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JIROの独断的日記
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2010年07月30日(金) 楽器屋での不愉快なこと。客商売の心得。

◆トランペットを始めた頃の話。

弊日記・ブログをいつもお読み頂いている方々は、ご承知かと思いますが、

私は、クラシック音楽全般が好きで、ピアノやヴァイオリンは勿論好きですが、

子どもの頃に、ホンの一時期ですが、「プロになりたい」と考えたことすらあるほど、

トランペットが非常に好きです。


日本で、トランペットを吹いたことがある人。吹いている人、プロになった人、の殆どは、

最初、小学校〜高校の「吹奏楽部」(名称は色々でしょうが)で楽器に触ります。

ところが、私が生まれ育った東京都杉並区というところは、決して野蛮な場所でも非文化的な場所でも

ありませんが、私が通った公立小学校にも中学校にも何と「吹奏楽部」が存在しません。

杉並区でも学校によっては代々引き継がれた吹奏楽部がありますが、

あれは一体どういうことなのか、無い学校は校長も音楽教師も数年で替わるはずなのに、

今に至るまで、ありません。私はたまたま、そういう小学校と中学校に通いました。


それでもどうしても、トランペットが吹きたくて、親にせがんで、ヤマハの初心者用のを

買って貰いました。随分時間がかかりましたけど。それに吹けないのにいきなり買うのですから

良い楽器かどうか(現在は殆どそういうことがないようですが、昔は明らかに、「当たり外れ」が

あったのです。他の「道具」でもそういうこと、ありますよね。)分からないのですから、

乱暴でいい加減な買い方です。しかし、周囲に「トランペットについてアドヴァイスをくれる人」

などいなかったのですから(何しろ「吹奏楽部」が無いんです)、仕方がなかった。


念願の楽器を手に入れて嬉しかったけど、ちょっと試してみて、

これは、独学ではどうにもならない。

ことが分かりました。何らかの音はでますが「音楽に使える音」を出すためには、

つまり、まともに吹けるようになるためには、専門家に教わらなければならない、

と思いました。四方八方手を尽くして、豊島区大塚の「管楽教育研究所」で、

東京吹奏楽団(1963年、東京で初めて創立したプロの吹奏楽団)でトランペットを吹いておられる、

歴としたプロの先生に習うことになりました。


プロ・アマ問わず、日本でトランペットを最初から個人レッスンで始めた人間は少ないと思います。

別に自慢でも何でもありません。経緯をご説明したとおり、そうせざるを得なかったのです。

この先生は、最初から趣味で吹く、と言いました。プロは無理だと思いました。

あまり簡単に止められたら困る、と思ったのでしょう。先生は、弟子のレッスンを見学させてくださいました。

その時の生徒さんは、ものすごく失礼なのですが、はっきり言ってあまり上手くなく、しかし、プロになりたい

という意思でレッスンを受けていたので、先生の言葉は大変厳しいものでした。

今、思うと先生は、わざとそういう情景を子供の私に見せて、怯えて止めると言い出さないか

試したのでしょう。

レッスンで先生が発する言葉はとても厳しかったけれど、私は「怖い」とは思いませんでした。

却って「きちんと音楽を勉強するということは、これほど厳しいことなのだ」という事実に

感動してしまい、ますます、トランペットのレッスンを受ける決意をしました。

「管楽教育研究所」は良心的で、レッスン料も高くありませんでした。


◆レッスンは、厳しかったけど楽しかったのです。

先生は決してヒステリックではないけれど、趣味であろうが何だろうが、

「トランペットを吹く限り、いい加減な吹き方は許さない」

という姿勢でした。ミスが連続すると
君、そういうのをね。「デタラメ」っていうんだよ。

金管は吹いている間に呼気の水分が水滴になり管に溜まるので、頻繁に水抜きをする為のキーがあるのです。

吹くのに夢中で水が溜まったままでいると、
君さ。水抜きしなさいよ。そういう汚い音で吹いていて平気なのかな?

