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JIROの独断的日記
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2007年07月18日(水) 「同時通訳者の草分け、西山千さんの努力と自省」(週刊新潮 7月26日号 P125「墓碑銘」)←あの嫌味な「週刊新潮」が絶賛。/バッハ。

◆週刊新潮最新号が西山千氏のエピソードを載せている。

週刊新潮は、稀に貴重な情報を載せるが、大抵は売り上げを伸ばすために、芸能人や政治家のゴシップ記事などを、数多く載せる雑誌で、

かなり嫌味である。意地が悪い(尤も、他の週刊誌も大同小異だが)。



その週刊新潮が、本日発売された最新号(7月26日号)において、

1ページを丸ごと割いて、西山千氏の生前のエピソードを載せている。125ページの「墓碑銘」というページである。

注目すべきは、記事に「悪い」話は一切載せていない。嫌味な言葉も全くない。

全て西山氏の功績、お人柄、如何に努力の人だったか、を事細かに綴っている。

西山先生の人徳、であろう。

ページの中央に穏やかに微笑む西山先生の写真が載っている。良い写真だ。

私たちの世代の人間が覚えている西山先生のイメージそのものである。


◆抜粋引用します。

アポロの時に、一緒に同時通訳を行った、「同時通訳の神様」と呼ばれ、英語を身につけるためには、とにかく音読せよ、で有名な、

國弘正雄先生。

「謙虚で努力家でした。日本語を英語は文章の構造が全く違うため同時通訳は不可能と言われた時代もありました。それを打ち破った先駆者でした」

育った環境について。編集部が書いた部分。
明治44年ユタ州ソレトレークシティ生まれ。両親とも日本人。2歳半から4歳まで日本に一時帰国したこともあり、アメリカの小学校入学時には英語が分からなかった。

ユタ大学では電気工学を学び、昭和9年に大学院を修了。翌年、日本の逓信省電気試験所に就職した。この頃には英語の方が得意で、日本語は会話は理解できても

漢字は理解不能。猛勉強で克服した。

努力の人なのだ。
終戦後、GHQが西山さんの能力を求めた。

「日本の役人が忙しいなか、GHQに呼ばれているのを気の毒に思い、最初は早口で通訳したそうです。次第に同時通訳を編み出したのは、西山さんの優しさや気配りからでした」

(日本通訳学会会長で、立教大学教授の鳥飼久美子さん)

その他、興味深い話が載っている。

私が先日書いた、視聴者が、最初は機械が通訳していると思いこんでいた話も書いてある。

しかし、何と云っても、最後の段落は、やはり西山氏を語る上で欠かせないのだろう。
かつて、バスで乗り合わせた老婦人に「生きているうちに人間が月に立つなんて、夢のようでした。それが全部あなたのおかげで良く分かりました。」

と感謝されたことを通訳者冥利に尽きると、生涯、忘れなかった。

週刊新潮さん、私のブログを読んで書いたのではありませんよね(←冗談ですからね)?


◆【バッハ】「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」より、パルティータ1番のクーラント、ドゥーブル(プレスト)

ちょっと堅苦しいかな、と思いつつ、気に入って下さる方もいらっしゃるであろうと念じつつ・・・。



クーラントです。

ダウンロード BWV1002PartitaCorrrente.mp3 (3372.1K)



ドゥーブル(プレスト)です。

ダウンロード BWV1002PartitaIDoublePresto.mp3 (3159.1K)

なんというか、この「悲壮感」が良いんです。私にはね。ただ、いつも書くとおり、好みですから。



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