無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年09月05日(水) 中華幻想/『仙人の壷』(南伸坊)ほか

 昨日はピーカンだったってえのに、今日はいきなリ土砂降りだぜ。
 ここしばらく外での土方(差別語だっていうヤツがいるが土方自身が土方って言ってるの見たこと何度もあるぞ。第一「土」「方」のどこに差別性があるってんだ)仕事が続いているので、正直言って雨に降られるとマジで辛いのだが、残念ながら私の超能力は聖徳太子の3分の2ほどしかないので、せいぜい雨を小降りにすることくらいしかできないのである。
 ……いや、本気で信じるなよ。
 騙されるやつはそうそういないとは思うが、一応こう書いておかないと、本気で「雨を降らしてください」とか、「ちょっと呪いたい相手がいるんですけど」なんて言ってくるやつがいるからな(←実話)。
 本当は風を呼んで雲をちょっと吹き飛ばせる程度です(^◇^) 。


 南伸坊『仙人の壷』(新潮文庫・460円)。
 中国の伝説を漫画化した作家、というと、真っ先に思い浮かぶのは諸星大二郎なのだが(『孔子暗黒伝』や『徐福伝説』、『無面目・太公望伝』『西遊妖猿伝』『諸怪志異』など、相当な数に上る。氏の作品を読んだことがない、なんて言ってたら、漫画読みとしては信用されないのでマニアになりたいって人はご注意を)、厳密に言えば諸星氏は「中国の伝説をもとにして」、換骨奪胎したパロディを書き続けているのである。
 南氏が以前に上梓した『チャイナ・ファンタジー』は、伝説を伝説のままに、ほとんど脚色ナシでマンガ化したもの。本作はその続編(一部は再録)で、ごく短い志怪小説が、南さんの解説つきで16編、紹介されている。
 ほぼ一頁につき2コマ、上段と下段に分けただけのシンプルなコマ割りだけど、これは当然意図したものだろう。「絵巻」的なムードもあって、いかにも中国風(なにがやねん)、これが実に味わいぶかい。
 南さんも文章解説で述べているが、中国の古典は簡にして要、その淡々とした語り口が魅力である。妖怪がいたら殴る。女がいたら抱く。ちょっと単純過ぎる嫌いがなくもないが、中国人から見たら日本人の愁嘆場なんかまどろっこしくってかなわないのだろう。
 畢竟、中国の不思議譚は、ムダがなく、精錬されたユーモア、あるいは恐怖が味わえるものが多いのだ。

 「四足蛇」の話など、男が四本足のヘビを捕まえたら(それ、トカゲとちゃうの?)、男本人にはそのヘビが見えるが、他の人には全く見えない。思わず男はヘビを投げ出したが、途端にヘビはその姿を現した。しかし今度は男の姿が見えなくなってしまった。
 「透明人間」って、伝染病だったのか(⌒▽⌒)。

 日本人なら、そこに何かの小理屈をつけたがるところである。つけられない場合はもともと記録自体、しなかったのではないか。
 心霊写真があれば、必ず「そこは昔の戦場」とか、「自殺の名所」とか、説明しなきゃ気がすまない民族だからねえ。解説できないものを極端に嫌うのだ。……だから差別や偏見が多いんだよなあ。

 でも、日本にだって、「不思議」を「不思議」のままに、特に解説することもせず、ただ記した物語がないわけではない。
 小泉八雲が『骨董』中で紹介した『茶碗の中』がそうである(小林正樹監督によって『怪談』中の一編として映画化もされた)。

 関内という武士が、茶碗に茶を注いで飲もうとしたら、そこに美男の姿が映った。驚いて茶を捨ててもう一度注いだが、また美男の顔が映る。
 関内が腹を立ててその茶を飲み干したところ、夜になって、一人の若侍が関内を訪ねてきた。
 「先刻、貴殿はそれがしをひどく傷つけなさいましたな」
 関内は抜刀して侍を切ったが、一瞬にしてその姿は掻き消えた。
 翌晩、三人の男が関内を訪ね、「貴殿はわが主人を傷つけなさいましたな」と詰問した。関内はこの三人も切ろうとしたが、その姿はやはり影のように消えた。

