無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月20日(日) クレーマー・クレーマー(^_^;)/『COMAGOMA コマゴマ』3巻(森下裕美)/『フルーツバスケット』10巻(高屋奈月)ほか

 朝方、久しぶりに『ハリケンジャー』やら『龍騎』やらを見る。
 間が開いているので、もう筋がどうなってるんだか付いていけん。やっぱりホームページとか見て、ストーリーを追ってかなきゃならんかなあ。
 『どれみ』はあいこちゃんの離婚してる両親の話。あいこちゃんのために復縁しようかどうしようか、と悩むのだが、お母さんのほうが、お爺ちゃんの介護をしなきゃならないから、と二の足を踏む。嫌いあって別れた二人ではないのだ。
 子供向けアニメでこれだけハードな設定が描かれることは珍しいのだが、実際、この問題に関しては全く魔法が意味を持たない。結局あいこちゃんが耐え忍ぶことで決着(?)するのだが、そこんとこがどうにも後味が悪くて仕方がなくってね。お父さんがまたすげえ短気で、すぐお母さんを怒鳴ろうとしてあいこちゃんにたしなめられてるのよ。オトナが子供に心労かけてどうするんだろね。
 見ながらつくづく「死に損ないのジジイなんか病院にたたっこんどいて、家族で暮らせや」てなこと考えちゃうんだけどさ、そんな考え方は不謹慎だ、なんて怒るやつも多いんだろうな。
 でも生活上、現実にそうしてる家族もいるんだしねえ。自分たちだけが不幸、みたいなツクリ方、どうにも偽善的で気に入らないのよ。
 『題名のない音楽会』、ゲストは葉加瀬太郎さん。今度この人、福岡に来るんだよなあ。しかもベスト電器に。あそこの特設ステージって、ムチャクチャ小さいんだけど。コンサート会場、取れなかったのか? でも時間があえば見に行きたいなあ。


 昼飯はロイヤルホスト。
 割引券が送られて来てたのだが、〆切が今月中だったので、慌てて使う。
 そのとき、支払いを金券で払おうとしたのだけれど、「割引券と金券の両方は使えません」と断られる。
 まあ、そういう反応をするだろうとは思ってたが、私が金券を持っていたのには事情があったので、素直には引き下がらない。
 「これ、前に来たときにカードのポイントが溜まってたんで、引いてもらうはずだったんですよ。けれど、レジの人が新人で、引きそこなっちゃったんですよ。そのお詫びに貰ったものなんで、だから、ちゃんとこれで引いてください」
 お店の人、「誰ですか、それ?」と言いかけて口をつぐんだ。そんなこと聞いたって意味ないし、こっちが本気で怒ってるってことに気付いたらしい。金券を受け付けてくれた。
 ああ、またしげの嫌いな「クレーマー」しちゃったよ。世の中にちゃんと仕事してくれる人が多けりゃそんなことせずにすむのに。……自分がクレーム付けられることを考えてないやつはすぐこんなこと言うのだな(^_^;)。


