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JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:東電社長、郡山市の避難所に 住民「謝罪ではすまない」(河北新報 4月23日(土)13時25分配信) 東京電力の清水正孝社長が22日、 ◆コメント:被災住民ならば、何を言ってもいいのか。 2005年4月25日にJR西日本福知山線が塚口駅 - 尼崎駅間で脱線し、107名が死亡する大事故が起きた。 あんたらもうええわ。社長呼んできて! と横柄に発言する様子がテレビに映り、ネット上でも大騒ぎとなり、読売大阪には抗議が殺到した。 5月13日には読売大阪社会部長が、同記者とJRに謝罪に出向く、という前代未聞の結果となった。 一般人のJR西日本社員への嫌がらせもすさまじく。全然関係のない路線の女性運転士がホームで客に 蹴られて、線路に転落し、ショックのあまり運転が不可能となり、当分事務職に配置転換となったり。 とにかくひどかった。私は、 2005年05月04日(水)「被害者の知人」だといって、JR職員をこづき回している男がいた。いい加減にしなさい。(ココログ) を書いた。 福知山線脱線事故と東日本大震災及び福島原発事故では、発生した事象自体が全く異なるが、 共通するのは、「犠牲者」「被災者」の態度である。 今回の事故で、確かに国は安全だ、と言い続けた福島原発は安全では無かったが、 地震が起きるまで、本気でその危険性を訴えていたのは、一部の専門家だけである。 例えば小出裕章京都大学原子炉研究所助教は、2008年10月26日に、 巨大地震が原発を襲うとき との講演をおこなっているが、 このレジュメを3月11日以前に真剣に読んでいた一般人は、私を含め、殆どいなかったはずだ。 原発周辺住民とて同じであろう。 東電に問題が無かったとは言えないし、国の原子力を中心としたエネルギー政策は、 長い自民党政権の利権政治がもたらしたものである。それに対して殆どの国民は特に興味を持たなかった。 「シーベルト」なんていう単位を意識するようになったのは、地震の後だろう。 放射性物質観測ポストの数値は以前から公表されていたが、誰もみていなかった。 東電にも日本国政府にも、原子炉を製造した東芝や日立等々全てに責任があるが、 今回の事故があり、初めて原発の怖さが分かった、というのが殆どの日本人である。 清水社長が謝罪に行くのは当然だし、もっと早く現地に行くべきだったという意見には同感だが、 だからと言って、何を言ってもいいのだろうか。 どうもJR西日本の時と同様、日本人は(人間は)相手が決して口答え出来ず謝るしか無い、 ということが分かっているとき、あまりにも居丈高になる。 言いたいことはあるだろうが、「言っても仕方が無いことを言っても仕方が無い」。 申し訳ないではすまないんだ。 ではどうしろというのか。首を吊れというのか。 初動でもっと迅速に対応できなかったのか 人類史上前代未聞の事故に迅速に対応するにも限度があろう。 仕事を失った。どうしてくれる 原発がなくても、津波で家族も財産も仕事も全て失って途方に暮れている人は数え切れない。 「おまえら殺人犯だ」と声を荒らげたのは富岡町の無職横田一也さん(63)。母親が避難後に体調を崩し、施設で亡くなったという。 これは明らかに言い過ぎだ。津波の被災地でも災害関連死は起きている。そのことは、書いた。 2011年04月02日(土) NHK「ニュースウオッチ9」で報じていた「災害関連死」。←特に高齢の被災者は「頑張っ」てはいけない。(ココログ) 原発事故は、史上初めての出来事でマスコミで大きく取りあげられている。福知山線とその点では共通している。 しかしながら、平時においても、突然不幸に襲われる可能性は誰にでもある。 大事件・大災害の被害者が、「普通の事故・災難」の被害者・被災者よりも、 世間に対して、より大きな「同情請求権」を持つ、といえるのか。 私は津波で親や子供や、家や財産や仕事、全てを失って、なおかつ気丈に振る舞っている人々には 心底同情していたが、清水社長を吊し上げて、鬱憤晴らしをしている人々には、 あまり同情できない。 少なくとも、電源三法交付金の支給を受けていた世帯。 今まで受け取った累計金額を教えて頂けないだろうか? 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2010年04月23日(金) 「ギリシャ 正式に緊急融資要請」←予想されていたことです。スペイン・ポルトガルにも注意。 |