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2005年04月30日(土)
  出雲路紀行2 <画像あり>

 予定通り朝6時に起き、部屋で温泉のシャワーを浴びて(幸せ♪)、朝食代わりのヨーグルトを食べて7時過ぎに出発。まず目指すは日御碕神社。昨日行った稲佐の浜から海沿いのうねうね道を北上し、ループした先に神社はあります。
 神社の創建自体は相当古いらしく、出雲国風土記にも登場するそうなのですが、天照大神を祀る日沈宮(下の宮)と神素盞嗚尊を祀る神の宮(上の宮)のふたつの社を持ち、風土記の時代にはそれぞれが別の場所に奉じられていたようなので、「日御碕神社の創建はいつ」というのはなかなか難しそうです。
 現在の社殿は、この派手派手しい彩色と権現造から想像出来るように、徳川三代将軍家光の命による造営だそう。でも日沈宮は修繕中のようで、参拝は出来るようになってましたが、全体が工事用の布?網?で覆われてました。でも神様は上の神の宮に遷座されているようです。じゃあここで参拝出来る意味は???

 参拝を終えて朱塗りの楼門をくぐると、やはり朱塗りの手水舎で鳩が水を飲んでいました。


左がホテル前より早朝の宍道湖、真ん中が日御碕神社、右は手水舎で水を飲む鳩。

 続いて目指すは出雲大社。団体客で混み出す前に参拝したかったのですが、参拝時間が朝8時半からなので先に日御碕まで行った次第。海岸沿いを稲佐の浜まで戻り、東へほんの少しで出雲大社。「いずもたいしゃ」と言う人が多い(私もそう)ですが、正式には「いずもおおやしろ」と読みます。

 社号標の横の木造の鳥居をくぐり、木々に覆われた参道を進むと、前方に銅製鳥居。更に参道を進んでふたつめの銅製鳥居の向こうに、大きな拝殿と大きな本殿の屋根が見えます。これが「雲太」と名高い出雲の大社! 平安時代にはこの倍の高さの本殿が聳えていたというのだから、古代の技術力には本当に驚きます。古代神殿心御柱(しんのみはしら)の実物大模型が拝殿の裏側にありますが、でかいでかいと聞いてはいても実際見るとホントにでかいです。百聞は一見に如かず。
 でも、高さ24mを誇る最大の神社建築・出雲大社本殿は瑞垣と玉垣の向こう側。屋根しか見えないのでイマイチその巨大さを実感しきれませんでした。いや、デカイのは確かなんですけどね。普段参拝する八足門の向こう側・楼門の前には、正月五ヶ日や神事の時には立ち入れるようです。
 ちなみに、出雲大社の参拝法は、一般の神社と異なり「二拝四拍手一拝」。これは宇佐神宮もそうでした。

 御守所で今年初めて御神籤を引きました(私、滅多に御神籤引きません)。ここの御神籤は50円。一般的には100円ですから、安いですよね。何でだろう。
 結果は・・・・・・・・・・あれ? 「大吉」とか「小吉」とか書いてない。

第一番
  正直にして、曲った心なくば、神人一体となり、何事も成功せざることなし。
運勢  本年、貴方の運勢は、陰雨に閉ざされていた空が、久しぶりに、からっとはれて、
朝日が差し込んだというような年で、愈々働き甲斐のある年です。
判断  通信 よき返事あり  土木 普請造作吉  結婚 よろし  病気 なおる
  移転 よろし  失物 出る  売買 利あり  方位 東方吉  旅行 よろし

 ・・・総合的に見ると、かなり良いことが書いてあるので、大吉か中吉ってとこなんだろう、きっと。何より「一番」てとこがいいですね。ダンナは第二十七番でした。こっちは多分、中吉くらいなのかな(「衛生には注意を要す」とか良いことばかりではなかったけど、概ね良いことが書いてありました)。てことは、私は大吉相当かしら?

 本殿向かって左にある神楽殿では結婚式が行われていた模様。残念ながら挙式がちょうど終わったところだったんですが、神楽殿前で集合写真に収まる白無垢の花嫁さんをちら見出来ました。
 で、この神楽殿の注連縄がまたデカイ。九州の宮地嶽神社の注連縄とどっちが本当の日本一だろうと疑問に思ってましたが、これは絶対こっちのがデカイ。ただ、この神楽殿はまだ建て替えて日が浅いようなので、それまではどっちもどっちだったのかも。
 またしてもちなみにですが、出雲大社は一般的な注連縄とは逆に縒ります。でも出雲の神社は多くが出雲大社と同じ向き。スサノオを祀る須佐神社も大国主を祀る出雲大社も同じ。基準はなんだろう?


左から参道、銅鳥居前より拝殿・本殿、本殿(の屋根)。

 結構のんびり参拝したので、時間は10時50分。軽く2時間は出雲大社にいたことになります。お昼を食べる場所は決めています。ちょっと距離があるので、時間的にもいい感じ。まっすぐ其処へ向かいます。

 今日のお昼も勿論出雲蕎麦。金〜日・祝日の昼しか営業していないという雲南市の「御そば処 海潮路」にやってきました。待たずに入れてラッキー。
 メニューは割子蕎麦と釜揚げ蕎麦のみ。良い天気で暑いので勿論割子で。でも蕗と筍のおひたしみたいなのと、蕎麦饅頭まで付いてきました。後からゼンマイの酢漬け?まで。すげーサービス!
 ここの薬味はもみじおろしじゃなくてただの大根おろしでした。あとはネギ・鰹節・のり。田舎の民家のようなお店、しかも庭に通じる窓が開け放ってあって半分外で食べてるような出雲蕎麦は、とても美味しかったです。

 ここから少し南下したところにあるのが、須我神社。古事記でスサノオがヤマタノオロチを退治し、宮を造る土地を求めて辿り着いたのが此処。故に「日本初之宮」。有名な「八雲立つ 出雲八重垣妻隠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌を詠んだのも此処だとか。とは言え、うっかりすると見落としそうな普通の神社です。

 続いて林道を通って熊野大社へ。出雲大社と並び「出雲国一宮」を称したこともある大社です。信仰の面でも、宮司さんが出雲大社教の管長を務められてるようなので、深い繋がりがあるんでしょう(ちなみに管長がトップではなく、出雲大社の宮司を歴任する「出雲国造」が就く「道統」がトップです)。
 小川の手前に鳥居が建ち、丹塗りの橋を渡ると鳥居と手水舎。階段上の随神門の向こうに拝殿と本殿があります。御祭神・神祖熊野大神櫛御気野命は素戔嗚尊。でも出雲大社と信仰を同じくするんだ。ふーん。
 出雲大社の宮司即ち出雲国造は現在84代目。代替わりの際には、ここ熊野大社の鑽火殿(さんかでん)に奉安されている燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりぎね)を拝載してそれで火を起こし、「火継(ひつぎ)」=「霊継(ひつぎ)」の式を仕えなければならないそうです。出雲国造家の千家家はスサノオの兄神・月読尊の子・天穂日命の子孫とされます。その代替わりにスサノオの力が要るんですね。出雲の祭祀は興味深い。


左が海潮路の割子蕎麦、真ん中が須我神社、右が熊野大社。
須我神社、右の幟には「八雲立つ清ゝし日本初之宮須我神社御寶前」と書かれてます。

 熊野大社から意宇川沿いに下って国道432号線に出て、古代、出雲国の中心であった松江市大庭町へ。目指すは神魂神社。「神魂」と書いて「かもす」と読みます。
 神魂神社。別名「大庭大宮」。本殿は最古の大社造(「正平元年丙戌十一月日」の墨書がホゾに見つかっているそうなので1346年に建ててたんでしょう)として国宝に指定されています。現在の出雲大社本殿(1744年造替)はここの倍率に設計されたという社伝もあるそうです。
 御朱印を頂きたかったのですが、社務所はお昼時だからか無人(13時過ぎでした)。参道のすぐ手前に社家らしき家が建っていたのでそちらに伺うとズバリ。女性の神職さんが御朱印を認めて下さいました。有難うございます。

 続いてすぐ近くの八重垣神社。縁結びの神様として有名なので、出雲大社は別格として、とても参拝者(特に若い人・カップル)が多かったです。
 此処に訪れたからにはやっておきたいこと。それが鏡の池での占い。社務所で100円納めて白い紙を頂き、それを持って奥の院にある鏡の池に行って、池に浮かべた紙の上に100円か10円硬貨を載せて、紙が沈むスピードで占うという変わった占い。基本が縁結びの神様なので、早く沈めば良縁早く、遅く沈むと縁が遅いということなんですが、吉凶も判断するそうです。というよりは、願いを込めて紙を浮かべ、その願いか叶うか否かの占いのような感じ。池の脇にあった看板によると、早い遅いの境は15分のようです。私は8分で沈みました。何を願ったかって? それはヒミツです( ̄ー ̄)♪ ・・・なーんちゃって。「早く東京に帰れますように」と願いました(良縁は間に合ってますんで)。

 続いて訪れたのが東出雲町の揖夜神社。式内社で旧県社です。ぶっちゃけ須我神社なんかより広々としてるんですが、社務所は開いてませんでした。というか、社務所っぽい建物はあるけれど、「社務所」とも何とも書いていない。
 手水舎の水が出る「龍」がやけに細身でやけに鎌首もたげた蛇っぽかったのと、この辺でサイノカミとか社日さまとか呼ばれているものであろう祠と御幣群、周囲を囲む壁のないがらんとした拝殿中央に備えられた鏡、拝殿背後の立派な本殿(やはり大社造)が印象的な神社でした。


