無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年09月06日(土) 学校が守っているものは何か/『死神探偵と幽霊学園』第1巻(斎藤岬)

 終日、日記書き。書いても書いても追いつかないのはなぜだろう(-_-;)。いつも5、6行ですませようと思って書き始めるのだが、全然それで終わんないね。記憶を頼りに書くのはえらくしんどいので、そろそろちゃちゃっと片付けたいのだが、書き出すと止まらないってのも一種のビョーキかね。ただの自慰行為かもしれんが。


 今年4月23日、埼玉県所沢市のデリバリーヘルス(行ったことないのでどんなとこだかよく知りません)で働いていた高校3年生の少女を買春して逮捕されていた東京都立の高校教師、中谷芳典容疑者(43)のトンデモな授業内容が公開され、呆れた声が広がっている。
 体育教師である中谷容疑者は、授業は体育や保健体育を受け持っていたそうだが、卒業生の話によれば、「テスト直前の保健体育の授業で、『男子は女性器の絵を、女子は男性器の絵を書く問題を出す。配点が高いぞ』と予告し、本当にテストに出した」とのこと。
 断面図に名称を書かせる問題なば私も見たことはあるけれども、リアルに書かせたって機能を理解してるかどうか、判別はできんよなあ。テストとしては不適当……ってそういう問題じゃないか。
 その先生、試験のあとで特に「上手い絵」を皆に回して褒めたそうだが、女子の中には嫌な顔をして、気分を悪くしていた子もいたとか。
 ほかにも柔道の授業で、男同士で身体をすり合わせて踊るランバダを踊らせて通知表の点をつけたとか、なんだかもう話にならん感じだけれども、これまで一度も「生徒や父母からの苦情はなかった」んだと。
 これがまずもって信じられない。現代の教育のありように対して、疑問や不満を持っている人は多いと思う。文部科学省の教育方針は猫の目のように変わりまくるが、これ即ち、世間の批判に右往左往しているということでもある。ゆとり教育がどうの、学力低下がどうの、と学校に対する批判の声はやたら喧しいのに、こんなどこからどう見ても問題のある教師が何の苦情もなく放置されたままだったというのを信じろと?
 苦情はあったが握りつぶした。
 憶測だが、十中八九、それに間違いないと思うな。現実に法に引っかかる事件を犯さない限り、多少トンデモなことをやってのけても、世間体を気にする学校はそんな教師を守りつづけるのである。学校に届けても埒があかないなら警察に行ったらと思うかもしれないが、警察と学校がツルンでたらそれもムリだろうね。結局、自分の子供が教師にどう扱われようと、ひたすら堪えるしかない。そんなとこに子供を預けなきゃなんない親もいい面の皮である。
 「この門をくぐりし者、全ての希望を捨てよ」(ダンテ『神曲』地獄編、第三歌)。
 これを全国の学校に掲げるようにしたらどうか。


 アニメ『クレヨンしんちゃん』、見逃すことが多いんだけど今日はちゃんと見る。「四郎さんSOSだゾ/台風が来るゾ/武蔵野剣太 竜子の一途な恋」。
 台風の巻は、大型台風の接近に、家が壊れたりしないかと心配した野原一家が強風対策をする様子を怪獣映画か戦争映画か、といった、テロップの多用で見せる。オトナなおトモダチだけが喜びそうなネタじゃないかって気もしないでもないが、ノリがよくて笑える。しかしこのアニメもレベルがよく落ちないよなあ。


