無責任賛歌
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2005年04月25日(月) |
多分、世界はいやになるくらい狭い/『アガペ』2巻(鹿島潤・石黒正数) |
人の縁(えにし)はどこでどう繋がっているか分からぬ、とは、これまでの人生でも多々実感したことであったが、新しい職場で気が合った同僚の女性(とりあえずAさんと呼んでおく)、なんとホモオタさんの大学の一年後輩であった。 「ホモオタちゃんは(と、Aさんは先輩である彼を「ちゃん」付けで呼ぶのである)、大学生のころは髪が長くてスマートだったんですよ。性格はあの通りの性格でしたが」 とのこと。現在のホモオタ氏は言っちゃ何だが外見は「ハゲた赤豚」である。性格の歪みが体型にも現れちゃったんじゃないかな。 当然、ホモオタさんの数々の「行状」についてもAさんは先刻ご承知で、私以外に「被害」にあった方々ともお知り合いだったのだが、私が「部屋に誘われたんで行ってみたらセーラー服姿のホモオタさんに襲われかけたんですよ」という話をしたら、さすがにホモオタさんがバイセクシャルだということまでは知らなかったらしく、目を丸くなされていた。 「私が知ってるホモオタさんの好きな人は女性でしたが。Sさんという方の奥さんで」 「Sさんの奥さんも知ってますよ。私の家内の知り合いでしたから。その方に相手にされなくて、私に乗り換えたんです」 「……好みの幅の広い人なんですねえ」 いや実際、そのSさんの奥さんというのは昔から評判の美人で、密かに懸想している男性は数知れず、その「後釜」が私だというのはちょっと気の毒だったのである(まあ当時は私も一応は20代でしたが)。 実を言うと、当時ホモオタさんは、私と家内が接近するのも様々な形で妨害しようとした形跡がある。直接的には私に家内の悪口を言いまくり、「あんな女にいつまでもかかずらわっていると、あなたが不幸になりますよ」とまで言ってのけていた。確かにしげは昔からろくでもないあほんだらではあったが、私への一途な思いは嘘偽りのないものであったから、それを無碍にないがしろにする気はなかった。 だから、たとえ一見「親切や忠告のつもりで」しげの批判をされても、それは私にとってはおためごかしかいわれのない中傷にしか聞こえないし、そういうモノイイに対しては私が猛烈に反発する人間であることくらい、私を見ていれば気がつきそうなものである。障碍が多いほど恋は燃え上がるという「ロミオとジュリエット効果」みたいなもんですかね。ところが、ホモオタさんにはそのあたりの初歩的な人間の機微すら一向に理解できなかったようなのだ。恐らくそのころにはもう妄想が果てしなくエスカレートしていて、自制できない状態にまで陥っていたのであろう。 ほかにも当時、ホモオタさんが、私と家内に関するとてもここには書けないような胸糞が悪くなるようなデマを流していたことも、後に誘導尋問で引っ掛けてホモオタさん自身から聞き出した。なんとしてでも私としげの間を裂きたかったのだろうが、結果は全く反対に作用したわけである。だからもともと実る関係ではないのだから、早々に諦めてくれりゃ自分が傷つかずにすんだだろうにねえ。 ホモオタさん、中傷ハガキの件でも分かるとおり、法に触れるギリギリの線を綱渡りする嫌がらせを実行できるあたり、決してただの馬鹿ではない。しかし、策略家ではあるがそれが実を結んでいないという点ではやはり間が抜けているのである。それはやはり、ホモオタさんが自我肥大を起こして自己を天才と錯覚してしまっているために、結局、人間の心理などは探れば探るほどフクザツカイキであって、いくら読もうとしたって読み切れるものではないという事実に未だに気づいていないからだろうと思う。 「こうすれば人はこう動く」「人は簡単に洗脳できる」「他人を洗脳できる自分は天才なのだ」「だから他人はみな自分にひれ伏さねばならない」 一度、そう思い込んでしまったら、他人が自分の思うようにならないと、それは自分がごく普通の人間であって、他人に対してたいした影響力は持ち得ないというあたりまえの事実を受け入れることができなくなる。結果、一種のヒステリー状態を経てその人は他人に対して常に攻撃的になり、人を敵か味方かだけでしか判断できなくなり、自分の不遇は常に他人の陰謀のせいだと思い込むようになり、果ては自分にはこの世ならぬものの姿が見える、自分は神の使徒だ、宇宙意志と交信でき、天変地異だって起こせる、自分に逆らうと地獄に落とすぞ、とまで言い放つようになる。ホモオタさんはそこまで行ってしまった。ホモオタさんに脅され続けて、ついに神経を病んだ女性がいることも私は知っている。 