今のようなデジタルは勿論当時ありませんが、アナログのチューナーがありました。音程が揺れると

メーターの針が左右に振れるので、一目瞭然です。それに向かって長い音を伸ばす「ロングトーン」を

試したら、微妙に左右に振れているのです。そうしたら、
君、ロングトーンの練習が足りないよ。メロディーなんか、後だ。まずは真っ直ぐ吹けるようになりなさい。

レッスンで毎回注意されることの方が多かったけれど、それで嫌になったことは

一度もありません。むしろ「正しいトランペットの吹き方を教わっている喜び」の方が大きかった。

やはり、好きだったのだろうと思います。

ただ、暫くレッスンを受け、比較的安定した良い音がでるようになったとき、先生は
うん、男らしい、良い音だぞ。

と、初めて褒めて下さいました。あの時の嬉しさは忘れません。


◆死ぬ前に(大袈裟ですが(笑))もう一度、トランペットを吹きたい、と思いました。

その後の30年の紆余曲折を詳しく書いたら、長くなりすぎます。

簡単に書くと、社会人になったら、トランペットを続けるのは無理になってしまいました。

早朝から深夜まで仕事だし、何しろトランペットですから、練習場所が無い。

数年前、昔の実家をマンションに建て替え

(言っておきますが等価交換という方法を用いたので、私は「大家」ではなく、家賃収入はありません)

その一室に住んでいますが、各部屋の間取りは個別にオーダー出来るという特殊な形式のマンションで、

私は、家内がピアノを教えるので、かなり頑丈な防音室をつくりました。

今まで、病気(うつ病)で何もやる気がしなかったけど、1年ほど前、実に30年ぶりにトランペットの、

吹き口、マウスピースというものを買いました。これだけでも練習出来ます。

ある程度、昔の勘を取り戻すと楽器が欲しくなります。本当は息子が浪人中ですから、

おカネは温存すべきですが、「いつか、いつか」と言っていると、結局いつまでも何も出来ないものです。

勿論、何十年も楽器を吹いていないので、初心者同然です。昔、レッスンで、一から習ったので、

練習方法は分かっていますが、この年から再開しても絶対に上手くはなりません。

それでも、大袈裟ですが、死ぬ前にもう一度、トランペットで音を出しているときのあの快感を

味わいたい、と最近思うようになりました。


◆昨日、楽器屋に寄りました。

そこで、昨日、会社から帰る途中、お茶の水駅近くの管楽器店に入りました。名前は伏せます。

若い店員さんからすかさず、「いらっしゃいませ」の声がかかりました。他にお客さんがいなかったし、

話しやすい雰囲気だったので、その若い店員さんに事情をはなしました。

つまり、かつてはずっと吹いていたが、何十年もブランクがある。こういう場合どういう楽器を

選んだら良かろうか?というようなことです。本当はもう少し詳しく話したのですが、ラッパの世界の

話なので、それを書くのは省略します。若い店員さんはとても親切でした。


ところが、明らかにその店の店長と思われる、太った中年の男性は「いらっしゃいませ」も、言わず

私と店員さんの会話は聞こえているはずなのに、仏頂面のまま、何もいいません。不機嫌にすら見える様子。

お断りしておきますが、私は自分が客商売に長く携わっていたので、客に威張られる不愉快さは骨の髄から

知っています。ですから昨日も辞を低くして、若い店員さんと話をしていました。店長が不機嫌になるような

ことは言っていません。


店を出るときにも、若い店員さんは、

ありがとうございました。よろしくご検討下さい。

と、至って丁寧でしたが、太ったオールバックの、モミアゲの長い店長は遂に無言のままでした。

私は、馬鹿だなあ、と思いました。

中年のオヤジが、何十年ぶりかにトランペットを買おうか、と言っている。

いくら現時点では初心者同様でも、学生よりはおカネがあります。

うまく私をおだてれば、高い楽器を買うかも知れない。

絶好の「カモ」です。

こういう客に「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました。」も言わず、

店内でも一言も口を利かない、というのは、やる気がないのです。


客商売というのは、よく言われるとおり、客の信頼を得るまでには大変な努力を要しますが、

一瞬の失敗で長年のお得意さんの信頼を失うこともあるし、新規の顧客の獲得に失敗するのです。

若い店員さんには悪いけど、もしも、私が本当に楽器を買うことを決意しても、あの店では買いません。


逃した魚は大きいぞ?

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