無責任賛歌
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2005年05月18日(水) |
ネットに一杯のオカマ/『竹熊漫談 ゴルゴ13はいつ終わるのか?』(竹熊健太郎) |
ネカマ、というコトバを初めて聞いたのは何年前だったか、コトバもそうだがイヤラシイことをする人種はいるもんだと、やっぱりネットは「魔窟」かなと警戒心を新たにしたものだった。当たり前と言えば当たり前かもしれないが、ネットオカマはいても、ネットオナベの話は余り聞かない。ちなみに「ネカマ」でGoogle検索してみたらヒットしたのは91000件で、「ネナベ」は7000件だった。 男と女のどっちがスケベかというのは、不毛な論議ではあるけれども、こういう数字を見るとやぱり男の方がスケベなんかな、とは思う。男が女のふりをするのはまあ、相手を騙してからかってやろう、という動機が大きいだろうが、女が男のふりをするのは女だということで好奇な目で見られたくない、という心理が働いてる場合のほうが大きいみたいだしね。 私も役者のハシクレではあるので、演技として「女になること」に抵抗感はないのだが(前回の芝居を見て気分悪くなったヒトはすみません)、正体を隠してネットで他人を騙す気にはなれない。映画『ポケット一杯の幸福』ではないが、もしも万が一、実際に相手と出会うことにでもなったらどうするんだろう、女装でもするのか、とか余計な心配をするからである。 ……とか日ごろから思っていたら、まさにそんな事件が(笑)。 出会い系サイトで知り合った群馬県桐生市の会社員(46)から現金約6万円をひったくったとして、無職星野賢政容疑者(24)と、無職少年(16)が群馬県警桐生署に逮捕された。 2人は去る2月26日夕方、伊勢崎市宮子町のゲームセンターの駐車場に会社員を呼び出して、“女装した少年”が援助交際の値段交渉を装って会社員の車内に入って、現金入りの財布をひったくったという。 よく男とばれなかったものだと思うが、もともと犯人の少年は細身で身長も低く、髪も長髪で金色に染めた上に付け毛もしていて、紺のミニスカートにグレーのカーディガン姿でアイシャドーやマニキュアまでする念の入れ方だったそうだ。16歳でもガタイのデカイやつだとなかなか騙せるものでもなかろうから、よっぽど「おんなおんな」していたのだろう。実際、会社員はその姿を目にしても全く男だとは気がつかず、みごとに騙されたそうだ。 でもこの事件の場合は、ネカマを演じていたのも、初めから窃盗目的だったんじゃないかって気がするね。もしかして日常的に女装シュミがあったか、星野容疑者とカラダの関係もあったのかもしれないが、ともかくあるとき、少年の「女っぽさ」が「利用できる」ことに、本人か星野容疑者が気づいたんだろう。「天啓」でも受けたように感じたのかもしれない(笑)。 でも、それだけの「素材」であるのなら、合法的に利用する手段もあったんではないかと思うのである。ネカマでエンコーでひったくりなんてしみったれたことしなくても、それこそ「役者」になれば引っ張りだこだろう。女装の似合う少年とか、ホントにいたら需要多いんだぞ。映画『覇王別姫』とか見て参考にすればよかったのに。……いやまあ、うちの劇団も役者不足には悩まされているので、「もったいない」とか思っちゃったんで。
そう言えばうちのメンバーでネカマ経験があると言えば某君であるが(特に名を秘す)、日記で「彼女ができねえ」とかしょっちゅうボヤいている。いや、ネカマやった時点で「彼女」云々なんて言ったって共感は得られないと思うぞ(笑)。