 マンガ、斎藤岬『死神探偵シリーズ2 死神探偵と幽霊学園』第1巻(幻冬舎/バーズコミックス・567円)。
 「死神」と仇名される探偵・鹿神考(ししがみ・こう)の活躍を描くシリーズ第2弾。と言いつつ、中身は続編ではなく彼の学生時代に時間を遡っての前日譚になっている。でもまだ高校生だってのに、もうたくさん掻事件に関わってるんだな鹿神。最初の事件は小学生のときってか。それもいつか描かれる時が来るのだろうか。
 今回の事件自体は、廃墟となった旧校舎にまつわる「呪い」と、実際に起きた殺人事件、というものだけれども、前巻同様、キャラの魅力で読ませる。ミステリの探偵というものは、たいていは性格破綻者で、明智小五郎にしろ金田一耕助にしろ、事件が起これば自分の脳髄を発揮できる絶好の機会とばかりに嬉々として振舞うものだが、もうずっと「死神」扱いされている鹿神は、できるだけ事件にかかわるまいとする。この「及び腰の探偵」という設定が物語の節目節目でユーモアを醸し出す効果を上げていて、殺伐とした物語の重さを少なからず緩和している。
 ユーモアという点で言えば、鹿神の恋人(このころは未満)の金子みちるの天然ぶりとかもなかなか楽しいのだが、いくら覆面かぶってるからって、間近にいる自分の父親に気付かないというのは将来が不安にならないのかね、鹿神クン(^o^)。
 事件のオカルト性と言い、キャラクター造形には都筑道夫の物部太郎シリーズが影響を与えているんじゃないかと思われるが、鹿神はあそこまでものぐさではない。みちるを庇おうとする男気もちゃんと見せている。女性には特に受けやすい作品ではないかな。

2001年09月06日(木) 裸という名の虚構/『アイドルが脱いだ理由(わけ)』(宝泉薫)ほか
2000年09月06日(水) 妖怪っぽい〜妖怪っぽい〜♪/『ブロックルハースト・グロープの謎の屋敷』(シルヴィア・ウォー)


2003年09月05日(金) 土の下には虫くらいいます/映画『からっ風野郎』/『地震列島』

 秋からのテレビアニメ新番、『魁! クロマティ高校』のスタッフ・キャストが発表されたけれど、これがまたムダに豪華っつーかなんつーか(^_^;)。
 あのパトレイバーのエヴァの攻殻の、Production I.Gが製作ってだけでもビックリしてたのに、監督に決まったのが『アキハバラ電脳組』『だぁ!だぁ!だぁ!』『ななか6/17』の桜井弘明さんである。はてさてこりゃいったい、どんなものになるんでしょうかね〜。
 だいたい『クロマティ』くらいアニメに不向きな題材もないと思うんである。ロボットの変形もなけりゃ(メカ沢がいるじゃん! なんて無粋な突っ込みはナシね)、萌え美少女だって出て来ない(前田のママが……やめようね)。イマドキのアニメファンの趣味嗜好に堂々とそっぽを向いてるんである。マンガ原作読んでりゃ分かると思うが「動き」だって殆どないに等しい。
 どちらかというと桜井さんが今まで監督してきた作品は、その「変形と美少女」系だったから、アニメとして魅せる要素のつかみにくいこの原作を、いったいどう料理するつもりなのか、気になるのであるが、もしかしたら「こういうの」を待ち望んでいたのかもしれない。ともかく「これまでにない作品を作る」ことに果敢に挑戦してきたI.Gなんだから、期待はしていいと思うのである。もっとも単なる資金稼ぎのために作るって可能性もなきにしもあらずなんだけど。儲かってはいない感じだからなあ(^_^;)。
 キャストは、神山高志に『サイボーグ009』『金色のガッシュベル!!』の櫻井孝宏。あとは省略するけど、メカ沢新一に若本規夫・内藤玲・かないみかと3人もキャスティングされてるのはどういうわけだ。原作でも声が時々変わってたりしてたっけ。


