ぼんやり日記
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うーんいい音楽です。HIRO&RIEの2nd、“Child's Heart” 教会を中心に活動されているご夫婦のデュオ。 心がほわほわしてくる。 以前から聴きたいなあと思っていたのだけれど、 今日やっとキリスト教書店で販売しているのを見つけて ささっと買ってしまった。 またパパに事後承諾だわ・・・ごめん。 RIEさんは沖縄出身の方だとか。そういう雰囲気もあるけれど おしゃれでほんのりジャジーで人なつっこい声と音。 かる〜いのにソウルフルで気持ちいいなあ。(これ珍しいよ) またご主人のHIROさんのサックスがかっこいい。 公式HPで試聴ができるようなのでご興味のある方どうぞ聴いてみて。
今日は急に東京の友人と会うことになり梅田へ行った。 (それでCDも入手できたわけ) この方とお会いすると、やはり気持ちがほかほかする。 とっても暖かい人なのよね。 まだ三度しか会ってないのだけれど、きっとずっと 死ぬまでお友達でいられる人だなあと思う。 (と勝手にみいは申しております。笑) ザッハトルテ美味しかったぁ。
明日は次女の幼稚園のお別れ遠足。 スキー場で雪遊びをするのだけれど、血糖値が心配な事もあり (山道をバスで行くから吐くのが気になる) 私達家族もええい、ついでに遊びに行って、帰りに合流しようと いうことになっている。 2,3日前からの寒波で雪も積もってるんだろうなあ。さむさむ。 へっへっへ雪だるま作成パーツじゃ。
2002年01月31日(木) ランゲル〜南の島〜ハンス島
セールストークだとわかっていてもうまく断れない。 数日前、某宅配牛乳の人が「サンプルを配ってます」とやって来た。 モニター越しに断ればよかったのに、以前も同じパターンで サンプルだけ飲んで断った事があったので、ついドアを開けた。
数本入った牛乳やらヨーグルトやらを受け取った。 後日、空き瓶を受け取りに来ると言って帰っていった。 宅配の牛乳というのは実はできればいいと思っていた。 ただ、今回の牛乳は大嫌いな低脂肪牛乳。低温殺菌牛乳は宅配していない。 というわけで断ろうと思った。
昨日、牛乳屋さんが来た。若いお兄ちゃん二人。 夕方の大阪では珍しく氷点下になっていた時間帯。 お兄ちゃんは「うちはヨーグルトが売りなんです」と勧めた。 まあ胃腸の弱い私、ヨーグルトを毎日食べるのもいいかと 思ったことはあるのだけれど、1個¥100ですって。うう。 何度か断ったのだけれど、だめ、断りきれない。 品物が高価な商品だったら、そして相手が読売新聞だったら 頑として断る自信があるのだけれどヨーグルト相手に(週¥300に) 目くじらたてて断るのもなあ。(すでに思考回路がおかしくなってる) 「寒いですねー(とうまく同情を誘いつつ)いつでも断ってくださって 結構ですから大丈夫ですよ」(何が大丈夫なのか) 玄関に出ている自分も寒くてたまらない。 「じゃ、とりあえずお願いします」
パパが終電に乗り遅れタクシーで帰宅した。 ぼそぼそと今日の事を話す。 「頼んだの?」とあきれ顔で私を見る。ええあきれてください。 週3個¥300ごときで夜中に夫婦喧嘩する気力もなく私は疲れていた。 「一ヶ月やで、一ヶ月経ったらパパが断ったる」 「でもお腹の調子が良かったら(一ヶ月でどうなるものではない というのもわかってるんだけど)続けてもいいやろ」 「それはいいよ。それはいい」 パパは笑い出した。全くしょうがない妻だと思ったのだろう。 言わないで。 自分でもしょうがない妻だと思ってるから。
週3回¥300か。 もう誰も勧誘に来ないでね。 読売新聞なら断るけどね。
やっぱり、自分に自信がないからきっぱり断れないのだろうか。 だって読売新聞の社長はおかしいという判断には自信を持ってるから きっぱり断る自信があるんだもの。 もう、私のあかんたれ。
2003年01月29日(水) |
寝言 / いろいろ興味はあれど |
子供は寝言が多い。 大人になるとあまり聞かなくなる。 寝ている時も大人は理性が働くのだろうか。なんだか残念。 (でも隣りに寝ているとびっくりするからあまりなくてよい)
ぶたこはもうすぐ3歳。毎日のように彼女の寝言を聞く。 この子は赤子の頃から夜泣きと共に「夜笑い」をよくしていたから 思いっきり夢をエンジョイしているのだろう。 最も多いのがケンカの夢のようである。 「いやいや」から始まり「○○(次女の名前・呼び捨て)あっちいって!」 「あかんあかん、ぶたこのやで!」「さわったらあかーん」 と非常に機嫌が悪い。 面白かったのが「とことこ歩いてあっちいけ」と泣きわめいた寝言である。 とことこ歩いて・・・そんな発言を起きている彼女の口から聞いたことがない。 まだ二語文(ごはん食べる、おくつはく、など)がせいぜいの頃で “とことこ”という単語も絵本で読んで聞かせたかもしれないが 日常会話として彼女が口にした記憶がない。
「夜笑い」も相変わらずあるが、こちらでの寝言はない。 ただひたすら笑う。私が気づいてそばまで行っても まだ笑っているから結構な時間である。 ねえ何がおかしいの?かーさんも知りたいな。 くすぐられているのかな?昼間の指人形を思い出してるのかな?