 これで終わりである。若侍は何者だったのか、この後、関内がどうなったのか、一切書かれていない。書かれていないからコワイ。
 小泉八雲は「この結末は読者の想像に任せる」としているが、多分この物語はこれで終わりで、続きなどはもともとないのだ。
 日本人も「恐怖」と「不思議」の関係をよく知っていた一例ではなかろうか。

 でも、もしかしたらこの話も中国の古典にネタがあるかもしれないんだよねえ。
 「人情に拘泥しているこちらの方が未練たらしく感じられる」と南さんも書いているとおり、日本人はどこまでいっても「理屈」をこねくり回さないと落ち着けない、不安神経症が身に染みついた民族なのだ。

 ここでちょっと、私も南さんに倣って、好きな志怪小説の一編をご紹介しておこう。原文から直接訳したので、著作権侵害の心配は一切なし(^▽^) 。
 『列異伝』(あの『三国志』の曹操の息子、文帝・曹丕が撰したもの)の中から、『談生と幽霊』。談生は別に落語家ではありません(^o^)。

 談生は四十も過ぎようというトシなのに嫁の来手がなかった。
 毎日、詩経を読み感激して泣いてるようなヤツだから当然のことであろう。
 ある夜、十五、六歳くらいの少女が、談生のところを訪ねて来た。
 その容姿はおろか、服のセンスに至るまで天下一品、頗るつきの美人である。
 談生に寄り添ってきたので、その夜のうちに夫婦になってしまった。
 少女が言うには、「ごめんなさい。実は私、人間じゃないの。だから火で私を照らして見たりしないでね。でも三年経ったらもう照らして見てもいいわ」
 少女は、妻となって談生の子供を一人生み、その子が二歳になった。
 談生はガマンできずに、夜、少女が寝たのを見計らって、こっそりと少女を照らして見てみた。
 少女の腰から上は肉付きのよい普通の人間の体だったが、下半身は骸骨があるだけだった。

 ご覧の通り、『雪女』プラス『牡丹燈籠』って感じだけど、この手の類話はたくさんあるのね。
 じゃあ、何故これが好きかっていうと、やっぱりツッコミどころがいくらでもあるとこ。
 『詩経』はもちろん「四書五経」の一つで、儒教を学ぶための必須本。「科挙」の試験に受かるためにはこれが暗記、解釈出来なきゃいけないわけで、言ってみりゃこの談生って男、東大に合格するまで、ずーっと浪人してガリ勉してるようなヤツなんだね。
 つまりこいつは四十まで独身だってだけじゃなくて、未だにプー。
 今の日本にもこんなヤツ、いそうな気がするな(^u^)。笑い事じゃないな。私だってしげみたいな物好きがいなきゃ未だにこれに近い状態かもしれない。
 やたらとオタクな趣味に走って、世間の偏見も何のその、女なんかに目もくれずにDVDだムックだ同人誌だと……ああ、イタイ。
 で、こんなヤツがいったん、女にハマっちゃうともう、落ちていくしかないのだよ。……四十過ぎて、十五、六の娘を、出会ったその晩のうちにいきなリ……だもんなあ。こいつ多分、この後は『詩経』なんか1ページも読んでないね。
 こういう話の定番として、男は女との約束が絶対に守れないのな。ルーツはやっぱりギリシャ神話の『オイデュプス』かな。
 やっぱりこの話の後、談生と少女はどうなったのかとか、そもそも下半身がなくてどうやって子供を作ったのかとか、いろいろ疑問はあるが、そんなことはこの編者にはどうでもよかったのであろう。
 「実は奥さまは骸骨だったのです」でオチ。