 昨4日、午前8時半ごろ、青森県弘前市の雑木林でアケビ採りをしていた熊沢慶三さん(68)の前に、突然、クマの親子が出現。母グマは熊沢さん目掛けて突進してきたが、熊沢さんは転んだ拍子に偶然巴投げをかけた格好になり、クマはそのまま坂下に転落、小熊ともども逃げて行ったとのこと。熊沢さんはがっしりした体格から仲間内では「クマ」の愛称で呼ばれていて、「クマさんがクマを投げ飛ばした」と大評判だとか。
 なんかこういうニュースを聞くと、どうして『ウィークエンダー』は終わってしまったんだと思うよなあ。桂朝丸(現ざこば)さんに「〜なわけだ」と早口で報告してもらってたらさぞ面白かったろうにねえ。
 このクマさん、柔道の経験はないけれど、クマ狩りの経験はあって、恐怖感はなかったらしい。インタビューで、「奥さんは気が気でなかったでしょ」の質問に、「2人暮らししてるけど、全然。帰宅して『クマと戦った』と言ったら、心配どころか思いっきり笑ってました」と答えてるけど、この奥さんも豪傑だよなあ。一歩間違えれば死んでたってのに、旦那さんを信じてたのか呑気なだけなのか。
 政治だの経済だのってニュースより、こういう日常の中のちょっとした非日常(クマに遭遇するのはちょっとしたじゃすまないことではあろうが)な出来事の方が興味を引くのは、どんなに我々の生活に密接に関係してくるものであっても所詮は遠くの出来事でしかない政治よりも、身近な非日常の方が現実を照射する力があるからである。
 「今の政治は狂っとるねえ」と愚痴ってはいてもどこがどう狂ってるのか、適切に説明できる庶民はそうはいない。それにいくら愚痴ったところで、何がどう変わるものでもない。言葉はただちに彼方へと雲散霧消するしかない。
 けれど、こういう庶民の絡んだ三面記事というものは、家庭でも立派な話のタネとなり、引いては生きる活力ともなりうる。
 「人間、どこでどんな目に合うかわからんなあ。クマに合っちゃう人もいるんだものなあ」
 「でもアンタはクマに合ってもビビって逃げて、追いつかれて食われちゃうよね、きっと」
 「そうはならないよ。抵抗した方がクマは逃げるんだってことわかったし、まあ何でも逃げてばかりじゃダメってことだな」。
 トリビアの効能もこういう点にあるんだろうな。


 今日は職場の草むしり。日当たりがいいのか、草の種の吹き溜まりにでもなってるのか、年に数回、総出で除草しないと、建物がマジで草に埋もれてしまうのである。まあ、OVAパトレイバーの第1話を思い出していただければイメージは掴めましょうか。
 草を引き抜いてると、そこから当然、ミミズだってオケラだって出てくるのだが、まあ女の子が悲鳴を上げること上げること。ムカデやクモは特に「刺される刺される」と逃げ惑っている。ムカデはともかく、このあたりのクモが刺すかあ?
 女の子の一人に「そんなに虫が嫌いかね」と聞いたら、「嫌いです!」と言って私をキッと睨んだ。いや何でそんな憎悪の目で私を見るか。私が虫をけしかけたわけじゃないぞ。
 「蟋蟀とかはかわいいでしょ。ほら、コロコロ鳴いてるし」
 「鳴いても虫です!」
 まあ、そりゃそうだ。
 「聞いてくださいよ、うちのおばあちゃんなんか、ゴキブリを足で踏んづけるんですよ!」
 そう言われても昔の女性はみんなそんなもんなんだがなあ。おかしなもんだよねー、女性解放のフェミニズムがどうのって声が大になればなるほど、現実の女性はどんどん男に甘えて弱くなっていくんだから。
 つか、今の女性、ホントに「土」から離れて暮らしてるんだね。汚いものは嫌いっていうの? それって誰にでもはっきりわかる偏見なんだけど、普通思っても口には出さないんだけど、そういう羞恥心も消え去っちゃったっていうのかね。
 こういう女性ばかり見てたら、映画としては面白くないけれども、農村に嫁ぐ女性を描く『おもひでぽろぽろ』を作りたくなる高畑勲の気持ちもわからないではない、と思ってしまうのである。