左から神魂神社本殿(国宝)、八重垣神社の鏡の池、揖夜神社。

 ところで皆様、イザナギとイザナミの神話は御存知ですか? 火の神を産んでお隠れになった(=亡くなった)イザナミを追って黄泉の国に行った夫・イザナギが、変わり果てた妻の姿を見て逃げ帰るお話。イザナミの命によりイザナギを追ってきたヨモツヒサメ。その場に生っていた桃の実を投げつけて彼女らを追い払い、黄泉の国との境である比良坂に辿り着いて千引磐(ちびきのいわ)で塞いだそうで。

 その黄泉比良坂(よもつひらさか)と言われる場所が揖夜神社の近くにあります。国道9号と山陰本線が交差する近く。標識に従い踏切を越えて細い道を登ったところにその伝承地はありました。
 「神蹟 黄泉比良坂 伊賦夜坂 傳説地」と刻まれた石碑(伊賦夜坂は黄泉比良坂の別名)、その左脇、楓の若木の横に山桃の木、その奥に、大岩がみっつよっつ。
 ・・・この岩の向こうを進むと、黄泉の国に行けるんだろーか。


左から神蹟・黄泉比良坂全景、石碑、(多分)千引磐(右上の濃い緑の枝葉が山桃の木)。

 揖夜神社・黄泉比良坂は中海のすぐ近く。今度はその中海を大根島経由で渡り、美保関にある美保神社へ。ちょっとだけ鳥取県(水木しげるで有名な境港市)をかすめ、美保関へ。

 辿り着いた美保関は、完っ全に漁港でした。その漁港のすぐ傍に美保神社は鎮座しています。門前には海産物を扱う土産物屋が。いや、土産物屋というより寧ろ魚屋(乾物が多いけど)。車を止めさせてくれますが、売り子のおばちゃんがうるさいです(爆)。

 美保神社はえびす様の総本宮を謳う社。三穂津姫命と事代主神の二神を祀る故、大社造が二棟連なった美保造あるいは比翼大社造と呼ばれる特殊な構造の本殿があります(重要文化財)。

 参拝を終え境内を出ると、またしてもおばちゃんたちの声がかかります。干物美味しそう(鯵の干物は好き)。でも今夜はまだ出雲泊。クーラーボックスは持ってますが、如何せん宿に冷蔵庫がありません。おばちゃんにその旨告げると、「それじゃあ腐っちゃうかもしれないね。怖いね」とおばちゃんも諦めたばかりか、「じゃあこれだけ食べてって。美味しいから」と焼いてあった鰯の一夜干しとみりん干しを少々いただきました。漁港でも土産物屋系は干し物が多いから助かります。これなら食べれるんですよ私。美味しかったです御馳走様でした。買えなくてごめんなさい。


左・美保神社境内より港、真ん中・奉納されてた巨大な鯛の作り物、右・道中見えた夫婦岩。

 美保関から松江市街を抜け、最後に訪れたのは鹿島町の佐太神社。正面に広い駐車場があり、そこから鳥居越しに本殿までよく眺められます。
 さっきの美保神社は二殿並立の大社造でしたが、ここ佐太神社は更に増えて三殿並立の大社造(同じく重要文化財)。正中殿に佐太大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・速玉之男命・事解男命、北殿に天照大神・瓊々杵尊、南殿に素盞嗚尊・秘説四座の神が祀られているのだそう。佐太大神はサルタヒコであるとされ、佐太地方の祖神であるそう。そして南殿にスサノオと共に祀られる秘説四座。気になる。
 訪れたのは17時少し前。既に社務所が閉められてましたが、まだ各社殿前の門は開いている状態。思わず正中殿で「誰かいますように!」と祈ってから境内をウロウロしておりましたところ、門を閉めに神職の方が出てこられました。ラァーッキィー!ヽ(・∀・)ノ♪
 てことで御朱印も無事ゲット。でもこの神社で何より気になったのは、ずーっと随神門に腰掛けて何事か語らっていた高校生くらいと思しきカップルでした。いや別にいいんだけどさ(あたし人妻だし)、写真撮るのに邪魔なんだよね。
 神社はとても良い神社でした。広々としていて、気持ちがよい。しかも珍しい。

 夕飯は勿論またしても蕎麦です。松江市内にある老舗「神代そば」。閉店時間は19時なんですが、売り切れ次第閉店。時間はまだ18時前。閉まってたらその時だってことで行きました。無事やってました。
 ここの蕎麦は、地元産と北海道産・中国産のブレンドのものとどちらか選ぶことが出来ます。折角なんだから迷うことなく地元産を選びましたが、ダンナがブレンドものを1枚追加(割子蕎麦は1枚単位で追加可能。店によっては1枚から注文可能)。比べてみましたが、地元産の方が味も色も濃い気がしました。
 あ、ここの薬味ももみじおろしじゃなくて大根おろしでした。


左が佐太神社、真ん中が神代そばの割子、右は地元産蕎麦とブレンドもの蕎麦の比較。
左が地元産で右がブレンドです。色がちょっと違いますね。写真じゃ判りにくいですが。

 明日の雨は免れなさそうです。一日中雨の中の観光って久々だわ(この私を雨に濡らすとは、一体どんな雨男・雨女がやって来るんだろう・・・w)。


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・過去の「今日」。


2005年04月29日(金)
  出雲路紀行1 <画像あり>

 GW前半の3連休を利用し、出雲に行ってきました。
 広島からだと出雲へは高速を使わず下道になります。隣県とは言え、境には中国山地。国道54号をひたすら北上し、なかなか越えることのなかったこの境界を遂に乗り越え、いざ島根県!

 下道利用とはいえ、ずっと国道を走ります。島根の道はかなり整備されていて、快適なドライブ。県境を越えて10km程行ったところにある出雲蕎麦の有名店・「奥出雲そば処一福」でお昼。時間は11:50くらい。この時点でも結構混んでて待たされましたが、この後もっと混んできました。流石有名店は違う。

 出雲蕎麦は「割子蕎麦」が有名です。直径15cmくらいの円形の器に蕎麦が入っていて、それが3段積み重なっているものに、青ネギ・のり・もみじおろし・鰹節・山葵などの薬味とそば湯が付くのが基本みたい。蕎麦の上にお好みで薬味を載せ、蕎麦つゆを掛けて(少なめの方がいいらしい)頂きます。出雲蕎麦の蕎麦つゆは濃いめで、関東人には嬉しい限り。やっぱ蕎麦は濃いつゆじゃないと。

 満足して店を後にし、続いて目指すは旧佐田町(今は出雲市)の須佐神社。
 須佐神社は、八坂神社や氷川神社なんかの祭神・スサノオを祀る神社の御本家ともいうべき神社。須佐神社の位置するこの辺が、スサノオなる神とその一族の本拠地だったわけです。54号を外れて才ノ峠(多分、塞の神の「サイ」でしょう)を越える道へ入り、県道325号・39号線を経由して須佐神社へ。
 鳥居横に建つ社号標には「須佐大宮」。でも、神社としての規模はちょっと大きな村の鎮守程度。「大宮」というほど大きな神社ではありません(しかも凄い山の中)。でも周囲を山や緑に囲まれ、脇を川が流れ、玉砂利の敷き詰められた社殿前の空間なんかは、とても気持ちが良かったです。

 須佐神社正面に、「天照社」が鎮座していました。社殿向かって右前、玉垣の中に気になるものが。金色の御幣が捧げられたその後ろ、全部で4つの石で出来た「何か」。これは・・・とぐろを巻いた蛇? 何の説明書きもなかったので詳細も事実も判りませんが、八俣大蛇を斬ったスサノオの姉神である天照を祀る社の境内に蛇の石造とはこれ如何に? 須佐神社の社務所にいらした方に伺えば良かった。


左から「一福」の割子蕎麦、須佐神社、天照社の石蛇?

 県道39号をそのまま直進して国道54号に戻り、続いて目指すのは「桜」です。
 いくら山間部とはいえ、ソメイヨシノの盛りは当然とっくに過ぎています。今は見事な葉桜。でも、この先の斐伊川の堤にある桜並木は一味も二味も違います。
 「御衣黄」。ギョイコウ、と読むこの桜、全国でも大阪の造幣局など数ヶ所にしかない緑色の花を付ける桜なのです。その見頃が、ソメイヨシノから遅れること約2週間の4月下旬。盛りは少々過ぎましたが、それでもまだお花見する人がいるくらい、花を咲かせてました。でも花と葉が一緒に出ている上に花も緑だから、ちょっと判りにくいかも(^^;) あ、緑の花と言っても、全体が真緑ではなく、ピンクと薄い緑が混じってる感じです(下の写真参照)。

 季節外れのお花見の後は、そのまま54号を北上して加茂岩倉遺跡へ。
 加茂岩倉遺跡。1996年、39個もの銅鐸が一度に発見された日本古代史上非常に価値ある遺跡です。とはいえ、何しろ発見が僅か9年前。まだあまり整備されていません。遺跡まで車で行くことは現在は不可能。駐車場から400m、遊歩道(とは名ばかりの半山道もしくは畦道)を歩いて遺跡まで行きます。

 駐車場を出て岩倉川にかかる橋を渡る時、川に蛇がいることに気が付きました。あたりでは青蛙の大合唱。多分、餌を狙っているんでしょう。写真を撮ろうとした私の気配に気が付いたようで、橋から離れた方の草叢へ泳いでいってしまいました。
 出雲で蛇。この因縁めいた出会いの意味や如何に?(考えすぎ?)

