無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』

 わはは。
 やっぱり体重の野郎、86.2キロまで揺り戻してきやがった。
 朝も昼も食欲がわかず、夜、寿司食っただけだってのに、どうして1キロも増えるんだよう。
 やはり運動しないとダメってことなのか?
 鈴邑くんから「栄養のバランスも考えないと」とのご忠告を受けたが、家族が二人しかいないと、バランスのとれた食材を買ってくると、野菜だの果物だの、どうしても余ってしまって腐らしてしまうのである。
 結局、冷食に頼っちゃう結果になるんだよなあ。
 と言うわけで、今、ウチの冷凍庫には、野菜の真空パック、牛肉、豚ばら肉、唐揚げ、タコ焼き、うどん、つけ麺などがぶちこまれているのである。


 昨日、休んだツケで、今日は夜8時まで残業。
 帰宅してみると、今日はしげも仕事は休みのようだったが、寝ていて全く起きてこない。なんだか本格的にすれ違い夫婦になってきてるぞ。
 毎日残業してれば確かに仕事は片付くんだけど、しげが9時からのバイトをしている今、そんなことをしていれば、二人で過ごす時間が、全くなくなってしまう。
 いや、別に寂しいわけじゃないんだけどね、特にマイホーム主義者ってわけでもないし。しげと一週間会わないでいても、休日に一緒にいられるんならいいや、程度の感覚なんだよねえ、私のほうは。
 ところがしげの方は、それだけではどうにも満足できない、というより不安になってしまうらしい。会わないでいると私が本当に私であるのか、だんだん判らなくなってくるんだと。おいおい(^_^;)。
 確かにねー、「男子三日会わざれば刮目して見よ」なんて言うけどさー、たかが何日か見なかったからって、自分の亭主が別人になってやしないかって、一昔前の侵略SFじゃないんだからさー。インベーダーが乗り移ってるわけじゃないんだよ? まあ、私がいきなり三人も現われたっていうなら驚いてもいいだろうけどさー(三田村信行の『おとうさんがいっぱい』ですな)。
 でも、しげを不安にさせたいわけじゃないし、明るいうちに食事とジョギングもすませたいので、できるだけ早く帰るようにはしています。私は私なりに夫婦の関係の維持に気を遣っちゃいるのよ。
 たまにこうして会えない日もあるんだけど、だからと言って、しげよ、次の日に決まって「久しぶり」って挨拶するのは止めてほしいんだけどねえ。
 嫌味か?
 

 「エンピツ」の日記中、最近人気の『七人の侍』、「日記」と言うよりは一種のギャグサイトで、どうやら『侍魂』とか言うサイトのパロディらしい。元ネタのことはよく知らないのだが、覗いてみると確かに面白い。
 コミケの閉鎖性を当てこすったり、小泉首相の俗っぽさに突っ込んだり、読者をからかうようなクイズのアイデアもなかなか笑える。
 ただ、どうにも気になってるのは、表紙にホントに『七人の侍』のスチールを使ってることなんだよねえ。いや、別に著作権がどうのって言いたい訳じゃないのよ。
 インターネットってのは確かに無法地帯だ。著作権おかまいなし的なところがエネルギッシュで、おかげで各サイトが面白くなってる面はある。できればある程度の「引用」は許諾してもらいたいなあと思っちゃいる。
 写真のパロディなんか特にそう思うわけで、コラージュを「著作権の侵害だ!」なんて言われた日にゃ、アンディ・ウォーホルだって出版禁止になってしまう。マッド・アマノ裁判を例にとるなら、パロディが元ネタの価値を高めることだってあるのだ。ちょっとからかわれたくらいで怒り狂い、弾圧しようってのは戦前の官憲と何ら変わりがない。というか、そういう権威的なものをからかうことにパロディの意味だってあるんだしね。
 だからこそ、なのである。
 『七人の侍』のスチール飾ってるだけって、それパロディにも何にもなってないんだよねえ。せめてイラストにするとか、工夫が欲しい。なら、そのこと相手に伝えりゃいいじゃんと言われる向きもあろうが、難癖ととられるのもいやなんで、直接相手の掲示板に書きこんだりはしない。

 でもモノホンの『七人の侍』のDVD、いい加減で国内販売せんかなあ。今やコメンタリーができる俳優が土屋嘉男くらいしか残ってないってえのに。


 『ヒカルの碁』のオフィシャルサイトやファンサイトを覗くが、やはり「アニメ化決定!」とウワサされつつ、詳細は全く判っていない。
 それはそれとして、あちこちサイトを覗きながら気づいたことなのだが、私は初めてっきり、『ヒカ碁』のファンページは「佐為さまラブ」みたいなサイトばかりじゃないかと思っていたのだ。
 ところが、めぼしいもののほとんどが「碁」の解説サイトである。もうマジメもマジメ、碁を全く知らない私にはチンプンカンなヨセだのハネだの、マンガ中で私が読み飛ばしている専門用語が解説なしで(解説するならそこから始めてほしい……)飛び交っていて、みんな真剣なのがよくわかる。
 うーん、『ヒカ碁』が碁ブームを巻き起こしたってオビに書いてあった惹句、あながち誇大広告ではないのだなあ。今回の佐為VS名人の元ネタになる棋譜も実在してるそうだが、それだけリアルに描こうという作者の気概の表れなのだろう。
 碁を知らなくても楽しめるマンガだが、碁を知ってたら恐らく3倍、4倍楽しめただろうと思うと、死んだおふくろにもっと将棋や碁を習っとくんだったなあ、と後悔しきりである。


