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2016年08月27日(土)
『YOROKOBI NO UTA 喜びの歌』

『YOROKOBI NO UTA 喜びの歌』@DDD AOYAMA CROSS THEATER

えーと自分用メモなので、全然公演の感想になっていません。ご了承ください。しかも長い。いつもか。

大人って〜、歳をとるって〜。『大人たるもの』を観た翌日にこちらです。

スズカツさんのごあいさつによると、当初は『セルロイドレストラン』のリメイクをやろうと思っていたとのこと。『セルロイドレストラン』は1996年初演、2013年にリーディング公演が行われています。『セルロイドレストラン』だったり『セルロイド・レストラン』だったりするのはたまたまか、作者のなかで区分があるのかは判らない。キャストは6人→4人→3人と減っていき、その分各々の関係性が掘り下げられる。自分が書くもののプロット展開は5パターンくらいしかない、と前述のごあいさつで言っていたけれど、その5パターンが演者によってこうも変わるか、というのを観られる楽しさもありました。古田新太=伊藤ヨタロウ=大貫勇輔、佐藤誓=中村まこと=中河内雅貴、田中哲司=永島克=安西慎太郎だったんだよというとえっ!? と思うでしょう。

いやさ、今回何にうわーとなったかというと、(リメイクなので別ものとはいえ)初演を観たときにはなんとなく「ああ、世捨て人ってこんな感じなのね、これくらいの年頃のひとがそうなるのね」とマスターのことをごくごく自然に受け入れて観ていたのが、今回「いやいやあなたまだ全然若いやん! 何おじーちゃんみたいに暮らしてんのよ、枯れ果てたみたいになっちゃって〜。あ、だから水屋なの? うるおって! ひとに水を売るんじゃなくてあなた自身がうるおって!!!」とか思ったことですよ。なんでや……マスターにあたる役を演じたのが古田さん/ヨタロウさんから大貫さんになったからかなあと思っていた。歳が全然違うもんね〜なんてな。

ところが調べてみて驚いた。古田さんがこの役を演じたのは31歳のとき。そして大貫さんは現在27歳(あっ今日(書いてるのは8/31)誕生日で28歳になったんですね、おめでとうございますー)。そんなに変わらないではないか。なんでこんなに印象が違うの……見た目? 大貫さんの鍛え上げ磨き抜かれた身体、それに動きが伴ったときの美しさ。しかもしなやかさ〜(あまりの身体の柔らかさにどよめきが起こりましたよね…てかあまりにもぐんにゃり曲がるんでもはやザワザワしてましたよね……)があまりにもインパクトあったからだろうか。だってさあ、大貫さん観てたらもうね、あなたこんなナリでなんで人生降りたみたいなこといってんのよ……と遠い目にもなりましたもん。もはや近所のおばちゃん目線ですよ。この役を直近で観たのがヨタロウさんだったので、これまたギャップがすごくてな。ヨタロウさんのマスターは一見好好爺なふりしてあーこのひと若い頃はすっごいおっかなかった筈! なんもかんもやっててたまたま死ななかったんだわ! と思わせる迫力があってそういうとこが味でした。

そんな訳で、見た目の印象に因るところが大きいのか? 演者が持つ雰囲気の違いか? と考えていてふと気付く。自分基準で観ているからじゃなかろうか。古田さん歳上、ヨタロウさんもっと歳上、大貫さんかなり歳下。こ、これか?

大貫さん演じるジンダイジ。別々の作品だと了解してはいるものの、鈴木勝秀作品にときどき顔を出すある種の人物(『教授』の彼もこの抽斗に入ると思っている)の新しい面が見えた気になりました。身体(外見)と精神(内面)のギャップ。歳をとることでいろいろ諦めるものが増える、という解釈だった前二作から、今回は彼が十代〜二十代でどれだけの絶望に直面したか、達観への経緯を想像するようになった。それは中河内さん、安西さんが演じた役にも言えた。劣勢に気付き乍らもあがき続ける人物。表裏一体の無邪気と酷薄を抱える人物。彼らの実年齢、身体が反映された登場人物たち。「勝つ迄やめない」という台詞は『ソカ』のキラーセンテンスだった。これに対して観客の反応が少なかったことも、今の時代だなと思った。変わるところと、変わらないところ。他の舞台で何度か観ている方ばかりでしたが、小劇場で三人のみという緊密な芝居を通して新しい魅力に気付くことが出来ました。観られてよかった。

