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JIROの独断的日記
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2011年10月03日(月) 「岩井俊二氏の小出裕章氏インタビュー作品「friends after 3.11 Koide Free」←あまりにも深い小出先生の苦悩。

◆BSスカパーで10月1日に放送された番組です。

これは、有料BS放送のBSスカパーチャンネルで、放送された番組の一部である。

10月1日に新しい新しいBSデジタル放送「BSスカパー!」が始まった。

その1日目、10月1日深夜に映画監督、岩井俊二氏が311以後に出会った人々への

インタビューを行い、ドキュメンタリーとして放送した。

最初が小出助教である。

それは、本来有料で見るのだけれども、動画共有サイトにアップされている。

インタビューしているのは、番組の「ナビゲーター」という役目を担う、

女優の松田美由紀氏だが、非常に真面目に礼儀正しく、小出助教の言葉を

引き出している。

小出助教の語り口は、いつもと同様に訥々としているが、

福島原発に関する技術的な問題に関するマスコミの質問に答えるときと

明らかに異なる。小出助教は福島原発の事故を防げなかったことに

心底落胆したのであろう。

しかし、それでも絶望して投げ出したら終わりだ、と

ものすごい精神力で苦痛に耐えながら、今、福島で起きている事が

どれほど深刻なことなのか、皆に分からせようとしている。

しかし、皆全然分かっていないと思っている。

その先生の、苦しさが画面に滲み出ている。

文字起こしも添えるが、絶対に映像を見て、聴いて頂きたい。


◆今現在私の目からみると……戦争よりもひどいことが進行してると思う(小出助教)。

3-3 岩井俊二監督ドキュメンタリー「friends after 3.11」


3-3 岩井俊二監督ドキュメンタリー「friends after... 投稿者 gomizeromirai

【文字起こし開始】

岩井俊二「はい。じゃあよろしくお願いします」



小出裕章「はい」



松田美由紀「先生の……」



小出「ちょっと。その先生ってのやめません?」



松田「あっ。えーと(笑)。」



岩井「なんておよび……」



松田「なんて、なんて」



小出「小出で結構ですから」



松田「小出さん」



岩井「小出とは呼べない。小出さん」



松田「(笑)」



小出「小出さんでも小出でもなんでも結構」



松田「私。すっごくお会いしたかったです。すっごくお会いしたかった」



小出「はい」



松田「で、先生のYouTubeとか」



小出「またいってるし(笑)」



松田「ああやだ。いっちゃった」



小出「はっはっは(笑)」



松田「えと。小出さんの、その、その、講演されている姿とか見てー。本当に多くの方々が、勇気となんか希望を……今回の3.11以降、感じ、たと思うですよね。だからほんとに皆さんの、お、背中に携えて、ほんとにありがとうございます」



小出「いえいえとんでもございません。私はまずは皆さんに謝らなければいけない。こんな事故を防ぐことができなかった……。ほんっと、自分でも力の無さを、情けないし。……こんなひどいことを起こして、子供たちに重荷を載せてしまったということに関して、ほんとに申し訳ないと思っています」



松田「私はね、もう……私は3.11、から、ってかその以前、全然原発のことも知らなくて。あの、そういうかたがとても多いと思うんですけれど。そういうかたが今回色んなことを知り初めて。これは、例えばものすごく大きなショックを与えて。ものすごく大きな初めて一般の人でも伝わるようなことになったわけじゃないですか。」



小出「そうですか? ……そうであって欲しいと願う、けれど……。本当にそうなんだろうかと……。考えると、まだまだこれでも、きちっと皆さんはわかってないんじゃないかと、私は不安です。少なくとも今現在私の目からみると……戦争よりもひどいことが進行してると思う、んですよ。まあ、福島で。そのことにでも、殆どの人が気がついていない、まだ。



みなさん、まあ今日ここに来てくださって。ここは関西、ですけれども。関西の人たちはほとんど他人事、です。やっぱり電気が欲しいから原子力は必要だと思ってる人も、未までに、たくさんいる、と思います」



松田「政治家の方々は、あの、言ってはいけない。マスコミの方は言わない。本当になんか、どんどんどんどん、こういうふうなことをしてても。私も虚しくなるばかりで。先生なんかが、こんだけ長い間、ね」



小出「(笑)」



松田「活動をされててね。私はね、本当想像するだけで胸が痛くなるぐらい立派だなと思うんですね。」



小出「……。」



松田「先生はそれに、その理解してくれないってことに……もう放り投げるみたいな気持ちにならないですか」



小出「(笑)。んー……。自分の力があまりにも小さいことに、何度も何度も絶望しかけましたね。でも絶望、したら、その時が最後の負け。じゃないですか。だから自分ができることがある間はやはりやり続けるしかないと……思いましたし。人間て、1回しか生きられないんですよね。自分の人生って……。やっぱり、やりたいことやるしかない。言いたいことを言うしかない」