黒澤明監督・三船敏郎主演の映画『用心棒』とその続編『椿三十郎』のリメイク権を、角川春樹事務所(注・角川書店ではない)が入手したって。 黒澤監督作のリメイクって、海外では昔からやたら行われてきたけれども、日本じゃ何だかタブーになってるような感じで、数えるほどしか例がなかった。そのへん、角川春樹社長も歯がゆく思ってたんじゃないかな。もともと『天と地と』なんかも明らかに黒澤時代劇に対抗する意識が濃厚だったし。ちょうど『酔いどれ天使』や『生きる』のハリウッド・リメイクが決まったとこだから、もう我慢できねえって感じで、3億円の契約金を黒澤プロに払ったってんだから豪気なもんじゃある。もっとも、黒澤リメイクで成功した例ってのもそう多くはないんで(『荒野の七人』くらいのものか?)、正直、先行き不安な企画だ。 一番の不安材料ってのがそもそも「角川春樹事務所製作」ってとこじゃないか。まさか監督角川春樹自身か? もしそうだったら、どんな駄作ができあがることか、想像するだに恐ろしい。 それでも『七人の侍』のリメイクよりは(『SAMURAI7』のつまんなさ、あれ何なんだろうね)まだリメイクのしがいがあるのが『用心棒』かもしれない、とは思う。黒澤明の代表作の一つに挙げられてはいるけれども、公開当時から「荒唐無稽過ぎる」という批判もある(佐藤忠男や田山力哉は特に『用心棒』を嫌っていた)。役者の力、演出の力であまり気づかれないが、脚本上の欠陥もある。 私が一番弱いなと思うのは、主人公の三十郎の行動の動機に今一つ説得力がないという点だ。何しろ三十郎は最初から馬目の宿の人々を救うつもりでヤクザたちの抗争を煽っているのである。旅から旅の風来坊で、宿場とは縁もゆかりもない三十郎が、ヤクザに入門しようって若造を見かけて、酒場の親爺から愚痴を聞かされただけで、どうしてそんなお節介極まりない気持ちになったのか、どうも腑に落ちない。「三十郎がそういう性格だから」と納得するしかないわけで、この問題は黒澤明自身も気になりはしたらしく、逆手を取った形で続編の『椿三十郎』のストーリー上の重要なモチーフにすらなるのである。なんたって、若侍たちに協力する動機が「てめえらのやることは見ちゃいられねえ」だけである。若侍たち自身が「縁もゆかりもないのだから」と三十郎を信じられなくなっても無理からぬ話である。 お前、実は公儀隠密なんじゃねえか(笑)という皮肉の一つも言ってみたくなるが、どうやら同様の思いをしていたのが岡本喜八で、シリーズを受け継いだ『座頭市と用心棒』では、用心棒を本当に公儀隠密にしてしまった。シリーズ最終作の稲垣浩監督『待ち伏せ』でも似たような「役目」を負わされている。そういう「縛り」は三十郎というキャラクターをかえってつまらなくしてしまうが、物語の不合理を正すことを優先するか、主人公の奔放な魅力を優先するか、どちらを取るかの判断は難しいところである。 『用心棒』の原作とされている、ダシール・ハメットの『赤い収穫』では、この問題はもともとクリアーされている。主人公はコンチネンタル探偵社のオプ(調査員)だからだ。依頼を受けてポイズンヴィルに派遣され、そこで自分の依頼人が消されたことを知る。コケにされ、そのまま手ぶらで帰るのが業腹だったオプは、街のボスの一人である依頼人の父親に取り入り、街で起きる事件の数々を「解決」していくのだ。ここで重要なのは、映画の三十郎と違って、コンチネンタル・オプは抗争するボスたちをハメるための仕掛けを殆ど弄していない、という点である。もともといつ殺しあいが起きてもおかしくない状況で、実際に「暗殺」が横行しており、証拠がなくてお互いに動けなかったものを、オプは独自の調査で証拠を集めていくだけなのだ(たまにハッタリも使うが)。つまり別にオプがいなくても、ボスたちの抗争は勝手に起きて勝手に収束していたことは明らかで、オプのやったことはその崩壊のスピードを速めることに過ぎず、その目的も「コケにされた復讐」と「上前を撥ねる」ことにあった。三十郎が持っていた天然の正義感などは全くないのである。その意味で『赤い収穫』を『用心棒』の原作とするのには私としては大いに異を唱えたいところだ(小説からの明らかな台詞の流用があるので、黒澤明なり脚本家の菊島隆三なりが『赤い収穫』を読んでいたことは間違いないのだが)。 