 遺跡までの道程は自然がいっぱい。クローバー、ゼンマイ、フキ・・・山菜採り放題ですよ。そしてふと目を留めたクローバーの茂み。・・・また四つ葉があるじゃないのさ!! 先日の近所の公園ほど遺伝子に異常がないようで、四つ葉ばかり数本見付けただけでしたが、何でかこの辺のクローバーは大きい。とっても大きな四つ葉のクローバーが手に入りました(笑)。


左から御衣黄、岩倉川にいた蛇、四つ葉のクローバー。

 遺跡部分もまだ整備中といった感じですが、発掘時の状況が再現されています。土の上に転がってたり半分埋まってたりする緑色に錆びた銅鐸たち。高校の日本史の先生(女)が「土器を初めて見付けた人はドキドキしたでしょうねぇ」なんてお決まりのギャグをかましてましたが、コレを見付けた人たちはドキドキしたなんてモンじゃなかったでしょう。こんなモノが土の中からゴロゴロ出てきたら・・・血圧上がりすぎて倒れるかも(笑)。

 続いて向かうのは荒神谷史跡公園。神庭荒神谷遺跡。加茂岩倉遺跡から遡ること約10年前、1984〜85年にかけて358本の銅剣と6つの銅鐸、16本の銅鉾が出土した遺跡です。ちなみに、358本の銅剣というのは、それまでに国内で見つかっていた銅剣の総数を上回る数。この遺跡がどれだけ凄いものかってことが判りますよね。

 荒神谷史跡公園には今秋に博物館が開館するそうで、公園自体は現在も整備中。まあ博物館は開館後にまた来ればいいので、とにかく今日見たいのは、実際に銅剣・銅鐸・銅鉾が出土した現場。ここも加茂岩倉遺跡同様、発掘時の状況をレプリカの青銅器で再現しています。向かって左に銅剣358本(のはず。数えてないけど)、約7m右に銅鐸6つと銅鉾16本。それらが綺麗に並んでいるんですから、これは間違いなく意図的に埋められたもの。

 これらの遺跡により、出雲が国譲り神話の舞台となるような理由が考古学的に説明出来るようになったワケです。その時代、日本で何があったのかは、やっぱり宮内庁が管理する陵墓を掘らなきゃ判らないと思うんですが。今の皇太子殿下、確か日本史やってたように思うんですが、一言「掘ってみようよ」なんて言ってくれないかなぁ(言わないよな)。

 ちなみに、神話の頃(弥生時代?)は宍道湖や中海はもっと大きくて瀬戸内海と太平洋のように左右とも日本海に繋がっていたようです。荒神谷遺跡はその海(入海)の南岸、出雲大社は北側の「島」(小さい四国みたいな感じ?)の小さい半島の付け根に位置するような感じだったようです。一畑電鉄が通ってるような平らな辺りは海の底だったんですね、きっと。


左が加茂岩倉遺跡の銅鐸、真ん中は荒神谷遺跡遠景、左は上から撮った銅剣の出土現場。

 そこから「出雲ロマン街道」(正式名称は簸川南広域農道)を西へ、次に向かうは西谷墳墓群。ここに弥生時代2番目に大きい1辺約40mの四隅突出型墳丘墓・西谷3号墳があります。
 もっと鬱蒼としたところだと思っていたんですが、ここも現在史跡として整備中のようで、周囲の木々は伐採され、古墳そのものも整備されているようでした。でも祝日だから人もいないし、各墳丘墓の説明板くらいしか設置されていないので、ごめんなさい墳丘墓の上に登りました(エヘ)。
 まずは西谷3号墳。下から見たって形とかよく判らないし、取り敢えず上に登ったら全体像もよく判るかも、と思ったんですが、流石1辺40m、上に登ってもただの広場のようで、隅にでっぱりが付いてることしかわかりませんでした。
 上からも下からも全体の写真を撮ることが出来なかったので、隣の1号墳に登って、3号墳の全体写真を撮りました。
 これら古墳に眠る方々、どうも大変失礼致しましたm(vv)m

 どうでもいいですが、出雲路、変な名前付けた道が多すぎです。前出の「出雲ロマン街道」(しかもただの農道)だけじゃなく、出雲神話街道(国道54号のこと)、出雲マロン街道(栗の産地なんでしょう)などなど。そのうち「出雲ミステリー街道」とか出来そうです。もれなく殺人事件の舞台になるでしょう。

 更に西へ進んで出雲市中心部を抜け、一気に海岸まで。日本海です。目指すところは長濱神社。「国引き神話と妙見信仰の宮」(by神社パンフ)だそうで。御祭神・八束水臣津野命の八大神徳。それが勝利、災厄回避、商売繁盛、子授け・安産、不動産守護、農林水産守護、交通安全・旅行安全、動物愛護。てことで、ペット守なんて御守も授与してました。こ、これは見たことない。


左は西谷1号墳の上(オイ)より西谷3号墳、右は長濱神社。

 それから海岸線を北上し、稲佐の浜へ。ここは、天津神タケミカヅチノミコト(表記は建御雷神・建甕槌命・武甕槌命など)が国津神大国主命に国譲りを迫った地。国譲りに反対した大国主の子・建御名方神がタケミカヅチと力比べをして海に岩を投げ合って出来たという「つぶて岩」は、ここ稲佐の浜から2km程北にあります。建御名方神はその後敗走し、信濃の諏訪まで逃げて「もうここから出ない」と誓って諏訪社に鎮まったとか。
 どうでもいいですが、日本海ってやっぱり波荒いですね。瀬戸内海じゃ台風の時くらいしかこんな高波来ないんじゃ?ってな波が押し寄せてました。丁度風向きがいい感じに高波を生み出してたようです(しかも結構強風だったので)。サーファーがいたくらい。

 そのあと、出雲大社の正面を通りました。参拝は明朝を予定。取り敢えず、正面と日本一という大鳥居だけ。でも岡山の最上稲荷の鳥居の方が大きいような気がする。周囲の景色にも影響されるだろうから、感覚だけなんですが。きっとこっちの方が大きいんでしょうね。


左は稲佐の浜。右手前の小島は弁天島。真ん中は出雲大社正面。右は出雲大社の大鳥居。

 道の駅大社ご縁広場(すごい名前だ)で少し休憩し、旧JR大社駅を見に。もう随分前に廃線になったように思ってたんですが、1990年まで使用されてたんですね。とてもそうは思えないレトロな駅舎。D51まで停まってました。

 それから、大正天皇(当時皇太子)に献上して気に入られたことから全国で唯一「献上そば」の名を許されているという「献上そば 羽根屋本店」に蕎麦を食べに行きました。普通の割子(630円)と石臼挽き割子(800円)があったので、石臼挽き割子を食べようと思ったら、まだ18時前なのにもう売り切れたって(TT) 仕方ないので普通の割子でガマン。そばがきも頼みました。
 ここの割子に付いてくる薬味のもみじおろしは、唐辛子の入ったもの。お昼に行った一福は人参を使ったものだったので辛味が大根のだけだったけど、私は唐辛子入りの方が好み。お蕎麦も、普通の割子だったけど美味しかったです。クソ、石臼挽き割子、リベンジしたい。


左は旧JR大社駅正面、真ん中はホーム。右は羽根屋の割子蕎麦。

 今回の宿泊は、玉造温泉。温泉街からはずれた宍道湖畔に位置しながら、温泉街に位置する姉妹旅館から温泉を引いているというホテルに泊まりました。温泉であれば安宿(しかも偏食家なので素泊まり出来るところ)で良い派なので、温泉街にある立派な宿じゃなくていいのです。部屋も広かったし、温泉も良いお湯だし、何より部屋風呂も温泉! これって温泉旅館でも珍しいんじゃないかと思うんだけど! あと部屋にあったお茶菓子「山陰名菓 因幡の白うさぎ」、美味しかったです。後で知ったことですが、出雲の土産菓子として売り上げナンバー1だとか。「因幡」の白うさぎなのに。

 明後日、天気が悪いそうなので、明日なるべく多くの神社に参拝すべく、6時起き7時出発で頑張ります。


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・過去の「今日」。

2003年04月29日(火) 20ン年ぶりの会話

2005年04月28日(木)
  顕彰馬

 今年度の顕彰馬の選出投票が行われたそうです。
 顕彰馬。名実共に「名馬」のお墨付きをもらったということ。シンボリルドルフとかナリタブライアンとかタイキシャトルとか、現在27頭の名馬が「顕彰馬」に選出されています(詳細はコチラへ)。

 その選出投票は年1度。投票結果がJRAのサイトに発表されています。今年はどの馬も必要得票数に満たず、選出馬はなしでした。

 が。

 この選出投票結果のページを御覧下さい。

(11) ホクトベガ 2票 (1.1%)

 投票者(報道関係者です)のうちふたりが、ホクトベガが顕彰馬に相応しいと、認めてくれたってこと。


だー(T◇T)(落涙)


 ホクトベガが本当に星になって、早いものでもうすぐ10年になります。彼女の「JRAと地方との交流」に与えた影響、ダートレースの地位向上に果たした功績。川崎競馬では「ホクトベガ記念」の名を冠するレースが行われています。でも、JRAではそれほど評価が高くなかった。だって、今まで顕彰馬の投票結果に名前すら出てこなかったんだから。

 彼女の競走馬としての功績を「顕彰馬に値する」と認めてくれた人がふたりもいたこと。それが何よりも嬉しいです。

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 明日から2泊3日で出雲に行って参ります。ネット環境から離れますので、写真付き更新は帰宅後。写真無しで携帯から何か更新するかも知れませんが、それは後日、本更新の際に消されます(メールやBBSは一応携帯から確認出来ます)。
 あ、旅先からお手紙が舞い込む方もいるやもしれません。

 ではまた風薫る5月に。


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・過去の「今日」。


2005年04月27日(水)
  感情移入 <画像あり>

 >>馬事公苑にて。

 基本的に動物は好き(虫は全くダメ)なので何も馬に限った話じゃないんですが、馬にはもんのすごい感情移入出来ます。その感情移入っぷりに自分でもブッ魂消るほどです。

 例のNHK朝の連続ドラマ「ファイト」。まだ何度かしか見れてない(ストーリーは新聞などで確認出来ます)んですが、見ればまず馬が出ます。主人公の優が名付け親となった競走馬・サイゴウジョンコ。デビュー戦は見ました。初勝利は生(?)では見てません。
 デビュー戦。懸命に走るジョンコを主人公の優が柵から身を乗り出さんばかりにして見守っているんですが、懸命に走るジョンコの姿に、ただの一視聴者の私が涙ボロボロ。
 家庭のゴタゴタで幼い弟を励ます為にジョンコに弟を会わせにやって来た、その時のジョンコの演技(?)にボロボロ。
 調教師に「ジョンコは不安とか乗り越えて勝ったんですか?」と問うた優(台詞不正確)に「競走馬は常に自分と闘っている。不安が消えることはない」と答えた調教師(やっぱり台詞不正確)の後ろで、綺麗な瞳を見せ、調教師や優に顔を寄せるジョンコにまたしてもボロボロ。