松田「例えば多くの人も、じゃあ、1回しかない、それだったら住みたいところに住んで……。危ないと言われているものでも美味しい物でも食べて。それでいいじゃないか、と思っている人も多いと思う。」



小出「いいですよそれで。結構です。例えばチェルノブイリの原子力発電所の事故が起きて。40万人の人が強制避難ということで故郷を追われた。もちろん私は放射能汚染地帯に人々が住んでほしくないから、避難してほしいと、思いました。でも、どうしてもやっぱり嫌だと。自分の故郷で住みたい……。健康が損なわれようとなんだろうと。この場所で生きたいと思った人たちは戻ってきた。もちろん、お年寄りを中心だけれども。



私はそれでいいと思う。その人にとってのたった1回の人生で、その土地と切っても切れないという、そういう生き方をしてきた人達はいるはずですから。仮に、放射線で被害を受けるということを、あったとしても。それを覚悟で自分の人生を生ききるという生き方は、いいと思います。



でも……、子供たち、は、汚染地から逃さなければいけない。でも、逃がそうと思えば、皆、そうだろうと思うけれども。家族があるわけですねえ。子どもだけ逃がしても親が逃げなかったら家族が崩壊してしまう、わけで。じゃあ家族ぐるみで逃げられるかと。言えばなかなか実際にはむつかしい。それぞれが……すでに汚染されてしまった世界の中で、どういう選択をするかということなんですねえ。



とっても苦しい選択を迫られるけれども。まずは、その、どれだけ汚染をしているのかということを、皆さんに正確に知ってほしいと。私は思うし。それを正確に知ってしまう、あ、知るための、方法というのを皆さんに提供するのが私の責任だと思うので、それだけはやりたいと思ってます。



私は、夢を追って原子力の場に来た人間ですけれども。途中で、この原子力は駄目だと思って、それをやめさせるための仕事をしようと、思った人間なんですね。でも私のまわりの人間はみんな原子力をとにかくやるという、人間ばっかりの世界、なわけで。なんどもそういう人達と論争をしながら、ここまで来ましたけれども。えー、そういう人達は、結局は経済を発展させて、お金持ちになって、軍隊をもって、世界の強国になれば、豊かな生活が送れるというような……。そういう夢にとりつかれている人がほとんどだったんですね。たぶん今もそうだと思うけれども。



ですから経済は毎年毎年何パーセント成長していかなければいけませんと、いうことで、ずうっと来たし。未だにそう、政府、が言い続けているという、そういう世界なんですね。私はそれが、それがもう、狂ってると、私は思うんですけれども。残念ながら、日本という国、この国の中では、政治をやる人も経済を動かす人も、殆どが、お金持ちになればいいというね、そういう考え、だったんですね」



松田「例えば今後の……今後あたし、いつかあの、小出さんが、後継者が見つかるだろうかという話をされてるのを、見たんですけれども。」



小出「かってあの、いなかったことはない、んですね。ですから例えばここの、原子炉実験所の教員で……、もともと教員の仲間で6人の仲間がいて。原子力に反対をして、それで活動していたんですね。



で、その活動を始めた頃が、ちょうど中国の文化大革命の時代で。文化大革命が終わった頃の時代で。中国の4人組という、連中がものすごい悪党だと、言って。……指弾されていた時代だったんですけど。で私たちは6人だったんで、6人組と呼ばれて、いたんですよ。で学生でも、その私と一緒に仕事をしたいという学生がいたんですよ、実は。



でも私はその学生を受け入れなかった。そう、受け入れてしまうと、その学生就職できない(笑)。この日本という社会の中では。僕のところにいてはいけないと言って、他の人に、他の大学の教員に託したりした。」



松田「でもそれはね。間違ってますよね」



小出「すいません」



松田「間違ってると思います。間違ってると思いますよ、あの。やっぱり私……は、やっぱり、まあ山本太郎さんもね、俳優の仕事が出来なくなるとか、いう方がいるんですけど。私はそんなことは絶対ないと思って、信じてるんですよ。やっぱりそれを認めちゃいけないと私は思ってて。絶対そんな社会であったらいけないと思うんですね。



