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JIROの独断的日記
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2012年02月14日(火) 札幌オリンピックから40年です。「虹と雪のバラード」「札幌オリンピックファンファーレ(三善晃 作曲)」など。

◆1972年2月3日から13日まで、札幌で冬季五輪が開催されました。

のっけから何ですが、失敗しました。

折角40周年なのですから、当時の開催期間に合わせれば良かったのですが、昨日までだったんですね。

しかし、今日気がついて、まだ良かった。


五輪公式サイトに、Sapporo 1972として記録されています。

今では、夏の五輪と冬季五輪は2年ごとに交互に開催されますが、

こうなったのは、かなり最近のことなのです。調べて驚いたのですが、

Wikipedia、近代オリンピック 開催国を見ると分かります。

1992年までは夏季、冬季五輪は同じ年に開催されていました。


◆開会式で演奏されたファンファーレ。

札幌オリンピックは日本で開催された2度目のオリンピック(1度目は1964年の東京五輪。夏季大会)です。

最近、オリンピック大会ごとに独自の新しいファンファーレって、作曲されているのでしょうか。

以前はあったのです。記憶に残っている最後は、ロサンゼルス五輪のジョン・ウィリアムズ(スターウォーズなどの

映画音楽の作曲者)ですが、それはさておき、

東京五輪は一般公募で、長野県の今井光也氏の作品です。


東京オリンピックファンファーレ



東京オリンピックファンファーレ



見事ですね。


札幌オリンピックファンファーレは、現代日本の代表的作曲家、三善晃(みよし あきら)氏の作品です。


札幌オリンピックファンファーレ


札幌オリンピックファンファーレ



意識的に不協和音を使っておられますが、見事なファンファーレです。

これは、詳しい逸話を調べたいと思ったのですが、あいにく見つからないので、記憶で書きます。

札幌オリンピックの開会式の当日は晴れていましたが、1972年2月3日(開会式当日)の札幌は、

最高気温がマイナス1.9℃、最低気温がマイナス8.4℃。当然ながら寒いですね。

これで屋外で開会式を行ったのですから、ファンファーレを待っている間、

自衛隊音楽隊の方だと思いますが、ファンファーレまで屋外で待っているとなると、楽器が冷えます。

半端じゃないですね。管楽器に限りませんが特に管楽器は冷えるとピッチは下がるし、それ以前にこれぐらい

寒いと、放っておいたら、管が冷え切り音が出ないんですね。さらに、確かNHKのアナウンサーが開会式実況中に

それ以前に取材したのでしょうが、ファンファーレ隊の方々は、楽器を寒気に晒しておくと、トランペットのあの

ピストンの部分が凍ってしまいそうになるので、楽器を暖め続けるのに、普通は息を吹き込めばよいのですが、

この時の札幌ほど寒いと、それだけでは暖まらないので、色々苦労があったとのことでした。


◆「日の丸飛行隊」と「ジャネット・リン」

元来スポーツに関心がない私ですら、良く覚えております。

70メートル級ジャンプで、日本の笠谷選手、金野選手、青地選手が、

金・銀・胴メダルを独占したのです。

今だったらこんなニックネームをつけたら日教組とか、さぞや五月蠅いでしょうが、

当時は「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

見ると分かりますが、この当時はまだ、空中で、スキー板をVの字の角度にせず(その方が飛距離が出ることが

分かったのは後年です)、両足の板を揃えて飛んでいます。銅メダルの青地選手はバランスを崩しかけますが、

それまで、足首をきたえていたので、板の角度を微妙に調性し、空中での姿勢を保ったそうです。


笠谷幸生 ・ 日の丸飛行隊 札幌オリンピック (1972年)







勿論、アナウンサーの実況が笠谷選手に聞こえているわけではありませんが、

さあ、笠谷。金メダルへのジャンプ!

と言われて、本当に金メダルを獲得してしまったのですから、そりゃあ、日本中が大喜びでした。



もう一人、私と同年代の男性は懐かしいでしょう。「氷上の妖精」、アメリカのフィギュアスケート、

ジャネット・リン選手。この人には、皆、ウットリしちゃったのですね。

今見ると、それは、40年前ですからね。ジャンプなんていったって、1回転か2回転ぐらいしかしていないのです。

それでも解説の方は「終わり近くなっても、ジャンプの高さが全然低くならない」と感心していますが、

そういうことは、どうでもよろしい。正に「妖精のような」という形容がぴったりする、可憐な美しさと

笑顔を絶やさないジャネット・リン選手に、日本中の男性が魅了されたと言っても過言ではありません。

この映像ではないのですが、スッテンコロリンと転んだことがありまして、その転んで立ち上がるときまで、

ずっと笑顔なんです。これには、参りました。

私は小学校6年でしたが、勝手に憧れてテレビの前で真っ赤になっていたそうです(お袋の証言ですが)。


Janet Lynn 1972 Sapporo







今、気がついてびっくりしたのですが、ジャネット・リン選手、フィギュアスケートに、

ベートヴェンの、序曲「レオノーレ第三番」の最後のプレストを使っています。

今、フィギュアスケートでベートーヴェンって、あまり見かけないように思います。

少なくとも「レオノーレ三番」は使わないでしょう。面白いですね。


◆「虹と雪のバラード」

これは、札幌オリンピックの「テーマ曲」ですね。

美しい旋律と、美しくロマンティックな歌詞。

この作詞者は、河邨文一郎(かわむら ぶんいちろう)氏ですが

なんと札幌医大の整形外科のドクター兼詩人なんです。

オリンピックの前の年ぐらいから随分歌われていました。色々な歌手がカバーしましたが、

何と言っても、トワ・エ・モアです。


【1972】【虹と雪のバラード】【トワ・エ・モワ】







なんと美しい日本語でしょう!

この歌を聴いた頃、子供心に行ったことも見たこともない「札幌」で

どんなに素晴らしいことが起きるのだろう?とワクワクした気持が蘇ります。

白状すると、今、ちょっと涙腺が緩んでおります。


トワ・エ・モアは4年で解散したのですが、数年前から又、歌っておられます。

たまらなく懐かしいです。

お若い方にはつまらなかったかも知れませんが、私と同世代以上の方は、札幌オリンピックを

懐かしく思い出されたのではないでしょうか。

それでは。

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