先日、BBSでジョニー・マーが来日するけど東京だから関係ないや、と 書いたけれど今日、ぴあからのMLを見ていると 3月3日に心斎橋クラブクアトロに来るではないですか。 あああ知らなきゃよかった。どうせ行けないのに。 だから音楽とかお芝居とか興味持ち始めたら、 あっちもこっちも行きたくなるのが目に見えていたので 情報が入らないように過ごしていたのに。 それにしても“The ピーズ”ってあるけどあのピーズなのかな。 “カステラ”とか思い出しちゃった。 やっぱりライブはいっぱい見たいなあ。 だめだめ。 何が一番大切か考えて暮らしましょう。
自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。 そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。 自分の宝は、天にたくわえなさい。 そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。 新約聖書マタイによる福音書6章19,20節
先日、ライフセンター(キリスト教の専門ショップ)で ゴスペルシンガー岩渕まことの2枚組ライブCDを買った。 その中に“父の涙”という名曲も含まれていた。
それを聴きながら、自分の父のことを思いだしていた。 もうそろそろ父のことをきちんと考えてもいいような気がした。 私は父が大好きだった。いつも精一杯父を愛していた。 父は完全な人だと思っていた。 頭がよくて、いつも正しくて、何でもできて私を可愛がってくれる人。 実際はかなりの気分屋で、猫かわいがりしてくれていると思ったら 突然怒り出してその度に私は身を縮こませた。 それでも父が好きだった。顔色をうかがいながら抱きつきに行った。
いろいろあって父が亡くなった。 その当初は泣いてもいい気がして泣いた。 数ヶ月すると、もう泣く必要がないと思って泣きやんだ。 父のことを考えなくなった。 友人との会話の中で「私はファザコンだから」と言ったり 母と父の昔話をすることはあっても、特別感傷的にはならなかった。
父が死んだのは過去のことで、父と私は遠く離れている。 思い出の一つであり、すべては解決済み。そう思っていた。 でも、そうではないこともうっすら気づいていた。 私は、いまだに父の死に直面できていない。 父の期待に応えることができず、失望させたまま 受け入れられないまま、父が死んでいったことが恐ろしかった。 父に受け入れられなかった自分を、自分も受け入れられない。
昨夜、父のことを考えた。 涙が出てきた。23年ぶりに父のことを思って泣いた。
教会で牧師先生がよく言われる。 「あなたのお父さんのイメージはいかがでしょうか。 怖いお父さんですか、優しいお父さんですか。厳しいお父さんですか。 寛大なお父さんですか。そのお父さんのイメージが、そのまま 天の父なる神様のイメージとダブるのですよ」
私の神様のイメージ。 大きくて暖かくて正しくて、でもやっぱり恐い。 とがめられそうで、責められそうで居心地が悪い。 本当はそうではない事は知性でわかるのだけれど。
先日、コンビニ等で特有のにおいがありませんか?と問いかけたら 一名の方がご賛同メールをくださった。(さんきゅっ)
清掃用薬品のにおいでは、と言ってくださる方もいた。(どうも〜) そうかもしれない。物理的に実際に本当ににおうのだから 何かの薬品や建材のにおいなのかも。 それにしてもなあ。 それを不快に感じる人が多ければ改善されるだろうから 改善されないのは一般的な人には全然気にならないという事。
本当ににおっているのか、そういう気がしているのか 自信がなくなってきた。 でも賛同してくださる方がいらっしゃるのだから やはりにおいは存在するはず。 今度一緒にコンビニ行って「このにおいよね!」と 確認し合いましょう。(笑)
ゲームセンターはうるさいから嫌いというのもある。 音に閉じこめられそうな気がする。 家に帰ったら娘三人で十分うるさいんだけど。
義母は私の実家に来て、あまりに静かで気持ち悪いと思ったそうだ。 静かすぎると耳鳴りがするような「シーン」という音が 聞こえる気がする。トンビもいないような都会に住むよりいいじゃん。 と田舎者の私は思うんだけど、その田舎にいても 人は暇つぶしにパチンコ屋へ行くんだよなあ・・・・・ パチンコ屋のにおいは知らないけれど、煙草のにおいかなあ。
2002年01月27日(日) たまには走るか
パパが買ってきてくれた。フジFinePix F401 お手頃価格で売れ筋だそうである。 今までかなり旧式のデジカメを使っていたせいか、驚きの連続だ。 まず起動時間。凄い。スイッチ入れてすぐ写せる。 (この表現だけで今までどれだけ時間がかかっていたのか推測ください) もちろん連写もOK。パシャパシャ。 そして室内だというのに蛍光灯だけでびっくりの明るさ。 今までどの写真も神社の境内状態だったのが嘘のようだ。 すごい。すご〜い。
これで私も写メールからもう少しグレードアップな画像をHPにアップ できることでしょう。(たぶん) ちょっと浮かれております。 電池がどのくらい持つのかが心配だ。
2002年01月26日(土) プロ野球って試合時間長いよね
久しぶりに友人たちと会った。 こんな風にたわいもない会話をするのもすごく久しぶりで楽しかった。 気がつくと6時間くらい経っていた。ただ喋っていただけなのに。
若い頃っていつもこんな風に喋りあっては 時間が過ぎていったような気がする。 ご近所のママさん同士のおつき合いでも、たわいない話をするけれど 私はどうしても会話が続かない。 近所付き合いだから下手にこじれてはいけないし、 やはり気が合う人がいないという理由もある。 もともと波長が普通の人と少し違っているので、友達ができるまで 少し時間のかかるタイプでもあるし致し方ない。 ママさん同士で「気の合う友達ができない」と悩む方も 時々いらっしゃるけれど、別に無理矢理友達を作らなくても よいではないのとアドバイスさせていただく。 無理してお茶に付き合うより、「こんにちは」だけの挨拶で すませてしまえる方が楽ではないの。 そして、誰かがホントに困っている時に手助けができれば それが本当のよい友情ではないかと思う。 (私自身それを目指している。まだうまくできないけれど)