 マンガ、森下裕美『COMAGOMA コマゴマ』3巻(集英社/ヤングジャンプコミックス・840円)。
 キャラクターたちのフルネームがようやく判明。サカタは「坂田新一」でゆうまは「麻原ゆうま」、まおちゃんは「天地まお」。「まお」って仇名だと思ってたんだが、本名だったのか。ワザと女の子名前つけたのかなあ。
 しげから「佐藤先生、アシベたちの先生だったんだね」と聞かれたが、何のことかわからなかった。
 「なんのこと?」と聞き返すと、「『ここだけのふたり』に出てたじゃん!」と言う。
 ……全く記憶にない。年々記憶力の減退は感じてきてはいるが、自分の好きなマンガの内容まで忘れるようになっちゃったんだなあ。若年性のアルツハイマーもあるそうだけれど、アタマの老化を防ぐ手段ってないのかなあ。
 内容は相変わらず、そこそこ面白いんだけれど、『アシベ』の頃に比べて、毒が随分薄まっちゃゃってるような気がする。昔だったらジイちゃんみたいなワガママなキャラは、罪の報いで(^o^)何度となく血塗れになってて当然な気がするんだけれど。
 ワイド四コマになって、なんだかマンガの量が半分になったような損したような気分も覚えているし、もしかしたら森下さん、ホントにネタに詰まってるのかもしれない。今後の活躍を望む。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』7巻(講談社/KCM・440円)。
 えーっと、もしかしたら今回のトリック、江戸川乱歩の『月と手袋』のパクリかな? まあ、まだ解決編は収録されてないので、詳しいことはまだ書かないでおこう。私の予想が外れていることを祈る。
 しかし世間のミステリファンはいい加減でこういう低レベルなミステリマンガに対して怒らないものなのかなあ。“最先端の整形技術で変装する”「冥王星」なんて存在出しちゃ、まずミステリとしての基盤自体、ぶっ壊してるでないの。ルパンだって、「全くの別人」に変装することはあっても、実在する他人に成りすますことはしてないんだがね。どんなに整形技術が進んだって他人にゃなれないってことぐらい、小学生でもわかるぞ。「冥王星」ってネーミングもモロに栗本薫の「天狼星」のモジリだしなあ。この節操のなさはいったいなんなんだ。
 あと、随分と絵がうまくはなってきたんだけど、未だに遠近法を殆ど使わない画面構成はいい加減で何とかしよう。正面顔のアップばかり並べてちゃ、単調過ぎて読んでて退屈だぞ。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』10巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 ああ、ようやく透の心の闇が描かれ始めたねえ。
 天然ボケの少女、という設定は少女マンガにはありがちな設定なんだけど、これってもともと少女からある一定の性的な要素を排除する効果もある。そりゃ、1巻や2巻のころに由希が透を押し倒したりしたら、なんて人非人だ、ってことになっちゃうからねえ。マドンナは周囲の人間を「癒し」はしても、「性的対象」とは見られないようになってるんだね。そんな気持ちをマドンナに対して抱くことは汚らわしい、「冒涜」だ、ということになるから。
 けど、ドジッ子だって生身の人間。体型的にもツルンペタンの幼児的に描かれている透だけれど、決してありきたりな少女マンガのキャラクターとして描かれてはいない。どこかに「生身」を感じさせる部分があったけれども、それがここに来てじわじわと描かれるようになってきた。
 燈路(「ひろ」と読むのだ。ああ、ややこしい)に、なぜ母親のことばかり話して、父親のことを語らないのか? と詰問された途端、透は一瞬、心を閉ざす。誰にも触れられたくない過去はあるというが、さて、透にとって父親はどういう存在だったのか? なんとなく少女マンガにあるまじき設定がありそうで興味津々。
 何がどう面白くなって来たかと言うと、透の「弱点」がハッキリ現れてきたことによって、これまで由希たち十二支の一族の呪いが透の「癒し」によって解かれる日が来るかも、という予想が崩れ始めたからである。多分、読者の誰もが、慊人に縛られ、自らの運命に立ち向かえずにいた由希たち十二支の一族を、透の存在が解放し、救ってくれると信じていたはずだ。けれど、どうもそう簡単にはいかないらしい。慊人は早晩、透の過去を知り、その「弱点」を責めることになるだろう。何らかの「致命傷」を透に与える可能性も高い。
 透が壊れたとき、由希たちは透を救えることができるのか。今はまだ、透にすがることしかできない由希たちに。
 今巻のラストのひとコマ、透の前で涙を落とす由希を見ていると、「何も見えてないヤツはみっともないな」とつくづく思う。「オマエがすがっている相手は、オマエのかあちゃんじゃないんだぞ」と言ってやりたくなる。何より、少女の心の闇に気付かず、一方的に甘えているだけの由希の心が本当の意味で「愛」と呼べるものかどうか。
 少女マンガの大半は恋愛は描いても性は微妙に避けて通ってるんだけれど、ここまで問題を煮つめて来たら、もうただの天然ボケで問題をかわしてはいけないだろう。少年は少女に自らの苦しみを訴えた。しかし、心に闇を持つ少女に、少年の全てを受け入れることが可能だろうか。
 透には一点の曇りもないと信じていたら、由希はかえって足元を掬われることにならないか。なんだかどんどんドロドロしてきそうだけれど、実はそこをうまくまとめられればおもしろい物語になっていけそうなんだけどね。

2001年10月20日(土) 泣くなしげっちゅ/『眠狂四郎』1巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)ほか
2000年10月20日(金) カシューナッツと水木の世界とパーティと/『大熱血』(島本和彦)ほか


2002年10月19日(土) 多分今日は死にかけていた/映画『千年女優』/『ロード・トゥ・パーディション』

 昨日の日記で書き忘れてたことから。
 しげから鴉丸嬢の原稿〆切が今月末であることを聞く。本気でエロマンガ作家を目指している鴉丸嬢ではあるのだが、その奔放な発言とは裏腹に、根は純情なお嬢さんなのである(最近の女の子はみんなそれなりに経験値積んでるんで、本気でエロなやつかどうか判別しにくくなってるのだ)。
 正直な話、ドロドロな人間関係には抵抗力がなさそうなので、あまりソチラの世界には行かないほういいような気もしているのだが、本人はもうこれが貧乏脱出大作戦、とばかりに頑張ってるので、一概に「やめとけば?」とも言いがたい。
 しげの話だと、なんか話造りに煮詰まってて、私に相談したがってたそうだ。
 「出来上がったやつの感想聞きたいっての? でも描き直すヒマはないでしょ」
 「だから、次の作品の意見を聞きたいってことじゃないの? 話造りには自信がないみたいだから」
 話造りに自身のないやつがマンガ家目指すのか、とも思ったが、実際に原作ねーと描けないマンガ家もいるしな。いや、そんなマンガ家になることを目指されてもなあ。
 けれど、鴉丸嬢も私の性格については先刻ご承知のはずである。私に相談されても、まず辛辣なことしか言わんだろうということはわかってて、それでも聞きたいんだろうか。だったらマジで見込みあると思うけど(マンガ家として立って行けてる人の大半は理不尽な悪評にも負けてはいない)、どんなもんなんだか。なんだかんだ言っといて、原稿を見せに来ないに5千点。