『用心棒』のリメイクに関して一番難しいだろうと思うのは、製作当時の昭和36年ですら、「風来坊の正義感」に違和感を持った人々がいたというのに、更に即物的な人々が増えた現代、三十郎のようなキャラクターが受け入れられるものだろうか、という疑問である。新たな「原作小説」は既に福井晴敏に依頼されているということだが、そういった問題点にはいささか無頓着な人のように思えるので、果たしてヒットを見込める作品に仕上げられるかどうか、これも不安材料のように思えてならない。 もっと単純に、「誰に三船敏郎の代わりが務まるのか」という疑問を抱く人も多いだろう。時代劇の主役で殺陣ができる役者と言えば、真田広之、役所広司、渡辺謙くらいしかいなくなってしまったが、その誰が演じても違和感は付きまとう。リメイク企画そのものが、安易ではあるのだが、リメイクの要となる役者が不足している日本映画の弱体化の方こそ本来は批判されてしかるべきではなかろうか。 それにしても黒澤プロも自分とこで映画化しようとしないでよく簡単に映画化権を売っちゃったもんだが、もしかして新作『鬼』(これも黒澤明原案である)の資金繰りに詰まったとか、そういうこっちゃないだろうな。こちらも監督黒澤久雄ということで不安材料ありまくりどころの話ではないのだが。
福岡西方沖地震のせいで、うちのマンションの壁にもあちこちヒビが入っている。 うちの部屋には目立った被害はないのだが、どこぞでは漏水も起こっていたとのことで、マンホールの付近ではコバエが涌いていて、ちょうどすぐ近くに駐車しているしげの車などはコバエの被害をモロに浴びていた。 いい加減で早く修繕してくれないものかとしげはブツブツ言ってたが、ようやく管理会社から「マンホール周辺を補修しますので、いったん車を移動させてください」と通達が来たのが二、三日前のこと。その知らせは私が受け取っていて、日時は今日だよと、しげにも伝えておいたのだが、しげは何を勘違いしたのか、それが来月のことだと思い込んでいた。地震からかなり日が経っていて、これ以上修理を遅らせられるはずもないのに、何でそう思ったのかは不可解だが、イカレアタマのしげのことだから理解しようったって無理である。字を読み違える、見えないものが見える、見えるものが見えないというのはしょっちゅうで、お前は関口か榎木津か、ってなもんである。 管理会社の連絡で慌てて車を移動させたそうだが、「あそこのうちは大事な通知をきちんと見てないやつらだ」とか思われたんだろうなあ。私はちゃんと見て、しげにも伝えといたんだぞ! しげの馬鹿なのは今更だが、こっちまで同類と思われるのはちょっと心外に感じないでもない。しげとつるんでいると小さなことでも巻き添え食らうこと多いのよ。
竹熊健太郎『竹熊漫談 ゴルゴ13はいつ終わるのか?』(イースト・プレス)。 タイトルの『ゴルゴ13』とか『美味しんぼ』『ガラスの仮面』がいつどういう形で終わるのか、という竹熊さんの「憶測」は正直な話、読んでて全然つまらない。 『サルまん』式のマンガの物語パターンを当てはめていけばこれはこうなってこう落ちて、という予測は何通りでも想像できるのだが、「その予測に従いたくないから」、これらのマンガは未だに完結しない(できない)のである。大風呂敷を広げたら簡単にはたためなくて、手塚治虫や石ノ森章太郎に未完作品が多いのも、結局は「読者の予想を裏切るほどの素晴らしい結末」を思いつけなかったからだ、ということだ。『ゴルゴ』はもう確実にさいとう・たかをの死で未完に終わると思うけどね(実際の作家は別人だから続けるという手もあるが、もう打ち切った方が賢明だろう)。 マンガ好き同士のヨタ話で「あの話のオチはきっとこうなるぞ」と予測しあうのは楽しいが、それを本にしたって、突っ込みあえないから、「へえ、あんたはそう思ってるんだ。よかったね」で終わってしまうのである。更に言えばこの竹熊さんの予測自体が底が浅くて膝を叩くほどのものではないのが致命的だと言える。この本読んで「俺はもっと面白い結末考え付けるぞ」と思った読者は多かろう。 それよりも、後半の「自分のハナシ」や「オタクのハナシ」のほうが格段に面白い。70年代、80年代のオタク創世記に青春を過ごしてきた人間は数多いが、彼らがみな一様に『ヤマト』にはまり、『ガンダム』にハマッていたわけではない。アニメが好きでも『ヤマト』を見ていなければ、『ガンダム』に燃えていなければオタクにあらず、アニメブームの本質も見えていないようなモノイイをする人は多いが、果たしてそんなに簡単に言ってしまっていいものかどうか。確かに当時の『アニメージュ』の表紙を飾っていたのは『ヤマト』『ガンダム』が圧倒的に多かったのだが、この両作が視聴率的には惨敗していたのは周知の事実である。 竹熊さんは、“『ガンダム』にハマらなかった”オタクである。私生活でアニメにはまれる状態でなかったことも原因ではあるが、大塚康生ファンである立場からなら、たとえ『ガンダム』を見る余裕があったとしても、とても本気でハマれはしなかったろう。しかしそれが結果的に竹熊さんのアニメを見る視点を客観的かつ分析的なものにした。 「素直にアニメを楽しむ人たち=オタク顕教」 「アニメを政治的に擁護する人たち=オタク密教」 という分析は、一見単純で、そんなに簡単に人を二分化して見ちゃっていいものかどうか、という疑問も抱かせるものなのだが、実際にアニメオタクの連中をナマで見ていると、この図式にピタッと納まっちゃうやつが多いのである。例えば『アルプスの少女ハイジ』を見ていたやつは「オタク顕教徒」で、裏の『ヤマト』を見てたやつは明らかに「オタク密教徒」だろう。作品の完成度という点で見るならば、『ヤマト』には「ほころび」がありすぎる。素直にアニメを見るなら、『ハイジ』に軍配が上がったのは当然の結果なのだが、それでも『ヤマト』を支持する「運動」が、現在のオタクシーンの母体を作ったのだ。 では、「ハイジ」ファンだった人たちはオタクではないのか。そんなことはない。顕教と密教のどちらが本道か、などという論議は不毛である。その両輪があってこそ、アニメの総体は語ることが可能なのだ。『ヤマト』『ガンダム』と続くアニメのエポックとなった作品のいかにも「密教」な流れがアニメブームを牽引してきた事実を竹熊さんも否定してはいない。しかし、「アニメ密教」の人々が、アニメを「裏読み」ばかりし、しかもそれが「ドグマ」(独断・教義)に陥ってしまいがちであること、これは通ぶったオタクが自戒の念をもって認識すべきことではないだろうか。すなわち、面白いものを面白い、つまんないものをつまんないと密教オタクは素直に言えなくなってしまっているのである。 考えてみたら、私も『ヤマト』『ガンダム』にそれほどハマらず、密教オタクが毛嫌いした『エヴァ』にはハマッたという点で、竹熊さんと共通している部分がある。言っちゃなんだが、「アニメと特撮」だけを見て、それで全てを語れる気になっている密教オタクとは、会話していてもその視野の狭さに閉口させられることが多いのだ(これは私の視野が広いと言いたいわけではなくて、相手の視野が非常識なくらいに狭すぎるのである)。言い古された言葉ではあるが、オタクはやっぱりほかのメディアに触れるなり日常を大切にするなり、そういうアタリマエなことを心がけたほうがいいと思うよ。
2004年05月18日(火) トンガリさん、更にトンガる! ……とほほ(T.T)。 2003年05月18日(日) すっ飛ばし日記/やっぱリ肉食う女 2002年05月18日(土) 世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか 2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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