あぁあ、お馬ちゃんが頑張ってるぅう(T◇T)

 私の前世はひょっとしたら競走馬なんじゃないだろうか。そうじゃないと競走馬にこんなに感情移入してる私は(我ながら)おかしすぎる。

 どなたか福永祐一騎手が産まれた頃かそれよりちょっと前に天寿を全うした競走馬を御存知ないですか? 私、祐一王子の産まれた翌未明に産まれましたもので。
 ・・・・・・・発想間違ってますか?(汗)
 ちなみに、95年7月にゲーセンでやった前世占いでは、
「前世のあなたは、17世紀のオーストリアの上流貴族の長女として生まれました。成長した貴方は、周囲の薦めで、かなり年上の財産家の男性と結婚をしました。」
 と言われました(カルマ解消率40%)。

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 初めてKW乳酸菌ヨーグルトを買ってきました。
 キリンとグループ企業である小岩井乳業と昭和女子大学大学院生活機構研究科との共同研究で、100種類以上の乳酸菌株の比較研究を行った結果、高いアレルギー改善作用を有するKW乳酸菌を見出したんだそうです。要するに、このヨーグルトでアトピー改善作用があるハズ、と。
 取り敢えず6個買ってきたので、しばらく様子見ようと思います。でも明後日には出雲に旅立つから、取り敢えず明日と明後日食べたら間が空いちゃうんですが(笑)。
 今日買ってきたのは一番ノーマルなタイプですが、カロリーの観点から是非でっかい低脂肪プレーンタイプを入手したい(砂糖入れて甘くしても、低脂肪な分マシなのよね?)。でも「1日1個」という目安が判りやすいノーマルタイプの方が楽なのもまた事実だわ(面倒臭がりなの)。
 アトピーの改善効果、現れるといいなぁ。


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・過去の「今日」。

2004年04月27日(火) 広島でも低空飛行 <画像あり>
2002年04月27日(土) 久々パドック

2005年04月26日(火)
  事実だけを淡々と

 昨日の昼前からずっとテレビを見ている。勿論、尼崎の脱線事故。尼崎に夫の伯父一家が住んでいるのだが、安否は昨日夕方までに確認出来た。

 昨日は被害者の救出、現場の様子など、スタジオと現場や中継ヘリとのやり取り。刻一刻と増える負傷者・死者。それをただただ遠く離れたところで見守る。私は正直、このような事故が起きた時は、現場の中継とほんのちょっとの実況、それだけでいいと思っている。

 一夜明けた今日。各局、特に民放は、それぞれ専門家と称する人たちを集め、「事故原因の究明」に躍起になっている。未だ車内に閉じ込められている人もいる。事故の鍵を握る運転士の安否も不明。事故調査委員会の正式な報告もなく、というより、調査すらまだままならない筈。だって救助作業すら終了していないような状態なんだ。まだ現場に取り残されている人がいる。その人たちや、その救助に当たる人々を置き去りにして、報道は先へ先へと突っ走る。

 まるで言い争うように飛び出す言葉たち。「運転士の未熟さ」「置き石で脱線するわけがない」「誰が責任取るのか」「我々は命を預けてるのに」。もういい加減にしてくれ。

 事故は既に起こってしまっていて、多くの命が失われた。未だ救出叶わない人もいる。現場を見てもいない連中が、揃いも揃って机上論で言いたいことを言いまくる。悪いのは誰か。そんなのは後でいいし、誰かを悪者にすれば済むことじゃない。なのに何なのこの状態!

 何処か1局くらい、淡々と現場の救助活動の様子を放映してくれればいいのに。
 何故こんな事故が起こったのか? そんなのはスタジオでいくら言葉を並べても答えなんて出る訳もなく、現場で調査している専門家に任せるしかない。

「普通に会社に行こうとしてね、命を取られるなんて!」
 それはそうだ。でも、我々の日常は、いつだって危険と隣り合わせなのだ。このような電車の事故が起きることも、これだけ多くの命が同時に失われることも、非常に稀なこと。それは確かだけれど、その辺の道で車が事故を起こすことは毎日何処かで何件か起こっている訳で、自分がそれに巻き込まれない保証は何処にもない。
「これじゃ電車に乗れないですよ!」
 声を荒げるコメンテーター。それなら道も歩けないし、車にも乗れない。事故に遭う可能性を考えていては、身動きなんて取れやしない。「なら乗らなきゃいいだろ」。心の中で毒突く。

 こんな時に机上論や仮定でものを言っても仕方ないじゃないか。どんなにテレビで声を荒げたって、所詮スタジオにいるのは、被害者とは何の関係もない連中だ。被害者の声を代弁しているつもりかもしれないが、そんなの本当に代弁でしかないか、代弁にすらなっていない。被害者や遺族の心の痛み・体の痛み、そんなもの、体験していないのに判る訳がないじゃないか。想像力の欠如? そうじゃない。彼らを思い遣ることは出来る。でも、彼らの痛みは彼らにしか判らない。まるで自分のことのように他人の痛みを語るヤツなんて、信用出来るもんか!

 お願いだから誰か、事実だけを淡々と私に伝えて。「意見」なんて、今は求めていない。現場で起こっていることを、私は知りたいのだ。余計な情報をインプットされることによって、私自身の判断も鈍る。事故の原因は、正式な調査によってのみ導き出せる筈だ。その報告を後で伝えてくれればいい。

 やっぱり、「ニュース」じゃない報道バラエティ番組は見られたものじゃない(昨日も殆どNHKを見ていた)。解説者とかコメンテーターなんてものは最小限でいいのに。こうやって民意はマスコミに誘導され、世論が形作られていくんだと思うと、これから起こるかも判らない列車事故より、全国に垂れ流されている善意を装った悪意の方がよっぽど恐い。

*****
 被害者の心身の傷が早く癒えますよう、そして犠牲者の御冥福を心よりお祈り致します。私には祈ることしか出来ません。だから、ただ祈らせて下さい。
 そして夜を徹して救助活動を行っている消防や警察関係者の方々、本当にお疲れ様です。


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・過去の「今日」。

2003年04月26日(土) 新装府中開幕 <画像あり>

2005年04月25日(月)
  教育不行届

 日本語入力にはMS IMEではなくATOKを愛用しています。かれこれ10年以上ATOKユーザーなので(元々「一太郎」派)、たまにネットカフェなどでIMEに出会すと、変換に戸惑います。変換出来なかった漢字とか、どうやって入力すればいいのかも判らないし。

 自分のATOKには、卒論・修論執筆にあたって頻出した専門用語(しかもマニアック)や、現在珍姓辞典を作る過程で変換した名字(私のATOKは16なのですが、ATOK16人名辞書:拡張版というJIS外の漢字も使えるATOK16用の人名辞書が入っています)及び地名、マニアックな友人達とマニアックな内容のメールを交わしたことによって学習した語句など、妙な変換をしてしまう要素が満載です。最近、殊にその症状が酷く、普通の文章の変換精度が目に見えて落ちています。

 例えば・・・

「げんちしゅうごうで」
     ↓
「現地習合で」(どうやら集まれないみたいです)

「きょうはぜんこくかくちでにゅーすになってるよね」
     ↓
「経は全国格地でニュースになってるよね」(※格地とは曹洞宗寺院の格のひとつ)

「ばしょとしんこうのぐあい」
     ↓
「場所都心講の具合」(区切る位置すら異なり最早意味不明)
「場所と信仰の具合」(信仰じゃない! ここは進行で頼む!)

「どうこういえるもんじゃない」
     ↓
「同行言える門じゃない」(どんな門よソレ)

「きのうてれびでやっててちょううけた」
     ↓
「機能テレビでやって手帳受けた」(超ウケたのお願い判って)

 どうなんだ自分よ。そして我がATOKよ。いや、私の教育が行き届いているというか、行き届きすぎて不行届になってるっつーか。

 何て言うか、こう、もっとファジー(死語)に変換して欲しいですね。私の所為なのは重々承知ですが。何て言いつつ、ファジーに変換ってどんなのか自分にもよく判りません(もうダメ)。


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・過去の「今日」。

2004年04月25日(日) 開幕府中!
2003年04月25日(金) 束縛男の言い分

2005年04月23日(土)
  波間に漂う船の如く。 <画像あり>

 こないだ「今週末はのんびり」と書きましたが、今日は再放送の「義経」を見た後、おでかけ。行き先は2月26日にも訪れた倉橋町桂浜(かつらがはま)。此処に「長門の造船歴史館」という小さな博物館があります。

 遣唐使、は御存知でしょうか。遥か昔、その遣唐使達が乗った遣唐使船。それを建造したのが此処・倉橋だそうで。造船歴史館の館内には復元された巨大な遣唐使船があり、それは中庭のような所に展示されている為、目の前の道路を通過する時にも、上の方が見えます。勿論、先日此処を通過した時、私も見て大きさ(というか展示方法というか)に驚きました。や、屋根(いや屋上?)から飛び出てるΣ( ̄Д ̄;)!!って感じで。