そういえばこれはこじつけだけど、メインテーマの変化も興味深い。前二作の『Physical Graffiti』/「The Wanton Song」から、『In The Court Of The Crimson King』/「21st Century Schizoid Man」へ。ダンサー/コレオグラファーが出演し、躍動感あふれるシーンも用意されたステージで、観念と向き合う。歌詞は台詞にも引用されていた。既存の楽曲をアレンジ/リレコーディングするのは、DVD化が前提としてある公演だからとかなのかなとも思いましたがまあそんなうざったらしいことを考えてしまうのは当方の仕様です。大嶋吾郎の声遣いの魅力満載でした。

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その他いろいろおまけ。

・大貫勇輔&中河内雅貴&安西慎太郎出演×鈴木勝秀作・演出『喜びの歌』が開幕 - シアターガイド
・大貫勇輔、中河内雅貴、安西慎太郎が挑む鈴木勝秀の世界『喜びの歌』開幕 | エンタステージ
・大貫勇輔×中河内雅貴×安西慎太郎「喜びの歌」開幕、男3人のサスペンス劇 - ステージナタリー
・舞台『喜びの歌』レビュー&コメント|最善席
・【3.0レポート】『喜びの歌』 | 2.5news
いや〜記事がいっぱいあって楽しい!

・「ジャック・マイヨール」と「自殺」と「あちら側」 - 土偶StaticRoute
人間は進化し、海へ還る。「悟り」的なものは殆ど役に立たない。ジャック・マイヨールは本作に潜むモチーフのひとつ。思えばマイヨールが亡くなったのは2001年で、彼についてのスズカツさんのテキストが更新されたもの、初めて観たかも。網羅は出来ていないので既にあったのかもしれないけど

・『セルロイドレストラン』のテキストはこちらからダウンロード出来ます。読むのも一興
・『セルロイドレストラン』って、音楽活動を休止し主夫として暮らすジョン・レノンの家にポール・マッカートニーが遊びにきて迷惑がられ、というエピソードから発想したところもあるんでしたよね。そっから考えるのも面白い

・美術:中村公一、照明:吉川ひろ子、音響:福澤裕之はスズカツさんとは初顔合わせかな? いやー、なんというか、舞台はやっぱり演出家なのだなと思った……舞台写真一枚で「あ〜、スズカツさんの舞台だ。『セルロイドレストラン』だ」と思ったもんな。演出家のサインが入っているといおうか

・今回のごあいさつで「オッサンの戯言になりゃしないか?」と書いておりましたが、1998年の『LYNX』のごあいさつでも「おれはジジイになりかけている〜」と書いてましたよね……。そこがそんなに気になるのか…興味があるともいうか……。やー、お互い歳とったな!(バンバン)

・あとこれはしょっちゅう言ってますが、スズカツさんと松尾スズキの考え方の根っこに興味がある。『ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン』を観たときにも考えてた。神さまはどこにいるの? 神さまとの約束をどう捉えてるの? という。宗教観というより神学として、かな
・今年上演された森新太郎演出の『BENT』、私は観に行けなかったんだけど観たジェンヌとラストシーンについて話してて、そういやスズカツ演出版がああいうラストだったのはミッションスクールの出だからかねなんて言ってたんだよ〜
・自殺はしない、人生は神さまが仕組んだ罰ゲーム、しかたない、どうでもいい。ご両人にヨタロウさんが絡んでいるのも興味深い

・といえば、今回初めて具体的なことを言ったなあ。何故生きるのか。自殺しないのか。「生きるのが好きなんだ」。トム・ヨークもアンソニー・キーディスも言っていた。他にも沢山いるだろう
・「未来の瞬間のために現在の瞬間を従属させている」「一瞬はたっぷりあるよ!」うわーん



2016年08月26日(金)
『大人たるもの』

KAJALLA#1『大人たるもの』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール

小林賢太郎が久しぶりにコント公演を打つ、七年ぶりにラーメンズのふたりが揃う。アンケート記入者で大混雑のロビーなんて久々。待望、だったんだなあ。以下ネタバレあります。