 CS日本映画専門チャンネルで増村保造監督・三島由紀夫主演の珍品『からっ風野郎』。
 珍品とは言ったが、それは主演が三島由紀夫だからと言うだけのことで、映画自体はごく普通のヤクザ映画である。昔見たときには三島由紀夫の超大根演技に呆然としちゃったもんだが、水野晴郎を知ってからはこれでも随分マシに見えてしまうのだから長生きはするものである。
 でもやっぱり酷いな、三島由紀夫。たとえて言えば、田中邦衛の口マネをする加山雄三なみに大根。増村保造にこってり絞られたとの話ではあるが、それでもこれが限界でしたか。だって「芝居してます」ってのがセリフからも仕草からも見え見えなのがねえ。どの映画評を見ても誉められてる例を見たことがないが、
 唯一凄みを感じさせたのがラストで死ぬシーンの表情なんだけれど(まあこれはネタバレさせても構うまい。こんなバカキャラが最後まで生きてるなんてことありえないから)、まるで本人の未来を暗示してるようだね。そう言えば『人斬り』でも『憂国』でも死ぬ役でしたね、三島さん。


 続けて『地震列島』。1980年製作のパニック映画だけれども、この時分にこの手の映画がやたら流行ってたのはなぜかってのを若い人に説明するのはなかなか難しい。
 1970年代中盤くらいから始まっていた、プログラムピクチュア製作から大作路線へ転換していく映画界の流れと、洋画では『ポセイドン・アドベンチャー』『タワーリング・インフェルノ』、邦画では『日本沈没』に端を発したパニックもののヒットとが丁度あいまったから、くらいの分析しかできん。
 90年代よりも70年代後半の方が、よっぽど世紀末的雰囲気は強かったのである。この流れの中で『ノストラダムスの大予言』のヒットもあったわけなのですね。
 で、この『地震列島』、昔見た当初は、いい加減パニック映画にも飽き飽きしてたこともあって、ハッキリ言ってつまらなかった。
 主役の勝野洋、これが前途有望たる地質学者だったんだけれども、政府の防災対策が全く立てられていないことに業を煮やして、「関東を襲う大地震が30日以内に起こる」と世間に公表してパニックを起こそうとしたトンデモないヤツ。これで地震が来なけりゃただの風紀紊乱の犯罪者じゃん、とか思ったものだったが、映画はもちろん都合よく地震が来てくれるので、よかったね勝野さん、といったところなんである。地震の予兆にしっかり「動物が騒ぐ」ネタも挿入されていて、ホントに地震学者が監修しとんのかいな、と首を捻ったものだったが、まあ地震予知なんて所詮その程度のレベルなんだろうね。
 パニック映画定番の「大作感」もこのころにはすっかり薄れてきていて、キャスティングが相当苦しくなってきている。主役の勝野洋もそうだけれど、ヒロインが松尾佳代である。……いくらなんでもほかに誰かいなかったのかね。もう一人のヒロイン、多岐川裕美もこの手の映画にやたら出演していて食傷気味であった。確か思ったほどヒットしなかったのではないか。
 あと、子役で松田洋治くんが出演。

2001年09月05日(水) 中華幻想/『仙人の壷』(南伸坊)ほか
2000年09月05日(火) 日向ぼっこしてるヒマに本が読みたい/ムック『アニメスタイル』2号ほか


2003年09月04日(木) また誤読する人はいるかもしれないが/『福岡口福案内 地元の美食家が自腹で調査』(口福倶楽部代表ヤマトモ)