 さて、この話の教訓はなにか?
 私にゃどう考えても、「勉強ばかりしてると、脳が膿んで、若い女に騙されるぞ」って感じにしか受け取れないんだが。
 ……ああ、やっぱりなんだか自分の運命なぞってるみたいでイタイ、イタ過ぎるっスよ(T∇T) 。
 

 今朝がた洗濯機を回しておいて、しげに干しておいてくれるよう頼んでいたのだが、帰宅してみると何もしていない。昨日もそれで仕方なくもう一度洗いなおさなきゃならなかったのだが、まただ。
 「なんで頼んどいたことしてくれてないんだよ」
 と言うと、
 「だって、自分は洗濯物、洗濯機に突っ込んで回すだけで、干すのは私? ずるい」
 ああ、クソ、こういうことをノウノウと言ってのけるから私が切れるのだ。
 ……その、洗濯機で洗濯物を回すことすらしないでいるから、仕方なく私がやってるんだろうが。
 全部私がやったら、しげは家事を何一つやらないことになるんだぞ。
 で、実際に全部私がやってることも多いし。
 ズルくて卑怯なのはどっちだ。わかりきってる話じゃないか。
 「さっさと干せ!」と怒鳴りつける。
 ……ああ、ストレスが溜まる。


 CSファミリー劇場、『ファミリー探検隊』の今月のゲストは、仮面ライダー2号の佐々木剛さん。
 大ケガされたこともあったせいだろうけれど、1号の藤岡弘さんと比べても随分老けちゃったなあ。でも、お元気でいらっしゃるだけでも素晴らしいことなんだけどね。
 佐々木さんが撮影中のバイク事故で怪我した藤岡さんの代役として2号ライダーに扮したことは今更紹介するまでもない有名なエピソードだが、他にもいくつか、初めて聞く話があって(まあ、私が知らなかっただけかもしれんが)、面白い。
 仮面ライダー1号は、中に藤岡さん自身が入っていたために、事故が起きたので、一般的には2号ライダー以降はスタントマンが中に入っていたと紹介されることが多かった。
 でも、佐々木さんの話によると、「スタントマンの気持ちもわからないといけない」ということで、サボテグロンと戦ったときを含めて、都合3回、スーツの中に入ったそうである。
 「視界は狭いし暑いし」って、そりゃそうだろう。
 でも、そのスタントマンさんたちも必ずしもベテランばかりとはいかなかったようで(大野剣友会の初期のころなのかな)、エンディングでライダーに倒されて滝壷に落ちていく6人の戦闘員のうち、4人は泳げなかったとか。
 「だから臨場感あるんですよ。腹から落ちてるし」って、それ、下手すりゃ人死に出てるって(^_^;)。
 佐々木さん自身、スタントは積極的にこなしていたのだとか。
 ヘリコプターにぶら下がるアクション(『キイハンター』以来の東映の伝統芸だね)は、地上10メートルの高さで突風に煽られて、死ぬ思いをしたのに、ラッシュを見たら、全部後ろから撮られていて自分だとわからなくて腹が立ったとか。
 こういうウラミツラミも混じった話こそが、人間味があって楽しいのである。毎週『ファミ探』は内容が変わるので、来週はどんなエピソードが出てくるか楽しみである。


