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2008年05月25日(日) |
「Always 続・三丁目の夕日」をDVDで見ました。良い映画ですね。 |
◆映画を見て得た感動を言語化するのって、難しいですね。
芸術作品を言葉で評価するのは、難しいことですね。
私が音楽についてしばしば書いていますけれども、それは、ある音楽を聴いたときに、
私がどういう、感情を揺すぶられるか、という主観的な言葉の羅列に過ぎません。
私は、映画は音楽よりも更に詳しくない世界なので、どういう点に着目して書くと、
その良さが、他人に伝わるのか、大変難しい。訳の分からない文章になるかも知れません。
既にこの映画を見た方も多いでしょうが、これはあくまで私が見た感想を書いたものです。
◆まず、思いつくまま、書きますが・・。
この一連の映画を名作たらしめているものは、なにか。
脚本は勿論ですから、それ以外で。
思いつくままに書きますと、キャスティングの良さ。
主要な登場人物は勿論、脇役、ワンシーンしか登場しないような端役にも、上手い役者さんばかりを使っている。
戦争で妻子をなくした宅間医師約の三浦友和さん。奧さん(山口百恵さんですな)は、前作を見て、
「パパ(三浦さん)が今まで出た中で一番いい映画ね」
とおっしゃったそうですね。嬉しいでしょうね。三浦さんも。
ヒロミ(小雪)を口説きにくる大阪の金持ち役の渡辺いっけいさん。
鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)の昔なじみ(以上?)で、偶然、日本橋で再開する人、上川隆也さん。
ヒロミのダンサー仲間の一人に、貫地谷しほりさん。
鈴木オートに一時、娘を預かってもらう、平田満さん。
鈴木則文(堤真一)の戦友、牛島役の福士誠治さん。
小学校の先生役の吹石一恵さん。
やはり、脇が上手いと、あるいは、役にぴったりだと、芝居が締まりますよね。
そして、音楽。何とも言えず郷愁を誘う音楽が、繰り返し流れますが、あれが映画のノスタルジックな、
或いはロマンティックな雰囲気の演出に貢献しています。これは全て佐藤直紀氏の作曲。
1970年生まれ。東京音大作曲科卒。
◆理屈をこね回すのは止めます。24時間で2回見ました。
「止めます」、というか「出来ません」。映画を作る過程とか、この作品で多用されている(昔の風景を現実化するためです)
ヴィジュアル・イフェクトに関しては全く分からないからです。
だから、ありきたりな表現しかできません。悪しからず。
私は、映画がヒットして2年ぐらい遅れてDVDで見る、非常に「どんくさい観客」です。
正編を見たのがまさにそれで、劇場公開は2005年だったのに、去年見ました。
続編はもう少しマシで、半年遅れぐらいです。
5月21に続編のDVDが出るというので、予約していたのです。
木曜に届いていたのですが、昨日見ました。
前作同様、胸がキュッと苦しくなるほどの切なさと懐かしさと温かさを感じました。
人間の持っている、美しい心が綺麗に描かれていて、胸に沁みます。
今日になっても、昨日見た映画の数々のシーンが、頭に浮かび、落ちつきません。
我慢できず(我慢する必要はないのですが)、今日もう一度見ました。
見終わった後に、ほのぼのとした気分になる、ひとときでも「幸せ」になった気分にしてくれる。
私にとって、正・続の「ALWAYS 三丁目の夕日」は、そういう映画です。
付属の資料を見て知りましたが、監督をはじめ、映画の製作に携わった人は皆、
実際は昭和30年代前半を知らないのですね。
それで、あらゆる資料を集め、コンピュータを使ってのヴィジュアル・イフェクトを
駆使して、見事に当時の風景、事物を再現している。
さすが、日本人の丁寧な仕事だな、と思いました。
私はいつも書きますが、人を嫌な気持ちにさせることは、どんなバカでも出来ます。
しかし、人を喜ばせる、楽しませる、感動させるというのは
大変な努力が必要なのですね。立派だと思います。
まだ見ていない方には、是非お薦めします。
正編は、ALWAYS 三丁目の夕日、続編はALWAYS 続・三丁目の夕日です。
それでは。
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2007年05月25日(金) 「中国、『核先制不使用』変更も=ICBM増強を憂慮−米報告」←元はFT紙。一番危ないのはアメリカだと思いますが。
2006年05月25日(木) 「教育基本法は継続の公算 与党、大幅会期延長見送り」いつも会期が足りなくて強行採決になる。国会法をまず改正すべし。
2005年05月25日(水) ココログで「地震雲」が話題のキーワードになっているが・・・。←非常時に対する備えで最も簡単だが重要なことはなにか。
2004年05月25日(火) 「家族会に批判メール 「首相にねぎらいない」」 想像力、ということ。