 で、先日の新聞で、本日この復元遣唐使船の前の特設ステージで「声明」のコンサートが開催されることを知った次第。しかも無料。広島で声明のコンサートが開催される機会なんて、そうそうないに決まってます(広島、特に旧安芸国に当たる西部は、浄土真宗安芸門徒と呼ばれるほど浄土真宗の勢力が強いのです)。行くでしょう。そりゃあ行くでしょう。だって今、倉橋町って即ち同じ市内だし。住んでる市内で声明やるのに、行かないワケにはいかないでしょう。

 ちなみに、声明については、昨年11月に横浜能楽堂で拝聴した時のレポをどうぞ。

 今回、此処で声明コンサートを開催するに至った経緯は、コンサートの冒頭で説明されました。
 呉市倉橋町本浦にある真言宗御室派の清水山白華寺(はっかじ)。この寺の本尊で県重要文化財に指定されている木造十一面観音立像が11年ぶりに明日から開帳されるのです。それを記念し、その白華寺の御住職と、同じ真言宗御室派の大本山である宮島・大聖院から3名、御室派の僧侶養成学校である仁和密教学院卒業生4名(というか、白華寺御住職も大聖院の方もみんな同校の卒業生だそう)で、空海が乗り、声明をも運んできた遣唐使船の前での声明コンサートとなったのだとか。題して「声明コンサート in 遣唐使船」(配布されたプリントにそう書いてある)。「in」はおかしいでしょう。「in front of」とかそんなんじゃなかったか? 「前で」って。

 遣唐使船が置かれているのは、博物館を入ってすぐ、中庭というか天井がない吹抜というか、そんな所。そこの壁際にステージ(椅子が並んだだけ)がセッティングされ、ステージ前方を囲むように、能楽堂と同じような配置で遣唐使船を避けつつ客席(やっぱり椅子が並んだだけ)がセッティングされてました。定員150人と新聞にあったので、こんな所まで行って定員オーバーで入れなかったら悲しいから、1時間前に行ったのです。まさにセッティング中で、まだ作務衣姿のお坊さん達と博物館のスタッフなどが忙しそうに動き回り、数人の人がそれを待っている感じでした。
 そんなワケで、客席の位置取りは正面最前を確保で(笑)。

遣唐使船後方からステージ方向ステージ方向から後ろ館外より特設ステージ方向
左から遣唐使船後方からステージ方向、ステージ方向から後ろ(海です)、館外(海側)より。
撮影はコンサート終了後なので、撤収中です(笑)。

 説明や館長挨拶に続き、妙鉢と法螺貝の音を響かせながら、坊さんズの入場。ステージの各自の位置に着き、一番右手前の若い僧侶(京都からいらした方だそうです)が「庭讃(ていさん)」。でもやっぱ、11月の高野山声明の会の人の方が上手かったです(笑)。あの声は凄かったもの。まあ、能楽堂での公演でしたから、音響効果の差もありますが(此処はほぼ屋外)。

 続いて、声明の見た目的山場・「散華」。ええ勿論拾いに走りますとも(最前だから目の前まで飛んできたけど)。今回の散華はこないだの横浜のものより二回りほど小さかったですが、紙は分厚く、表は金地に天女が描かれたものや鳳凰が描かれたものなど、少なくとも4種類の絵柄がありました(つまり私の手元には4種類の絵柄があるということです)。

 ソロの声明やメンバー紹介も挟み、続いて今日の第二の山場。般若心経と三味線のコラボレーションという新しい試み(!)。「般若心経は御存知の方も多いでしょうから、御一緒にどうぞ」と言うので、一緒にお唱えしました。通常の1.5倍くらいの速度の般若心経に、着物のおばさま方が奏でる三味線と、お坊さんの一人が叩く太鼓。般若心経2回分の長さで終えましたが、意外と(?)合うモンですね。面白いコラボでした。
 何で三味線とのコラボになったかというと、旧町内(倉橋町)の室尾という地区が、明治期には「三味線村」と呼ばれたほど三味線が盛んなんだそうで。地域密着のイベントならではです。

 半屋外の会場、すぐ後ろは海。声明に混じり、時折はっきりと聞こえる波音。
 こんな環境で声明を聴くことって、そうそうないことだろうなぁと思いました。波の音という自然の音色と人間の声が創り出すメロディとのコラボ。素敵です。波の音に耳を集中させると、声明が波間を漂う船のようでした。規則的なような不規則なような波の音と、西洋音楽とは全く異なる不可思議なリズム(抑揚)の声明。それが混じり合い、溶け合い、流れてゆく。海辺で声明聴けたのは、これは儲けモンですわ。しかも無料って、何て得してるんだろうあたし!!

 ・・・もし可能なら、ステージのバックを海にしてほしかったです。そしたらより、波音と声明が溶け合ったと思うのよね。見栄え的にも素敵だし。

散華!
撮影禁止の文字もなく、携帯カメラのシャッター音も時々聞こえてたので、私も撮影。

終了後、18:25の桂浜 その他和讃など全9曲。1時間強のコンサート。コンサートが終わった頃には、瀬戸内海に日が沈んでいました。でもまだ明るい。ホント、日が延びたなぁ。

 ちなみにですね、こんなところまで免許のない私が一人で来るのはとっても大変です。なので勿論ダンナ出動(笑)。車で連れてってもらい、私が声明聴いてる間は、外で釣りしてました。明日は大潮でしかも朝9時頃満潮で日曜日ってのが大層嬉しいらしいです。朝5時から釣りに行くんだってさ。

 左の写真は、長門の造船歴史館前より撮った桂浜・18:25。空には飛行機雲。


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・過去の「今日」。


2005年04月21日(木)
  健康的に不健康生活 <画像あり>

 >>Before sunrise. 5:40am

 昨日は「起きたのが」20時過ぎだった。別に寝たのがとりたてて遅かった訳ではない。いつも通り、午前3時過ぎには寝たはずだ。でも眠かった。

 20時まで寝ていたら、そう早くは寝られない。勿論、薬で眠ることは可能だが、別に寝なければならない理由もなかったから、起きていた。

 早朝5時過ぎ。外が明るくなってくる。ふと、外に出てみたくなった。早朝の外気なんて、情けない話だが、年に何度も触れることもない。

 ――マラソンでもしよう。

 年に何度かは考えたとしても、年に一度だって実行しないようなことを、今朝は実行してしまった。携帯とデジカメと鍵だけ持って、外に出る。

 外気はまだひんやりとしていたけれど、瀬戸内故か、朝特有の湿度は感じられなかった。スニーカーの紐をきつく締め直し、山際の道へと向かう。
 まだライトを点けた軽自動車や、新聞配達のバイク、犬の散歩をする人や、早朝にもかかわらず家の周りを清掃するお婆さん。明るくはなっているけどまだ日の出前。この辺りは自衛隊の人や工場勤務の人が多い所為か朝が早いなと思っていたけど、それでもそれほど多くの人には出会わなかった。

 普段全く動かしていない上に、元来持久力というものが備わっていない体は、少し走っただけで簡単に音を上げる。無理をしても仕方がないし、無理をするつもりもない。適当なところでスピードを落とし、気になる風景に出会えば立ち止まり、目があった猫と見つめ合ってみたり、「マラソン」と云うよりは「時々走る散歩」のような道行きだったけど、朝の空気に身を晒して体を動かすのもたまにはいいことだ、と思った。たまには、ね(笑)。

 そして家に帰ってから、しばらくネットしたり新聞読んだりして、朝ご飯作って、家中に掃除機掛けて、(洗濯は、今日は午後俄雨があるって言うからやめて)あとはゴロゴロ適当に過ごし、夕方頃からやっとうとうと眠りに就いた。

 健康的なのか不健康なのか、最早自分でも判んないわ(笑)。


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・過去の「今日」。

2004年04月21日(水) DOUBLE-DECADE
2003年04月21日(月) 手当くれよ
2002年04月21日(日) 続・たけのこのこ

2005年04月20日(水)
  驚きの20:08

 雨、雨、雨。広島は4月が一番乾燥するらしいし(実際、毎日のように乾燥注意報が発令されている)、芽生えたばかりの若葉には丁度良いお湿りになっただろう。
 雨、雨、雨。でも、雨の日の外出は嫌いで(雨水に当たって蕁麻疹が出たりするのです)、やる気も失くす。

 とにかく、今日は眠かった。
 10時。まだ眠い。すごーく眠い。しかも外からは雨音。
 14時。まだ眠い。かんなーり眠い。雨の音の替わりに、窓の外からは複数の人の声。まあいいや。眠いものは眠い。

 ・・・そして気が付いたら、20時過ぎてたんですよ(爆)

 今日の夕飯は元々昨日の残りのカレーの予定(我が家は一度カレーを作ったら平気で3日くらいカレーが続く)だったから、おかずを用意する必要はない。急ぎご飯を炊き(うちの炊飯器には「白米急速」というモードがあり、1合なら30分かからず炊ける)、カレーを温め、サラダとしてレタスを用意。

 いやー、雨の日の眠気ってオソロシイ(自分だけだよ)。

 多分、寝室のカーテンが遮光カーテンで、閉めていれば真昼でも真っ暗だからいけないんだろうな、うん。でも寝室の窓の正面に向かいのアパートの窓もあるから、普通のカーテンだと嫌だったのよ。ずっと3階暮らしで、向かいに余所の家の窓があるなんて状況、今までなかったから。


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・過去の「今日」。

2004年04月20日(火) シモキタ・駒場まで低空飛行 <画像あり>

2005年04月19日(火)
  草木萌ゆる <画像あり>

 ソメイヨシノの季節は、残念ながら今年も過ぎ去った。代わりに目に入るのが、瑞々しい若葉や、足下の「雑草」たち。日に透けるような黄緑や色とりどりの小さい花。まだ柔らかそうなヨモギなんか見付けると、「草餅作ったら美味しいだろうなぁ」とか(笑)。