今日、Aさんから聞いた話によると、ホモオタさんが一時期「研修」の名目で現場を離れていたのは、そういう「被害者」の方の身内の一人が、「告訴してやる!」と激怒して当時のホモオタさんの職場にねじ込み、それを聞きつけた本社が慌てて取った措置だったのだそうだ。 本社の幹部ども、私にはやたら「告訴したらどうか」と打電しておきながら、実際にキレた人が出てきたら急に及び腰になって、こういう「穏便な」処分でコトを済ませてしまおうとしたのである。ということは、やはり本社はホモオタさんを完全に解雇する気はなかった、と判断せざるを得ない。精神に異常を来たしているという程度のことでは、解雇できないと言うか、既知外相手の厳しい処分は自分たちの身にも被害が及ぶ危険性があると判断して「逃げた」のだ(以前、馬鹿正直にそう口にした支社長もいたから、これは確実である)。 全く、厄介なのはホモオタさんよりもこういう自己保身に走る本社のほうかもしれない。いっそのことホモオタさんの本名も、本社の名前も暴露してしまいたくなるが、内部告発して不当解雇かそこまでいかなくても減俸処分食らって、これから先、何年も本社と裁判で係争していくとか、そこまでのエネルギーは私にはないし、ホモオタさんが未だに私にちょっかいかけてくるのは、そういうぐちゃぐちゃした事態を召喚したいという思惑もあるのだろうと思われる。「毒を食らわば皿まで」と言うか、「死なばもろとも」と言うか、「窮鼠猫を噛む」と言うか、ホモオタさん、もう精神的にギリギリのところまで追いつめられちゃってるんじゃないかなあ。 本社の幹部連中も私やほかの被害者にババ引かせたいと考えて事態を放置している糞狸の群れである。その掌の上でいいように転がされたかないから、こっちも命令通りに動いているように見せかけながら実は全く動いていないのだが、その間、ホモオタさんもそれなりに責任のある立場にい続けているわけで、被害者はどんどん拡大されているのである。 ホモオタさんの話題、これからも尽きることはなさそうであるが、カタストロフが来たときゃ、本社はどう責任取るんだろうかね。それ以前にさっさと定年退職しちまおうって腹か。くそったれめ。
「現実」と書いて「気が滅入る」と読みたくなる今日この頃であるが、またも悲惨なニュースが夕刊の大見出しに。「脱線」と聞くとすぐに「トリオ」と続けたくなるのは我々の世代の悲しい性(さが)であるが、ここまで大規模な脱線だとシャレにならないのである。NHKは、放送予定だった『きよしとこの夜』に列車の歌を取り上げるコーナーがあるため放送延期だそうな。また、BSフジは『きかんしゃトーマス』の4話分に、列車の脱線シーンがあるため、これも差し替えとか。相変わらずの「考えすぎ」だが(私ゃ地震直後に映画で『日本沈没』見たって放送局に文句付けたりゃしないぞ)、まあ、どうでもいいことにまで文句付けて自分の立ち位置確認しないと不安な人って、世間に腐るほどいるからねえ。 今日、午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線の、塚口〜尼崎駅間で、宝塚発・同志社前行きの快速電車(7両)が、速度オーバーで右カーブを曲がりきれず、前5両が脱線して、1、2両目が線路東側にあるマンション「エフュージョン尼崎」(9階建て、47室)北側の立体駐車場をなぎ倒したうえ、マンション1階に激突し、折れ曲がった。 電車には乗客約580人が乗っていたが、夜までに乗客のうち計57人の死亡を確認、負傷者は440人に上っているという。57+440=497なら、残りの80人ほどは無事だったのかというとそうではなくて、夜になっても、 1、2両目に多数の乗客が閉じ込められたまま、救助活動が続けられているのである。 事故そのものの痛ましさはもう、言葉にしようもないのだが、やっぱり気に食わないのは、マスコミの報道のはしゃぎっぷりである。 既に「平成に入って最悪の鉄道事故」との報道がなされているが、台風や地震の規模の話とは違うのである。「脱線」の原因は、考えるまでもなく十中八九「人災」なのだから、事故が起きた事実だけで「最悪」なのは説明しなくたって分かる。屋上屋を重ねるように悲惨さを強調するのはただの「悪趣味」だ。 その「人災」についての情報も、事故が起きた直後からどんどん流されている。 曰く、「福知山線のATSは、旧国鉄時代の装置をJR西日本が独自に改良した『ATS―SW』と呼ばれる最も古いタイプで、運転士が赤信号を見落としたり、車止めに衝突しそうになった際しか、自動的にブレーキがかからず、カーブなどでの速度超過は防げない」とか、「事故を起こした高見隆二郎運転士(23)は、見習い期間を含め、過去に3度、オーバーラン等で訓告や厳重注意処分を受けていて、技術内容の点検や適性検査、心理テストなどを受講し、再び復帰していた」とか。 