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JIROの独断的日記
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2004年10月03日(日) 「越交響楽団、日本初公演へ 邦人指揮者指導で成長」東京では、「アジア オーケストラ ウィーク2004」の真っ最中

◆記事:越交響楽団、日本初公演へ 邦人指揮者指導で成長

【ハノイ3日共同】1959年の設立以来、ベトナム戦争中も絶えることなく活動を続けてきたベトナム国立交響楽団が、文化庁の招きで4日と6日、初の日本公演を行う。

92年から日本人指揮者の指導で実力を上げており、団員は「ベトナム人の音楽を楽しんでほしい」と練習に励んでいる。

 同交響楽団は、ベトナム戦争中は兵士のために前線で演奏。経済難の戦後は古い楽器を修理しながら活動を続け、現在もアルバイトをしながらの団員がほとんどだ。

 楽団ディレクターのゴ・ホアン・クアン氏は、日本人初代指揮者の福村芳一氏や現在の指揮者本名徹次氏らによって「大きく成長し全く違う楽団になった」と話す。

 日本では文化庁主催の「アジア・オーケストラ・ウイーク」に参加し、4日は東京、6日は大阪でそれぞれ公演。(共同通信) - 10月3日8時15分更新


◆コメント:こういうの、いいなあ・・・。

 

 優れた芸術のパワーはすさまじい、と思う。

 以下、音楽に限定して、話を進める。「クラシック音楽」という言葉を耳にしただけで、拒絶反応を示す人がいる(それは、好みだから仕方がない)。

 一方で、今もなお、世界中に愛好者がいる、という事実が奇跡的ではないか。

 バッハ、モーツァルトなんて、300年前、200年前に、全く異なる文化圏に住む異国人が作った音楽ですよ。それが何百年経っても色褪せることがないばかりか、バッハやモーツァルトが見たこともない、地球の反対側の東洋人の魂をも揺さぶる力を有しているのである。


◆今、日本で「アジア オーケストラ・ウィーク」が開催されている。

 

 今週、アジア各国のオーケストラが、日本に来ている。

 文化庁が主催する、「アジアオーケストラウィーク」という行事である。折角良いことをするのだから、もう少し前もって広報活動に注力して欲しかったが、まあ、いい。

 アジアのオーケストラのなかで、技術的、音楽的な水準に関して云えば、やはり日本が群を抜いている。しかし、音楽はテクニックじゃないからね。

 テクニックは必要条件だが、それだけではない。もっと精神的なものだ。同じ東洋人として生まれたが、西洋音楽の魅力に取り憑かれ、西洋の楽器の演奏を職業として選択し、そのために、血のにじむような努力をした、音楽の専門家集団が、中国にいる。韓国にいる、ベトナムにいる。マレーシアにいる。皆、仲間だ。国籍など問題ではない。


 

 フルトヴェングラーという、昔のベルリンフィルの指揮者は、「音楽は、演奏家と聴衆の共同作業だ。」といったのですね。生の音楽を聴くのが大切なのは、同じ時間と場を、演奏者と聴衆が共有する。そして大勢が感動を共有する、ということである。録音された音楽を様々な媒体を介して聴くのと決定的に違うのはその点である。

 そして、同じ時に同じ場所で感動を分かち合った、演奏者と聴衆、そして、聴衆同士は、最早、相手を心から憎むことができないのである。これが、優れた芸術のもたらす素晴らしい幸福である。

 スポーツは国際交流に役立つこともあるかもしれないが、この前のアジアカップでの中国人の日本人に対する非礼を見ればわかるとおり、役に立たないことが多い。

 理由は簡単。スポーツの目的は「勝つこと」だからである。すなわち、ルールの範囲内でゲームという形式をとって公認で行われる「喧嘩」である。当然、争い事が生じる。

 芸術は、喧嘩ではない。人の心を慰める作用を持つ、人間の最も崇高な精神が具現化したものだ。

 明日は、ベトナム国立交響楽団が、東京オペラシティで、ショスタコービッチの5番を演奏する。

 行って来ようかな。


2003年10月03日(金) 「イラク国立交響楽団、12月に米ワシントンで公演」地球上の「武器」が、全て「楽器」になれば良いのに。

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