 今日は映画に行く約束の日。見たい映画が2本あるので、さてどうしたものかと考えたが結局今日のうちにハシゴすることにする。連休なんだから、1本は明日に回しゃいいじゃん、というご意見はあろうが、連休のうち一日は休んでおかないと、カラダが持たないトシになってるのである。
 いつものごとく、朝寝しているしげを叩き起こして、まずはキャナルシティに向かう。映画の時間を見たら10時からということだったので、時間を気にするしげに気を遣って、9時過ぎには家を出たのだったが。
 しばらく運転していて、しげ、急に「しまったあああ!」と叫ぶ。いつもながら、甲高いしげの声は心臓に悪い。
 「どうしたんだよ、いったい」
 「財布忘れた!」
 「ウチにか? 取りに帰ればいいじゃん」
 「違う、職場!」
 「……なら、職場に取りに行けばいいじゃんか」
 「まだ、店、開いてない。今行って、カネが無くなったりしてたら一発で犯人だと思われるからイヤだ」
 なんだか杞憂じゃないかとは思うが、李下に冠を正さずの例えもある。ましてやしげは李下で冠を正しながら踊ったりジャンプしたり果物食ったような臭い屁をこいたりするような行為に及ぶことはしばしばなので、用心するアタマが働いてるときには働かせておいたほうがいい。
 しかし問題が一つあった。私にもカネがないのだ。
 仕方なく財布は帰り道に取りに行くことにして、とりあえずしげにはカネを銀行から卸してもらうことにする。今日はしげの奢りの約束だったので、私はナケナシの食費を出さずにすんだのであった。

 キャナルに着いてみると、映画は10時40分から。どうやら時間を見間違えてたらしい。
 「だったら10時に店に行けたのに」
 と、またしげの機嫌が悪くなる。銀行の手数料を取られたのがそんなにも惜しいらしい。相変わらずケチ臭いやつである。
 時間が余ったのでウェンディーズで朝食。ここのハンバーガーはほかの店に比べて二割はチーズ増ししてると思うが、これも、もしかしたら肉の味を誤魔化すためだろうか。

 
 映画『千年女優』。
 『パーフェクト・ブルー』に続く、原案・脚本・監督・キャラクターデザインの今敏と、脚本、村井さだゆきコンビ第2弾である。
 前作がサイコホラーとしてなかなかの出来だったので、今回も相当の期待をして見に行った。
 で、見た結果はどうかということなんだが、「惜しいなあ」というヒトコトに尽きる。『パーフェクトブルー』も余り予算がなくてスタッフは苦労したらしいが、本作も制作のスケジュールやらなにやら、おそらく相当キツキツの中で作ったんだろうな、というのが察せられる出来なのである。作画のいいところとよくないところにムラがあるのだ(殺陣のシーンなんかは恐らく『少女革命ウテナ』の作画監督を務めた本田雄の担当だろう、迫力ある出来だったのだが、日常風景になると表情が止まることが多い)。

 映像制作会社「VISUAL STUDIO LOTUS」の社長、立花源也(飯塚昭三)は、かつて一世を風靡したものの、30年前、忽然と銀幕から姿を消した大女優、 藤原千代子(荘司美代子)のドキュメンタリーを作るために、人里離れた彼女の山荘を訪ねる。
 しかし立花にはその目的のほかに、もう一つ、彼女にあるものを手渡す約束をしていた。それは古びた小さな鍵。かつてなくしたその鍵を手にしながら、千代子は過ぎ去りし日々の思い出を語り出す。

 『千年女優』の「映画」としての面白さは、この映画の「語り口」にある。
 立花とカメラマンの二人は、何の違和感もなく千代子の語るかつての人生と映画の中に入りこみ、ときにはいくつかの役を演じつつ、虚実皮膜の境を流浪する。ここで物理的な整合性を考えてしまったら、この映画を楽しむことは不可能だろう。これはあくまで「千代子の語る過去」であって、現実の過去ではないのだ。トシを取った千代子には、既に現実と虚構の区別も曖昧になっていただろうし、そう考えれば時代的な矛盾も特に気にならない。
 彼女の語る人生が、そして映画こそが彼女にとっての真実であり、藤原千代子を女神と崇め奉る立花は、ウソと知りつつ彼女の妄想に付き合っているのである。もしも私が、20年前にこの映画を見ていたら、その斬新な演出に感嘆し、絶賛の声を挙げることも吝かではなかったろう。

 けどなー、もう押井守を見ちゃったあとだしな〜(^_^;)。「どこからどこまでが現実か虚構か」とか、「これは現実ではなくて誰かの虚構の中かも」ってのは、まあ押井さんが嚆矢ってわけでもないけれど腐るほどあの人がやってきてるしなー。で、この映画、結局は千代子の妄想の中だけでのお話、ということが早々にわかっちゃった時点で、ドラマとしての求心力は、どんどん減殺されて行っちゃってるのだ。ドラマを後半まで引っ張っていく「謎」がないと、映画を見てても観客は「オレって、今、何を見せられてるの?」って気分になっちゃうんだよ。ここが押井守と今敏との才能の差なのかな。いや、「惜しい」なあと言ったのは実はシャレだったんだけど、実際、村井さだゆきと今敏、押井守の影響をヘタなとこだけ受け過ぎなんだよねえ。

