無責任賛歌
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ふざけんな馬鹿野郎、また震度5強だぞ。つい今しがた、またしげを山の中から掘り出したばかりだ。部屋の中はこないだよりも更にひどい惨状。私もしげもちょっとあちこちかすり傷は負ってるけど、今回も命は無事だ。外は雨の中、また救急車のサイレンが。電車は全線止まってるので仕事に行けるかどうかは分からんが、現況はこんなとこ。 目は覚めていたのだ。 「日本映画専門チャンネル」で、『亡霊怪猫屋敷』をみうらじゅんの解説目当てで録画予約していたのがちょうど6時に始まっていた。 目は覚めていたけれども、朝風呂に入るのはいつも六時半ごろ。寝つきはいいが寝起きはよくないほうなので、布団の中で起きようか起きまいか、うだうだしていたところだった。 午前6時11分。状況は一月前の本震のときと同じ、いや、それ以上だった。前回は落ちなかった棚の上のビデオが山崩れを起こし、スピーカーがテレビを直撃して転がり落ちた。慌てて飛び起き、落ちてくる本をよける。隣室でしげが悲鳴を上げたが、助けになど行けない。揺れが収まるのを祈るしかないのだ。 居間の床が一月前と全く同じ惨状になった後、しげに「大丈夫か?」と声をかけた。 「たふけて〜」と“猿轡をかまされたような“くぐもった声が聞こえる。崩れた本の山を掻き分けて隣室を覗くと、しげは一月前以上の本の山に埋もれて、何とか顔だけを覗かせていた。「出られんか?」と聞いたら、かろうじて左手を出して、「足が痛い。全然動かん」と言った。口の前にやはり本が落ちてきているので、声が聞こえにくかったのだ。 「もう来るの分かったら何ですぐに逃げないかな」 「分かったけど、起きなきゃって思った時にはもう雪崩れてきてるんだもん」 どうやら愚痴を言う元気は残っていたようである。前回同様、しげを何とか掘り出したが、震度は確実に前回よりも大きかった。しげの部屋のテレビは棚から斜めに傾き転げかけていて、もう少しでしげを直撃するところだった。 既視感。また外で救急車のサイレンがなっていたが、もちろんそれは錯覚ではなく、現実なのであった。 震源はやはり福岡県西方沖だが、かなり湾岸に近い位置で起きたとのこと。博多区は前回の本震では震度5弱だったが、今回は震度5強。余震とは言え、実質は今回の方が本震のようなものである。ただ、津波警報が出されなかったことは前回よりも少しはマシだったと言えるかもしれない。 今度も携帯もメールもまるで通じない。真っ先に父の携帯、店に連絡を取ろうとしたが、前回同様、これがまるで繋がらない。自宅の固定電話は完全に断線していてウンともスンとも言わない。こうなったら直接現場に行くしかないと、車に乗って出かけることにする。どうせ電車は普通だろうから、父が無事ならしげに職場までそのまま送ってもらおうと考えていた。 自分ではまあまあ冷静なつもりでいたが、実際にはかなり慌てていたらしい。 「エレベーターは動くかどうか危険だから、歩いて降りよう」 「うん」 と会話した直後、私はエレベーターの下りのボタンを押していた(あとでこのエレベーターは業者の点検を受けていた。私たちが乗ったときには一応、動いたからよかったもののの、実際にはやはり調子が悪くなっていたらしい。確かにキイキイ軋む音がしていたし、もしかしたらうっかり閉じ込められていたかもしれないのである。あほだよホントに)。 表通りは地震後30分で既に渋滞になっていたので、裏道を博多駅方面に走る。父の店に到着したのが7時半ごろ。幸い、父も姉も無事だった。けれど、マンションの屋上のタンクは倒れたかどうかしたと言う。博多区の被害はやはり前回よりもひどそうだった。 本音を言うと部屋を片付けないと今晩寝る場所もないので、出勤なんぞはしたくなかったのだ。しかし今日はかなり重要な用件の出張もあって、おいそれと休むわけにはいかなかった。けれどもこの状況でどれくらいの社員が出勤しているものかと疑いつつも職場に駆けつけてみると、60人か80人くらいいる社員のうち、集合したのはわずかに10人ほど。当然、仕事になんぞなりゃしないのだが、それでもどうやって来たんだか、支社長は「昼までは仕事をします」と言って、、お茶を濁す程度の作業しか捗らないにもかかわらず、出勤してきた少数の社員をこき使ってくれたのである。人の情というものがないよ、今度の支社(まあ、ある支社のほうが少ないのだが)。 出張は午後からだが、JRの復旧は全く目途が立たず。それは「予想の範囲内(笑)」なので、実はしげを会社に連れてきて、そのまま待たせていた。待合室で一人ぽつねんと5時間あまりほったらかしとくのは正直、胸が痛んだのだが、これはもう天災のなせる業であるし、緊急事態なのでどうにもしようがない。車の運転が出来ないと、こういうときに一番迷惑をかけてしまうのだが、これとても目が悪いのは生まれつきなので、誰を恨もうにも恨めないのである。 帰宅は5時半、それから夜まではひたすら部屋の片付け。一時は疲れ果てて父のマンションに泊めてもらおうかとも考えたが、8時半ごろにはとりあえず横になれる程度の床は掘り出すことができた。正直、また山崩れを起こすことを考えると、ただ本を積み上げるだけでは怖いのだが、収納棚が限界に来ているので、ほかにどうにも手段の取りようがないのである。 劇団の関係者との連絡は、夕方までにほほ取れて、全員、無事を確認した。 確認が一番遅れたのは鴉丸嬢だが、昼夜逆転の生活をしている鴉丸嬢、地震の瞬間は爆睡していたそうである。鴉丸嬢、結構神経は細いほうだと思っていたのだが、あれで眠っていられたとというのは、もしかしたらかなり「大物」なのかもしれない。 夜には義父も安否を問い合わせてくる。多分、十年くらいお会いしていないし、電話も恐らくは半年か一年ぶりだろう。もちろんしげのことを心配してかけてきたのだが、「代わりましょうか?」と言ったら「いや、いいよ」と断られた。この親子にもいろいろあって、普通に会話することができない。何とかならんものかとは思うのだが、何とかなったらなったで何ともならない事態にもなりそうで、なかなか問題は難しいのである。 テレビを点けると、ニュース番組で地震の専門家とやらが、「余震は収まってくると思いますが、まだ震度4程度の地震が二、三ヶ月以内のうちに起こらないとも言えませんので、注意してください」なんてことを言っている。 「注意しろ」って、注意したってどでかい地震が一発来たらどうしようもなかろうに、この人は何を能天気なこと言ってるのか、と腹立たしくなる。だいたいこんな台詞、シロウトでも言えるではないか。専門家を名乗るなら、せめて70%くらいの確率で地震を予知してほしいものだが、どうにも科学とやらはなまずよりも役立たず学問のようである。 余震は今も続いている。 〔訂正〕 烏丸嬢から、「地震の瞬間には起きてたよ」と訂正の連絡がありました。私からのメールを受け取ったのは地震後しばらくしてで、回線が混乱したせいで遅れたらしいのです(だから直接通話はダメでもメールなら大丈夫という報道は間違いなのである)。ちょうどそのときは「寝ていた」という意味だったんですね。 「地震でも爆睡する女じゃないよー」ということなので、ここに慎んで訂正させていただきます。 2004年04月20日(火) 今日はぶっくたびれてるので短い。
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |