無責任賛歌
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2002年05月22日(水) |
風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか |
朝からノドが痛くなる。 寝冷えしたという記憶もないが、どうやら風邪を引き始めているようである。 最近トシを取ったせいか糖尿がひどくなってるせいなのか、風邪を引くと発熱することが少なくなって、ただただダルイ、キツイ、頭痛に咳に鼻水に、という症状を呈することが多くなってるけど、もしかして私のカラダ、免疫不全になってるんじゃないか。 栄養も睡眠も取ってるつもりではいるんだけど、風邪を引くときはどうしても引いてしまう。ゆっくり仕事を休むことができれば、なんとか三日くらいで回復するんだけれども、なかなかまとめて休めるときがないからなあ。 もうしばらくはムリをしなけりゃならない感じだけれど、日記の更新をする元気までは出て来ない。 これでまたズルズルとストックが溜まっていくんである。 松本清張みたいに口述筆記してくれる秘書が欲しいなあ(ゼイタク)。 しげと下らない会話。 自分のことを「オレ」と呼び、化粧もせず、ファッションにも気を遣わない、スカートなんて殆ど履いたこともない、猥談もオヤジギャグも平気という、女的な要素をどこかドブにでも捨ててきてるんじゃないかと思えるようなワイルド・しげであるが、それでもたまに女っぽい態度を取ることもある。 具体的には「照れる」という仕草をするのね。似合わないけど。 「そう言えば、お前、まだ男の○○○○のことは○○○って言えんの?」 「……言えないよ」 「どうして? ○○○○とは言えるんだろ? ○○○○が言えて、どうして○○○が言えないんだよ?」 「だって、下品なオバチャンが言ってそうじゃん、○○○って」 「偏見だろ、それ。普通に使うよ、○○○なんて。じゃあ、○○○○なら言えるの?」 「……」 「○○○は?」 「……ギリギリ」 「○○は? ○○は? ○○○に○が付いたら?」 「だから○○○○って言えるようになったのも最近なんだってば!」 「じゃあ、女の○○○は言える?」 「……いやん」 ……似合わねーなあ、照れるしげ。 でも、書いてて気づいたけれど、これ、夫婦間の会話でも充分セクハラ発言になるかもなあ。 ということで、問題の単語は全て伏字にしたけれど、もしかしたらバレバレかも(^_^;)。それにしても猥談全然オッケーなくせに、どうしてたかが○○○って単語ひとつ口にできんのだろうな。 世の女性は、いったいどのように呼んでおられるのか、リサーチしてみたいものである。
今日こそは『クレヨンしんちゃん大全』を手に入れようと、博多駅の紀伊國屋に行く。しげが「今日は仕事が早いからあまり遠出したくない」と言うのを、「早めに買わないと売りきれるかもしれないから」と説得して、車をすっ飛ばさせる。他の買い物ならば、しげも文句を垂れつづけるところだろうけれど、モノが「クレしん」なので比較的協力的である。やはり夫婦は趣味ができるだけ一致してた方がいい。 本屋に着くなり早速、マンガコーナーや映画コーナーを探したが、一向に見当たらない。仕方なくナビで検索して、店員さんに在庫を探してもらう。 どうやら発売が遅れて、まだ倉庫に置いたまま、店頭には並べられていなかったらしい。10分以上待たされて、ようやく現物をゲット。 表紙には『戦国』の蓮姫や『オトナ帝国』のチャコ&ケン、『温泉』の丹波哲郎の設定資料があしらわれている。人気どころはやはりこのあたりのキャラかな。 カバーをめくると腹勝徳さん作画の「くれしんガールズ」。こうして見ると、毎回の映画のゲストの女性キャラクター、魅力的で個性的なヒトが多かったよなあ。おう! 指宿と後生掛のムナモトに谷間が! 『ヘンダーランド』におけるまつざか先生の名ゼリフ、「胸あってこその谷間」を思い出してニヤける。でへへ(* ̄∇ ̄*)。 裏表紙は湯浅政明さんの4コマだけれど、何が描いてあるのか意味不明(^_^;)。どうやらひまわりは実はぶりぶりざえもんが演じている、ということらしいのだが、それってどーゆー意味?(ー’`ー;) ウーン。 ツイ立ち読みして、カラーグラビア『青空侍』の蓮姫の凛々しさ美しさに見入っていたので、気がついたらもうしげの出勤時間が迫っていた。 