無責任賛歌
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| 2003年06月26日(木) |
書かでもの記/『コミック★星 新一 午後の恐竜』(白井裕子ほか) |
俳優の八代駿(やしろ・しゅん)さんが昨25日、脳梗塞で死去、享年70。 八代さんがテアトルエコーの舞台は、大学時代にグータロウくんと一緒に『一発逆転』を見に行ったことがある。主演は小松政夫さんが招聘されていたが、八代さんも司祭役で登場されていた。舞台で右往左往するだけのほんのチョイ役ではあったが、声を聞けば「あっトムさんだ」とわかるので、なんだか昔馴染みに偶然会ったように親しみを覚えたものだった。 版権が切れているせいだろう、八代さんのトムさんの声はもうテレビでもDVDでも聞けなくなっているが、あの独特のセリフ回しは今でも耳に残っているのである。 科学実験所から逃げ出した白いネズミを蹴飛ばして、爆発したあと、ボロボロの情けない顔で「どう、なってるんだ、ろう、なあー」って言ったり(文字で表現するのは不可能である)。 ネズミをいじめたりしなければ百万ドルを相続できるのだけれど、ジェリーにからかわれてついにキレちゃって、思わずジェリーをぶっ飛ばしたあとのセリフ。「しまった。これで、もう、百万ドル、もらえないんだあ。……でも、いいや!」 もう、あのセリフは二度と聞けないのである。せめて、こんなセリフもあったよねえ、と、ときどき語っていきたい。
今日まで気がつかなかったが、東宝映画でお馴染みの山本廉さんも17日に脳出血で亡くなっておられた。享年73。 最近、なにかの2時間ドラマで白いヒゲを生やされてお年を召されたお顔を拝見したばかりだったが……。この人も、脇役一筋だったが、画面の片隅にでも連さんがおられると、フシギと「ああ、私は映画を見に来たんだなあ」という気分にさせられたものだった。 記念すべき、ゴジラ最初の被害者(いったん助かって、またやられる)として特撮映画の歴史に残る方でもある。平成以降のゴジラシリーズがゴジラっぽく感じられなくなっていたのは、廉さんのような大部屋俳優の人たちが醸し出す「映画らしさ」がなくなっていたことにも原因の一端があったように思う。
毎日の恒例のようになってしまったが、例の心の弱い同僚、今日もトバしてくれている。 こないだの会議で途中退席したのは書いたが、会議に出席していたときに決めた内容までキレイサッパリ忘れているのである。ともかくこの人のアタマの中には予め「結論」があって、自分の意向に合わない意見は自然に封殺されてしまうらしい。「それはちゃんとこれこれこういうことになりましたよ」と言ってもムダなのである。かと言って、あまり強く言うと、ブツブツ独り言を言い出すのである。小さな声で「そんなこと言われても私にはムリなんだから、ブツブツ」とか、虚空を見ながら陰にこもった声で呟いてるのである。怖いのである。 せめてこの人の記憶障害だけでも何とかできないものか。でないと仕事がどんどん歪んでって修正がとても難しくなっちゃうのである。 とかなんとか考えてたら、いきなり「有休取って帰ります」ときた。なんか虫の居所が悪くなっちゃったらしい。それは私に言われてもしょうがないので、上司に連絡するよう促したのだが、「あの人は聞いてても忘れるから」と来た。 お前が言うこっちゃねえええええ! で、実はその上司も今日は出張でいないのであった。同じ部署にいるのに、お互いのスケジュール、全然把握しあってないのな(-_-;)。
晩飯は、仕事帰りに買った海苔弁だけれど、なんだか食欲がなくて、帰宅して数時間は食べず。こういうことは滅多にないのだが、やはり心の変調がカラダに影響を与えているのだろうか。
夜のチャットは、鍋屋さん、お久しぶりのあやめさんと。 鍋屋さんには「第12回トンデモ本大賞」のレポートを書いて頂いたので、その校正をお願いする。私も一通り見はしたのだが、やはりいくつか誤字の見落としがあった。 あやめさんにはこないだ、ウチのチャットが「男くさい」と言われていたので、もう、ご来臨下さらないかと思っていたのだが、杞憂であったようで、ホッとする。