 千代子がただひたすら、かつて出会った「鍵の君」を追いかけて映画に出演し続けてきた、それを描く構成自体を否定するつもりはない。しかし、見ていて何が辛かったかって、『うる星2』のあたるのセリフじゃないが、「自分の夢に勝手にオレを巻き込むなあ!」なんである。ともかく狂言回しのつもりかなんだか知らないが、立花の扱い方が徹底的に悪い。立花はいったいなんのために彼女の妄想に割り込んで行ったんだ? 千代子に対するただの賛美者、追従者なら宗教の信者と変わらんじゃないか。そんなキャラを妄想の中に登場させたって、ドラマが平版になるばかりだ。
 映画女優に恋をして、映画の中に入りこむ、というのなら、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』くらいに徹底してくれないとつまんない。所詮、立花は千代子の妄想に付き合ってるだけの傍観者に過ぎないから、物語に何か影響を与える訳でもなんでもない。それじゃ物語は予定調和のままで進むだけだ。壊れ行く千代子の妄想を食いとめるなり反逆するなりしてこそドラマになるのに、「千代子さ〜ん」と泣かせるばかりか。脚本家、もちっと映画を見たらどうだ。

 語られる映画、実際に昔の日本映画をモデルにしてはいるのだけれど、これももうちょっと凝ってほしかった。ただずらずら並べるだけじゃなくて、時代の雰囲気を出してくれないとねえ。これも予算の関係でしかたないんだろうけれど、かつての日本映画の名作、ということになれば全部モノクロ画像にするくらいのことしてくれなきゃねえ。
 ついでだから、劇中劇、として描かれた藤原千代子主演映画の元ネタについてちょっと考察してみよう。
 『傷痍の勇士』や『君を慕いて』、すれ違いのドラマで停車場のシーンとなれば、こりゃもう『愛染かつら』である。だったらこのシーンでは絶対、テーマソング作って流さなきゃなあ。凝り方が足りないのはこんなとこなんである。満州へ渡る、というあたりは、『支那の夜』のイメージも混じってる感じだが、どちらかというと岡田嘉子の逃避行事件の影響があるように思える。つまり、「この映画はアレが元ネタ」と限定できるものばかりでなく、いくつかのイメージを合成してニセの映画を作ってるんである。
 『めぐり逢い』は「千代子巻き」の映像でもう『君の名は』だとわかる。
 『島原純情』は『祇園の姉妹(きょうだい)』、『雪の絶唱』は一連の新撰組映画(『月形半平太』も混じる)、『怪傑黒天狗』はもう『怪傑黒頭巾』と『鞍馬天狗』の合体、『千代子の忍法七変化』は一連の美空ひばりシリーズ、『学舎の春』は『二十四の瞳』や『青い山脈』の合体、『東京のマドンナ』はちょっと特定ができないが、高峰秀子がバスガイドをやってた映画があった気がする。『化石の家』は小林正樹の『化石』、『女の庭』は小津安次郎の一連の映画、印象としてはヒロインが結婚を迫られるから『晩春』がベースになってる感じか。『真夏の水平線』は多分『太陽の季節』や『狂った果実』といった太陽族映画(海辺のシーンしかないから限定できん)。『トラック大将』は説明いらないよな(^o^)。
 でもって、これはやりすぎだなあ、と思ったのが、『ギガラ』。いや、『ゴジラ』なんだけど、藤原千代子、芹沢博士の役演じてやんの(^_^;)。ヒロインじゃないのか。松竹映画系、日活映画系の作品が多い中で東宝が1本混じってくるとこにも違和感があるねえ。もっともそんなの感じるのって、40代より上の人間だけだと思うが。
 『紅の華』、女武者モノってなんかあったかなあ、と思ったんだが、なんとなく『クレヨンしんちゃん・雲黒斎の野望』や『戦国大合戦』にイメージが被っちゃうんだよなあ。まあ、戦いの中で誰かが犠牲になるってシチュエーション、あまりに多過ぎてこれは特定できない。
 『あやかしの城』は一番テーマに関わってくる話。と言っても、糸車を回す老婆が出てくれば、これはもう黒澤明の『蜘蛛巣城』である。となれば、老婆の正体も初手から見当がつく。案の定、『プリズナーNO.6』でした(^_^;)。全体、脚本が客へのブラフのかけかたがヘタなんだよなー。もっとも、殿に死なれた姫が城から助け出される、というエピソードは『秀頼と千姫』のもの。
 で、最後の出演作、『遊星Z』は、『アルマゲドン』……じゃなくて『妖星ゴラス』ね(^o^)。これが引退映画ってのが、脚本家にセンスなさ過ぎ。伝説の大女優どころか、節操のないヒロインって感じしかしないぞ。っつーか、40過ぎて特撮映画のヒロインやったりしないし、やらせねえって。……とかなんとか言ってるけど、原節子が『日本誕生』なんてのに出たって実例があるからなあ(-_-;)。一概に否定もできん。
 それにしても特撮が以上に凝ってるが、大正12(1923)年生まれのヒロインが、40代で引退したってことは、まさしく『ゴラス』のころじゃん。あんな精密なメカ特撮、作れてねえぞ。この辺の考証もいい加減なんである。やっぱり詰めが甘いなあ。