しげ、「食事もして、一度ウチに帰って風呂に入ろうと思ってたのに」と文句を垂れるが、本人も演劇コーナーで本に見入っていたので、文句を言えた義理ではない。それでも機嫌をとって、しげが欲しがった成井豊の演劇本も一緒に買ってやる。 時間がないので、しげの夕食は仕方なくマクドナルドでテイクアウト。 そのまましげのバイト先のリンガーハットに直行して、私はそこで食事することにする。リンガーでは私はチャンポンは殆ど注文しない。もっぱら皿うどんと餃子だけなのだが、別に何か拘りがあるわけではない。単に汁物が胃にもたれるからである。 で、食いながら早速『クレしん』に読み耽る。店員さんはヘンな客だと思ってるだろうなあ(しげの亭主だってことはわかってるのだろうけど)。
品川四郎とブレインナビ編『クレヨンしんちゃん映画大全 野原しんのすけザ・ムービー全仕事』(双葉社・1785円)。 全く、皿うどん食いながら何読んでるんだか(^_^;)。 『戦国大合戦』、当初の仮題は『青空侍』だったそうな。いいタイトルだけれど、それじゃ「クレしん」映画と認識してもらえなくなっちゃうのは必至。さすがに却下されるよねえ。
しかし、今やすっかりクレしん映画布教委員会別働隊第一番隊足軽を自認する私であるが、第1作『アクション仮面VSハイグレ魔王』を見るまでは殆ど注目なんかしてなかったのだ。 ただ世間では「下品なギャグで眼も当てられない」だの「子供に悪影響を与える」だの、そこまで言うか的な悪評が横行していた。それがかえって、私に興味を抱かせた。つくづく私ゃヒネクレ者だなあとは思うが、映画がテレビ放送されたのを期に見てみる気になったのである。 昔からそうだが、親とか世間が眉を顰める作品には傑作が多い。クレージーもドリフもコント55号もひょうきん族も、当時は悪評紛々たるものだった。いつだってアナーキーなモノは良識派の神経を逆撫でするけれども、PTAご推薦のお話ばかりで世の中が成り立ってたら、こんなにキュウクツで不自由なことはない。 ともかく見ずに批評などはできないと、テレビの前に座ったのが今思い返せば運の尽き(^_^;)。引きこまれた、なんてもんじゃない、唸りましたよ、まずはそのアニメーション技術に、演出に、ドラマに。 のっけからアクションシーンの連続、シリアスな展開、いったいこれのどこが『しんちゃん』なんだ!? 「うおおおお! なんだこの大胆なアングルは!? すげえぞこのアクション! 作画枚数何枚使ってんだ!? うおっ! 五段マルチ! 映画じゃないかまるで!(その通りだよ)」 いや、マジで叫んでたからね、私。 その様子にやっぱり当時は全く『しんちゃん』に興味のなかったしげも、「なんで『しんちゃん』とか見よん!?」と驚きながら、気がついたら一緒に見入っている。 それから毎年、映画シリーズのビデオ録画が習慣化する。 しかも驚異的なことに、『ブリブリ王国』、『雲黒斎』と、映画のレベルがぐんぐん上がって行く。「映画の続編はレベルダウンする」というジンクスをいともあっさり破っていたのだ。 テレビシリーズの方も、スタッフのマニアックなパロディが爆発する回も多いことを知ってちょくちょく追っかけるようになる。何がマニアックって、『鉄骨しんちゃん』の回などはニャンチュートロ星人の侵略という、「と学会」関連のヒトしかわからんパロディまでやってのけていたのである(録画しといてよかった)。これはもう、「子供ターゲットのアニメではない」と判断するしかない。 そしてついに『ヘンダーランド』からは映画館に足を運ぶことを決意した。この『ヘンダーランド』が、また「クレしん映画」最高傑作だったものだから、もはや病膏肓、現在に至るという次第である。
しかしこの『大全』を読んでも感じることだが、初期4作の監督である本郷みつる監督と、現在の原恵一監督では相当その資質に違いがあるのである。 ファンタジー、SF志向の本郷監督に対して、日常描写にこだわる原監督。この水と油の二人が組んで傑作を作って来れたということがまずどれだけ素晴らしいことだったか。もしやこれは、日本映画史上、黒澤明と本多猪四郎のコンビに匹敵するほどのゴールデンコンビではなかったか。 設定資料、絵コンテ、インタビューの数々に評論と、その一つ一つについて語りだしたらキリがないほどギッシリ中身の詰まったこの本だけれど、特に嬉しかったのは、縄田一男さんが『雲黒斎』、『戦国大合戦』を時代劇映画として黒澤、稲垣映画レベルと評価してくれていたことだ。 権威に阿るのは好きではないが、私のような一介のドシロウトが「しんちゃん映画はいいぞ!」と叫んでも先入観持ってるヒトは一顧だにするものではない。やっぱりお偉いさんのヒトコトの世間に与える影響は大きいのである。「クレしんなんて」とバカにしている人間の方が少数派になる日を夢見よう。 ネタバレしたくないから『戦国大合戦』の感想も全くこの日記にアップしてないけど、来年のテレビ放映のときには思いっきり書いてやろうかな。