 『オンリー・ムービーズ・コム』というウェブサイトで、「映画史上最も恐ろしい悪役」という投票を行ったそうな。
 1位がハンニバル・レクター博士、2位がダース・ヴェーダー、3位がノーマン・ベイツ。
 ……さて、この結果に納得される映画ファンは果たしてどれだけおられるのだろう。
 と言うか、この三人、「悪役」って言えるキャラか?
 「悪役」というからには「善」と「悪」との二項対立があってこそだと思うんだが、レクターとノーマンにはそもそも対立すべき「善」というものが明確な形では存在していない。
 しかもこの三人、次作以降でみんな「いいヤツ」になっちゃうのだ。
 というか、レクター、そのシュミを除けば最初から「いいヤツ」だし。
 ……ノーマン・ベイツのラストなんて、知らない人が多いだろうなあ。『サイコ4』、いっぺんレンタルででも見てみるといいのだ。こんなアホな結末、滅多にないから。
 総じて「悪役」の概念ってのが違うのかなあ、という気がしてしまう。
 純粋な悪役ってのは、ヴァン・ヘルシングに対するドラキュラ伯爵みたいのを言うんである。ちょっといいやつ、なんて妥協があっちゃいかんのだ。
 
 
 漫然と『目撃!ドキュン』を見ていると、失踪したダメ夫の借金を、嫁と姑のどちらが払うかで揉めるという、全くこんなのがテレビの企画としてよく通用してるよなって言いたくなるような、なんとも世紀末的な(まだ百年ほど先だが)どうでもいいような内容。
 そのどうでもよさが好きでこの手の番組はよく見てるのだが、しげが「なんでこんなの見てるの?」と疑問を呈する。
 まあ、わざわざスタジオに呼んでバトルさせるあたり、十中八九、ヤラセだろうな。でも、たとえヤラセだろうと、視聴者は他人の不幸を見るのが大好きなのだ。でなきゃこの程度のダサイレベルの演出で騙されたりするものか。
 世間の知的レベルなんて『渡る世間は鬼ばかり』をいいドラマだと本気で思いこむ程度のものなのだ。
 こういうどうしょうもない番組ってのは、ナンシー関に指摘されるまでもなく、テレビには充満している。
 そういう情況自体を楽しむスタンスも現代を読み解く重要な手段だろうと思うんである。
 下品をバカにするなかれ、だね。


 シティボーイズのファンサイトに、例の『ラ・ハッスル智恵子ショー』のカットの理由がアップされている。
 WOWOWの回答は、「当コントは、詩人・高村光太郎とその妻・智恵子を題材にしたコントですが、放送にあたりその内容を検討したところ、表現内容に不適切なものがあると判断し、主催者側と協議の上、番組内容から削除致しました」ということだそうな。
 この「不適切」って言葉の内容を説明しないところ自体が卑劣きわまりない。
 「差別」だとはっきり言っちゃうと、逆にあちこちから突っ込まれかねないからボカしているのがミエミエだ。
 きたろうさんも『PINKY YELLOW』の中で、「一番時間をかけて創ったコントが放送できませんでした。ものすごく残念ですが、著作権やら、大人の社会の難しい問題があるようです。適当に想像してください。幻の作品になりましたが、ライブの興奮は映像化されない方が残りそうです」と語っているが、となるとDVDの際も収録されない可能性は大である。
 この手の問題では、いい加減腹が立って来てるので、こうなったら言ってやるぞ。
 「差別をなくそう」なんて偽善を語るのはもうやめてしまえ。
 人間の心は基本的に差別をするようにしか出来ていないのだ。
 人間にできることは、自分自身の心の差別を運命として受け入れることと、他人の差別を赦すことだけなのだ。
 ……言っても聞かないことは知ってるけどさ。「差別」に触れないでいることの方が、どんどん差別できるってこと、差別者たちはよく知っているからね。
 
