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JIROの独断的日記
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2006年12月23日(土) 【号外】森麻季さんがNHK教育テレビに出演中(再放送)/演奏家による「解釈」。「野ばら」でもこれほど違う。

私が、かねて、絶賛している(リンクを貼るヒマもない)森麻季さんがNHK教育に出た番組の再放送をしています。2006年12月24日(日)19時07分現在。

以前書いた記事は、ソプラノの 森麻季という人、日本音楽史上最高の声楽家ではないかと思います。お薦めCD。と、

ソプラノの森麻季さんは世界最高水準の音楽家です。の二本です。

久しぶりに(以前の放送を録画はしてあるのですが)、森さんのお話を聞いて、真摯な人柄にもとても感銘を受けました。

しかし、音楽的な評価(はじめの記事)は、森さんテレビに出演する前のものだから、感情的な思い入れで過大評価をしているわけではない。

10月に出た新譜に関する2本目の記事も、純粋に森麻季さんの演奏に対する音楽的評価を、私の乏しい感受性を総動員して書いたものです。

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◆同じ曲を聴き比べるという話を書きました。

今月のはじめ。ベートーベンの交響曲第7番のお薦めCDという記事を書きましたが、

この時に、私は、クラシックを好きになる過程は人それぞれだが、いくつか典型的なパターンがある、と述べました。

1つ目は、ある曲を好きになったら、同じ作曲家の他の作品を聴いているうちに、段々好きになる、というケース。

もう一つは、好きになった曲を別の演奏家(交響曲なら、他の指揮者、オーケストラ。)で聴いてみる、というパターン。

勿論、この二つだけではないし、「正しい『好きになるパターン』」などありません。が、上に挙げたのはよくある典型的な例だ、ということです。

それ以前に、そもそも、無理にクラシック好きになることはありません。



ただ、2つ目の「いろいろな演奏家で同じ曲を聞き比べる」のは、よほど、ベートーベンの7番なら7番が余程気に入った人で無ければ、

実行に移さないだろうと思いました。

それで、大きなお世話なのですが、同じ曲が演奏者によってどれぐらい違うのか、もっと短い曲で演ってみました。


◆シューベルトの「野ばら」(演奏時間2分足らず)で聞き比べてみます。

シューベルトの「野ばら」は誰でも知っているでしょう。

折角なので、歌詞について、触れておきます。

日本語の歌詞は、近藤朔風氏の美しい、翻訳が有名です。

1  童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)

   清らに咲ける その色愛(め)でつ

   飽かずながむ 

   紅(くれない)におう 野なかの薔薇


2  手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇

   手折らば手折れ 思出ぐさに

   君を刺さん

   紅におう 野なかの薔薇


3  童は折りぬ 野なかの薔薇

   折られてあわれ 清らの色香(いろか)

   永久(とわ)にあせぬ 

   紅におう 野なかの薔薇

実に格調高く、かわいらしい。
元のゲーテの詞はこうなのです。
【HEIDENROSLEIN】

Sah ein Knab' ein Roslein stehn,

Roslein auf der Heiden,

War so jung und morgenschon,

Lief er schnell, es nah zu sehn,

Sah's mit vielen Freuden,

Roslein, Roslein, Roslein rot,

Roslein auf der Heiden



Knabe sprach: Ich breche dich,

Roslein auf der Heiden !

Roslein sprach : Ich steche dich,

Das du ewig denkst an mich,

Und ich will's nicht leiden.

Roslein, Roslein, Roslein rot,

Roslein auf der Heiden



Und der wilde Knabe brach

's Roslein auf der Heiden ;

Roslein wehrte sich und stach,

Half ihm doch kein Weh und Ach,

Must' es eben leiden.

Roslein, Roslein. Roslein rot,

Roslein auf der Heiden.


そして、原詞を逐語訳すると、こうなります。
【野ばら】



少年が小さなばらを見つけた

野に咲く小さなばら

みずみずしく さわやかで美しかった

間近で見ようと駆け寄って

嬉しさいっぱいで見とれた

小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

野に咲く小さなバラ



少年は言った 「お前を折るよ、

野に咲く小さなバラよ」

小さなバラは言った 「私はあなたを刺します

あなたが私のことをいつまでも忘れぬように

そして私は傷ついたりしないつもり」

小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

野に咲く小さなバラ



それなのに乱暴な少年は折ってしまった、

野に咲く小さなバラ

小さなバラは自ら防ぎ、刺した

苦痛や嘆きも彼には通じず

それは折られてしまうとは

小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

野に咲く小さなバラ

ごらんのとおり、ドイツ語の、
Roslein, Roslein. Roslein rot,

をそのまま、
小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ

と歌ったら変ですから、近藤氏は
紅(くれない)におう

と置き換えました。実に見事だと思います。

◆本題に入ります。

4人の歌をきいていただきます。

本当は、全員同じ声域(ソプラノとか、テノールとか)、調性だと、もっと「曲の解釈の違い」が分るのですが、

見つからないので、4人とも別の声域にしました。

ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノールに近い、高めのバリトン。バスに近い低めのバリトン、の順番です。

エンピツをご覧の方はこちらからお聴きください。

どうですか?

声の高さが異なるから、はじめから違って聞こえるのは当然ですが、そうではなくて、

歌い方、ということです。歌のメロディーはこの時代の曲は演奏者が勝手に変更する余地はないのですが(バロックは即興的なところがあります)、

同じメロディーを歌っても、演奏者の裁量に任されている要素があります。それが全員違うということです。



テンポ、途中でのテンポの変え方。フェルマータといって、音を伸ばすところで、伸ばし方の違い。

声の強さ。強さの変え方の違い。

割とあっさり朗々と歌う人、思いっきりロマンティックに歌う人。

良い悪いの問題ではありません。誰が一番優れているか、では、ありません。音楽の解釈が「違う」ということ。

そういう違いが、あらゆるクラシックにあるわけで、解釈によって、聴き手の印象が全くことなるわけです。

それが、クラシックの面白さの一つですよ、と申し上げたいのです。

それでは、また。


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