 一番ガックリきたのは、ラストの千代子のセリフ。「だって、私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」。
 いや、だから、これが全部千代子の妄想だって気付いた時点で、そんなこと説明されなくたってわかってんだって。「こいつ恋に恋してるだけだよなあ」と思いながらガマンして見てたのに、そんな解りきった陳腐なセリフで映画をシメられるのかよ。脚本家、そんなふうに説明しないと客は理解出来ないだろうとか考えてるのか? ちょっと客を舐めてないか。
 福岡での公開は1ヶ月遅れ、東京じゃ早々に打ち切りにあったっていう話だけど、この程度の出来だとしかたがないかもなあ。 

 しげに感想を聞いてみると、「面白いのかもしれないけれど、好きじゃない」とか。うーむ、やっぱり気に入らなかったか。これはアタリだと思ってたんだがなあ。つまんないとまでは言わないが、やっぱり「もっと面白く出来るのになあ」という思いがしてならない。特に声優はもっとうまい人使おうよ。飯塚昭三さん、好きな人だけど抑えた演技の出来る人じゃないんだから。
 しげは『ブルー』を見ていないし(怖いのはアニメでもダメなのである)、事前情報も全くなかったので、ムリヤリ連れて来たようなもの。それで金まで出させてるんだから私もヒドイやつである。


 口直しに、と、キャナルからトリアス久山に移動して『ロード・トゥ・パーディション』を見る。
 しげが一席2500円もする「プレミアスクリーン」というところで見たがったのである。食事用のテープルが横についてて、ゆったり見れる、という話だったけど、そう広いというほどでもなく、しかも隣席の人と共用。あまり意味ねえなあ。しかも、持ちこんだ食いもの、フライドチキンにタコヤキだし(^_^;)。
 ウワサのTHX、初体験だけれど、そんなにスゴイのかどうかよくわからなかった。銃の音にはちょっとビックリしたけど。

 事前情報としては、サム・メンデス監督が『キネマ旬報』のインタビューで、「『子連れ狼』をを元にしてマース」とか言ってたのを聞いて、トム・ハンクスが拝一刀かぁ? とか首を傾げてたんだけど、いや、見てみて驚いたねえ。ホントにストーリーもキャラクターもそのまんまだ。どのくらい似てるかっていうと、『ロミオとジュリエット』と『ウエストサイド物語』程度には似ている。いや、盗作ギリギリってとこだね。
 アチラにマックス・アラン・コリンズ原作のグラフィック・ノベルがあるそうだけれど、まず間違いなくその人、『こ連れ狼』読んでるね。……そう言えば、原題の“ROAD TO PERDITION”、直訳すると「地獄への道」だ。……「冥府魔道」じゃん(^_^;)。これで『子連れ狼』と何の関係もありませんとは通らんだろう。小池一雄、原作権料請求してもいいんじゃないか。
 ちなみに若山富三郎主演の『子連れ狼』映画版シリーズは、“Lone Wolf and Cub”“Sword of Vengeance”などのタイトルで海外でも公開されている。

 イリノイ州ロックアイランドの町で、12歳の少年、マイケル・サリヴァン・ジュニア(タイラー・ホークリン)は優しい両親、やんちゃな弟と平和に暮らしていた。しかし、ある夜、父マイケル(トム・ハンクス)が銃を持っていることを知り、父の仕事に疑念を抱く。
 実は父マイクはギャングのボス、ジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)の子飼いの手下だった。ルーニーの息子、コナー(ダニエル・クレイグ)は殺人を犯すのをマイケルに見られたため、彼も含めてサリヴァン一家を皆殺しにしようとする。
 妻と次男がコナーに殺され、マイク親子は復讐を誓う。ルーニーは息子をシカゴにかくまい、マイクにこの土地を離れるよう勧告するが、既にシカゴのボスが差し向けていた殺し屋、マグワイア(ジュード・ロウ)が、親子に暗殺の手を差し伸べていた……。
 柳生烈堂(十兵衛の弟だ)が実在人物だったように、ジョン・ルーニーも実在のギャング。虚実ない交ぜのドラマに仕立ててるあたりもそっくりなんだけれど、最後の最後、『子連れ狼』では柳生烈堂を倒したのは……だったんだけれど、そこはちょっと変えてあった。まあ、エセヒューマニズムの国、アメリカならではの結末ではある。けれどそうしなきゃならないということもわかるし、特にラストのマイケル・ジュニアのセリフは、『子連れ狼』の大五郎にも言わせたいようないいセリフだった(もちょっとオトナにならないとムリだけど)ので許す。
 まあ、トム・ハンクスがギャングに見えるかどうか心配してたけどそう悪くはなかったし(こないだの『インソムニア』でアル・パチーノが警官に見えなかったのとは好対照)、ジュード・ロウのイカレた暗殺者ぶりはなかなかのものだったので、充分満足。『子連れ狼』ファンには必見でしょう(^o^)。


