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2008年02月07日(木) |
人や物事は、様々な観点から評価するべきである。 |
◆一般論として、人が一回何か失敗したからといって、全人格を否定するのは幼稚である。
読者諸氏はご承知だろうし、本人にも気の毒だから、名前は出さないが、ある芸能人が一回の失言を責められて、大騒ぎとなっている。
というか、一般のカタギの世界では誰もそんなことを話していないのに、メディアは、あたかも日本中がその芸能人の発言を白眼視しているように騒ぐ。
それを見て、そのまま信じてはいけない。民放は視聴率を稼ぐ為なら何でもするのである。
そうでなければ、何故、夕方のニュース番組の中で「行列の出来るラーメン屋」(ちょっと古いが、要するにその類の企画)を取りあげる必要があろうか?
くだんの芸能人の発言は、放送の中でのものである。芸能人、所謂有名人、アナウンサーの類は、パブリック・スピーカーと呼ばれる。
不特定多数が彼又は彼女の言動を見聞きする。従って、パブリック・スピーカーは、出来る限り想像力を動員して、視聴者(聴取者)の様々な感受性を考慮すべきである。
今回の芸能人はその点においてやや、軽率であったかもしれない。
しかし、いくら、パブリック・スピーカーといえども、人の子であるから、失言することはあるだろう。
読者諸氏の中に、「私は生まれてこの方、失言をしたことが無い」という方がおられるだろうか。
ある人物が一回失言したからと言って、全人格を否定するが如く攻撃するのは幼稚である。
人間は多面的に観察し、評価するべきである。
私は、部下の人事評価をするときには、T字型の表を手書きで作る。可能な限り感情を排除して、右にその人の長所を、
左側にその人の短所を書き込んでゆく。頭の中だけで考えるとどちらかに偏りがちになるが、紙に書くとはっきりする。
この簡単な方法が、少なくとも私にとっては、最も公平な評価を可能にしてくれる。
◆世の中は特定の誰かの為に存在するのではない、という当たり前の事を認識するべきである
騒動となった芸能人の話はひとまず、前段で終わりである。
近ごろあまりニュースで騒がないから忘れがちであるが、中学生や高校生がイジメを苦に自殺するという事件が後を絶たない。
このとき、イジメる側の言い分を聞くと、要するに被害者(いじめられた側)が何となく虫が好かないからということである。
これを話し合いで解決しましょう、とは良く聞く言葉だが無駄である。教えるべきは、「虫の好かない奴がいるのが人の世だ。」という事実である。
この世の中は、誰か特定の個人や集団の「為に」存在しているのではない。誰のためにも存在していない。
だから、世の中には自分の気に入らない人物がいて、自分を嫌う人間がいるのが当たり前で、それは誰にとっても同じなのだ
社会に出れば、気にくわない人間と毎日顔を合わせて仕事をしなければならないことはざらである。皆がお互いに我慢し合って世の中が保たれている。
気にくわない人間がいて、自分の気に入るようになれ、という要求をすることは、自分の自我の価値が相手よりも上位に位置すると考えているのである。
要求された側にしてみれば、その要求に妥当性は認められない。当然である。
自分と他人とは別の自我である。他人が気に入らないからといっていじめたり、感情的に接するのは、自己と他者の区別が出来ていない、
幼稚な人間のすることである。
読み返してみたら、あまりにも当たり前の事しか書いていないので、少々恥ずかしいが、これにて擱筆することとする。
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2006年02月07日(火) <秋篠宮妃紀子さま>第3子懐妊 今年秋ごろに出産の見込み←おめでたいんですけどね・・。
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