『ドラゴンHG』vol4(富士見書房) 『ダーティペア』が落ちた代原に、なんと吾妻ひでおの『スクラップ学園』が復活。……ミャアちゃん、丸くなったなあ。つーか、「余生」を過ごしてる雰囲気だね、なんとなく。 往時の勢いがないのはあまり指摘したくないことだけれども、仕方がないことなんだろう。インタビュー記事で吾妻さんが「もう三蔵やナハハは描けない」と言ってるのも、読者としてはそうなんだろうなあと頷くしかない。 もっとも、かつての「過激な不条理」が今の「まったりした不条理」(なんなんだ)に変化したことは吾妻さんがマンガを描き続けていくためには必要条件だつたのかも知れない。 かつてのアズマニアとしては、そのまったりゆったりした味わいをゆっくり見守って行くのが正解なんだろうね。
上遠野浩平『ビートのディシプリン SIDE1[Exile]』(メディアワークス/電撃文庫・645円)。 『ブギーポップ』シリーズの番外シリーズ、という体裁なので、はっきり言って本編シリーズを読んでいないと全くキャラクターが掴めない、非常に不親切な本である(^_^;)。 だいたい本編シリーズですら「統和機構」がどういう目的で存在しているのか未だに得体が知れないところがあるのに、その末端の合成人間を主人公にして、しかも本編の登場人物たちを全く何の説明もなく次々と登場させていくのだから、なにがなんだか解らなくなるのは当然だろう。私も「これどのキャラだったっけ?」と思い出しながら読まなきゃならなかったから、読了するのに時間がかかったこと。作者は相当意地が悪いぞ。 飛鳥井仁、ペパーミントの魔術師こと軌川十助、フォルテッシモ、ダイアモンズのパール、イナズマこと高代亨、ホーリィ&ゴーストこと濱田聖子と結城玲治、リセットこと雨宮世津子……。入れ代わり立ち代わり登場する彼らと再び出会えることは嬉しいのだけれど、だったらどうして肝心要のブギーポップは登場しないのか? という疑問がどうしてもアタマをよぎる。 語り手たる飛鳥井仁によれば、「試練(ディシプリン)」たるこの戦いに「死神」の出番はない、ということだけれど、その理屈が今一つ腑に落ちない。つまり主人公は「試練」を与えられてるだけだから、「世界の敵」は現われないってこと? それじゃただの予定調和の物語にしかならないんじゃないかってちょっと心配になるなあ。 その試練を受ける主人公がビート・ビートという探索型の合成人間。まだ自分の能力を使いこなせないひ弱な存在だったりする。試練を与える方は、「最強」の合成人間フォルテッシモ。……この人物配置、なにかに似てるな、と思ったけど、『バイオレンスジャック』の逞馬竜とジャックの関係とそっくりなんだね。 フォルテッシモがビートに語りかけた「おまえがこの過酷な運命から生き延びて“カーメン”に辿りつくことを、俺は願っているよ」というセリフは、ジャックが逞馬竜とドラゴンとをあえて戦わせた時の別れのセリフと全く同趣である。 ジャックは、「ある目的」のために、関東に生き残る価値のあるものたちに「試練」を与えていったわけだけれど、となると、フォルテッシモもビートに統和機構と渡りあうための何かの役割を持たせようとしてるってことなのかな? 上遠野さんの作品、最近どうも「どこかで見たような」設定がちょくちょく目立つようになってきているのが気になるところだ。『ホーリィ&ゴースト』が『俺たちに明日はない』にインスパイアされてるのは明々白々だっただけにかえって気にはならなかったけれど、今回、浅倉朝子がアレになっちゃうのはさすがにギャグにしか見えんと思うがどうか(^_^;)。 面白いと言えば面白いんだけれど、ちょっと書き飛ばしすぎてるんじゃないかなあ。
2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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