 帰宅途中の車の中で、しげが突然とんでもないことを言い出す。
 「眠い。マジで眠い」
 「……いきなりなんだよ、そんなに寝てないのか?」
 「今朝まで仕事だったし昨日の昼も寝てないし」
 「寝とけよ!」
 「寝つけなかったんだもん。……このままだと運転しながら寝ちゃうから、なんか喋りかけて」
 「なにかって……いきなり言われても、話すネタないよ!」
 「……一緒に死ぬ?」
 「あ、そう言えば、今度なんの映画に行こっか、『リング』はまず怖くても見に行くやろ、『ピーターパン2』はお前興味なかったんだよなあ、てっきり『フック』も見に行ったし、見たがると思ってたんだけどなあ、今度のはちょうど『1』と『フック』の間の物語ってことになるのかな、ウェンディの娘が主人公なんだろ? 確か『フック』はウェンディの孫かひ孫が主人公だったからなあ、でも、ピーターパンがオトナになったらロビン・ウィリアムスってのはなんだかウソだよなあ、『マイノリティリポート』はどうする? 原作読んだからもういい? 『恋に唄えば』は絶対はずせないしなあ、ああいうバカ映画でミュージカルでってのは押さえとかないとなあ。けど、最近、竹中直人映画に出過ぎだよなあ、実際は演技に幅のない人なんだからイロモノで使い過ぎると飽きられちゃいそうなんだけどなあ、あ、『TRICK』はオレ、行くよ、お前が行かなくてもね、『ケイゾク』のスタッフで作ってるんだけど、相変わらずバカだよー、アレ。まあ、渡部篤郎は出ないけど、毎回、宗教の教祖のインチキ暴くんだよ、巨根の阿倍寛と貧乳の仲間由紀恵のコンビがね、で今回の教祖役って野際陽子なんだよ、似合ってるよなあ、教祖役が……って寝るなあ!」
 ……マジで時々車線を越えそうでした。生きて帰れたのは奇跡です。『地獄への道』見てきたあとに地獄へホントにイッちゃったらシャレにならんがな。それとも我々二人だと『地獄珍道中』か?
 しげも帰ってすぐ寝たけど、私も倒れて寝ました。とりあえず『ガンダムSEED』と『キングゲイナー』は録画仕掛けたけど、いつ見返せるかわかりません……(-_-;)

2001年10月19日(金) 逆探知されました(^_^;)。/『コータローまかりとおる!L』1巻(蛭田達也)ほか
2000年10月19日(木) 異端審問と放火魔タマキと消えたメールと


2002年10月18日(金) 今日はノロケじゃないと思う/『プリンセスチュチュ』10AKT.「シンデレラ」/DVD『鬼畜』ほか

 今日も仕事が6時過ぎまでかかっちゃったので、しげ、頗る機嫌が悪い。
 「仕事の前にメシ食って風呂入る時間がないやん」と言うのだが、そこまで余裕がないわけではない。9時出勤で、早めに出かけるとしても、3時間はあるのだ。ものごとを針小棒大に解釈して被害妄想に自ら陥るのはしげの悪い癖だが、いい加減にしてもらえないものか。一日会う時間がないと文句垂れまくってるからこちらもムリしつつ早めに帰れるようにしてるのである。
 そう言うと「じゃあ、無理してるから感謝しろって言うの?」なんて陰険なことを言う。
 このアマ、なにナマイキなこと言い腐っとんじゃ、のぼせあがるのも大概にせえよ、キサマ何様のつもりか、それじゃあ感謝してもらおうじゃないか、オレの目の前で「私が悪うございました、許してくださいごめんなさい」と手をついて土下座しやがれ、三べん回ってニャアと言え、おまえみたいなドグサレた人格の○○○○の○○○○の○○○○○○につきあってるだけでもありがたいと思えや、この唐変木のコンコンチキが、と心の中だけで嘯く(心だけかい)。
 実際には給料日前でカネがないのでしげにマクドナルドでベーコンレタスバーガーを奢ってもらったのである。悪口など言えるはずがない(^_^;)。


 金曜日は『プリンセスチュチュ』の日。なんだかもう一週間の楽しみが『チュチュ』に集約されてるような(^_^;)。今日のお話は何かなあ? お話の好きな子、寄っといでえ〜(三谷昇の声で読むこと)。というわけで、いよいよクライマックス近しの第10話「シンデレラ」。
 13話で終了か? と思われていたのだが、めでたく延長が決まったようである。次はやっぱりというか、「卵の章」に続いて「雛の章」だ。しげは「その次は『成鳥の章』?」とか言ってたが、主人公があひるなんだからその先は当然『白鳥の章』になるんじゃないのかね。
 けれど、あまり喜んでばかりもいられない。延長決定がギリギリになると、たいてい作画レベルが落ちてしまうのが常だからである。しかも、14話からは『動画大陸』というアニメ特番の中の一本として放映されるようになり、しかもこれまで30分1本の番組だったのが、15分2本に変更されるのだとか(「金曜20時45分ごろ」放送の「ごろ」ってなんなんだよ)。
 ……なんとなく『秘密戦隊ゴレンジャー』が『ゴレンジャーごっこ』に変わっちゃうような悪い予感がするのは私だけでしょうか(^_^;)。スタッフやらキャストやらが変わっちゃわないかと心配だなあ。特に三谷昇さんのスケジュール、確保できるのかどうか。

