JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆ものすごく久しぶりに生の音楽を聴きました。 過去に何度か書きましたが、音楽は演奏する側は勿論、体調と何よりも「表現する為のエネルギー」が ◆初めて「ドッペル」を生で聴きました。 我ながら、今頃気がついて驚いているのですが、録音では何百回聴いたか分からない、 バッハ:「二つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043」(通称、「ドッペル」) を初めて生で聴きました。 私は26歳からヴァイオリンを習っていた時期がありますが、最後には「ドッペル」の第2ソロ・ヴァイオリンを 辛うじて、なんとか「弾いた」といってもいいかな?というぐらいになりました。 私の「努力自慢」ではありません。つまり、純粋に技術的にはそれぐらいだ、ということです。 プロになるような方は、多分、小学校に入学する前には弾けていただろう、と。 純粋に「テクニック」というか「メカニック」というか、その点では プロにとっては、チャイコフスキーとかパガニーニとか、ヴィエニアフスキーとか などとは比べものにならないぐらい「易しい」曲のはずなのです。 その所為かどうか分かりませんが、オーケストラ・コンサートのプログラムに バッハ:「二つのヴァイオリンのための協奏曲 が載ることは、滅多にありません。ですから私は、いつも、 クラシックを聴き始めて40年になる。 などと自慢げに偉そうに書いていますが「ドッペル」を生で聴いたのは今夜が 生まれて初めてです。 それで分かりましたが、この曲はCDでばかり聴いているので、ソロが聞こえて当然ですが、 生だと、ソロがオーケストラに「埋もれる」つまり得てして聞こえないのです。 今日のソリスト。ソロの第一ヴァイオリンは外人さんで、ベルリン・フィルや、ロイヤル・コンセルトヘボウ といった超一流のオーケストラに何度も呼ばれた方ですし、ソロの第二ヴァイオリンは 日本人で、やはり、長くソリストとして活躍しておられる方です。 しかし、驚きました。意外なほど、ソロ二人が聞こえないのです。 伴奏のオーケストラはこれ以上小編成に出来ないほど。つまり、 第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれ、 5人、4人、3人、2人、1人です。 バッハのソロ・パートの書き方にも原因がありまして、ソロ・ヴァイオリンが 後年の、例えばメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のように高音域で弾けば 聞こえやすいけど、バッハの「ドッペル」はD線といって、低い方から2番目の弦の 第2ポジションとか(良く覚えてませんが)、とにかく「楽器を鳴らし難い」音域なんです。 (私の知ったかぶりではなく、現役のオーケストラプレイヤーであるヴァイオリンの師匠が やはりそのようにおっしゃていました。) ◆「感想文」ですから、「結論」はありません。 今日は、音楽を聴いた「感想」を文章にしているのですから、天下国家を論評する時にような J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲(ジノ・フランチェスカッティ)です。 第一楽章だけですが、お聴き下さい。 バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043 第1楽章 (フランチェスカッティ) J.S.Bach Concerto for 2 Violins in D minor BWV 1043 1st movement Francescatti 当然のことですが、テンポの設定により、同じ曲でも聴いた時の印象がこれほど変わります。 これは、これで、テンポは遅いけれども間延びした感じは受けません。知的で上品な演奏だと思います。 バッハは、少なくとも、私にとっては特別な存在です。別格です。 プロを目指している、生意気盛りのヴァイオリンの学生さんは 「ドッペル」なんか幼稚園で弾いたわい。 と思うかも知れません。確かに、パガニーニや、ヴィエニャフスキ作品のように(これはこれで素晴らしい作品ですが、)、 聴き手が「アッ」と驚くような派手なテクニックはありません。 音楽は、私ごとき素人がいまさら言うまでも無く「技術的に難しい作品ほど名作」ではありません。 私は、バッハのドッペル・コンチェルトや、バッハの他のソロ・ヴァイオリン・コンチェルトもそうですけど、 人生の何かを物語っている、悲しく、切ない。悲しいけれど、美しい。 そういうものを感じます。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2011年04月28日(木) 【音楽】お薦めCD、N響首席チェロ奏者・藤森亮一氏のソロ・アルバム、「ラルゴ」
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