 個人批判だと勘違いされても困るので、「某ホームページの某掲示板」と書いておくが、そこを覗いてみたら、なんかちょっと首を傾げたくなるような書きこみを見つけた。
 曰く、「博多の人間は福岡の人間をコバカにしている」。
 他地方の人にはそもそも関心外というか、何のことやら見当もつかないだろうが、福岡市は那珂川を境にして、東を博多、西を福岡と昔から分けて呼んでいる。もともと黒田氏が福岡に城を構えた際に、自国の「福岡」の地名を移殖したのが始まりである。それ以来、博多は商人、職人たちの町人の街となり、福岡は城下町、武士の街となった。廃藩置県後もその気風は受け継がれ、「博多っ子」とか「博多んもん」と矜持を持って言った場合には、福岡の人間は指さないのが普通である。
 あまりくだくだしい説明は避けるが、長い歴史の中で身分によって差別されてきたのは、博多の方なのである。市名を福岡市にするか博多市にするかで投票が行われ、一票差で福岡市と決定し、博多人が涙したことは地元では有名な話である。その代わり、国鉄が開通したときには駅名は博多駅とすることが定められた。区画整理で「博多区」が誕生したときには昔ながらの博多っ子の喜びはいかばかりであったか。これは単に地域の対立という謂いではなく、「差別撤廃」の凱歌であったのである。
 そういう歴史的知識があるなら、博多人が福岡人をコバカにすることなど有り得ないことは容易に想像がつこう。博多人には商人としての、職人としての誇りがあり、それが権力に対する「反骨」という気風をも生んでいるのだが、恐らく書きこみをした人は他地方の人で、博多人の矜持を尊大と勘違いしたものではなかろうか。
 まあ私もそうだが、博多の人間はお偉いさんに媚びる人間は大嫌いである。社会的なオトナの事情で、上の者の命令に従わねばならないこともありはするだろうが、心まで売り渡しているわけではないのだ。以上、「なんで博多の人はあんなに自分の土地に拘りを持ってるのかなあ」という疑問のある方のために説明しました。こういうのいちいち解説するのも博多人にとってはホントのとこ、恥ずかしいんだけどね。


 CSアニマックスで9月1日から『ハイスクール!奇面組』が再放送されてるんだけど、コッソリ録画しているのをしげに見つかってしまった。
 「なんでそんなん録るん!?」と怒ってたけど、しげ、このマンガは好きだったはずなんだがなあ。
 いや、このマンガが原作もアニメも、そんなに面白いものではないということも承知してはいるのである。初期のものは特に、「個性を大事にしよう」とか日教組的スローガンを前面に押し出した長ゼリフがやたら多くて、ギャグマンガじゃないんかいこれは、と、いささか閉口しながら見ていたところがある。
 原作者の新沢基栄さんのそういったリクツっぽさは、ともすれば描かれるギャグそのものを無効化してしまう危うさをも内包していたのだが、にもかかわらず『奇面組』シリーズが今なお命脈を保っていられるのは、やはりあの「名前のダジャレ」に負うところが大きいと思う。上手いものもありはするが、たいていはムリヤリ作ったヒドイ出来のものばかりだ。けれどそこまでのものになると、その酷さにかえって笑ってしまうのである。
 主役の「一堂零」などはシャレとしては珠玉の出来であろう(もっとも、今はなき劇団「青い鳥」の共同ペンネーム「一堂令」のほうが先ではあるが)。でもインパクトの強さでいけば、「冷越豪」のほうが圧倒的にもの凄い。「レッツゴー」のシャレなら、普通は「烈津豪」とかしそうなものだろう、どうせそんな名字あってたまるかと突っ込まれる点では同じなんだから。でも、一瞬何のシャレだかわかんないこのデタラメさ。「これ何のシャレ?」というのが当時はよく話題になっていたものだ。
 それと私は、『奇面組』のアニメを全話見ているわけではないので、原作には登場するけれども、アニメではカットされたキャラがどれくらいいるものか、確認してみたいのである。もちろんその逆に、アニメオリジナルのキャラがいるものかどうかも気になっていた。今パッと思い出せるものはと言えば、五重塔対決のエピソード(映画にもなった)が、30分枠に合わせて三重塔に階数が減らされたために、怒裸権榎道と爺面七重吾がカットされていたのとか。まあ若木市猿をリーダーにしたのは正解だったとは思うが、やはり奇面組との五対五のキャラ対決を見たかったとも思うのである。
 「婦組」はアニメに登場したのかなあ。総勢10人で、当時のアイドルの名前をモジッていたのだけれど、これは映像にはできなかったかもしれない。懐かしがりやの人のために、10人の名前を列記しとこう。「子役締ひろ」「斎藤つか」「吉和原かしえ」「小河合なお」「松茂問代」「小今日泉子」「菜中森明」「堀地えみ」「知田原代」「雪中路まみ」。記憶だけで書いてるんで字は間違ってるかもしれない(^o^)。松田聖子を入れずに中島みゆきを持ってくる当たりが新沢さんの「拘り」だったのかも。