今回会った友人達はネットを通して知り合った人たち。 話すのが苦手な私はインターネットというコミュニケーションツールが 出来てとっても助かっている。 文章そのものは下手だけれど、それでもこうして書くことによって 自分の気持ちや考えを、話すよりも忠実にあらわすことができる。 だから、ネットを通して知り合った人とは最初からすんなり 友人としてつきあえる確率が高い。 もちろんネットを通して困った問題も起きるけれど 私はネットがあってよかったなあと思っている。
帰り際、JRで帰るからとみんなと別れて切符を買ってから 「今日は御堂筋線で一本の駅に直行しなくちゃいけなかったんだ」と 思い出し、でも切符買っちゃったのでJRに乗り 途中駅で乗り換え無駄にお金を使ってしまった。 相変わらずツメの甘い私であった。なんでこうなんだろ。
昨日「コンビニやTSUTAYAに行きづらい」と書いたけれど どうしてそうなのか考えてみた。
コンビニ、ビデオレンタルショップ、カラオケ、ゲームセンター ある種の本屋等々・・・・ そこを利用するというのが自分の中では後ろめたいという 気持ちがある。 コンビニはよそで買えば確実に安く手に入るものを 『便利』というだけで買ってしまうという圧倒的な後ろめたさがある。 もちろんコンビニ固有の商品やチケット販売など、 今はコンビニでなければ買えないものもたくさんあるのだけれど。 コンビニは18歳で大阪に出てきた頃には、あまりなかったのよ。 デイリーヤマザキとかはあったけどね。 いわゆる「駅前の煙草屋さん」がなんでも屋の時代。
まあ、それ以外のものも含めて「後ろめたさ」以外に それらの店独特の「におい」が気になるという理由がある。 この「におい」がどんなものかを説明するのが難しく 今まで理解し納得してくれた人はいない。 あるでしょう、コンビニの「におい」。 同じ「におい」をビデオレンタルショップでも感じる。 そしてある種の本屋でも感じる。 ある種の本屋って別にアダルトな本を売っているとか 古本屋という意味ではなく、ある種の本屋としかいえないのだが こういう店には、その「におい」が存在する。
煙草の「におい」でもなく、食品の「におい」でも 雑誌の「におい」でもない。 私個人としては、あまり好きとはいえない「におい」。 人を拒絶する「におい」というか、人間味という部分をそぎ落とした 無機的な「におい」なのである。
おわかりになる方いらっしゃいますか? (いらっしゃったら是非教えてください) どうしよう、あなた病気ですよなんて言われたら。
2年前、長女が幼稚園の年長だったころ。 よそのお家へ遊びに行くとTVゲームに夢中になり、 お友達と遊ぶよりゲームやりに行っている時期があった。 これはちょっと問題だと、パパとかなり相談した結果 思い切ってゲームを買ってやるかということになった。
ところがこの世間に疎い夫婦はゲーム機の事がわからない。 当時お友達が多く持っていたのは任天堂64である。 プレステ2が出ていたけれど、小さい子には64がいいらしい。 そういう情報くらいしかなかった。 その頃、任天堂から64の次世代ゲームが出るというのも発表された。 電器屋の店員さんにそれを尋ねると 「まあそれでもお子さんにとって64の需要はありますから」 どのみち、その時点でそのゲーム機を待っている余裕はないので 64を買ってやった。 当時はゲームボーイアドバンスが爆発的に売れていた頃で そちらは数年後も絶対需要があるというくらい私でもわかったが でもやっぱり夢中になりすぎると困るので、と却下。
2年後。 どこに行けば64のソフトが売っているのでしょうか状態である。 そりゃ2年もたてばそうなるのは目に見えていたけれど。 マリオパーティ4も、64からは出ていないのだろうか。 新規ソフトは発売されないのだろうか。 中古ソフト店へ行けばきっとあるのだろうけれど 何だかそういう店には恥ずかしくて行けないのである。 (どうして恥ずかしいかわからないけど、カラオケとかも恥ずかしい。 少し前までコンビニもTSUTAYAも恥ずかしくて行きづらかった。)
もう1年以上も誰も64を触っていなかったのに (案の定、家にあるとあまりしないのだ。ソフトだって当初買ってやった 2本しか持っていない) この間、ぶたこが突然64の大きな箱を持ち上げて「これやっていい?」と 聞きに来たときは肝をつぶした。(力持ち!) つないでやると、それを見つけた次女と長女も少しやっていた。 でも、夢中になるまではいかないなあ。 ぶたこは家にあるソフトは操作が難しくて自分でできない。 結局、このままピカピカのまま使われずにいるのだろうか。 ただ観察するだけ、みたいなソフトってあるのかな。 (ピカチュウげんきでちゅう、ってそういうソフトじゃなかったっけ?)
結局、買ってやって子供の気がすんだので正解だったのか 要らないもの買って失敗したのかよくわからない。 あ、私はフリーセルとスパイダーで十分です。
2002年01月23日(水) 戦闘記
今日、病院で診察。 肺はもうすっかり戻っており、レントゲン写真でも異常なし。 ご心配してくださった方々、有り難うございました。
先生が「少しこの辺が弱くなっているようですね」と写真を指さした。 なるほど、今回穴があいたとおぼしき辺りが濁っているように見える。 「やっぱりそういうところから再発しやすいんですね」 「そうですね」 「そうですか」 とにかく、これで再診の必要はなくなった。 再発は、それこそ何をしてもなる時はなるので天にまかせるしかない。
ところでこの病院で3回レントゲン写真を撮ってもらったが 3回とも違うレントゲン技師だった。 そして3人とも撮影方法や(両手を板の後ろにまわすとか後ろ手に組むとか) 指示が微妙に違っていておかしかった。 1回目と2回目の先生はどちらも「妊娠の有無」を聞いてきたが 今日(3回目)の先生は何も聞かなかった。 そして2回目の先生は「妊娠してない」と返事したけれど 念のためか「これで遮断しますので」と 腰に重いエプロンみたいなのを巻かされた。 着替え室があることを教えてくれたのは今日の先生だけだった。 しかもこの先生は「髪の毛が邪魔だから」と帽子を被らされた。 髪の毛ってレントゲンに写るんだろうか?
