だと認定し、またこういうのを見せなければ日本人を善導できるなんて思いこんで占領政策を行なってきたアメリカという国がいかに小児的で歪んだ国か。けどアメリカ国内でそれを批判してるのがマイケル・ムーアのようなまたコドモだっていうのが、なんかもう、ナントカとナントカの絡み合いみたいで、ウンザリなんである。
昨日、カンヌ映画祭で、押井守監督の『イノセンス』がコンペティション上映。でも日本のテレビ局はキムタクがどうのばかり報道してて、こっちの方には見向きもしてないなあ(そちらはそちらで、彼にばかりスポットが浴びていて、出演している映画『2046』の紹介もおざなりだ。どんな筋で、誰が監督で、共演者は誰か、あなたはご存知ですか?)。……タランティーノ審査委員長、世間の評判に流されないで、しっかりたのんまっせ。 読売新聞が『イノセンス』について、「近未来の日本を舞台にしたSFアニメで、この日の上映には、押井守監督も出席。上映終了とともに立ち上がった観客から大きな拍手を送られ、『理解してもらえるか不安だったが、かなりいい反応でほっとしている』と笑顔で語った」と紹介しているけれども、どの程度のものだったんだろうか。カンヌの審査は必ずしもスタンディング・オベーションには左右されないけれども、「大きな拍手」と「拍手鳴り止まず」とではニュアンスがかなり違うからなあ。 情報があまりに少ないので、カンヌ映画祭の公式ページまで覗いてみたが(ネットの一番ありがたいことは、海外の情報まで即座に散策できることである)、ありましたありました。作品解説と、押井監督のインタビュー記事が。 一応、全文を紹介するけれども、全部を翻訳するのはしんどいので、押井監督のインタビュー部分だけに留めます。
> Competition: "Innocence" by Mamoru Oshii In addition to Shrek 2 that screened early in the Festival, the second animated feature in competition is presented today, Innocence by Mamoru Oshii. The Japanese director spent nine years making this follow-up to his cult hit Ghost in the Shell. The characters are the same but the political tone has given way to a philosophical one, a hymn to life. Furthermore, the technical rendering is much more formal, mixing 2D, 3D and computer graphics.
簡単に要約すると、「『攻殻機動隊』の続編だけれども、内容はより哲学的になっていて、2D、3D、コンピューター・グラフィックスが混じってる」ってとこですかね。ここはただの作品解説。
> It is the year 2032 and the line between humans and machines has been blurred almost beyond distinction. Humans have forgotten that they are human and those that are left coexist with cyborgs (human spirits inhabiting entirely mechanized bodies). Batou is one of them. His body is artificial: the only remnants left of his humanity are traces of his brain ・and the memories of a woman called The Major. He is investigating a murder case involving malfunctioning androids that went berserk.
ストーリー紹介。 「人間は自分たちが人間であったことを忘れてしまっていた」というあたりが、欧米人にはどんな風に受け止められるか、というのが気になるね。アシモフの『アンドリュー(なんたらかんた)』(『バイセンテニエルマン』)も結局『ピノキオ』だったし、人間とロボットとの確執を描いても、結局は「人間様が上」な感覚から欧米人は脱却できないのである。人間が人間であろうとすることなんて、夢を見ているようなものだって発想で一貫して映画を作ってきた押井監督の思想は、結構反発を食らうような心配もあるのだけれど。 ……今まで注意してなかったけど、バトーの綴りって、“Batou”だったんだね。もしかして漢字で「馬頭」って当てるのか? しかし「草薙」に「馬頭」と来ると、どうしても諸星大二郎の『暗黒神話』を連想しちゃうねえ。そのあたりのアナロジーについてはあまり深く考えたことはなかったんだけれども、士郎正宗はそういう「遊び」も想定してたんだろうか。
> Mamoru Oshii on his intentions: "This movie does not hold the view that the world revolves around the human race. Instead it concludes that all forms of life ・humans, animals and robots ・are equal. In this day and age when everything is uncertain, we should all think about what to value in life and how to coexist with others." 訳:製作意図について 押井守「この映画は、世界は人類を中心に回ってるという見方で作られてはいません。むしろ生命の形は人間も動物もロボットも同じだと結論付けています。今日、あらゆるものが不確かな時代にあって、ぼくらはみんな、命の価値がなんであるのか、どうやって他者と共存していくのかを考えなきゃならないんです」
これもまた実にストレートな発言で、欧米人の神経をかなり逆撫でしたんじゃないかと思うけれど、ブーイングとか失笑はなかったのだろうか(^_^;)。でもまあ、科学的にも生命と非生命との境界線は曖昧であったりするし(それは「生」と「死」の間に厳密な境界線がないことも意味している)、仮に「精神」あるいは「思考」が非生命体に対する生命の優位性を証明するものだという考えに基づいたとしても、オソロシイくらいに単純な思考しかできない人間も世の中には掃いて捨てるほどいるから、あまり威張らないほうがいいような気もするのである。 なんにせよ、「クローン禁止」とか言ってる時点で、欧米人はこれ以上ないくらいに「思いあがって」「思考停止」してしまっているんである。で、そいつらと「共存」しなきゃならないのが日本の頭の痛いところなんだよなあ。まったく、「馬鹿には勝てん」のだ。 なんにせよ、こういう挑戦的な発言をカマシてくれるあたり、押井監督、パルムドールが取れるかどうかなんて気にしてないみたいだなあ(内心はどうか知らんが)。 > Press Conference: "Innocence" For the official presentation of the competition animated feature Innocence, Japanese director/writer Mamoru Oshii, composer Kenji Kawai and producer Mitsuhisa Ishikawa answered questions from the press. Highlights.
記者会見の様子。 公式サイトには、中央にヒゲ面長髪の押井監督、向かって右にやはりヒゲ面の石川光久プロデューサー、左隣にパッキンの川井憲次さんが座っていらした。掲載されていたのは押井監督のコメントだけだったけれども、あとのお二人がどんなことを喋ったかも気になるところである。
> Mamoru Oshii on the origins of the film: "When Production I.G first proposed the project to me, I thought about it for two weeks. I didn't make Innocence as a sequel to Ghost in the Shell. In fact I had a dozen ideas, linked to my views on life, my philosophy, that I wanted to include in this film. [...] I attacked Innocence as a technical challenge; I wanted to go beyond typical animation limits, answer personal questions and at the same time appeal to filmgoers."
訳:映画の成り立ちについて 押井守「プロダクションI.G.が、最初、ぼくのところに企画を持ってきた時に、二週間考えました。『イノセンス』を『攻殻機動隊』の続編として作るのはやめようと。実際にぼくは、ぼくの人生観や哲学、この映画に込めたかったことに関連した12のアイデアを思いついてました。……ぼくは『イノセンス』で技術的な面で挑戦をしましたが、それは型通りのアニメーションの限界を越えて、自分個人の疑問にも答えて、同時に映画ファン達にも訴えたかったことです」
よくネットでは前作『攻殻機動隊』を見ていないと分らない、という批評が横行していたけれども、そりゃあ、草薙素子がどういう存在であるのかとか、1作目を見ていれば「わかる」のだけれども、だからと言って、『イノセンス』を見ただけではわけが分らない、ということにはならない。それを言い出すなら、欧米の文化を知らない我々には海外の映画は「一切分からない」し、東京の人間には大阪人や九州人の感覚が「絶対に理解不能」だし、個人の考えていることは他人には「ほんのひとカケラも見当がつかない」のである。もちろん、そういう次元での「理解不徹底」は常に存在していることは確かなのだけれども、それを持ち出していい場合と、不必要な場合とがある。 「1作目を見ていないと『理解不能である』」という言い方は、映画について語ること自体を拒絶している。1作目を見ていないからこそ、「何かが伝わる」こともあるのだ。こういうモノイイをする人というのは、たいてい情報に振り回されているだけか、知的スノビズムに陥っているだけだから、あまり相手にしないほうが無難なのである。……『エヴァンゲリオン』のブームの時に、やたらいたタイプの痛いオタクさんですがな(^_^;)。
> Mamoru Oshii on his narrative intentions: “for Innocence, I had a bigger budget than for Ghost in the Shell. I also had more time to prepare it. Yet despite the economic leeway, abundant details and orientations, it was still important to tell an intimate story. [...] Personally, I adore the quotes in the film. It was a real pleasure for me. The budget and work that went into it contributed to the high quality of imagery. The images had to be up to par, as rich as the visuals.”
訳:「『イノセンス』では、『攻殻機動隊』の時よりもずっと大きな予算が組まれました。準備のための時間もたっぷりありました。けれど、経済的な余裕があるにも関わらず、ディテールや方向付けが膨大になったのは、物語の本質を語るにはそれがやはり重要だったからです。……個人的にぼくは、映画に引用を持ちこむことが大好きです。それがぼくにとっての一番の楽しみなんですね。それに費やした予算と仕事は、映像をハイ・クォリティなものにすることに寄与しています。イメージは基準に達するものでなければならなかったし、映像も同様です」
> Mamoru Oshii on Godard: “This desire to include quotes by other authors came from Godard. The text is very important for a film, that I learned from him. It gives a certain richness to cinema because the visual is not all there is. Thanks to Godard, the spectator can concoct his own interpretation. [...] The image associated to the text corresponds to a unifying act that aims at renewing cinema, that lets it take on new dimensions.”
訳:「やたら他の作家さんの引用をしたがるのは、ゴダールの手法です。お手本となるものは映画にはたいへん大事で、ぼくは彼からそのことを学びました。映像がそこに介在していないからこそ、映画にある豊かさが生まれます。ゴダールのおかげで、観客は自分自身の解釈を模索できるんです。……映画を活性化させたくて、新しい表現を切り開こうとする試みを統一的にやろうとすると、お手本によってイメージを作りあげることは、ちょうど具合がいいんですね」
> Mamoru Oshii on animation: "I think that Hollywood is relying more and more on 3D imaging like that of Shrek. The strength behind Japanese animation is based in the designers' pencil. Even if he mixes 2D, 3D, and computer graphics, the foundation is still 2D. Only doing 3D does not interest me." 訳:「ハリウッドは『シュレック』のようにますます3D映像に依存していくと思います。日本のアニメーションを支えている強さというのは、アニメーターたちのエンピツに基盤があるんです。たとえ2Dや3D、コンピューターグラフィックスが混在していても、そのおおもとはまだ2Dなんです。3D映像を作ることだけはぼくには興味がありません」
『シュレック2』なんぞと比較されてたまるか、ってな感じにも聞こえちゃうなあ(^_^;)。 日本で喋ってたことと内容的に重なってる部分も多いので、今更な部分もあるけれども、どこへ行っても押井守が押井守であることは嬉しいことだ。
2003年05月21日(水) すっ飛ばし日記/モンティ・パイソンな女 2002年05月21日(火) ハコの中の失楽/『KATSU!』3巻(あだち充)/『アリソン』(時雨沢恵一)ほか 2001年05月21日(月) アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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