 
 CS時代劇専門チャンネルを何気なく見ていると、なつかしの『吉宗評判記 暴れん坊将軍』第一シリーズが。
 ちょうど見てたのが『132話 駆けろ!天下の紀州号』ってヤツ。
 おっ、ヒロインのたまえ役、特撮ファンにはお馴染みの斎藤浩子だ、とか思いながら見てたんだけど、ストーリーを追っかけていくうちに、アレ? この筋、どこかで見たことあるぞ、と感じ始めた。
 吉宗がアラビア産の紀州号という馬を輸入して、日本の馬の品種改良をしようとするのだが、古来より日本馬の産地として有名な南部藩は猛反対。
 どちらの品種が優秀か、ということで「早駆け」が催されるのだが、なんとその直前に紀州号が行方不明になる。現場に残された「白い布」を頼りに、紀州号の捜索が始まるが……。
 ……はっはっは。いやもう、ミステリファンには一目瞭然、元ネタは言うまでもないねえ。
 コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの回想』中の名編、『銀星号事件(シルバー・ブレイズ)』だ。
 いや、まさか『暴れん坊将軍』を見ていて『シャーロック・ホームズ』に出会えるとはねえ。これだから時代劇は油断がならない。
 よりミステリ色の強い横溝正史の『人形佐七捕物帳』なんか、『恩愛の凧』はやはりホームズの『ソア橋事件(トール橋事件)』を元にしてるし、『百物語の夜』はクリスティーの『オリエント急行殺人事件』だったりする。
 こういうのを調べていくのもオタクの使命の一つだと思うが、八幡の藪知らずに迷いこんだようなもので、キリがないのも事実なのな。
 『市民ケーン』の元ネタがクイーンの『Yの悲劇』だってことも故・瀬戸川武資さんが指摘するまで、だれも気づかなかったしねえ。いや、私もだ。両方知ってたのになあ。


 CSキッズステーション『こみっくパーティ』第3話。
 すっかり毎回可愛いゲストを出すのが定着したこのシリーズ、今回は主人公の和樹が同人誌即売会に臨む話。隣のブースに、いかにも内気なメガネっ娘が座るが、どうも個人誌を作ってるって設定らしい。しかもパロじゃなくてオリジナル本。……アレだね、引っ込み思案だけど、実は心に強い情熱を秘めてるってのがこれほど解りやすいキャラもいないな。
 でも、パロやらずにオリジナルって姿勢、私は大好きだ。パロやってるとパロしかやれなくなるものなのよ。
 しげがチラリと見て、「アンタ、こういう女の子が好み?」なんて聞いてくる。またいきなリ何を聞いてくるかな(まあ、好みじゃないとは言わんが)。
 以前、「オタクな趣味を理解してくれる女性はオタクにとっては理想」なんて
こと言ったせいかな。
 でも基本的に趣味ってのは独りでするものなので、「一緒に映画を作る」なんて共同作業でもない限り、趣味が一致してるから仲がよくなるというものでもない。
 相手の趣味を理解してくれればいいだけなのだけど、それができない心の狭いやつが多過ぎるんだよなあ。そのクセ自分の要求だけは押し通そうとするのだ。


 DVD『ゴージャス』、劇場で見たときは当然広東語版であったので、吹き替え版で見る。
 ジャッキー・チェンの声は当然この人しかいない、石丸“兜甲児”博也。なんだか本人の声より吹き替えの方が合ってるように感じるのは、コロンボの故・小池一雄さんと同じだな。
 ヒロイン、スー・チーの声は雨蘭咲木子。テアトルエコーの人で、人気も結構あるらしいが、私はよく知らなかった。やや甲高い声だけど、可愛らしさの中に色気もあって、なかなかいい感じである。
 特典の一つにジャッキー・チェン完全フィルモグラフィーが収録されてるのだが、ビックリしたのは1982年の項に、『伊賀忍法帖』とあったこと。もちろん、この間買ったばかりの日本版DVDにジャッキーが出ているシーンなんかない。
 これ、『怪獣王ゴジラ』と同じで、後でジャッキーの出演シーンだけ撮り足したものだろう。現物を見ていないから何とも言えないのだが、せいぜい1シーンか2シーン程度の出演ではないだろうか。
 笛吹城太郎の親友役とかでちょっとだけ顔合わせるシーンがあったりとか。いや、勝手な憶測だけど。

2000年09月05日(火) 日向ぼっこしてるヒマに本が読みたい/ムック『アニメスタイル』2号ほか



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)