 それはさておき、『卵の章』も、今回を含めて残すところあと4話。
 いよいよ隠された謎が明かされていく。と言うことで、今日は「みゅうと」がなぜ「みゅうと」になったかが判明。うわー、こいつほんとにおとぎ話の「王子様」だったんだなあ。っつーか、語源が「ミュートス」から来てるんだから「神様」なんだね。年も取らないってことだから、まさにこの世界は「おとぎ話の落穂拾い」なわけだ。
 河合隼雄が『昔話の深層』でメルヘン・ファンタジーの心理分析を行って以来、シロウトもこぞっておとぎ話の底に流れる深層心理についてマコトシヤカに語るようになっちゃったけど(『ホントは怖いなんとか童話』の類の本はたいていはこの本の稚拙なパクリだ)、実のところ精神分析なんて学派の数だけ説があると言っていい。まあ我々は常に「物語」を求めているものであるから、その物語に「根拠」を示してくれるものがあればつい飛び付いちゃうのだけれど、さて、意外と我々が子供の頃抱いていた疑問にキチンと答えてくれたものは少ない。
 つまりは「物語の主人公はあのあとどうなったか」である。おとぎ話は近代小説のように心理を描写することに主眼を置いていないし、とりあえずの結末をつけたものが多いから、納得しがたい結末を迎えるものも多い。ペロー童話では『赤頭巾』の狼は、赤頭巾を食って、それでおしまいである。グリム童話でその結末が改変され、狼が猟師に退治されることになるのも、「これで終わっていいのか」という疑問に答えたためであろう。もちろんペローが昔話を再録した頃には、この物語は「危険なところへ行ってはいけません」と少女をたしなめるために語ればよかったのだから、赤頭巾が食われておしまい、でもよかったのである。
 『プリンセスチュチュ』はもちろん『みにくいあひるの子』をモチーフにしている。しかし、みにくいあひるの子は白鳥になれて幸せだったのか。というより、あひるは白鳥に比べてみにくいのか。昔はともかく、今の子供たちは、当然そういう疑問を持つだろう。となれば、あの物語は決して「めでたしめでたし」ではないし、「新たな」結末を求めるのである。
 とは言え、その「お話の続き」を求めてるの、ドロッセルマイヤーだからなあ(^o^)。おとぎ話ごたまぜのこの物語で、さて、どんな結末が描かれていくことになるのか、相当ヘンテコなものになりそうで、それを期待して見てるんだけれども。
 で、猫先生は山羊先生から逃げることが出来たんだろうか(^o^)。


 こないだ見た田中登監督版の『鬼畜』が物足りなかったので、改めてDVDで野村芳太郎版『鬼畜』を見返してみる。
 やっぱりと言うか、レべルが違うねえ。冒頭から流れる音楽も故・芥川也寸志入魂の一曲だものなあ(よく『砂の器』を挙げる人がいるが、あれは芥川さんは「音楽監督」をしてるだけであってテーマソングを作曲してはいない)。
 テレビドラマ版の方の失敗は、子捨ての主導権を父親の方に持たせちゃったことの方にあるんだなあ、と気がついた。やっぱり妻の岩下志麻に責められ詫びて子を捨てる緒形拳の情けなさがいいのだ。
 『大和物語』に、姨捨山伝説を扱ったもので、古典には珍しく、貧困からではなく、妻の姑への憎しみから夫が育ての親を捨てさせられる話がある。この妻というのがとことん性悪で、あることないこと夫に吹きこんで、元は優しかった夫を変心させてしまうのである。妻が夫を手玉に取るルーツ、こんな昔からある(^_^;)。夫は月を見て、母親を山に捨ててきたことを悔やむのだが、この『鬼畜』で緒形拳が、「東京タワー」を見てそこに娘を捨ててきたことを思い出すシーンに似てないか。もしかしたら『大和物語』を参考にしてる面があるのかもな。
 そして、今回見返して気が付いたのだが、岩下志麻を憎んで睨む子供の眼つきと、同じく妻に責められて恨みがましく睨み返す緒形拳の眼つきと、この二つの表情が、構図も間も全くそっくりに撮られている。つまり、再三繰り返される岩下志麻の「あんたの子だって? 似てないよ」というセリフを、演出が否定しているのである。まさしくこの物語が「実の子殺し」であることを強調しているシーンであった。いや、凄い。
 ネットを散策してみたら、やっぱりこの物語の結末を「子供は自分が殺されかけたのに、親を庇った」と見ているアタマの悪い客が多いことを知って唖然とした。ちゃんと子供、笑いかけてきた緒形拳に対して「父ちゃんなんかじゃない」と拒絶して言ってるのになあ。「なんか」というのは親を庇うときに使う言葉じゃないじゃん。あれはもう、子供にしてみれば親を親として認めることすらできない感情の高ぶりの表れなんであって、庇うとか庇わないとか、そういうレベルの話ではないのだ。だから緒形拳も「許してくれ」と泣きながら子にすがることになるのだよ。日本語理解できないのか?
 こんなアホな読み方されちゃうと、脚本の井出雅人も草葉の陰で泣いてんじゃないかと思うが、案外、著名人でもアホな読みしてる人多いんだよなあ。橋本治を私は随分買ってたんだけども、この程度の読みもできずに「子殺しの親を庇う映画を作るとはどういうことか」なんてトンチンカンな文句をつけてたんで、すっかり興醒めしたことがあった。あの〜、もしこの映画が「親と子の絆を謳った」映画だったら、タイトルに『鬼畜』ってつけてるのなぜ? 橋本さん、古典やりすぎて現代語忘れたの?
 なんだかなあ、松竹映画=人情映画って思いこみの図式ができあがっちゃってるせいなのかなあ。『寅さん』だって、「決して家庭には受け入れられない」はみだし者の物語なんだけど、みんなアレを「人情映画」だと思ってるしねえ。映画には「愛」と「人情」しかないのか。
 もう「人情」で映画を見る先入観ができてる客には、基本的な日本語理解能力もなくなってるのだ。手塚治虫や宮崎駿の映画を「実際に見たにもかかわらず」、「ヒューマニズムの映画だ」なんて言ってる連中が多いのにも呆れるが、要するにみんな映画を「観」てなんていないってことなんだよなあ。……何しに映画館に行ってるんだよ。暇つぶしか? いや、別に映画に「教養」を求めろって言ってんじゃないよ、そんなレベルの話じゃない。「勝手な思い込みでモノ言ってんじゃなくて、人の話聞けよ」ってことなんだよ。
 映画の魅力を人に伝えることも一筋縄で行くことじゃないが、要するに相手に「聞く態度」があれば多少の言葉の齟齬はなんとかなるものなんである。それができないのはやっぱり言葉を受ける側の能力の低下に原因の多くはあるんで、少しはその事実を自覚してほしいもんだ。
 なんかさあ、最近身の回りでもその手のトラブルが多すぎてねえ、やんなっちゃってるんだよ(-_-;)。


