JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事1:<終戦記念日>麻生首相式辞 戦没者追悼式(8月15日12時39分配信 毎日新聞) 天皇皇后両陛下の御臨席をかたじけなくし、戦没者の御遺族及び各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。 ◆記事2:<麻生首相>集団的自衛権行使「可能にすべきだ」(8月13日21時23分配信 毎日新聞) 麻生太郎首相は13日、TBSの報道番組で、集団的自衛権の行使を禁じている憲法解釈について ◆コメント:戦没者追悼式における麻生首相の発言は、矛盾している。 終戦記念日、戦没者追悼式の式辞で首相は太文字で強調したとおり「不戦の誓いを新たにする」と述べている。 自主憲法の制定 とかいてある。自民党サイト内に、新憲法草案がある。 新憲法では、現行憲法第9条第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 を「削る」となっている。国の交戦権を認めない、という文言を削除するのは、国の交戦権を認めようという意味である。 自民党は、日本を戦争が出来る国にしようとしていることを選挙公約で明言しているのである。 だから、戦没者追悼式に於ける麻生発言は、ウソだ。 さらに、記事2では、麻生首相は 集団的自衛権の行使を可能にすべきだ と発言したと報じられている。 集団的自衛権とは、自国が他国の侵略・攻撃を受けていなくても、密接な関係にある同盟国(要するにアメリカ)が、 攻撃されたら、日本への攻撃と見なし、武力を用いて反撃するということである。 北朝鮮云々が問題ではない。一旦集団的自衛権の行使を可能にしたら、アメリカにいくらでも引きずられ、戦争に巻き込まれる。 首相は、 日本を守る同盟国のアメリカの艦船が北朝鮮から攻撃を受けたとすれば、自衛艦がそれを防護することを可能にしておくことは大事だ というが、その必要はない。日米安全保障条約は1960年1月19日に署名され、同年6月23日に発効した。 その時点で日本国憲法は当然、既に施行され、米国は日本国憲法第9条第2項の存在を認識していたし、 今も認識している。また、政府の公式見解 「集団的自衛権の行使は違憲である」 も当然認識していながら、安保条約を保持している。安保条約はその条件での「契約」である。 欧米人を相手にするときに下手に遠慮してはいけない。 安保条約を締結していたときにアメリカは日本国憲法をよく知っていただろう。集団的自衛権が違憲であることもしっているだろう。 と言わなくてはいけない。日本は税金から在日米軍基地の維持費(職員の給料も含めて)莫大な予算を投じている。 アメリカはその対価として、日本が攻撃されたら、反撃する。謂わば用心棒契約である。 それを妙に遠慮するからいけないのである。 こっちは、やることをやっているのだから、アメリカは有事になったら、日本を守れ。 と、でかい顔をして言えばいいのである。 「遠慮」とか「気がね」という精神性は日本人独自のものだ。欧米人は決してそんなものを持っていない。 言った者勝ちなのだ。 選挙で自民党が勝ったら、憲法を改正し、日本が戦争を出来る国にすることに有権者は同意したことになる。 これを忘れてはならぬ。2005年には無かった、極めて重要なポイントである。 そして、民主党に対しては、「はっきりしろ」、と言いたい。憲法はどうするのか。集団的自衛権の行使を可能にするのかしないのか。 今の民主党の政策集では、専守防衛に限るといいつつ、 従来の個別的・集団的自衛権という概念上の枠組みにこだわらず、 と訳の分からないことを書いている。専守防衛に限るならば、集団的自衛権は必要ない。 日本を戦争が出来る国にはしない、とはっきり言えないのであれば、私は民主党も信用できない。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2008年08月15日(金) カール・ベームが語るモーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」終楽章。
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