 オオイヌノフグリ、シロツメグサ、ヨモギ、タンポポ、オオバコ、ホトケノザ、レンゲ、その他名前も定かではないような草花。それらが一斉に芽吹き、成長している。

 東京では殆ど見かけなくなったような草花。それにしては、結構名前知ってるものだな、と自分で自分に驚く。

 私が小さい頃育ったマンションの裏は、野草が茂る空き地だった。世田谷の住宅地の真ん中で、ツクシや、フキノトウや、ノビルなんかも採れた。カマキリが卵を産んでいたりもした。
 小学生の頃は、GWには父の実家に帰り、文字通りの野山を父に連れられて歩き、山菜を摘んだ。父はノビルが好物で、ノビルと間違えて畑のラッキョウを採って(盗って?)きてしまい、今は亡き叔母に「やだよぉ兄ちゃん、これラッキョウだよ」って怒られたりしてた。
 きっと、そんな幼少時の経験が、私を「ちょっとは植物の名前を知る都会っ子」にしてくれたんだろう。今になって、それらの経験を有難く思う。心から。

 新緑の眩しいこの時期。東京よりよっぽど多くの草花が芽吹き、育っているこの地だけれど、それでも去年より畑や空き地が減っていることに気付く。
 家や店が新たに建ってもいい。でも、緑も残してほしい。
「緑なんか、そこら中にあるじゃないか」
 そう思っていると、きっとあっという間に消えてなくなるのが、緑(自然と言い換えてもいい)なんだ。都市開発については、今の都会に学んでほしいと思う。

 でも虫だけは(嘆息)。虫がいなくて緑のそれなりにある所に住みたい。こないだ、家の中で見たことないサイズの土蜘蛛が歩いてて、驚きのあまり大泣きしました(TT) 土蜘蛛なのに鬼蜘蛛サイズ。有り得ません。虫が出るから1階には住めない私です(今は2階、実家はずっと3階)。空が広いと嬉しいから、高層階に住みたいなぁ。


イマドキの東京っ子は、こういう草花の名前知ってるのかなぁ。



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・過去の「今日」。

2004年04月19日(月) 筍と夏と冬の曇天 <画像あり>
2003年04月19日(土) サプライズ! <画像あり>

2005年04月17日(日)
  叶えられた逢瀬、そして春 <画像あり>

 小さい頃から仏像が好きでした。変わった子、だったんでしょうね、ハイ。
 いつ頃から惹かれていたのか、それは最早定かではないのですが、小学6年生の時に父に連れて行ってもらった東京国立博物館で行われた「百済観音」展が物凄く影響しているのは間違いないです。その時に見たメインの展示である「百済観音」は、正直、異様に背が高くて私には(今でも)やや不気味に見えたのですが、一緒に展示されていた東博所蔵の法隆寺献納宝物の中にある小さな金銅仏の観音様に、物凄く心惹かれたのでした。
 その金銅仏は現在、東博内にある法隆寺宝物館に常設展示されています。法隆寺献納宝物178号と番号が付けられた重要文化財の観音菩薩立像がそれです。今でもこの小さな仏像が、マイ・ベスト仏像。心の守り本尊です。

 今日の主役はそのマイ・ベストではなく、マイ・セカンド(?)。でも、格も大きさも著名度も、(世間的には)圧倒的にベストに勝る仏様。
 大阪・河内長野。真言宗の総本山・高野山にも近いこの山里に、観心寺という高野山真言宗の古寺があります。そのお寺の御本尊、如意輪観世音菩薩が今日の主役。
 この如意輪観音様、日本の国宝第5号です。そして、1年のうち、4月17・18日の2日間しか開扉されない秘仏です。4月17・18日が何曜日だろうとこの日付で開扉。昨年が土日に当たったのですが、昨年は友人カップルの結婚式で帰京中。勿論、自分の身辺もバタバタしていたこともあって、秘仏開扉のことは忘れていました。そして今年。今回を逃せば、次に休日に開扉が巡ってくるのは何年後か。考えたり調べたりするより、今年行けるうちに行くべし! 無理矢理夫に連れて行ってもらった次第です。

境内で咲いていた枝垂れ桜観心寺金堂金堂前より山門方向を

 今年は桜が遅かったおかげで、境内や附近には盛りの名残の薄紅色が。そして境内の枝垂れ桜が1本、遅い盛りを見せていました。
 国宝の金堂、その内陣。左右には板に直接描かれた両界曼荼羅、そして中央の厨子内に秘仏・如意輪観世音菩薩。写真では何度も見ていたお姿が、目の前に。
 長年秘仏として大切に祀られていたため、平安時代の作でありながら彩色が残っています。撮影は勿論禁止の為、皆さんにはコチラで見て頂くとして(果たして著作権的にどうなのか私にはよく判りませんが)、時を経て赤みを帯びた色彩が、丁度八重桜の紅色のよう。内陣内にまで立ち入りが許可され、お坊さんによる説明付き。
 河内長野。高野山に参詣した折に電車で通過しましたが、この秘仏を拝観しに来る日が来ようとは、正直思っていませんでした。大阪とはいえ、殆ど奈良。若しくは和歌山。そう簡単に(しかも期日限定で)来れるところではないと。
 丁子という香(クローブです)を口に含み、塗香を両の掌に摺り合わせ、最初は僧侶の説明に耳を傾ける人々越しに、説明が終わったら人を掻き分け内陣へ進み、間近で、憧れの君をとくと見つめて拝んで参りました。
 これで、日本三如意輪は全て参拝したことになります。ここ観心寺、正月に行った西宮の神呪寺、そして奈良の室生寺です。室生寺は時間の関係で奥の院まで行けてないので、是非また詣でたいところ。

 ちなみに、物凄い余談ですが、塗香は高野山内のものの方が好みの薫りでした(マニアックすぎ?)。

 さて、このために朝8時前に家を出てきた為、参拝を終えて14時過ぎ。門前でお昼を食し、折角こんな所まで来たので、和泉国と河内国の一宮にも参拝することにしました(この辺りは古代にとても栄えた地域ですから、見るべき寺社はどっさりあるんですけど、取り敢えず)。

大鳥大社(右手前が拝殿、左奥が本殿)枚岡神社(右上の桜が「紅尾の虎」)

 まずは堺市の大鳥大社へ。駐車場へ車を停め、石造の鳥居をくぐって本殿向かって右側の参道から入りました。すると、拝殿前の八角鳥居の前に、車祓を待つ車の列が3台(−− 八角鳥居から拝殿まではすぐなので、正面から綺麗な写真が撮れないー(涙)。まあ、神社、というか宗教施設は写真に撮る為のものではないので、こればっかりは致し方ありません。参拝を済まし、御朱印を御願いし、拝殿・本殿に対して斜めから写真を撮影させて頂き(上左の写真)、まあ車ごと八角鳥居の写真も撮影しました(うう)。

 続いて、特大前方後円墳群を横目に(でも横から見たらただの小高い森)東大阪市の枚岡神社へ。これが、カーナビではちょっとやっかい。しかも道が混んでいて到着が17時って非常にギリギリな時間。
 枚岡神社の正面を近鉄の線路が通っています。というか、正面が枚岡駅。すぐ横の踏切は、一通ではないんですが、車がすれ違うことはまず不可能な幅しかありません。おいおいこんな道案内してくれちゃったよウチのカーナビは(マニアックなナビする子なの)。
 踏切渡ってすぐの所にあった駐車場に車を止め、取り敢えず写真は後回しにして社務所へ。社務所閉められたら、折角来たのに御朱印受け損ねます。まあまた来ればいいだけの話なんですが、タッチの差でそれは悔しい。
 でも、ここ、枚岡神社は、生駒山へのハイキングコースの入口(それは登山口と言った方が正しいんだろうか?)になっているらしく、ハイカースタイルの参拝客が結構な数境内にいました。授与所は既に閉まっていましたが、社務所にはまだ明かりが。ダッシュで直行して、御朱印を頂きました。ああ良かった間に合った。
 ほっとしたところで、人も少し減った拝殿前で参拝。そして、登山コースへ続く(と思われる)方へ足を向けると、授与所の奥に見事な桜が咲き誇っていました。「紅尾の虎」と名札が掛かった桜の樹。枝越しに見る拝殿・本殿はまた素敵。拝殿後ろの垣の裏には堀があって鯉が泳ぎ、その向こうに春日造に似た枚岡造という独特の造りの本殿が並んでいます。
 いい季節に来たなぁ。本当、そう思いました。この神社は、この「紅尾の虎」が咲き誇ってる時に来るのがきっとベスト。他の季節を知らないけど、拝殿・本殿を拝むならきっとそうに違いない!

 これで畿内の一宮で御朱印を頂いていないのは大和の大神神社だけなのですが、学部2年の時に参拝済みではあります。参拝自体は制覇。わーい。

 恋い焦がれた仏様と桜と若葉と古社寺に、「気」を分けてもらった一日でした。春は自然の中に身を投じる時間が必要ですね。春の息吹、1000年を超える時の流れ、その流れに流されることなく続いた信仰。全てをこの身に感じることが出来ました。

 さて、来週末は広島でのんびり大人しく過ごし、GW前半には、出雲路へと参る予定。初山陰です。出雲大社を中心とした独特な祭祀形態、荒神谷などの古代遺跡、出雲蕎麦、そして温泉。嗚呼楽しみィ♪


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・過去の「今日」。

2004年04月17日(土) 自己責任/我儘

2005年04月14日(木)
  飲茶楼でめちゃうまーかろう♪ <画像あり>


 院生時代、ゼミ中とかによく飲んでました(うちのゼミは長丁場だったので、飲み物・煙草OKでした)。まさに、ゼミの友。

 最近のお茶ブームで、再発売されたんです(JTニュースリリース)。でもいつも行くスーパーやたまに寄るコンビニでは売ってなくて。
 今日、いつも行く所とは別のスーパーの広告に出てたので、行って買ってきました。夕飯の時に飲んで、前と味が変わってない(多分)ことを確認し、車で箱買い♪
 ジャスミン茶も烏龍茶もプーアル茶も好きなんですが、これがブレンドされることでクセが相殺されて、私には飲みやすいです。

 今度は発売中止にならないといいなぁ。

 どうでもいいですが、我が家、2Lペットボトルのお茶だらけです。烏龍茶(煌・サントリー・アサヒなど)約15本、緑茶「一(はじめ)」が1本、飲茶楼が8本。他にアクエリアスやアミノ式など。
 キッチン、なんだか重たそう?