 『刑事コロンボ』のファンサイトを探していて、『安葉巻の煙』というサイトを見付ける。タイトルは團伊玖磨のエッセイ(『パイプのけむり』)のモジリかもしれないが、管理人の方、あまり意識せずに付けたのかも。
 これがまた、微に入り細に入り、以前に出版されていた海外の研究本『刑事コロンボの秘密』よりもデータ的には充実している。ブロードウェイまでピーター・フォーク主演の舞台を見に行ったりしてるくらいだから、相当のマニアだ。こんな人もいるのだから、やっぱり「ネットは広大」だね(^^)。
 で、各エピソードについて、そのウラ話なんかを見てたんだが、名作『別れのワイン』について、以下の記述が。

 「原題は英語の慣用句 any port in a storm をもじっている。この句の意味は『嵐の中の港』(嵐になったらどんな港でも救いになる)で、辞書では『窮余の策』『せめてもの頼り』と訳されている。コロンボは事件解決に年代物のポルトワインを使う。このポルト(old port)こそ、コロンボが犯人を追いつめるための『窮余の策』なのだ。

 うひゃあ、あのタイトル、そんなシャレになってたのか。全っ然気付かないで、昔の日記に「原題は芸のないタイトル」とか書いてた気がするぞ。ニュアンスとしては「溺れるものはワインをも掴む」って感じか。こういうシャレを日本語に移し変えることはまず不可能だから、『別れのワイン』というタイトルはやはり秀逸だと思うが、英語タイトルもさすがは『コロンボ』、なかなかに凝っていたのである。
 念のためと思って辞書引いてみたら、「PORT」のところに慣用句としてしっかり太字で載ってやがった。高校生レベルで知ってて当然の慣用句なわけだな。くそ、私の英語力が高校生以下だってことがバレちまったではないか。
 あっ、もしかしてこの日記読んでる読者、みんなこのことに気づいてて黙ってたんじゃないか。「ふふふ。こいつこんな簡単な英語も知らないんでやんの」とか言ってバカにしてたんじゃないのか。そうだろ、そうなんだな。
 くくくくくそう、どうせオレなんて無知だよ馬鹿だよマヌケだよ、社会の底辺に這いつくばって生きてるゴクツブシだよ、英語ができんとがなんで悪いとや、地球の人口の何割が英語圏の人間だと思ってやがんだ、英語ができなきゃ人間じゃないってか、人数だけなら中国人のほうが圧倒的に多いじゃないか、そそそそのうち日本人が世界を征服して博多が世界首都になったら世界共通語を全て博多弁にしてやるんだからな、あいさつは「なんばしょっとや」だ、「プリーズ」は「よござっしょうか」だ、ブッシュもプーチンも金正日もみんなそろって「ふてえがってえ!」って叫ぶんだぞ、今から練習しとけよ、三年後にはそうなってんだからな、見てろ見ていろ、ホントにそうなるんだからなあ! ……はあはあ。

2001年10月18日(木) 風邪、続く。気の利いたタイトルなんて思い浮かばねーや/『トライガン・マキシマム』6巻(内藤泰弘)ほか
2000年10月18日(水) オニギリとわらび座とフリカケと/『彼氏彼女の事情』10巻(津田雅美)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)