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2010年12月26日(日) |
様々な感受性に配慮する、ということ。 |
◆私が嫉妬深いだけかも知れぬ。
ネット上に文章を書く一般人は今やどれ程多いか分からない。
今年は、ミニ・ブログとかなんとか、色々表現はあるようだが、
兎にも角にも"Twitter"が大流行である。一回の「つぶやき」が140文字に制限されているのは、
一見不自由だが、ブログのように長文だと、文章の構成を考えなければならないが、
140文字では、その必要が無いので、各自思い付いたことをそのまま文字にすればいい。
その気軽さから、利用者数は、多分爆発的に増加している。
ちょっと読んでいると分かるが、自分に起きた「良い事」を無邪気にさらけ出す人が多い。
読まなければ良い、と分かっていてもついつい目に入ってしまう。
私が、ジトジト、ネチネチと陰気臭い性格だから悪いのだろうが、
あそこで、他人様の楽しそうな言葉を見ていると、嫉妬心を抱いている自分を発見して、
更に自己嫌悪に陥ることが、しばしばある。
◆あらゆる感受性に配慮出来れば、と思うが、それは不可能である。
あらゆる感受性を考慮したら、世の中、何もできなくなり、社会の機能がマヒしてしまう。
例えば、クルマやバイクの事故で肉親を失った人は、暫くクルマやバイクのエンジン音を聴くことすら
苦痛である、というが、だからと言って、世の中から自動車やバイクを完全になくす訳にはいかない。
航空機事故で多くの人が亡くなっているが、飛行機を今更なくす訳にはいかない。
かつて、冒険家・登山家の植村直己氏が行方不明となり、遺体は現在に至るまで発見されていないが
生存の可能性は0パーセントと判断された。1984年2月のことである。
公子夫人は記者会見で、悲しさを抑え気丈に耐え、
「植村は、だらしがないと思います」
という意味の言葉を発した。世間はその言葉に粛然としたが、記者会見の中で有ったか後日であったか、
「当分、山は見たくもありません」という意味の事を言った。
だが、言うまでもなく、地球上から山をなくすことは出来ない。
◆しかしながら、様々な感受性を配慮することは可能である。
前段の通り、世の中のあらゆる感受性を考慮出来たら、それに越したことは無いが、
現実には不可能である。しかし、世の中には様々な感受性があることを念頭に置くことは、
例え素人であっても公に文章を晒す以上、大切な事である。
この「さじ加減」は難しい。あまり色々気にしていては確かに、何も書けなくなるが、
不況で、収入が減り困っている人が多い時に、あまりにも派手な金遣いをしたことを書くのは
避けることが出来る。
又、現実世界においても、腎臓病を患い、人工透析を受けている人が大勢いて、病状にもよるが、
多くは、かなり厳密に食べ物を制限されている。1週間に何度も早帰りし、透析を受けなければ
ならない人の前で、「あの店の何とかは美味かった」というような話を延々と続けるのは、
かなり、残酷な仕打ちである。
偉そうな事を書いている私だが、今までにも自分が気が付かないだけで、多くの人の感受性に配慮が
足らなかったであろう。子供の事を書いたら、子供が欲しくても出来ない人々や、子供を事故や病気で
亡くした方は不愉快だったであろう。
その類を考え出すと無限の制約が出て、窮屈になる。
書きながら、どのように文章をまとめるか、今、苦慮している。
余りにも神経質になっては、何も文章は書けない。
しかし、様々な感受性が世の中に存在することを常に想像することを、
完全に止めてはいけないのである。
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