やっぱり、みんながやっぱり3.11を機に、やっぱりこう原子力っていうものに対して、意識を持つべきだし。それに対してちゃんと訴えていこうっていう学者が、やっぱり、誕生するべきだと私は思うし。やっぱりどうか、ほんとにそう言わずに、小出さんが、おれがついてる、みんな来いよと、言って欲しいと、思うんですよ。ほんとに……」



小出「ありがとう。そういってもらうと、とってもうれしいし」



松田「いやあ……」



小出「それだけなんですよね。人生なんて、だって思うし。間違ってただろうなと、今は思います。」



岩井「この事故を、日本中が目の当たりにしたじゃないですか。だからまあ、あの若い世代、子供たち、の中に、にはこう、将来、この問題解決したいと思う、子供たちが多く出てくるんじゃないかっていう、希望というか期待をしてるんですけど……。今はまだ気づかないでしょうけど、これから5年10年生きて行く中で、これを天職にしたいと思う子供たちが出てくるんじゃないかと、僕なんかは思うんですけど。」



小出「そうなってくれ、れば、ものすごい嬉しいなあと思いますね。ですから……私は少なくとも……原子力というものにね、夢をいだいて、この原子力の場に足を踏み込んだ人間、なんですよ。その当時は、私以外にもたくさんの、若い、人たちが原子力に夢をいだいて入ったんですよね。



ところが……、残念ながら原子力ってこんなもんだった……んですよね。ですから次々と原子力に夢を持つ人達は減ってきた、訳だし。いまはもう、原子力をすすめるということに関しては、ほとんど若い人達の夢を失っている、んですよね。



ですから原子力はいずれにしても衰退します。これ以上は、出来なくなる、と私は確信していますけれども。でも原子力が産み出してしまった、核のゴミ。さっきから聴いて頂いてる100万年にわたってお守りをしなければいけないゴミというのは、もうほんっとに気が遠くなるほど膨大に溜まってしまっている、し、その一部がすでに環境に漏れて、人々を被曝させているという情況なのですね。



だからそれに立ち向かうという、どうしても必要な仕事があるので。私は若い人にもう1度考えて、この場所に戻ってきて欲しいと(笑)、思うけれども。はあ(ため息)。ほんとにそのゴミの始末というかね。ものすごい負の面、原子力を選択してしまったがゆえに生じてしまった負の、面が今、現れてきて、それに直面してるけど。そういう負の面のための、自分の命をかけてくれるという若い人が、どれだけできてく……生まれてくるのかなあと、思うと、不安はあります。でも来て欲しいと思います。」



岩井「まあその子たちが、また次の、更に未来の子供たちの希望になるわけですもんね……」



小出「そうですね。」



岩井「だから価値ある尊い仕事ですよね、それは」



小出「もし私がもう1度人生を生きられるなら、この仕事のためなら戻って来ます……。原子力をすすめるなんていう……ためにはね、二度と足を踏み込みませんけれども。今から、出てくる困難な仕事、というのは絶対に必要だと思うから。そのために、もう1度生き直すことが出来るならやりたいですね」



岩井「なるほど……。ありがとうございました」



松田「ありがとうございました」



岩井「素晴らしいお話を聞かせていただきました」



岩井「ありがとございました」



岩井「いやあ……」



松田「いやあ、もう………でもね、本当にねえ、本当にねえ、多くの方々が……ほんっとにあの、せんせ……小出さんの未だしてきた、頂いたことに、ほんとに勇気を持って、ほんとに一生懸命立ち向かおうとしてるんですね。ほんとうにあの……」



小出「ありがたいと思っています」



松田「あの、ほんと立派なお仕事をされてきていただいたから、私たちがこうやって考える、その場所を頂いたというかね。本当に感謝してます。」



岩井「日本中のまあ特に、小出さんの話っていうの、まあ被害者の方からすると、もっとも聞いてて辛い話なわけじゃないですか。だからその言葉をみんな聞きたがっているっていうの、真実だと思うんですよね……。やっぱり放射能安全だという人たちよりも、本当の真実を知りたいっていうのに、やっぱりみんなの思いなんだなあとひしひしなんか感じますけどねえ」



松田「なので、あんまりお酒を飲まれないように」



小出「あっはっはっは(笑)」



松田「体を……ご自愛なさって」



小出「はいありがとうございます。ただ私、命の水と呼んでますので(笑)」



松田「あっはっははっは(笑)。あまりあのファンのかたもお酒を贈らないように」



小出「はい(笑)」



松田「ありがとうございました」



小出「こちらこそ」



岩井「ありがとうございました」



小出「ありがとうございました」

【文字起こし終了】

余程鈍い人でなければ、一見穏やかなな小出助教の胸中は、察するにあまりある。

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