 口福倶楽部代表ヤマトモ『福岡口福案内 地元の美食家が自腹で調査』(南々社・1260円)。
 博多駅の紀伊國屋書店にやたら平積みしてあるんだ、この本。
 オビに「福岡初の個人による飲食点評価ガイド」とある通り、作者のヤマトモさん(お医者さんらしい)が自分の足で食べ歩いた店の味を五つ星で評価したもの。
 日本料理、フランス料理、イタリア料理、中国料理、餃子、各国料理、カレー、寿司、ふぐ料理、天ぷら、うなぎ、鍋料理、居酒屋、定食、家庭料理、焼肉料理、洋食、とんかつ、ステーキ、もつ鍋、ホルモン料理、お好み焼き、そば、うどん、ラーメン、中華そば、ちゃんぽん、ワインバー、バー、喫茶、ケーキ、甘味、屋台と、福岡の名店2500軒を回って、267軒を厳選(九州各県26軒と全国71軒の名店も掲載とあるけど出張のときに食べたのかな)している。
 とは言っても、これを全てヤマトモさんが調査したのではなく、ミニコミ誌の会員やWebの仲間の協力をも仰いだもののようである。それにしても滅法界な努力をされたものだ。
 「伝統の味」というものを否定はしないが、味覚は結局個人の感性であるから、作者たちの評価を絶対的に正しいものとは思わない。けれど、この本の方針は、<自腹・覆面・本音で採点>ということである。グルメ本の提灯記事なんぞに比べれば、ずっと参考になる。
 知っている店もいくつか散見するのだが、なにしろウチの妻は「ファミレスとファーストフード」でしかモノを食おうとしないやつなので(高級料理店はカネがもったいないと行きたがらないし、居酒屋や定食屋の類は大嫌いである)、なかなか行く機会がない。
 ラーメン屋は何とか知った店が載っていて、川端の「どさんこ」が四つ星だったのはうれしかった。福岡にも昔は札幌ラーメンの店がたくさんあったのだが、ブームが去ると同時にめっきり少なくなってしまった。ここはその数少ない名残の店なのだが、味噌に地元のものを二種合わせて使い、九州人好みの味(甘口)にしてある。もっとも、しげをここに連れて来ても、絶対に味噌ラーメンを注文しないのだけれど。
 ラーメン屋では「一風堂」も四つ星だったけれど、それほどかなあ、と思ってよく見たら、これは大名本店のみの評価(支店は星2.5)。ここでしか食べられない「かさね味」というのが美味いらしい。「スープは中庸で脂も浮いていて、臭くはないが好みは分かれるところだろう。自家製麺は少し縮れ気味の中麺で。博多ラーメンにしてはやや太めだが、シコシコのコシと小麦の素材感がすばらしい」とある。ここまで書かれると食べに行きたくなりますね。
 この本、福岡以外では売ってるのかなあ。売ってたとしてもそんなに部数は出てないようにも思うけど。興味のある方は、下記のサイトをご参照のこと。

 http://hw001.gate01.com/yamatomo/

 ついでに岩中祥史『博多学』も新潮文庫になりましたので、合わせてどうぞ(^o^)。

2001年09月04日(火) 虚構としての自分/『マンガと著作権 〜パロディと引用と同人誌と〜』(米沢嘉博監修)
2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)