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2011年08月15日(月) |
陸前高田の薪騒動の原因は何か。 |
◆あまりにも二転三転してますね。
陸前高田の被災地の松で作った薪を京都五山送り火で燃やす「プロジェクト」
に関しては、あまりにも状況コロコロ変わりますね。
前回、8月10日に、
「被災地薪の送り火中止、京都市が謝罪…苦情千件」←京都市民も知らなかった「送り火プロジェクト」。事実を正確に伝えよ。
を書いた後、
◆陸前高田の被災松、一転「送り火」に 京都「五山の送り火」(河北新報 8月11日(木)8時42分配信)
京都市で16日に行われる「五山の送り火」に陸前高田市の松を使う計画が中止になった問題で、送り火の各保存会でつくる「京都五山送り火連合会」は、陸前高田市から別の松の薪500本を取り寄せ、送り火で燃やす方針を固めた。京都市が10日、明らかにした。
と報じられたけれど、翌日にはまた、変わるのですね。
◆<五山送り火>陸前高田のまきからセシウム検出 使用中止(毎日新聞 8月12日(金)16時14分配信)
東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松から作ったまきを京都市の「五山送り火」(16日)で燃やす計画で、京都市は12日、まきの表皮から放射性セシウムが検出されたため計画を中止すると発表した。送り火の実施主体の五つの保存会は同日、市の決定に従うことを決めた。
すると、これとは別に、
◆陸前高田の松、成田・新勝寺へ=表皮はぎ、おたき上げで供養(時事通信 8月15日(月)10時15分配信)
東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の名勝「高田松原」の松の一部が来月、千葉県成田市の成田山新勝寺で供養される見通しとなったことが15日、分かった。同寺の僧侶が慰霊法要で被災地を訪れた際、宗派が同じ陸前高田市の金剛寺から依頼され、受け入れを決めた。
という報道がありますが、これは京都大文字で燃やす予定だった薪とは別の話ですね。
ただ、京都のすったもんだの後なので、同一のメッセージを書き込んだ陸前高田の薪と混同し易い。
違います。ところがこちらでも同じような騒ぎが勃発した、と。
◆「核廃棄物持ち込み許さない!」 マツ騒動、今度は成田山新勝寺に抗議(J-CASTニュース 8月15日(月)19時42分配信)
東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツの木を、
千葉県の成田山新勝寺で「護摩木」と共に焼いて供養することが報道されると、
「核廃棄物を持ち込むことは許さん!」などといった苦情が寺に押し寄せた。
陸前高田市のマツを管理するボランティア団体にも抗議が来ている。
陸前高田市やボランティア団体からは、市への非難や風評被害が広がるばかりで、
「もうそっとしてほしい」といった悲鳴が挙がっている。
■「皮は薪にはしないのに」と地元は憮然
市やボランティア団体は、マツを巡る騒動でバッシングに晒されていることに頭を抱えている。
今回の騒動のあらましはこんな具合だ。
陸前高田市のマツを管理するボランティア団体によれば、2011年6月に大分県の芸術家から、
京都「大文字」で使うマツの木切れが欲しいといわれ、市と協議して提供を決めた。
木切れに被災者の願い事を書いて欲しいという申し出については、
市民は復興で忙しい中、疑問もあったが、震災で亡くなった縁者を思い、
また自分達への心遣いに感謝して応じることになった。
「生まれ変わったらまたあなたと再会したい」などと書かれたものが400本近く集まった。
しかし、京都では放射能を心配する府民からの反発が出て、
大文字保存会は2011年8月6日、陸前高田市のマツは使わないと発表した。
すると今度は全国から、京都への非難が殺到したため、
一時は「大文字」をはじめとする五山の保存会が薪に使うと発表。
マツの放射能の検査が条件だった。
検査してみると表皮に1キログラムあたり1130ベクレルの放射性セシウムを検出、再び中止が決まった。
ボランティア団体によれば、最初の「大文字」で使うマツは
京都の関係者や自分達が検査しても放射能は出なかったという。
それは、マツの皮を取り、薪として使えるよう加工した後だったからだ。
次に行われた検査では、加工していないマツが運ばれ、
皮と内側を別々に検査。内側は大丈夫だったが皮から放射能が出た。
ボランティア関係者は、
皮は薪にはしないため、今回の検査でよかったのだろうか?」と首をひねる。
しかし、今回の検査で京都に対する非難が沈静化したのは確かだ。
■「燃やしても全く人体に影響はない」
ちなみに、放射線影響研究所に問い合わせてみたところ、
野菜や肉、魚などについては、放射性セシウムが1キロあたり500ベクレルを超えるものは
食用にしないという国の基準値がある。今回のマツの皮は
1キログラムあたり1130ベクレル。約2倍の数値だが、皮を食べることはない。
「不安だという気持ちはわかりますが、燃やしたとしても全く影響は出ないでしょう」
と話している。
そうした中、11年8月15日、千葉県の成田山新勝寺で
9月25日に行われる伝統行事「おたき上げ」で、願い事が書かれた札「護摩木」とともに
陸前高田市のマツがたかれると報道された。
すると15日の昼過ぎまでに新勝寺に30本近い問い合わせが来た。
批判が多く「核廃棄物を持ち込むことは許さん!」といった過激なものまであったという。
新勝寺によれば、マツを燃やすことを決めたのは京都「大文字」が話題になる前で、
同じ宗派である陸前高田市の金剛寺が「おたき上げ」でマツを供養することを知り、
賛同したことがきっかけ。マツは金剛寺から長さ90センチ、4.5センチ角のものを
20本から30本提供を受ける。批判が寄せられていることについて新勝寺では、
「まずは放射能の検査をします。検出されればマツは燃やしませんが、拝むという形になるかもしれません」
と話している。
この新勝寺の件で、再び陸前高田市のマツに対する非難が始まっている。
先のボランティア関係者の電話には、「どれだけ日本に放射能を拡散させたいんだ!」
などといった抗議が来ているという。
◆コメント:勝手に「送り火プロジェクト」を企画するからですよ。
私は、基本的に前回と同じ意見のままでして、要するに最後に引用したJ-Castだけが、
「今回の騒動のあらまし」として書いている部分。
2011年6月に大分県の芸術家から京都「大文字」で使うマツの木切れが欲しいといわれ、市と協議して提供を決めた。木切れに被災者の願い事を書いて欲しいという申し出については、市民は復興で忙しい中、疑問もあったが、震災で亡くなった縁者を思い、また自分達への心遣いに感謝して応じることになった。
ここの説明不足が一連の報道の最大の欠陥でしょう。
大分県の芸術家、即ち、藤原了児が立ち上げた(と言っていいのか、すら疑問ですが)、
大文字送り火に陸前高田の松原ープロジェクト
が、大文字保存会(送り火は京都市が監督する事項では無いのですね)に相談しないで、
陸前高田に趣き、
京都「大文字」で使うマツの木切れが欲しい
といったのですね。陸前高田の人々も復興で忙しいけど、
「自分達への心遣いに感謝し」て応じることになった
と言うぐらいだから、最初から京都で燃やしてくれと言うつもりは無かったのですね。
京都大文字保存会も、陸前高田で話がまとまった後で、いきなり「送り火プロジェクト」とか
言われても困りますよね。ましてや京都市民はそんな動きは知らなかったというのですから、
京都の人はどうのこうの言われてもムッとしますね。
一つ京都側でまずいかな?と言う点があるとすれば、一旦断ったのを
「やっぱり、送り火で、陸前高田の被災地の薪を燃やします」
と言ったことでしょうか。断ったら断りっぱなしの方が良かったですね。
そして燃やすというなら、無条件で燃やせばいいのに、「放射性物質検査をしてから」
といって、皮からセシウムが検出されて、再度
「やはり、燃やしません」
というから、如何にも後味が悪いのですが、最初に企画した人、大分県の芸術家は
この二転三転の間、何をしていたのでしょうか。
大文字保存会も京都市も、早い段階で、公式に事実を発表したら良かったと思います。
「この話は大分県の自称アーチストから急にもちこまれたもので、大文字保存会に
陸前高田の被災地の薪を燃やす計画は、最初から存在しなかったのです」と。
陸前高田側だって、自分達から「大文字で燃やしてくれ」と
そんな発想は全然無かったのに、「大文字で使うから」と言われ、時間を割いたのに、
何だか、京都だけではなく、成田山の話まで、一緒くたに混同され、
世論から「放射性物質を撒き散らすな」といわれたら、それは怒りますよ。
そのようなつもりは、陸前高田には毛頭ないのですから。
怒るでしょうけど、ああ、あれは大文字保存会の申し出は無かったのか、
という事情が分かったでしょう。
少なくとも、京都全体が日本中から薄情者扱いされることは無かったでしょう。
京都一般市民は完全に「寝耳に水」だったのです。
この問題が分かりにくいのは、メディアが、
そもそも、この話は大分県の一「芸術家」が思いつきで始めたことで、
陸前高田も京都もいきなり言い出されて混乱している状態なのだ、
ということを書かないからです。だから、全然事情を知らないで、騒ぐ輩は、
陸前高田 VS 大文字保存会(又は京都市)
という図式が存在しているとおもっているのではないでしょうか。
特に読売新聞の書き方が非常に気になるのですが、
大文字保存会に事前に何も相談しないで、陸前高田に行って、
「大文字送り火に使う薪が欲しい」と掛け合った人物が問題の大きな原因と
なっていることは明らかなのに、それを書かないことです。
前回の記事にも書きましたが、論評するかどうかは二の次で、
報道機関は、「本当は、何が起きたのか」を細部まで正確に書くべきです。
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