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・過去の「今日」。

2004年04月14日(水) 帰京に向けて

2005年04月11日(月)
  「愛国無罪」

 中国での反日デモ。そのスローガンに「愛国無罪」って言葉があるらしい。「国を愛しているなら多少のことは罪ではない」、そんな意味らしい。何て危険な思想だろう。戦前の日本と違わないと思うのは間違っているだろうか。

 日本が過去に中国とその国民に対しどれだけ酷いことをしたかは知っているつもりだ。学校でも習うし、そうでなくても情報は入ってくる。日本の学校の授業は、必ずしも教科書の通りに進められるものではないし、その分担当教師の考えに左右されるけれど、小学校から中学・高校までずっと同じ先生の思想にさらされる訳では決してないから、その点にそう問題はないと思う。

 はっきり言う。
 中国人に「日本人の歴史認識は正しくない」などと言われる筋合いはない。正しくないとしても、それはお互い様だ。中国人の歴史認識だって全く正しくなんかない。

 あのような下等な行為で自分たちの主張を通そうとする国民の行為を受け容れる国に、オリンピックを開催したりする資格はない。

 「愛国無罪」。そんな思想が通るのなら、私は日本を愛しているから、中国に対し謝罪する心を棄てても罪ではないのか? 日本を愛しているから、日本にいる中国人や韓国人・朝鮮人を差別しても罪じゃないというのか?

 馬鹿馬鹿しい。国を愛するために罪を犯し、それを国が許すというのなら、そんな国は愛する価値なんかあるものか。

 日本の過去の行為を詫びる気持ちはある。が、今の中国には幻滅だ。勿論、全ての人がそうではないと思う。でも、今の彼らには、正直「憐れみ」の感情しか出てこない。
 国家に洗脳され、本当に正しいことを見ることが出来ない。そんな彼らは気の毒だね。これではお互いに理解し合うことは不可能だろう。

 近くて遠い国。戦後60年。かの国は益々遠離っているようだ。お互い様といえば、お互い様なのかもしれないけどね。

 所詮、対立項のどちらかに属している以上は、正しい判断なんて出来ないのかも知れない。だからといって、正しい判断をすることを放棄するのは、悲劇的な行為だけど。


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・過去の「今日」。

2004年04月11日(日) 木の香りのする橋 <画像あり>
2003年04月11日(金) 新事実

2005年04月09日(土)
  さくら・さくら・そして・・・ <画像あり>

 嗚呼、何でこんな薄〜いピンクが、こんなにも悩ましいのかしら!





 ってワケでお花見に行ってきました。お昼を挟んでトータル4時間くらいでしょうか。音戸の瀬戸公園まで車で行き、途中買ってきたおにぎりなんぞを食し、一度家に戻って、近所の公園(町内で唯一と言っていいお花見スポット)を通り抜けてお買い物に行き、また家に戻ってさっき忘れたフィルム(音戸で撮ってきたばかりの桜)を持って現像に出しに行き、再度近所の公園で桜を眺めました。

 黄砂の所為か、出発した時は晴天の筈なのに空が白くてがっかりしました。でも、時間が経つと共に少しずつ青さを取り戻していった空。遠くの山や島影が霞んでいてもいいから、空だけは青くあってほしかったのでホント良かった。

 広島市内や呉近辺は、今日が一番の見頃です。明日以降は雨予報。一日で一眼レフ・デジカメ合わせて200枚以上の写真を撮ってしまいました。まあ一眼は36枚撮り1本だけであとはデジカメなので、お金はさしてかかりませんから。ただ、お買い物後、メディアがいっぱいになったので、一度PCに取り込んでから再出発したんですが(笑)。1年に一度、しかも来年は曜日・天気・開花の巡り合わせが、うまくいくとは限らない!

 で、近所の公園でお花見に盛り上がる大人や駆け回る子供らを尻目に桜を愛でながら歩いておりまして。ふと、足下のクローバーが気になったんです。
 シロツメグサ、好きです。宮沢賢治って好きじゃないんですが、「ポラーノの広場」だけは好きでした。
 それはさておき、何の気もなしに「四つ葉のクローバーなんてないかなー」と(割といつもの如く)探してみたんです。クローバーを掻き分け掻き分け。ひとつの葉が親指の爪以上あるような大物から、全体で小指の先ほどの小物まで。とにかく掻き分け掻き分け・・・・・・・・・。
( ̄Д ̄;)!!


 直径僅かに1cm程。もんのすごい小さいですが・・・・・・・確かに四つ葉・・・・・!

 御存知ですか? クローバーってマメ科なんですね。地面を蔓が這っていて(芋を想像して下さい)そこから三つ葉やシロツメグサがぴょこぴょこ生えてるワケです。故に、ひとつ四つ葉があれば、同じ株には四つ葉もしくはそれ以上の葉を持つクローバーがある可能性が高いんです。ホントですよ。

 人目も気にせずしゃがみこみ、必死で地面を探る怪しげな女が一人。まるでコンタクトでも落としたかのようだったことでしょう。
 でも、でもね。見付けたんですよ、ふふ。
全部で7つ六つ葉四つ葉五つ葉
 四つ葉・五つ葉・六つ葉、大小合わせて7つ!(えっへん)
 一番右が五つ葉(四つ葉の真ん中にもう1枚オマケが付いてるでしょ?)、左から2番目が(ちょっと判りにくいけど)六つ葉です。小細工なんかしてませんよ。こうなったら桜そっちのけで(おい)急いで家に帰り、お皿に水をはって萎れないように浮かべておきました。

 こいつぁ春から縁起がいいやね。今年(度)は絶対何かしら良いことがある! 絶対!

 取り敢えず明日の桜花賞は愛しのエアデールの娘・ライラプスで! 対抗は祐一王子のラインクラフト。

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 画像ばかりで重たくてどうもすみません。上の写真は全部デジカメで撮影した物です。桜は、上6枚が音戸の瀬戸、下4枚が近所の公園での撮影。


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・過去の「今日」。

2004年04月09日(金) 女人禁制・男女平等

2005年04月08日(金)
  イマドキの大学生

 高校時代、近くに東大があったので、3月末〜4月頭にかけて、田舎から上京してきたばかりと思われる新入生をよく見かけました。中には母と祖母を伴い、自分は手ぶらで母と祖母に荷物を持たせる男子学生なんてのも。田舎じゃ東大に入ったとなればヒーロー扱いで荷物も自分で持たないのが当たり前なんでしょうか。こんなヤツが将来官僚になっちゃったりするんじゃ、日本の未来は暗いな、と本気で思ったモンです。

 今日、ダンナの勤務先の大学が入学式でした。
 この大学がはっきり言ってバカ大学なんですが、入学式にも普通に親が来るようです。しかも母だけでなく父も。家族総出のイキオイだったりもするそうです。学生より保護者の方が多い入学式って何なの?
 更に親向けに教員紹介とか授業内容の説明とかのガイダンスまでやるんだとか。そんなのって学生本人が知っていればいいことじゃないですか? 親に授業内容説明して、履修登録にまで口出させるつもりでしょうか? 学生の自主自立とか、そういうのは目指さないんですか?

 こんな過保護な大学、今は普通なんでしょうか?
 これじゃ日本の未来はお先真っ暗ですね・・・。

 親の要求に応えた結果こうなるのなら、イマドキの大学生の親は相当アホですね。10年前に小学生を連れたバカ母も仕事中によく見ましたから、それがそのまんま大学生の母になってるワケですね。

 溜め息が出ます。過保護より適度に放任の方が子供はマトモに育ちますよ、マジで。


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・過去の「今日」。

2004年04月08日(木) 自転車で港へ <画像あり>
2003年04月08日(火) 風に舞う

2005年04月07日(木)
  桜が見たい

 東京は昨日満開になったようですが、広島は多くの所が早くて五分咲き程度のようです。昨夜、近所の公園の桜を見てみましたが、まだ若木ゆえか殆ど咲いていません。でも我が家の正面に聳える山は、所々ピンクのもこもこが。山桜は咲き誇っているようです。

 沈丁花が薫り、マグノリアが満開になっても、まだ真冬のような気候になる日があります。でも、桜が満開になって以降は、そこまで気温が下がる日はないように思います。だからこそ、桜が咲いたらまさに春本番。

 東京には有名無名問わず桜が見られる所がたくさんありました。千鳥ヶ淵でも上野公園でも隅田堤でも井の頭公園でもお花見したことあります。家々の植栽にも立派な桜の木があったりして、駅までの道程でもプチお花見が出来るくらい桜はあちこちにありました。

 でも広島の我が家の周辺には、大きな桜の木がありません。というか、余り個人の家に大きな木がないんですね。山があるから緑が少ない訳ではないんですが、街中に限れば、物凄く緑がないです。道端や家の庭に大きな桜があるなんて光景は、この辺りでは見ません。大きな欅があるなんて光景も見ません。

 東京では大規模なマンションを建てる際、植栽にも物凄く拘りますよね。この辺りでは全然です。10階建て以上の大型マンションもかなりの数が建っていますし、今もいくつか建築中ですが、敷地内には小さな緑しかなさそうです。どうしてかなぁ。

 立派な桜が見たいけど、今年はあんまり見れないかも。日曜の好天を祈ります。桜はやっぱり青空だよね。

 馬事公苑に行きたいなぁ。

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 関係ないことですが、バチカン市国ってTDLより狭いんですね。そして「枢機卿」って「すうききょう」って読むのが正しいんですか? ずっと「すうきけい」だと思ってました。うちのATOKはどっちでも変換するんですけど。
 ヨハネ・パウロ2世の死に哀悼の意を表すと共に、次の法王も平和に尽力して欲しいと思います。
 道を究めた宗教者は、宗派や信仰を問わず、慈悲深いお顔をされてるものなんですね。その人が正しい宗教者なのかどうかは、顔を見たら判るのかもなぁ、と、宗教法人代表の婦女暴行事件なんかも見るにつけ、思わずにはいられません。


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・過去の「今日」。

2004年04月07日(水) ひた隠す?殺意
2003年04月07日(月) アトム生誕

2005年04月05日(火)
  見たんです。

 東京生まれの東京育ち。そんな私ですが、家(実家ね)の近くで狸を見たことがあります。「東京は東京でも東京都なだけで多摩の山奥なんじゃないの?」と思ったアナタ、違いますよ。私は世田谷生まれの世田谷育ちです。世田谷の中でも多摩地区に(色んな意味で)近い西部ではなく、新宿渋谷に近い東部です。そんな所にも狸がいるんですよ。しかも親子で。これ、マジ話です。
 あと猿が出たとかいうニュースもありましたね。これは私は見ていませんが。

 つーワケで、東京にも稀にびっくりするような野生動物が出没します。まぁ何げに緑豊かな東京ですから、彼らも住処はあるんでしょう。餌は豊富ですし。でも、狸は見ても狐は見ません。狐にバカされた話は民俗調査やってるとあちこちで耳にしますが、かなり田舎の調査先でも狐を見たことはありません(猪の親子が国道を爆走してるのは見たのに!)。

 日曜夜、大阪から広島へ戻ってきた際のことです。高速を下り、東広島市内の国道を走行中でした。急に2台前の車がスピードを落としたんです。
「?」
 車の陰から、何かが出てきました。猫? 犬?
 車の間をすり抜けてうまい具合に道路を渡り終え、路肩で立ち止まったソレ。猫でもない。犬でもない。体長は猫より大きいけど柴犬なんかよりは全然小さい。顔は三角。しっぽは太くて、体は狐色。

 キ・・・キツネ・・・!?!

 過去に実物を見た覚えがないので確証が持てませんでしたが、あの時見たのは紛れもなくコイツです。間違いありません。

 あんまりにも見ないから、狐って滅多に人の前に姿を現さないのかと思ってたけど、通行量の多い車道横断なんてマネもするのね・・・。

 ちなみに、土曜、大阪へ行く途中の東広島市内では、鴨の雄が単独で道路を横断してました。1羽だからみんなやり過ごしてたけど、子鴨連れてたらパニックですよ、国道。

 狐も鴨も結構のんびり横断してました。犬もそういう傾向ありますよね。猫はかなり素早いけど。あのスピードで渡ってたら、運が悪ければそりゃあ轢かれちゃうこともあるよなぁ。


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・過去の「今日」。


2005年04月02日(土)
  in 京都 <画像あり>

 週末は関西でした。京都と大阪。旅行に行った訳ではなく、ダンナが京都で行われる友人の挙式・披露宴に出席する為、大阪の実家に帰省しただけです。ウチの実家には(ダンナの出張で)しょっちゅう顔出しているのに、向こうの実家に余り行かないのもどーかと思うし、関西ならいくらでも遊べるので同行した次第。

 で、土曜はMasaさんと遊んでもらったワケです。夕食の時間に披露宴が設定されてたので、神社仏閣は殆ど閉まっちゃうし、私だけでダンナの実家で夕食をいただくのはかなり気が重いので、かなり助かりました(多謝)。
 ・・・なんで気が重いかって? それはとにもかくにも私が偏食家だからです。あれは食べられないこれも食べられない。とにかくたくさんあって、訊かれても私自身すら食べられない物全部なんて思い出せないくらいです。そしてダンナの実家は私の実家と比べて相当に裕福なので、行くと必ず、取り敢えずお茶でもってことでケーキが出てきます。ご飯も、たまに息子夫婦が帰ってきたということで気合いが入るのか何なのか、御馳走を用意してくれます。しかもその後またお茶だったり。朝食も「朝からこんなに食べるのか?」ってくらい用意してくれます。有難いし嬉しいのですが大変です。ダンナは自分の母上ですから「多いやろ!」とかいくらでもツッコめますが、私には出来ません。

 まあそういうワケで、朝、車で家を出て高速をひた走り、ダンナの実家でケーキを食べて、車を置いて、お義父さまに駅まで送って頂き、Masaさんとの待ち合わせ場所へ向かいました。

 で、Masaさんとは京都の街中をぶらぶら。鴨川でさくら祭り(名前不正確)をやっていて、色んな出店が出ていたので冷やかしに。桜は対岸に少し咲いてましたが、完全に花より団子の風情。まあ花が咲いてたって、食べ物を手にしてしまったらそうなるんでしょーが。

 でもまあそれなりに人はいたんですが、その人混みの向こうにこんなものが。


 後ろ側には「夕子」と書いてありました。つまりその、コレです。
 ・・・これが「井筒八ッ橋本舗 キャラバン隊」だったんだろーか。

 あんまりにもおかしかったので、ダンナにもメールしときました。嗚呼でもこんな面白いものもっと広く知らしめたい! でもこの写真でコイツが八ッ橋の「夕子」だと果たしてすぐ気付いてもらえるか。
 Masaさん 「京都の人なら判るんちゃう?」
 京都の人。もちょっと広めに取って関西の人。
 ・・・・・・・・・・。

 ダンナの高校時代の友達・O中くん(現在横浜在住)にメールしました。
「お友達の夕子です。可愛いでしょ?v

 O中くんは暇だったのか、すぐにレスが返ってきました。

「おい!! 期待したじゃないかよ」

 期待するなよ。

 夜はバーで飲みました。そーいや京都で外で飲むのは初めてです。外で、と断るからには外じゃないところで飲んだことはあります。学生時代、京都の大学に通っていた友人の下宿で、女二人、有り得ないほど飲みました。若かったと思います。

 Masaさんと色んなお話しをしたんですが、どうやら私の周りにはバカしかいないということが判明してしまったようです。残念ながら類友です。でもMasaさん、最早ご自身も類友気味だということを忘れないで下さい。うふ。

 どうも御馳走様でしたm(vv)m カクテルもお料理(特にピザ)も美味しかったですv また何処かで是非。「バカになりたくないから嫌だ」なんて言わないで下さいねん♪


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・過去の「今日」。

2004年04月02日(金) 渇いた喉に <琴星商事資財帳9>
2003年04月02日(水) 熱闘甲子園!
2001年04月02日(月) 花見馬見 <画像あり>

2005年04月01日(金)
  どうしよう〜

 先月下旬に名古屋経由で帰京する前から、ずっと体調が悪いです。帰京中は色々としなきゃならないこともあるので気合で乗り切りましたが、広島に戻って一層具合が悪くなりました。日に日に悪くなる容態(ってほどじゃないけど)。ここ3日は殆ど寝たきりです。夕飯の支度もしてません(ぉぃ

 帰京前から具合が悪いってことは、もう半月具合が悪いってことなんですね。なんかちょっとヤバイですね。病院行った方がいいですかね。いいですよね。行ってきますわ。

 ・・・・・・・・。

 ・・・・・・・病院に行ったら、案の定
「おめでとうございます、二ヶ月ですね」
 と言われました。


 ・・・・・・・・・・( ̄∇ ̄;)・・・・・・・ど、


 どどどどうしよう薬飲みまくり塗りまくりだよォオオォオ!!!!! ( ̄∇ ̄;)//


 ・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・・・・。



 ・・・・・です。嘘に決まってんじゃーん。
 帰京前に「月の障りで体調が悪い」って書いたじゃん。月の障りから半月で妊娠二ヶ月って有り得ないじゃん。だって今日エイプリルフールじゃん。

 体調不良は風邪です。やっと一昨日熱が出ました。で、熱は下がったんですが、喉の違和感が取れず、咳が出ます。まあ花粉症よりマシと思えば。んで、ずっと布団の中で過ごしてるから、ネタもないんですよこんな嘘くらいしか(ホントは病院も行ってない)。うむ、何だか久々にエイプリルフールした気がするぞ。

 現実の私は昔から子供大嫌いなので、妊娠出産なんてしちまったら育児ノイローゼで犯罪者街道一直線ですよ? 「幼児虐待母逮捕」の新聞見出しが目に浮かぶようです。いや、「乳児虐待」かも??

 育てる自信のない人間が子供なんか作るべきじゃないと思ってますんで。だって、「産んだら可愛いよ」とか「自分の子供は可愛いって」なんて甘言に惑わされてうっかり子供産んじゃったけど、やっぱり可愛くない! なんてことになった時には、もう取り返しつかないんですよ? 母に愛されない子なんて可愛そうだと思うんです。「子供なんて嫌だー」と思いながら産んでいいモンじゃないと思いません?
 ついでに言うと、妊婦は使えない薬をいくつか処方されていて、それが使えないのは私にとってかなりダメージなので、妊娠は困ります。よって前から宣言している通り子供の予定はずーっと先までないんです。私の人生設計に「妊娠」「出産」「育児」の文字は徹頭徹尾ありません。

 だから明日は心おきなく遊ぶ所存です。アルコールも大丈夫です。喉の消毒です(いい加減にしろって自分)。ちょいとばかし激しいお座敷遊びも問題ナッシングです(ぇ
 明日の関西行きに備えて今日も寝過ごしてますv


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・過去の「今日」。

2004年04月01日(木) 当たらない御守 <画像あり>
2003年04月01日(火) 満開宣言
2001年04月01日(日) 最終日

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