昨日のことであるが、友人の某くんから(^o^)、緊急のメールがあった。 なんだか血相変えて(メールだから顔は見えないが)「2ちゃんねる見ろ見ろ!」と言うのである。なんでも私や妻のことが話題になっているらしい。 彼が大袈裟に騒ぐときはたいてい大袈裟なことが起こっているのであるが、言われたスレッドを覗いてみたら、要するに、ここのURLが貼られていたということなのである。 そこは例の、私が以前は出入りしていて、今は閉鎖されてしまったホームページに関するスレッドで、私のことも何度か話題になっていたのだが、ここしばらくはたいした展開もなく、随分と静かだった。それを寂しく思った誰かが、元住人ということで私を俎上に乗せたものだろう。 某くんはしきりに「誰のしわざだ!」と立腹しているが、友人に先に怒られてしまうと、私としては「まあまあ」となだめるほうに回るしか仕方がない(^_^;)。 まあ、こういう好き勝手なこと書いてるホームページであるから、どこぞで叩かれることもしばしばであるので、今更怒ったりもしないのだが、今日になって、某くんは、わざわざ電話までしてきた( ̄∇ ̄;)。 彼が心配しているのは、しげの動向なのである。そこでいろいろ書かれてることに対してキレたりゃしないかと言うのだ。 「キレてないよ。状況が違うし」 「それならいいけど」 つくづく心配性な悪友を持ったものだ。いや、気持ちはとてもありがたいのだが。 だいたいしげが泣いたりわめいたり、意固地になったりするのは、私が誰かを「好き」になったり、「好かれ」たりしたときにジェラシってそうなるのであって(と言っても、通りすがりのきれいなねーちゃんに目が行っただけでヤキモチ焼かれるレベルだ)、私が嫌われたり叩かれたりするのは全然平気なのである。つーか、楽しんでるし。今回も、私がネット依存のような書かれ方をしている部分に反応してキャイキャイ喜んでいるのである。……そこまで楽しがられると少しは怒れよって言いたくなるな(~_~;)。 某くんは、私やしげが2ちゃんねるに書きこみをしてるように疑われてることについても憤っているのだが、いくら私が「どこのスレッドにしろ、2ちゃんねるに書きこんだことは一度もないし、今後もしないよ」と言ったところで、信じない人は信じないものだ。つーか、信じる信じないも、それは読む人の自由なんだから、怒る筋合いのものでもない。いや、怒ってもいいのだが、「怒った」という事実だけで、あとなにかリアクションを取る必要はあるまい。 実際、どんな罵詈雑言を書かれても、それが、私が日記に書いたことについての感想ならば、ホントに腹は立たないのである。 一応、何度か書いてることではあるが、私やしげが2ちゃんに書きこまない理由について述べておくと、別にあの掲示板の匿名性について文句をつける気は全くないのである。唐沢俊一さんがいつぞや日記で書かれていた通り、ホンネを語る場として、ああいうものは社会的にも必要だろうと思う。 つまり、私が2ちゃんに書きこみをしないのは、単に私自身が自分のHNを出さない形で発言することをしたくないだけの話なのである。あそこで名前を出して書き込みしても、本人であることを証明するのにはいちいち手間がかかる。しげも私も、そういうめんどくさいことはやりたがらないぐーたらな人間なのである(めんどくさがりだから日記の更新もしばしば遅れるのであるよ)。実は、2ちゃんねるへの書きこみ方すら知らない(^_^;)。 某くんもねー、そんなに怒ってばかりいるとさー、2ちゃんに書きこみしてるんじゃないかって疑われちゃうぞぉ(^o^)。 そこのスレの人たちは、多分、私とウォッチ対象だったサイトの管理人さんとのトラブルとか、閉鎖に至った事情とか、そういうことを私の口から聞きたいのだろうが、相手が表に出て来ない状況で、私が一方的に語るのもいかがなものか。サイト閉鎖直後には、管理人さんになんとか復活してもらいたいと思って、呼びかけもしたり、あちこちツテをたどりもしたが、わかった結論は「これ以上私にできることは何もない」ということである。だからこのひと月ほど、日記で話題にすることもなくなってたのだが。 2ちゃんねるの方々の中には、私や妻が怒ってるんじゃないかとご心配されてる方もいらっしゃるようなので、語れる範囲の事情は説明しておきます。お気遣い、ありがとうございました。今後、この件に関して日記に何かを書くかどうかは様子見ってことで。m(__)m ……しかし、今日のウチのホームページのアクセス数、いつもはせいぜい20件前後なのに、いきなり80件にアップである。これもその管理人さんの人気ゆえかね(^_^;)。
マンガ、『コミック★星 新一 午後の恐竜』(秋田書店・700円)。 『ミステリーボニータ』に連載されていた、星新一原作のショート・ショートをマンガ化した竸作を収録。ストーリーはほぼ原作に忠実で、だから面白くはあるのだが、マンガとしてどうかと言われるとこれが判断に苦しむところである。 もともと寓話性の強い星作品は映像化を拒否するところがある。F氏ものを避けて、できるだけ現代日本の現実に近い作品を選んではいるが、それでも物語と絵柄の違和感を強く感じてしまう。冒頭の『ボッコちゃん』、「ボッコちゃんって、こんないかにも少女マンガなキャラだったの? こんな脳ミソなさそうなマスターがロボットを作ったっての?」なんて感じで見ていくと、星さんの原作自体がつまんないんじゃないかって気までしてくるのである。 比較的、原作の印象を損なっていないのは『午後の恐竜』、『生活維持省』くらいのものか。 以下に収録作品のタイトルを挙げておく。 『ボッコちゃん』(JUN) 『金色のピン』(川口まどか) 『天使考』(木々) 『殺し屋ですのよ』(かずはしとも) 『おーい でてこーい』(鯖 玉弓) 『午後の恐竜』(白井裕子) 『現代の人生』(有田 景) 『生活維持省』(志村貴子) 『夜の事件』(小田ひで次) 『箱』(小田ひで次)
2002年06月26日(水) イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか 2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか
| 2003年06月25日(水) |
暗い話、えとえと、……何題?/『風雲児たち 幕末編』3巻(みなもと太郎) |
訃報が二つ。 俳優、名古屋章(なごや・あきら)さんが昨24日、肺炎のために死去。享年72。 こういう脇役に徹していて、あまりにも代表作が多い方は、かえってこれという作品を提示して思い出を語ることが難しい。 各新聞記事も苦労をしているようで、「『放浪記』(昭和37年)や『天国と地獄』(38年)で印象を残した」とあるが、実際はどちらもチョイ役だったりする。この間、うちで『天国と地獄』を見ていたよしひと嬢が、刑事の一人が名古屋さんだったのを見つけて驚いたくらいだ。これが代表作だと言うなら、『天国と地獄』でなんて役を演じてたか答えてみい。 また、『ひょっこりひょうたん島』の二代目ドン・ガバチョには触れているのに、2年もの間、霧隠才蔵を初めとして様々な役を演じ分けた『真田十勇士』には言及していない。『美人はいかが?』や『コメットさん』のことは書いても、それこそ5部まで続いた『刑事くん』の時村重蔵署長については語られない。いつも思うことだが、こういう訃報を記事にする人というのは何の資料をもとにして書いているのだろうか。 特撮ファンはその点、『帰ってきたウルトラマン』のナレーターや『ウルトラマンタロウ』の朝比奈勇太郎隊長を挙げればいいから楽なものである。アニメファンには『空飛ぶゆうれい船』の嵐山パパが記憶に残っているだろう(『もののけ姫』にも出てたはずだが、何の役だったか思い出せん)。でもこれらをして名古屋さんの代表作と語るのはどうかと思う。もちろん、名古屋さんは朝比奈隊長役には本腰を入れて取り組んでおられた。DVD『帰ってきたウルトラマン』の封入パンフのインタビューでは、ウルトラマンのSFとしての魅力を滔々と語られている。 SF作品に対して偏見なく接してくれて、本気も本気で演じて下さったその心の広さを思うとき、感謝の涙が流れてしまうのを私は抑えることができない。 けれど、だからこそ思うのである。 名古屋さんを語るのに、ウルトラシリーズだけを挙げるのは偏り過ぎてはいないだろうかと。そう思うのは、名古屋さんが演じられたどの役を口にしてみても、「それだけの人ではない」という感慨が自然に思い浮かんでしまうからだ。 実直な善人を演じることの多い名古屋さんだったが、和田誠監督の『麻雀放浪記』では、「上州虎」というイカサマ師役をいかにも楽しそうに演じていた。私の名古屋章ベストワンはこの演技である。芸達者とはよく言われるが、こういう役をご本人はもっと演じたかったのではないか。 その和田監督の追悼の弁。 「いろんな役柄ができ、せりふ回しが非常に明りょうで良い日本語が使える人。独特の味付けで役柄をしっかり膨らませてくれるので、頼りがいのある役者さんだった。もっとたくさんの作品に出てもらいたかったので、残念でならない。 」 同感である。これ以上、付け加える言葉を、私は持たない。
もう一つの訃報。 『よたろうくん』の作者、山根赤鬼(やまね・あかおに)さんが同じく24日、大腸がんのために死去。享年67。 代表作といわれる『よたろうくん』だが、これをリアルタイムで楽しんで読んでいたのは、私より少し上の世代だろう。ユーモアよりもギャグが好きだった私は、復刻された際にも、山根さんの作品にはあまり手を伸ばさなかった。 にも関わらず、子供のころ、私はしょっちゅう山根兄弟のマンガに触れていたのである。学習雑誌の挿絵などで「やまねあおおに・あかおに」と書かれたサインに、「本当に鬼みたいな人が描いてるんだろうか」とやたら気になっていた。 実は未だにお二人の絵の違いが私にはわからない(別々にマンガを描かれるときは絵柄を変えるのだが、合作する時には本当に似た絵を描くのである)。いつかその区別を付けてやろうと思っているうちに片方が亡くなられてしまった。またどこかの出版社で、作品集が復刻されないだろうか。
毎日書くのもなんなんだが、首吊り紐は今日もブラブラ揺れている。 いや、これを首吊り紐と考えるからよくないんであって、もっと、プラス思考で考えないといけないのである。輪っかがぶら下がってるからと言って、それが首吊り用とは限らないではないか。 たとえば、これが海の中道マリンワールド(福岡にはそういうのがあるんである)のイルカショーの輪っかだと思えば。 ……なんでわしが輪っかくぐらにゃならんのか。 ああ、でもよく見ると、あっちこっちに黒い点も見えるなあ。ほんなこつ、こないだの精密検査、目医者さん、出血見落としてたんじゃないのか。
で、また例の心の弱い同僚さんの話である。 なんか活動が激しくなってきたなあ。春はもうとうに過ぎたぞ。 デスクワークの真っ最中、ふと背後に気配を感じたので振り返ってみると、まさしくその同僚の女性である。 私の耳元に口を寄せて、ささやくように(ささやいてるんだが)ある用件をささやいた。……いかん、私もちょっとコワレてきてるな(-_-;)。 ともかく本音を言えば、私はこの人にかかわるのはもうやめたいのである。やめたいのだけれど、やめたいやめたいと私が思えば思うほど、こうやって向こうからかかわってくるのである。でもって、ほかの同僚もその様子を見ているのである。 周囲から敬遠されてる人間と親しげに(してるつもりはないのだが)していると、同僚たちが私のことをどういう目で見るようになるか。当然、私もまた彼女と同類と思われて、遠巻きにされてしまうのである。ハッキリ言って、それは迷惑以外のナニモノでもないのだが、しかしそうなったらそうなったで、「それって、イジメの拡大の構図じゃん」という気がしてきて、同僚たちにも腹が立ってくるのである。 で、やっぱり仕事関連の話ならしかたがないかなあ、と思って、彼女の話を聞いてあげることにするのである。で、聞いてあげたんだけど、あげたんだけど、あげたんだけど。 「それ、私の係じゃないじゃん」 だからさあ、いくらほかの人が信用できないからってさあ、私の仕事でもないことをなんで持ち込んでくるかね。そんなまねされても、会社にはそれぞれの部署というものがあるのだから、どうしたってタッチできないことだってあるんだよ。それくらい常識でわからんのか、この女は。……わからんのだよな。 そうなのである。相手は心が壊れた方なのである。逆らったって、理屈が理解できるアタマはお持ちでないのだ。どうにもしょうがないのだ。しょうがないから、その係の同僚のところにコッソリ行って、彼女の用件を伝えるのである。 ……なんでこんなアホなマネせにゃならんのか(T∇T)。