今日、公園へ次女をお迎えに行ったら、1人のお母さんに 「久しぶりやね」と言われた。 そういえば、「良いお年を」と言ってから会ってない気がする。 始業式の前に気胸になり、ずっと謹慎状態だったもんなあ。 新春の公園は気の早い梅の花が咲いていたりする。 考えてみると結婚後、妊娠時やら骨折やらおたふく風邪やら気胸やら 「自宅安静」というのが本当に多い。 一つ一つは大病でもなく、たいしたことはないものだから それほど気にしていなかった。 でも、やっぱりちょっと多いかも。
あー図書館に本を返しに行かねば。
2003年01月20日(月) |
お湯をくむ(プチ喜びの巻) |
結婚してから粉石けんで洗濯をしている。 水だとうまく溶けないので、お風呂の残り湯を洗濯機に入れる。 結婚当初はバスポンプというものを知らなくて、身重の身でありながら よいしょ、よいしょとバケツでお湯をくんでいた。 パパがバスポンプを買ってきてくれた時は、その威力に驚いたものだ。 この初代バスポンプはとても働き者で7年くらい現役だった。 二代目は一年ももたずにつぶれたことから、随分お買い得だったといえる。 そして現在が三代目。悪くはない。悪くはないけど、洗濯のたびに ホースをつないでバスポンプを設置するのが面倒くさくなってきた。
それでこの写真である。 青いのは普通の雑巾掃除に使うときのポリバケツ。 手前のはキティちゃんの洗面器。 これでくんでポリバケツをいっぱいにし、 えっしょえっしょと洗濯機まで運んで入れる。 バスポンプ使った方が楽じゃん。 と思うかもしれないけど、結構気持ちいい肉体労働である。 洗濯機までの道のりでお湯をぽたぽたこぼすのが難点だ。
これをするとき、いつも思い出すのはリベカさんのこと。 旧約聖書の創世記に出てくる、アブラハム(ユダヤ人やアラブ人の先祖)の 息子イサクのお嫁さんになった人だ。 彼女は見ず知らずの旅人に「お水を下さい」といわれて喜んで井戸から水を くんで飲ませ、旅人のらくだのためにも水をくんだ。 人一人が飲む水なんて大したことはないが、らくだとなるとどれだけの水を くまねばならなかったか、リベカさんはその重労働を喜んでしてあげた。 見ず知らずの人にである。
素敵なリベカさん。快活で明るい美人のリベカさんを思い浮かべつつ ちょっぴり嬉しくなりながら洗濯機にお湯を飲ませるみいさんであった。 見ず知らずの洗濯機じゃないけど。
お腹が空いてないのに食べたい欲求が出る。 昨年の正月からだから、もう1年にもなる。 一度に猛烈に食べるわけではないから、特別ぐんぐん太らない。
わかっているのだ。 いわゆるストレス発散のため、不満解消のため食べていることを。 特に食べたいのがガーリックのいっぱい入ったスパゲティ。 美味しいケーキ。チョコレート。チゲ鍋。 自分でもお腹いっぱいと思いながら、胃がもたれてると気づきながら それでも食べたいと思うのはちょっと病気。
食べたくなるのは子供が寝静まったり、留守になった時間。 一人の時間を満喫できるとなると、普段好きなものを食べられない分、 たっぷり食べてやると思うらしい。困った困った。
次女の病気のことで、彼女が食事にナーバスになるように 私もきりきりしちゃってるんだろうか。 それにしても胃の調子が悪いんだからやめた方がいいのに 負けちゃう自分の意志の弱さにまた落ち込んで・・・・ 特別痩せたいと思わないけど(お腹のお肉はなんとかしたいが) これは過食症の入り口に立っているのかもしれないなあ。
自分を自分でおとしめているって気がする。 きっとこんな風に(もっと深く)悩んでいる人がいっぱいいるんだろう。 だめよ、自分を見下げないで。意志が弱くても見下さないで。 自分を大切にしてください。あなたはそのままで大切な存在だから。 過食症、拒食症の方のために祈ります。
2002年01月19日(土) 我が娘よ
結婚指輪は年中つけているものだからと、シンプルなものにした。 ただのプラチナの輪っか。このまま鼻輪にできそうだ。
指輪を付けない私には自分の指のサイズがわからなかった。 結婚指輪を買うときにアドバイスを受けたら 「年を取って指が太った時の事を考えて少し大きめのサイズがいい」 ということだったので、ちょびっとだけ余裕をもって購入した。
これが毎年、冬になるとスカスカになる。 指先が乾燥して指輪が抜けやすくなって困った。 実際、お風呂場で何度も排水口に流しそうになったし 歩いていてすぽんと抜けたこともある。 面倒くさくなってえいっと左手の人差し指にはめた。抜けない。 いいじゃん。あれ、でもなんか・・・ 数時間後、抜けなくて指輪を引っ張り回した。 翌朝になるとすでに指の先は紫色に腫れている。あちゃ。 義母に言うと「水道水で冷やして抜いてみたら」 うーん余計ふやけて指が膨張するのではないですか? そういう疑問も当時は浮かばず、溺れるものはワラをもつかんでいた。
結局、眼鏡屋さん(兼宝石屋さん)で指輪を焼き切ってもらった。 事情を話すと「ちょっとサイズ小さくしましょう」と サイズをきちんと計ってくれた。 「あなたのジャストサイズは7号ですが、0.5号だけ縮めましょうか」 うーむ。今まで1号分大きかったのか。 そういうわけで7.5号になった指輪は以前ほどもすぽすぽ抜けない。 それでもお風呂に入る時は「あっ」と思う時がある。 指輪ってめんどくさい。 めんどくさいので今度は、はずしておいた。 そうしたらどこに置いたかわからなくなった。 ああもう。 付けてもはずしてもめんどくさいなあ。
2、3日前に指輪を発見した。はめた。 キリスト教式の結婚では結婚指輪は契約のしるしなので すごく大切な意味があるものである。 失くしちゃだめなものなのだ。だから余計にめんどくさい。 みんなよく付けてるよお。特に飾りのついてるやつ。 あれ痛くないですか?あれやって子供と手をつないでいると 子供がぎゅっと手を強く握るので痛くて痛くて。
ぶたこの取っている『しまじろう』のスーパーのレジ遊びグッズ。 〈左写真〉が商品のディスプレイとバーコード仕様のレジの機械。 〈真ん中写真〉が商品の一つ、にんじん。 〈右写真〉は、それをレジの機械でピッと鳴らそうとしているぶたこ。 よくできてるなあ、と感心しきりの母でした。
小さいお子さんのいるご家庭では、知らない人がいない ベネッセコーポレーションのしまじろう。 子供が生まれると、やがて必ず送られてくる幼児教材のDM。 どこでどうやって調べているのか不気味。 一時、保健所と連動してるんじゃないかと本気で疑っていた。 しかもしつこくいつまでも送ってくる。 それでも「迷惑だわ」という怒りの声をあまり聞かないのは DMの中に、子どものシール遊びが入っていて結構喜べるからだ。 そして、しまじろうの教材もそれほど家計に響くようなお値段でもなく おもちゃも上記のようになかなかうまく作られている。 確かにその辺の安価なおもちゃを買い与えるよりは、ましかも。 そういう気分で教材を頼む人が多い、すごく。 私もその一人。(ちょっと悔しい)
長女はしなかったけど、次女には合うかなあと思って1年間とってみた。 ぶたこは、3人目ゆえおもちゃも服もおさがりばかりで ちょっと可哀相かなあと思った甘い親の考えで注文してしまった。 でももうすぐ1年契約が切れる。次どうしよ。
実はベネッセがしまじろうを売り出す前は、この市場は未開拓とも いえる状況だった。 入学すれば学研のおばちゃんが「かがく」と「がくしゅう」を 届けに来てくれるくらいで、乳幼児の教材なんて本屋の雑誌くらいのもの。 私達、親世代はいろんな雑誌やマニュアル、通販で育った世代だから こういう毎月お届けシステムの育児相談つき教材というのは 非常にお手軽でありがたい商品に見える。 悔しいけど、確かにお値打ち品。
ちなみに長女は入学して学研の「かがく」をとっている。 やはり「かがく」は面白い。めっちゃくちゃ面白い。 これは学研にかなわないなあと思う。 次女は今年入学だが、彼女には「がくしゅう」をとることを勧めている。 もちろんベネッセの進研ゼミのDMも当然届くけれど。 学習業界も大変だなあ。
なんて事を考えていたら、ベネッセより新しいDMが。 今度はお母さんのための安心保険のようなものを作ったらしい。 家族の急な入院に対応する保険や、24時間対応の救急電話。 ベビーシッター会社等々の割引制度などなど。ふうん。 この間は「お子様と一緒にクッキング」というDMも送られてきたし。 いろいろ考えてるんだなあ。大変だなあ。 でも、いろいろ新しい企画を打ち出すベネッセは健全な会社かも。 私達母親も、みすみす食い物にされずにいろいろ検討して お金を出していかないと。健全な経済流通を願って。
2002年01月17日(木) Message from おばあちゃん
初めて次女がこっそりとスティックシュガーを食べていたのを 発見した時は血の気が引いた。
発症して1年未満だったし、普段から食事のことでストレスを ためないようにと努力していたつもりだった。 よりによって砂糖を、である。 しかし、親がストレスためないようにと思って親自身がストレスぎんぎんで 食事やおやつの事を考えていたのだから 子供にそのぎんぎんストレスが伝わらないわけがなかったのであろう。 気を取り直して、更におおらかになった私である。 よそのお母さんのお話を聞いていると、料理でも砂糖は一切使用しないとか 人工甘味料でおやつを作っているとか大変な努力をされている。
うーん、うちは元々薄味やから少しくらい砂糖入れてもええやろ。 幼児って手作りのおやつより、お友達と同じスナック菓子が欲しいもんねえ。 と、元来のだらだら根性で食生活を管理する母である。
が。 今年に入り、スティックシュガーの空きがらがTVの後ろから見つかった。 ソファーの下にも転がっている。そしてトイレのすみにいくつも。 ありゃりゃ、砂糖の場所変えたけど見つけたな。 仕方なく更にわかりづらい場所へ収納しなければならなくなった。 (自分が使う時も大変なんだけど) 翌日。 また落ちてる。トイレだ。 これじゃ先生に隠れてトイレで煙草すってる生徒やんか。 しかも、トイレの隅に捨てれば見つからないと思っている幼児の 頭脳プレイが可愛くて可笑しくて叱る気になれない。 いっくらぐーたら母さんでもトイレ掃除くらいするんだよ。
おやつ=注射 彼女の頭から消せない(消してはいけない)この言葉。 それが重くのしかかるのだろう。 いくら「何でも食べていいよ」と言われてもそれに続く言葉が 「注射すればええんやから」だったら。 ストレスになるんだろうなあ。 でも仕方ないもん、生きていくために必要なんだから。
そのストレスとは別に、トイレで煙草の例のように 親からこっそり隠れて秘め事をするという行為が楽しいのかも。 そう思うからこそ、今回は何も言わずに黙っている。 隠し持っていたスティックシュガーは底をついたらしいし。 それにしても、スティックシュガーって美味しいのかなあ。 スティックきな粉だったら美味しいと思うけど。
次女はどこまでわかってるんだろうか。 自己管理の自覚っていつからできるんだろうか。 どうやって教えていけばいいんだろうか。
昨日はスライスチーズの袋が落ちていた。
2002年01月16日(水) 村上さん
2003年01月15日(水) |
肺くんがんばってます |
肺の検診に行って来た。 レントゲンで見る肺は一週間前よりずい分ふくらんでいた。 ということは破れた穴はちゃんとふさがっているということ。 あとはこのまま肺から漏れた空気が肺壁に吸収されるのを待つ。 やれやれ。 よかったなあ、と思いつつ、でもこれでいつ再発するかと ちょっと不安をかかえつつ過ごすことになるのか、と複雑。
実はこの19日(日)から21日(火)までハウステンボスに 旅行する予定だった。思いっきり平日料金でオフィシャルホテルに 2泊してゆ〜っくり過ごすはずだった。 気胸のせいでキャンセルしたのだけどもったいなかったなあ。 ミッフィールームが目当てだったんだけど。みっひー。 「また春休みにでも休み取るから行こう」とパパ。 「うーん野球始まってるし」と言うとにらまれてしまった。
何にせよ、球場へ行けたり旅行できたりするというのは 本当に恵まれた状態なんだなあと思う。
子守をしてくれている義母に電話し、ついでに買い物してきていい? と甘えてしまう。ほんと私は恵まれてる嫁だよ。 前から行きたかった無印良品へ行く。 ちびっこがいるとああいう雑貨がごちゃごちゃした場所へは おっそろしくて連れて行けないのだ。今日こそ行ってやる。 あれ。 閑散としてるよ、コーン置いてチェーンなんかしてるよ。 休みかい。 相変わらず間の悪い私だ、見事すぎて涙が出る。 仕方がないので百貨店でちまちま買い物をする。 HMVへ寄り、Aから順番にディスクを見ていく。 へえ今って輸入盤も国内版もごっちゃで並べてあるんだね。わかりやすい。 肺くんが頑張ってるので景気づけに何か買おう。(パパごめん) そしてTEARS FOR FEARSのベスト盤を買った。 2ndの“Songs From The Big Chair”を探したけどなかったので。 これを書きながら聞いているけど、いいわやっぱ。
そうそう、まだ全快じゃないから要安静は続いている。 といって次女とぶたこを乗せて自転車で走っているのは誰だ。 肺くんがんばれ。
2002年01月15日(火) ビアードパパのシュークリーム
2003年01月14日(火) |
朝のできごと(寝坊バージョン) |
朝、どろどろの夢を見ていたら(どろどろだからあらすじはない) 長女の「おかあさん、8時!」という声が聞こえた。 え、え、なに? え〜と、と腕時計をみる。7時55分。ひえ。 慌てて飛び起きることが出来ない低血糖&気胸の私は 回らない口で「次女〜次女〜おきて〜(血糖値)はかって〜」 長女はカーテンを開け、ファンヒーターにスイッチを入れる。 かしこい子じゃ。 この騒動でも次女は起きず、寝てりゃいいのにぶたこが「ふあ〜」
何とか起きあがった私はバナナをつかんでテーブルへ。 あとはコーンフレークの用意。 「長女、何も食べんかったらお腹すくからバナナ食べて」 彼女はえーっという表情だったが、そりゃしかたないよ。 身支度を整えてからもぐもぐ食べて学校へ。ごめんよ。 明日はリンゴむくから。ココアも作るから。
次女は自分で血糖値を測る。 ぶたこは自分の席に座ってニコニコ。 目の前にはプーさんのコーンフレーク。 次女に注射をして、彼女の分のコーンフレークも出して、あとはえーと。 まだ頭がまわらない。 布団を上げる時、胸のあたりがギュコギュコ鳴る。 気胸になると漏れた空気がすれて鳴るらしいけれど なんか気持ち悪いのだ。ギュコギュコ。
次女は自分の用意をすませると「キン肉マンみていい?」と聞く。 用意ができたんなら文句はない。 キン肉マン、全く趣味じゃないのだが一緒にみていると 何となく「がんばれ」なんて思ってしまう単純な自分が恥ずかしい。
そんなこんなで時間がきて、次女も幼稚園へ行く。 ぶたこと二人のいつもの時間。 ギュコギュコ鳴る胸をかかえて洗濯したり掃除機をかけたり。 合間でPCのぞいたり、日記書いたり。
あ、パパはですね。 6時半に現場へ出勤いたしました。 お見送りくらいしろ、ですね。すみません。行ったの全然気づかなくて。
という日記を書いて、 リビング続きの部屋へ戻ってきたら・・・・あら! もちろん放ったらかしのかあさんが悪いのよね。 これ、ポーズしてる場合じゃないでしょ。 片付けよっと。ギュコギュコ。 やっぱり気持ち悪い。
2002年01月14日(月) 年次計画
今日は義母のお誕生日。 みんなで食事に招待する日なのだが、嫁は寝るだけ。 あーなんてラクチン 申し訳ないのかしら。 とにかく一日寝ることにした。 なんか肺も楽になってきてる。右下にして寝ても痛くないもん。
特別痛くてたまらないわけでもなく ただ寝ていればいいって、もしかしてすごくラッキーな状態か? だらだらしたい性分の私にはうってつけだ。 そう思って布団に入ると、どんどん眠れるので怖くなった。 このまま布団の中でとけてしまうかもしれない。
15時、子供達を預かってくれている義妹さんから電話。 「次女ちゃん、血糖値145やけど注射どうしよう?」 ぼーっとした頭で考える。えーと。 「おやつは何を食べるのでしょうか」 「おにぎりせんべいでどう?」 「それやったら注射なしで2こお願い」
18時に夕食だからそんなもんだろう。低血糖は困る。 実際、食前104だったそうだからばっちりだ。 いつもこんな風に計算どおりだと有り難いけどなあ。
なんだかんだで夜になる。 昼間さんざん寝ておきながら、また布団に入るとちゃんと眠くなる。 ぐーぐーぐー。 こんな生活でいいのでしょうか?
2002年01月12日(土) 食事会
2003年01月11日(土) |
現状より前へ / まったくもう |
何だか急にみんな手厚く看病してくれるようになった。
昨日は義母が関東煮(かんとだき)を持ってきてくれた。 本で「自然気胸」を調べてくれたそうで 「痛いって書いてるけど大丈夫か」と聞いてくれた。 いえいえ、痛いのは慣れてるので大丈夫です。 近所に身内が住んでいるというのは、やはり有り難いものだ。 もし、知らない街にぽつーんと家族だけ引っ越すことになったら 病院のお世話によくなる我が家のような場合は、 何かと困った困ったを連発していることであろう。
今日、上2人は義妹さん一家とスケートへ。 次女の血糖値測定と注射器を渡す。初めての経験だけど こんな時にでもトライしてもらおうとパパに言われた。 そうだね。次女の病気にみんなが対応できるようになれば それだけみんな楽になるもんね。もちろん私やパパや次女も。
病気ひとつでいろいろ変化することがあるものだ。 病気自体はネガティブでしかないけれど、 それを通して現状打破されることが往々にしてある。 神様のされることに無駄はない。だね。
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ウィンナーを買ったのよ、また生協のね。 なんで生協のベーコンやらウィンナーやら 買うことが多いかっていうのはまた今度書くけどね、 今日はその話はおいといて、 右の画像、見えづらくてごめんだけど もうお察しはつくでしょう?
そう、またもや例の「ハサミでお切りください ハサミマーク」が 付いているのよ。まったくもー。 COOPの同じシリーズだから当然とはいえ、まったくもーは まったくもーだわ。 悔しいから歯で噛みちぎろうと思ったけど、さすがにそれは 大人げないから想像の世界でとどめ、キッチンばさみで切ったわよ。 「好きなように好きな場所をあなたの好きなやり方で 開封してください。あなたのウィンナーですから。リンクフリー」 なんて太っ腹な事を書かれていても、それはそれで困惑するけど。 なんだいリンクフリーって
2002年01月11日(金) わたしのおともだち・ばんそうこう
2003年01月10日(金) |
心の鏡 / ひそやかな疑問 |
胸の調子は良くも悪くもなく。
私の肺はあまり綺麗でないらしい。以前お医者さんに 「ヘビースモーカーですか?」と聞かれたことがある。 それを想像させるほど汚いらしい。うーん。 自分のことでありながら自分の内蔵の美醜なんてわからないものだ。 以来、ちょいと心が醜くくなってるなあと気がついたとき 「自分は煙草も吸わないし、健康な生活してると思ってるけど 肺は汚いんだよ」って思い出すようにしている。 心の醜さも見えなくなることが多い。
心を見るために聖書を読む。聖書は心の鏡だという。 ああ本当だ。読むたび自分が心のメンテを怠っていることに気づく。 これだけ汚かったらフタしちゃえ、もういいわ。 そう思ってしまうことも多いけれど、結局なんだかんだで ふえーん神様ごめんなさい、とお祈りしてきれいにお掃除。
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HPをもう少しいじろうと思っている。 IDDMのページをもう少し独立させた形で、と やりかけていたところで気胸でダウン。 もしかして、もしかしてPCいじってると良くないのかな? 夢中で作業してると前屈みの姿勢になってしまっているし。 じゃ日記も書いちゃだめだろぉ
だめついでに書いてしまうけど、ネットやり始めからの疑問点。 BBSなんかで過去ログ見るときのリンクボタンの「次ページ」 ここをクリックすると以前の(過去の)ログを見ることができる。 で、「前ページ」っていうリンクボタンがあって、これは現在 閲覧しているページより未来のログがあるページにリンクしている。 んんんん、なんか違和感ある。絶対ある。 だって「次」っていうのは私としては未来を指す言葉で 「前」というのは過去を指す言葉だと思っているから。
東京へ行って山手線ホームで「つぎ」「こんど」の表示に いちゃもんつけまくった事を思い出したけど、あれは 「ちょっと遠い未来」か「すぐ目の前の未来」について 関西人と関東人の言葉のとらえ方に驚いたわけで 未来と過去が入れ替わるようなカルチャーショックではなかったもん。
うだうだ。(いいからかーさんもう寝なさい)
2002年01月10日(木) ホームページ
2003年01月09日(木) |
家で安静にしますから |
昨夜はぐーぐーと22時くらいからぐっすり。 朝起きると7時だがまだ眠い。 やっぱり疲れていたのだろう。まだがんがん寝られるよ。 おっかしいなあ、正月休み明けだから 疲れてるわけないじゃん。
朝から義母が来てくれて、次女の血糖値測定と注射の説明。 もうみんな私が入院の前提で動いてくれている。 私といえば、一応入院の荷造りをして(何を持っていくか わかっているところが悲しい) しばらく入浴できへんなあと髪の毛をいじっていた。
新しくなったT病院。 先生は、若い男前の先生。うーん一番苦手だわ。 若い男性の先生って照れ屋なのか、きちんとこちらの顔を見て 話をしてくれない事が多い。(単に私の経験では) もう一度レントゲン撮影をして前日のと比べる。 「ほとんど変わってないですねえ、入院して酸素吸入で様子をみますか。 再発を防ぐためにも手術することもできますし」 パパはそうしよう、と言ったけれど私はうーん。 「自宅安静で様子を見てもいいんですよね?」 「安静にできるかどうか疑問ですが(わかってるやん)安静にしてたら 肺が元に戻ることは十分考えられます。ただ再発の可能性は 高いです。」 うーん。 追いつめられないと決断しない私の答えは。 「じゃ、家に帰ります。にっちもさっちもいかなくなったら 入院して手術お願いします。」 あきれ顔のパパ。 だからパパ、付いてこなくてもいいって言ったんだよ。
義母に電話すると喜んでいた様子だった。よかったよかった。 家に帰るとパパの会社用携帯電話が鳴った。 「すぐに来て明日締め切りの仕事を!」とのこと。 ほら、入院しなくてよかったでしょ。
とにかく安静だそうですので、これから布団に入って本でも 読みます。えへへ。(喜んでる場合か)
昨夜、急に右の背中が痛くなった。 おおこの痛みは懐かしの・・・・気胸だっ ま〜た肺がしぼんでるのか? それとも肩の筋を痛めただけだろうか?
気胸、この場合、自然気胸のことであるが、肺がしぼむ病気だ。 理由はわからないけど、突然肺の表面にできたあぶくみたいなのが つぶれて(人によっては明確に「ぱちっ」という音を聞くらしい) そこから肺のあるお部屋に空気がもれてしまい その空気に押されて肺はどんどん縮んでしまうという病気である。
私は27歳の頃より数度、発病している。 やだな〜入院かよお そう思いつつ、近所の医院へ行ってレントゲンを撮ってもらった。 「なってますねえ。再発ということなので入院して手術してもらった 方が楽だと思いますけど」 そう言って入院設備のある病院の紹介状を書いてくれた。
「明日予約入れてください。どうせすぐ入院なんてできへんし」 子供はどーするよ。 次女の血糖値管理と注射はどうするよ。 ぶたこのトイレトレーニングはどうするよ。 長女の精神的ケアはどうするよ。 自分のこと(実際、大した病気じゃないと思ってるので)より それが気になり、なかなか義母にも電話出来なかった。
結局、私が入院することになると周囲が大変なのよね。 パパだって慌てて帰ってきてくれたけど、仕事すごく大変なのに。 困ったなあ。 とにかく痛いので寝ます。ぐーぐー。
わからんちゅうに。この写真。 レゴブロックで枠を作った模様。 半畳もの塀を作り上げたと見える。 これだけやって、家中とっちらかったままで外へ 遊びに行ってしまった子達。 真ん中の黄色っぽい物がおなじみチキンラーメンである。 (我が家の大きさ比較の際のスケールとなっているが 何故いつも有るのだ)
ちょっと寝そべって寄って撮ってみた。 こんな感じでブロックを積み重ねている。 ピンクフロイドの“Another brick in the wall(part 1)”を思い出す。 な、なんか寄って撮すと興奮する。 自分が小さくなった気になって、レゴブロックの世界に突入しそうだ。 嘘だと思ったらミニチュアものを寄って寄って写メールしてみて。
2003年01月05日(日) |
今日も寒くて家を思う |
今日からパパは仕事始め。 つららの出来る地方にタイヤチェーンを準備して出ていった。
