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2010年01月14日(木) |
【追悼】オトマール・スウィトナー氏(指揮者)(その1) |
◆記事:オトマール・スウィトナー氏死去=オーストリアの指揮者(1月12日6時40分配信 時事通信)
オトマール・スウィトナー氏(オーストリアの指揮者)11日のDPA通信によると、8日、ベルリンで死去、87歳。
インスブルック生まれ。60年に東独のドレスデン国立歌劇場(現ドイツ・ザクセン州立歌劇場)の音楽監督に就任。
64年から90年までベルリン国立歌劇場で音楽監督を務めた。73年からNHK交響楽団の名誉指揮者。
◆コメント:私が生まれて初めて買ったクラシックの「LPレコード」は、スウィトナー氏でした。
既に定年で退団し、しかし、今もエキストラとして、つごう30年以上もN響でヴァイオリンを弾いている方が、
ご自分のサイトをお持ちで、毎日生真面目な日記をつけておられます。
その方が昨年あたりから、何度も書いておられることで全く同感なのは、昔のN響は本当に贅沢で、
毎月のようにヨーロッパの一流指揮者が指揮台に立っていたのです。
NHK交響楽団 | メンバー 指揮者に、名を連ねている歴代の名誉指揮者です。
私がオーケストラに興味を抱きはじめた頃のN響の「常連名誉指揮者」といえば、
ウォルフガング・サヴァリッシュ、オットマール・スウィトナー、ロヴロ・フォン・マタチッチ、ホルスト・シュタインの各氏、
少し遅れてブロムシュテット氏、というところ。
カイルベルト氏や、ウィルヘルム・ロイブナー、ウィルヘルム・シュヒター(←この方が特にN響を鍛えたのです)氏の時代は、
残念ながら、まだ音楽に興味を持っていなかったか、私が生まれる前のことです。
当時は、今月がスウィトナー、来月サヴァリッシュ、再来月ホルスト・シュタイン、なんて当たり前と思っていて、
その真価が分からないまま、漠然と聴いていましたが、今思うと、ものすごく有難いことだったのです。
一度では、スウィトナー氏の真価を紹介することなど出来ないので、何回かに分けて書きます。
◆元・N響事務長、長谷恭男(はせ・たかお)氏の「斜めから見たマエストロたち」より。
この、指揮者全盛期のN響で事務長をつとめ、ステージの袖から名指揮者たちを見て、
来日時の世話をしていた長谷恭男という方の著書、「斜めから見たマエストロたち」は、
これら名指揮者を間近で見てきた方ならではのエピソード満載で、私と同じ年代以上の方で、
あの頃生でもテレビを通してでも、N響で色々な音楽を聴いた方々には、大変面白い本です。
この本の「オトマール・スウィトナー(Otmar Suitner)の章から抜萃させて頂きます。
スウィトナー氏は1922年、オーストリアの美しい町、インスブルックで生まれた。(略)
初めは郷里のインスブルックの音楽院に学んだが、更にザルツブルクに出て、モーツァルテウム音楽院でピアノと指揮を学んだ。
この学校で指揮を習った師は名指揮者クレメンス・クラウスで、このことがスウィトナー氏の人生を決定づけたのである。
彼はチロル地方で合唱の指揮などをやったあと戦後はピアニストとして活躍を始めたが、
クレメンス・クラウスの強い勧めで指揮者に転向、1970年ドレスデン国立オペラの音楽総監督となって、ヨーロッパにその名を知られた。
65年(引用者注:時系列的に前後するが、原文のまま)には由緒あるベルリン国立オペラの総監督となり、
さらにウィーン音楽院では、名教授H・スワロフスキー氏の後を受けて指揮科の教授を務めている。
N響がスウィトナー氏を初めて招聘したのは1971年の12月で、その悠揚たるスケールの大きい音楽はたちまち聴衆の人気を集め、
73年には(引用者注、N響)名誉指揮者の称号が贈られた。爾来、毎年のようにN響を指揮する他、