帰宅途中、BOOK OFFに立ち寄って、文庫本を渉猟。 食事はCOCO一番屋で、牛筋コンニャクカレー。あちこちうろつき回ったので(ぼんやりして道を間違えた)、ひどく疲れている。 チャットでグータロウくんと久しぶりに会話。と言っても内容は他愛ないオタクばなしである。CS日本映画専門チャンネルでちょうど『超少女REIKO』を放送してたので。特撮を貶しながら見る。でもアレの欠点は特撮「だけ」にあるわけではないのだよな。
マンガ、みなもと太郎『風雲児たち 幕末編』3巻(リイド社・550円)。 黒船来航をここまでミッチリ書いてくれると、生半可の歴史ドラマなんか、すっ飛んじゃうね。 ペリー来航に庶民はほとんど驚いてなかったというのは、嬉しくなるような事実の提示である。実際、ドラマじゃやたら庶民が怯え逃げ出すシーンばかり撮ってるしねえ。 けど、黒船を実見した幕末の偉人たちが、実際には佐久間象山、勝海舟、吉田松蔭、坂本竜馬の4人くらいしかいなかった、というのはサビシイ話である。 今巻の白眉は、「歴史的事実として」紹介された「白旗事件」であろう。会談に先駆けて、ペリーが日本側に「降伏の印」として贈った白旗が、幕府の硬化した態度を一変させたと言うのだ。近年まで、日米双方の「恥」として封印されていたその事実を、みなもとさんは復活させたのである。 「息を飲む展開」とはこういうのを言うのだ。
2002年06月25日(火) 揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) 2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング
| 2003年06月24日(火) |
暗い話更に二題/DVD『ななか6/17 <めもりーふぁいる>』/『羊のうた』第1章 |
一晩寝たら消えてるかと思ってた「ぶら下がり血管」、今日も一日中目の前でぶーらぶら。これが上から垂れ下がってるということはどこかに引っかかってるか、今まさに剥がれかけてる最中か、ということなんだろうけれど、となるとコレが切れちゃったりすると、目の前が血でぶわわっと真っ赤になっちゃったりするのだろうか。そう思うと、ヘタに眼を動かすことすら憚られてしまうのである。ったって、そんなのムリじゃん(-_-;)。 さて、またぞろ土曜日に眼科に行ったものかどうか。 ホントはいつものかかりつけの医者に行ったあと、しげと久しぶりに映画にでも行こうかと思ってたのだが。 もし、眼科にも回って眼底検査を受けたら、また半日、眼が使えないのである。朝9時に検査を受けたとして、映画を見られるようになるには、2時、3時ごろまで待たねばなるまい。それまでしげが退屈しないで待ってられる場所がありゃいいのだが。
今日も帰りが遅くなってしまったが、理由は上司にとっつかまっていたからである。 いや、また例の心の弱い同僚の件なんスよ(-_-;)。 今日、会議がありましてねえ、まあいつものごとくコレが勤務時間外まで長引いちゃってね、でもってその方、5時を回ったら「時間になりましたので退出いたします」って言って、プイと出てっちゃったのだ。しかも上司が挨拶しても完全無視。 その方、前にもこういうことやって顰蹙買ってたんだけど、もう、誰をテキに回しても構わないって感じの切れっぷり。って既に、全社員から嫌われてるんだよな。この人、自分の部屋をあてがわれちゃいるんだけど、実質上「隔離室」になってしまっている。誰もそこへは近寄れないし、そもそも近寄ろうともしないのだ。 「あそこに入れるのは藤原さんだけですよ」 と上司は言うのだが、私とて、好きで出入りしてるわけではない。仕事だからだ。全く、どうして私にだけ愛想がいいのだよ、あのひた〜(T∇T)。 で、上司の相談というのは、「昼食会を開いたものか」ということなのであった。上司は何とか頑ななその方の心を解きほぐせないものかと考えているのだが、どうも賛同者が圧倒的に少ないらしい。 そりゃ、頼みごとをしても逃げてばかりいる、あるいは完全に忘れていたり、勘違いしてたりする、そのくせ、自分のほうが被害者であるような気になって誰彼なしに文句をつける、陰で愚痴をこぼす、なんてことを繰り返していたら、誰だって嫌気がさそうというものだ。 