 夜、合唱団のUさんから電話あり。
 知り合いの結婚式の撮影のためにビデオカメラを貸してほしい、ということだったが、ついでに聞いた世間話の中でちょっと驚いたことがいくつか。
 一週間ほど前、東京で「野猿」の解散コンサートに行ったあと、「死ぬ理由もないが生きている理由もない」と遺書を残して飛び降り自殺した少女、Uさんの話しによると、どうやら知り合いの知り合いらしいのだ。
 ということは私の見知らぬ子ではあるのだが、いやはや、こりゃあまりからかうようなもの言いがしにくくなってしまった。
 宗教嫌いの私にしてみれば「命を大切に」なんてスローガンは宗教そのもので口が裂けても言えない。自殺した子にとっても、こんな言葉は一番自分から遠いセリフだったはずで、それを口にすることが偽善であるどころか死者を鞭打つ行為であることは明らかである。
 死んだ子は「生きる理由がない」と言ったのだ。この世に生きるための絆がなかったのだ。今更「命を大切に」だなんて、その絆がなかったことの責任を、誰かに負わせるつもりか。それは死者にか、残された人々へか。
 無駄だ。
 誰にその原因があるかなんてことを話したって意味はない。それはただの事実に過ぎなかったのだから。その子は自分のことを「路傍の石に過ぎない」と言っただけである。
 「死ぬ理由もないなら生きててもいいじゃん」という言質も遺書の言葉の意味を捉えきれてはいない。自分の存在が石のように希薄になっていけば、人はその存在を確認するために暴力的な行為に出ることが往々にしてある。
 「私はただの石ではない」という主張である。
 彼女の場合、それは内に向かって放たれたのだ。外に向かって、殺人なんかを起こされるよりは遥かに理性的な処断である。もっとはっきり言えば、彼女の自殺は一種の「自決」なのであって、それに対して他人がどうこう言える問題ではないし、言うべきでもない。


 エスクァイアマガジンジャパン刊、『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』読む。
 歌手や俳優や評論家、映画監督などなど、ほとんど誰彼なく無節操に「あなたの大好きなアニメは?」とインタビューしたもの。
 これについて書き出したら、いくら時間があっても足りるまい。

 しかし、これだけは必見、というものを選べば、『幻想のルパン帝国』の作者である高橋実による、『カウボーイビバップ』の監督渡辺信一郎へのインタビューだろうか。
 「スパイクを死なせることに意味があった」と監督は明言する。
 『ビバップ』の主人公、スパイクの片目は義眼だった。最終回、彼は、「義眼で現実を見、本物の眼で過去を見ていた」と語る。ビバップ号での夢のような日々、あれは作りものの眼で見た風景だった。言いかえれば、あのアニメ自体がただの「虚構」であり、「夢」だったのだ。
 男が本当の眼で、現実を見る時、彼は過去を見て死を選ぶことになる。スパイクの死はある意味自殺であった。

 さっき書いた自殺した女の子のこととあまりにシンクロしていて、一瞬、気味が悪くなった。あの子は多分、自分自身の「現実」をやっと手に入れたのだ。夢の中に取り残されたのはむしろ私たちの方だろう。もし私たちのほうが現実だというのなら、口が避けても「命を大切に」なんて世迷言を言ってちゃいけない。それはそうあればいいと願う「夢」を見ているだけだ。
 命が大切にされてる「現実」なんてないのだから。

 あと、もう一つ二つ訂正。
 巽孝之が東映動画の傑作、『わんぱく王子の大蛇退治』を「宮崎アニメ」、と言っているが、まだ宮崎駿は入社していないので誤り。
 また、みうらじゅんが「昔はマンガとテレビマンガは同じものだったが、『アニメ』という言葉が生まれてから違うものになった」というのも認識不足。マンガとアニメは最初から全く違う。大塚康生の本でも読め。『作画汗まみれ』が新版で出るぞ。

 しかしみんな、「アニメが好き」って口にはするけど、「アニメを読む」ことができてないだけでなく、内心やっぱりバカにしてるのが見えてくるのが腹立たしい。最近あちこちでしょっちゅう「アニメは社会的に認知されていない」発言を繰り返す庵野秀明、やっぱり今回も同じことを語っているが、『クレヨンしんちゃん』をバカにする連中のほうが世の中には圧倒的に多いことを考えると、宜なるかななのである(丁度今日、『学校へ行こう!』の「未成年の主張」で、「俺は『クレしん』が好きだ〜!」と叫んでたなあ)。
 「マイ・スイート・アニメ」ってタイトル、皮肉か?


 夜、いつものジョギング。毎日のことだけど、こう書いておかないとサボってるように思われるかもしれないのでやっぱり書いておこう。

 明日、医者に行くかと思うとなかなか寝つけない。
 「死」についてモヤモヤと考えていたせいだろうか。もっとも、自殺肯定のように受け取れる文章を書いたからといって、別に私が自殺したいと思ってるわけじゃないので、ご心配なく。
 第一、自殺しようってやつが同時にダイエット目指すもんか(^^)。



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