私と子ども達は自転車に乗って教会へ。 寒くて寒くて、やっと辿り着いた時には 頭がくらくらして自転車から降りるのも停めるのも半分ぶっとんだ状態。 私はナチュラルハイだなあ。(違うって) 今日みたいな日は、ちゃんと帽子かぶらないと耳が痛いね。
家に帰ると冷え冷えしていた。 ああ高断熱、高気密の家だったら暖かいのだろうな ふとそう思った。
どっちみち都会で気持ちの良い家を建てるって お金がかかるのよねえ。 ここに話が戻るって悲しいですけれど。 自分たちなりに無理のない範囲で、家づくりを楽しみたいと思う。 どっちみち家族がほこほこしてるのがいちばん。
教会に行く途中、施設の車から拡声器で呼びかけていた。 12月30日から知的障害者の方が行方不明になったとのこと。 すでに1週間が経過しており、とても心配な状況であるのがわかった。 自分がちょうど寒さで参りきっていたので、ああどれだけ寒かろう、 食事はとれているのだろうか、もう寝込んでしまっているだろうか、 車で呼びかけている施設の方々、ご家族の思い。 それらが今でもぐるぐると頭をめぐっている。 どうなったのだろう。神様たすけてください。 自宅に戻りファンヒーターを付け、暖かくなった体をかかえながら 祈るべき人たちを思い、祈った。 どうか、どうか暖かい光が、希望の光が彼らに届きますように。 口先だけの祈りではなくて、ほんとにそう祈ります。
パパ、今日はお泊まりだね。さみしい。
2003年01月04日(土) |
ウィンドウ・ショッピング |
デジカメを見に電器屋へ行った。 今、我が家にあるデジカメは4年くらい前のフジFinePix700 まだ使えるのだけれど、使えるのだけれど。 電源を入れて立ち上がるまでの時間たるや。 一度シャッターを押して次に写せるまでの時間たるや。 光感度の奥ゆかしさたるや。 あるのかないのかわからないストロボたるや。
でも使えるのである。 私の愛機である写メール(出始めの機種)と比較して ずっと綺麗に撮れるという理由により我が家では重宝されている。 しかし、ふと考えた。 写メールに負けるデジカメなんて存在理由がないではないか。 それにもしかしたら、最新機種のムービー写メールには 既に負けているかもしれないのである。
なんだかんだと考えて、人にお薦め製品を尋ねつつ 電器屋へ行くと、FinePixの新製品が目を引いた。 しかしその場では買わずにパンフをもらって帰ってきた。 せこい性格だと言えましょう。
来週は買いに行こうっと。たのしみ〜っ それにしても今日は昼間っから雪がびゅうびゅう。 大阪ではかなり珍しい光景だった。でも積もらないんだろうな。
2002年01月04日(金) ケータイの容体
自慢じゃないがここ数年、すき焼きはこの日しか食べない。 毎年3日は、パパの実家に一族が集まり夕食をとる。 「何食べる?」「すき焼き!」 これで決まり。
鍋物は、なにを食べてもそれなりに美味しく食べられるけれど すき焼きばっかりは上等なお肉でないとね。 というわけで我が家ではすき焼きをしなくなった。 実家では、この日のために松阪牛が用意される。 といってもそれほど大したお値段ではないのだけれど 商店街になじみの美味しい松阪牛専門店があるので お肉といえばここで買うことになっている。
今年は土壇場で一家族がキャンセル。 おばさんもキャンセル。 大人3人、小学生2人分のお肉がキャンセル分となった。 というわけで、今年は大人もじっくりと鍋をつついて お肉でお腹いっぱいになることができた。 い、いえキャンセルになったことを喜んでいるのではなくて。
2002年01月03日(木) 初ヘマ
頭のことではなくて・・・・ 元旦は風が少なくて暖かい日だったのに今日は風がきつい。 福袋目当てで住宅公園へ行ったけれど人は少ない。 不景気の風も吹いている上に、あら、初雪?
雪とも呼べないほこりのような白いものが舞っている。 確か昨年も2日は凧揚げしていて雪が降ってきたんだっけ。
さて住宅。 我が家は外断熱に興味を持っているのだけれど、新しい工法なので 大手ハウスメーカーではあまり大がかりに施工していない。 今回行った小林住宅は、これを2年前からやりはじめたそうだ。 確かにモデルハウスの3階(実質、屋根裏部屋)は エアコンを付けていないのに暖かく、普通の部屋のように過ごしやすい。 でも高いお値段なんだろうなあ。 とりあえず勉強してます、はい。
と、工法とかばっかり考えていて肝心の間取りは考え及ばず。 普通、逆だろうと思いつつ。頭悪い癖にハードを気にする私。 (実際、その違いなんてわかんないのにね)
住宅公園の帰り、スケートをしに行った。 長女はそれなりに滑る。次女は手すりを頼りに今年は何とか 一人で一周できるようになった。すごいぞぉ。 応援するばかりの運動音痴のかーさんは、ぶたこと一緒に 階段を昇り降りしたり走ったり。そうでもしないと凍り付く。
こうして正月休みならではの一日が終わった。 しかしお家の勉強は底なしだ・・・・
2002年01月02日(水) おしょうがつには、たこあげて〜♪
今年は未年、ええと羊だとか。
聖書に羊はいっぱい出てくる。 昔、ユダヤ人(およびそのご先祖)は放牧民族だったので 羊を例えにしたお話がいっぱい出てくる。
教会で聞いた羊のお話。 羊は弱い。 普通、自然界に生きる物は何らかの武器を持って暮らしている。 草食動物でも、サイは大きな角を持っているし キリンは遠くにいる敵を素早く見つけるためのあの首、足がある。 概して草食動物は足が速いものだ。
さて羊。 鈍足。のろのろ。しかも方向感覚がなくてすぐ迷う。 角。あるにはあるけど先がまる〜くなっていて 戦うためにあるとは思えない。ぜ〜んぜん役立たず。 可愛いだけ。ただ可愛い。 彼らが頼るべきものは羊飼いだけ。 羊は羊飼いの声をよく知っている。もし羊飼いの声を聞き逃したら 迷い、さまよっているうちに敵に襲われてしまうから。 決して羊飼いから離れては生きていけない。
わたしはよい羊飼いです。(ヨハネによる福音書10章11節) 主は私の羊飼い。 (詩篇23編1節)
私達はなんだろう。 虎や獅子のように強い大きな武器を持っていると思うべきか。 私の力で人生を乗り切っていくことができるのだろうか。
聖書の中にクリスチャンの武器が登場する。 諸刃の剣より鋭いものや、この世の最大の敵である“悪魔”に 立ち向かうことができるものがあるという。 弱い羊は羊飼いによって強くされる。
結局、とても西欧的なこの考え(思想的、政治的、慣習的)は 日本人にはなじめないかもしれないけれど 聖書を長いこと読んでいて、少しずつわかってきた。 自分が弱いと認めることは決して自分を卑下することではないし 神様に自分をおまかせすることは、全てをコントロールされ ロボットになってしまうことでもないということも。
新年が明けました。 おめでとうと言える人もいらっしゃるし そういう気持ちになれない人もいらっしゃるでしょう。 これを読まれた方々の上に祝福がありますようお祈りします。
2002年01月01日(火) おもち・おもち・おもち
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