もしかしたらそういったことどもが事故の重要な原因であったのかもしれないが、ここまで早く断定的な報道がなされると、マスコミは本当に正確な情報を伝えているのだろうか、という疑念が沸いてくる。つまり、「ほかに原因がある場合」の可能性が見落とされてしまうのである。 ごく常識的に考えれば(悲しいことに私の常識がいつもいつも世間の常識と重なるわけではない場合も多いのだが)、事故の原因は、負傷者の救出の後、現場検証や生存者の証言などを聴取した後でなければ、簡単に結論は出せないはずである。すなわち、事故直後の現段階で、たとえどんなに信憑性、説得力のあるような原因が提示されたからと言っても、それは決して「憶測」の域を出るものではない。情報は常に早けりゃいいと言うものではないのだ。 しかしマスコミがしばしば「情報の正確さ」よりも「早さ」のほうを優先しがちなのは、「内容」よりも「スクープ」性にこそ価値観を置いており、世間もまたそれを求めていて、だからこそテレビは高視聴率を取ることができて、新聞は売り上げを増すと信じられているからである。でも「高視聴率」ったって、人気ドラマだって今時ゃせいぜい20%行くか行かないか、「スクープ」ったって、ニュースはどこの局でも報道内容は同じじゃないか。80%以上が見てるわけでもない「スクープ」にそこまで価値を置くっていうのはマスコミがやはり強迫観念に捉われてしまっているとしか言えないのではないか。 マスコミの現状は、言ってみれば、既知外の群れが「報道」という美名の下で「他人の不幸」を喜んでいる状況にほかならないわけで、テレビ新聞雑誌全て「東スポ」化していると言ってもよかろう。そりゃ、一誌や二誌が「東スポ」なら別に文句もないのだが、全部が全部荘なら、飽き飽きするってもんである。事故直後にコメントを発表する「識者」とやらも、ちったあ今喋るべきことかどうか判断しろよ。沢木耕太郎は「私が事件のコメントを全て断るのは、『分からない』からだ」とはっきり言い切ってるぞ。
マンガ、鹿島潤原作・石黒正数作画『アガペ』2巻(メディアファクトリー)。 1巻の表紙を見た段階では、「利他的で無償な愛(=アガペ)の持ち主」という設定の犯罪交渉人(ネゴシエーター)、一乗はるかの献身的な活躍を描く、というユメもキボーもあるミヤザキハヤオな展開になると思っていたのだが(だって絵柄も東映動画っぽかったんだもん)、なんかもう、とんでもない展開になってきました。 交渉に失敗して死人を二人も出してしまったはるか、精神的ショックから失語症になったばかりか、仲間であり好意も抱いていた同僚、武市涼宇の存在も忘れてしまう。いや、単なる記憶喪失ではなく、武市の存在を脳に「書き込み」することすら出来なくなってしまうのだ。 ……とまあ、ここまではもうこれまでマンガでも小説でも映画でもいくらでもある展開なのだけれど、はるかの愛が得られないと知った武市が、突然「自分が事件を起こせばはるかは交渉人として自分を愛するようになってくれる」と、「東京ドームにサリン撒くぞ」といきなり犯罪者になってしまったのには正直唖然。「八百屋お七かよ、お前は!」 (笑) 「神の愛」なんて、幻想でしかないものを、生身の人間の肉体に宿らせようとする作者たちの意欲はまあ、立派かなあと思わないでもないのだが、2巻でもう、手詰まりになりつつあるようである。はるか、全然「無償の愛」の体現者には見えなくなってるし。エゴイストじゃなきゃ「特定の人物の記憶だけを無くす」なんて都合のいい記憶喪失に陥るわきゃないでしょ。事件の「締めくくり」も、果たして武市を救ったことになったのかどうか。武市が更なる犯罪に走ったっておかしかないと思うが。 けれどもし、作者たちが、「『アガペ』なんてない」という結論に持っていくことを目論んでいるのだとしたら、一応は物語としての整合性はあると言えるのだが、今更そんな分かりきった「事実」を結末に持ってこられたって、楽しくも何ともないのである。ここはやっぱり、はるかが「アガペ」を取り戻す展開に無理でも持っていかなきゃならんところなのだが、そういう手段、ちゃんと考え付いてるのかねえ。
2004年04月25日(日) おじょうさま、ごめんあそばせ。 2003年04月25日(金) メモ日記/シカゴな夜。 2002年04月25日(木) あの人にだけわかるナニの話(^^*) /DVD『エイリアン9 DVD対策BOX』……“NEW”! 2001年04月25日(水) おむすびころりん/『最終兵器彼女』4巻(高橋しん)ほか
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