まあ、私もメンタル面では似たようなものだから彼女の被害妄想的な面に同情しないわけではないのだが、同情してるからといって、何かができるわけではないのである。「まあ、いいんじゃないですかあ」とマヌケなことしか言えないのである。 で、上司は私に、ついにハッキリとこう言った。 「藤原さん、彼女とのパイプ役になってくれませんか。多分あの人は、あなたとお話しするのが唯一の『癒し』になってるんですよ」 パイプどころか私にマッチポンプになれと言ってるようなものだよ(T∇T)。 だからねー、アナタはねー、彼女が「いつか刺したい」って言ってるのを聞いてないから、そんなこと簡単に言えるんだよう(T∇T)。私がこれまでやってきたことは、「癒し」なんて軽いレベルのものじゃなくって、「説得」なんだってば。できればもう必要以上に「刺激」を与えたくはないのよ、私は。 ……これで胃潰瘍にまでなったら、シャレにならねーよなー。
版飯は博多駅の地下でカツ丼。セットで頼むとほうじ茶が付いてくるのだが、これが一番美味い(^_^;)。もう少し、衣をふんわり揚げるとか、そういうことできないものかね。これじゃ私が作るのとたいして味が変わらん。
DVD『ななか6/17 <めもりーふぁいる>』。 昨日と今日で全13話見切りました。原作と引き比べてよくなってるとこあり、コレはちょっとなと思うところあり。 原作では、序盤から結構、17歳のななかが顔を出してたのだけれど、テレビシリーズでは修学旅行編に入るまで、おとな七華は全く出現しない。シリーズ構成としての意味合いもあるのだろうが、例えば雨宮さんにピアノを懸命に習う6歳ななかを見ていると、肝心の本番のときに17歳七華が出て来て見事に弾いてみせるってのは、どうしても「これまでの6歳ななかの努力は何だったんだよ!」という気になって、ドラマとしてこれはちょっとどうかなとは思うものね。 原作のほうは、雑誌連載がどこまで長く続くか分らないので、早めに17歳七華を出しとく必要があったのだろう。マンガとテレビという媒体の違いがあるから、これはいたしかたのないことである。 逆に、テレビは13話しかないために、後半が相当駆け足の印象を受けてしまう。エピソードが相当省かれているし、6歳ななかが消えるのも唐突の印象を免れない。アニメとしてよく出来ているので(やっぱりJ.C.STAFFはいい仕事してるよ)、これがせめて2クールあったらなあ、と思ってしまうのである。 しげは、『ななか』を買った私を、毛虫でも見るような目で見て、「そりゃ、アンタが『ななか』好きだってのはわかるよ、わかるけど、だからってDVDまで買う?」と言うのだが、ええもんはええやん。
DVD『羊のうた』第1章。 アニメ版の方である。実写版も実は買ってるのだが、まだ途中までしか見てない。 監督が杉井ギサブローというのは期待していいんだか悪いんだかよく分らないんだが(『悟空の大冒険』『ジャックと豆の木』『銀河鉄道の夜』なんかはうまいと思うけれど、『タッチ』『紫式部 源氏物語』『ルパン三世 トワイライトジェミニの秘密』なんかはつまんないんだよなあ)、やっぱりいいとこと悪いところが同居してる感じなんだよねえ。 あの、輪郭のはっきりしない空間感覚を持った白っぽい背景(『タッチ』を思い出してね)はこの作品によく合ってると思うけれど、実写感覚を強調してるつもりなのか、やたら回想シーンを入れるのは、どうもねえ。それってアニメの場合、作画の使い回しで手抜きにしか見えないんだけど(-_-;)。 林原めぐみが千砂というのは、さて、どんなものだろうか。「だって高城の家は吸血鬼の家系だもの」ってセリフとか、あっさり言いすぎてるような。私はもう少し低い声を想像してたんだけど、そうすると雰囲気がちょっと重くなり過ぎるのかなあ。
2002年06月24日(月) 役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか 2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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