ベルリン国立オペラの上演や、そのオーケストラの指揮者としても度々来日しており、
日本の愛好家にとって、極めて親しい指揮者になっている。
人柄は極めて温和で怒った声を聞いたことがない。オーケストラの練習で、演奏がうまくいかないと、
「困ったな」という表情をし、鼻の脇を人差し指で擦る癖があって、こうなるとオーケストラの方が恐縮して、
「何とかしないと気の毒」と思うのである。
ウィーン音楽院の名物教授スワロフスキー氏が亡くなり、後任としてスウィトナー氏に白羽の矢が立って、
就任依頼があったのに氏は良い返事をせず、放っておいた。
業を煮やした当局は、オーストリアの文部大臣から来日中のスウィトナー氏に国際電話をかけてもらい、氏を説得した。
その翌日、スウィトナー氏はN響に来て、有馬副理事長に「あまり気が進まないが、どうしようか?」
と相談を持ちかけたのである(引用者注:有馬副理事長とは、後のN響理事長有馬大五郎氏。完璧なドイツ語を話し、
若い頃ウィーン音楽院で作曲・音楽理論を勉強した人。同級生にヘルベルト・フォン・カラヤンがいた。
有馬氏が亡くなった時、カラヤンからは非常に丁重な長い弔電が届いた)。
驚き呆れた有馬先生に「そんな良い話を断る奴があるか」と云われてやっと承諾したのである。
天下のウィーン音楽院指揮科の主任教授という貴重なポストである。普通なら、あの手、この手の策を弄し、
就任運動をする人もあるというのに、スウィトナー氏はそんな名誉欲はさらさら無いらしい。
誠に醇朴なチロルの山男である。
◆最初に買ったレコードは後にします。YouTubeで見つけた、ブラームス交響曲第一番終楽章。
上の長谷氏の文章に、「1970年ドレスデン国立オペラの音楽総監督となって、ヨーロッパにその名を知られた」
とありますが、ドレスデン国立オペラの管弦楽団を、「シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン歌劇場管弦楽団)」といいます。
ベルリンフィルのような派手さは無いけれども、極めて由緒ある、深い響きを誇るオーケストラです
(いぶし銀のような、という形容がシュターツカペレ・ドレスデンを評する時の常套語句です)。
そのシュターツカペレ・ドレスデンとの1988年来日公演(サントリーホール)での、
ブラームス交響曲第1番のフィナーレが二つのファイルに分かれてアップされています。
スウィトナー氏の棒には、決して派手さとかカッコ良さはありませんが、
そもそも、そういうことは、この指揮者の発想にないのです。
オーケストラの音の豊かさを虚心坦懐に聴きましょう。
ブラームス/交響曲第1番 第4楽章(Part1)
ブラームス/交響曲第1番 第4楽章(Part2)
どうでしょうか。勿論、シュターツカペレ・ドレスデンは素晴らしい。
N響との映像が見つからないのが残念ですが、これは私の私的な思い入れです。
次回は、スウィトナー氏のエピソードの続き。
本当の指揮者とはどういうことが出来て当たり前なのか、が分かります。
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2009年01月14日(水) 「<死生観>がん患者「死後の世界」信じる割合低く 東大調査(毎日新聞)」←同じニュースでも書き方によってこれほど違うという例。
2008年01月14日(月) 【地球温暖化】NHK「未来への提言」を文字に起こしました。温暖化の最新情報です。
2007年01月14日(日) 「不二家:腹痛やおう吐を訴える苦情数件 問題発覚後」←恥ずかしい人がいるものだ。/対照的に良心的な三重県のカキ
2006年01月14日(土) 「国家の品格」の著者、藤原正彦氏に関する補足的知識
2004年01月14日(水) 「空自先遣隊 バスラ空港を視察」 これで、東京はテロの攻撃対象になりました。