開演五分程前に黒子が登場。舞台を観るにあたっての諸注意を話します。といっても黒子はジェスチャー。音声は場内アナウンス。七年ぶりともなれば、舞台を初めて観に来る新規のお客さんも多かろう。そしてここ数年で、テレビドラマで片桐仁を知って観に来たひとも少なからずいるだろう。そんなひとたちにも向けた、とても細やかでかゆいところに手の届く「舞台を観る」ことに際しての心構え。客席はお茶の間ではない、携帯で実況し乍ら舞台を観ることは出来ない。それは何故なのか気づいたとき、「劇場に足を運ぶ」ことの楽しさにも気づくだろう、気づいてほしいという信念を小林さんは持っている。それが伝われば。

舞台の隅々に迄目の行き届いた美術が、統率された演者の動きと小道具の移動で表情を変える。照明も音響も(そう、音も)とにかく絵になる。そのなかにとことん計算された狂気が展開され、計算されつくしている筈なのに演者はそれを超えていく。そして多分、作者はそれを望んでる。片桐さんといういきものの効果はやはりすごくて、安井順平の反射力の高さ、落ち着いた受けの芝居はコントのさまざまな側面を照らす。竹井亮介のどんとこいな包容力、辻本耕志の小僧っぷりも素敵。辻本さんがほいほいハンコ捺しちゃうコントの愛らしさといったら。

それにしても小林作品初参加の安井さん、いい仕事っぷりです! 安井さんのことはイキウメから知り、のちに芸人さんだと知ったので、コントを観るのは初めてだった。とにかく芝居が巧く笑いの提出方法も見事だと常々思っていたけど、ホームを見た思いすらした。医者と患者のパート、小林医師がビュンビュン投げてくる頭おかしい球を涼しい顔でスパスパ受ける安井患者にはヒーヒー笑い乍らもゾクゾクしてました。絵師の役もよかったなあ。いい出会い。

これくらいのハコでこれくらいの出演者数で、大人がスーツでコント、頭おかしくて格好いい。シティボーイズの公演を観ることが出来なくなった今、個人的にはすごいしみじみしました。これは観ている方の都合で、やってる方はそんなの知らんわって感じですよね。それでも最後の成人式コントには『マンドラゴラの降る沼』の崖コント、「一瞬はたっぷりあるよ!」という台詞を思い出してしまった。歳を重ねて死の影がうっすらしのびよってくる、それでも生きていると、楽しいことがたくさんある。歳をとったからこそ面白いこともある。第二次成人式、第三次成人式……この先何度成人式を迎えられるだろう。出演者のなかで辻本さんだけが三十代というドキュメント的な要素もあり、心に沁み入るせつなくも清々しいエンディングでした。

フライヤーが来場者にのみ配られる、独自の制作も変わらない。裏面に、ラーメンズ、K.K.P.、ポツネン、テレビで得た経験を「これから、全部ここに返します」というごあいさつと宣誓。「#1」とあるとおり、同じメンバーかは判りませんがは継続していくプロジェクトのようです。KAJALLAは冠者らか患者らか、それとも出演者のイニシャルを用いたアナグラムか。大人たちのこれからが楽しみです。

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・師匠のいない僕らが、多分師匠と呼べる人|ロビンソンズ北澤の「ゴリラじゃないよ、人間だよ」
シティボーイズが〜とめそめそ言ってたらフォロワーさんがこっそり(?)教えてくれました。繋がるところは繋がるんだなあ。大人のコントに衝撃を受けて、格好いい! と思う。そして笑いの魅力にとりつかれる。
やー、コント観続けてたのシティボーイズだけだったものでね……観られてよかった。これも読めてよかった

・『カジャラ』|安井順平 オフィシャルブログ
そんな安井jpgのブログ。手応えを感じている様子

・シュガーカットのコント、被りものの容器に貼られていたラベル? ロゴ? が公演途中からなくなったそうで。黄色い容器とその形状からマスタードかと思っていたよ……。ロゴがあったらあったで出落ちみたいになって、名乗る前に素性(…)がわかっちゃうもんなあ。難しいところです。権利がどうとかは関係ないとは思うのだが、何だったんだろう



2016年08月21日(日)
『SUMMER SONIC 2016』2日目

『SUMMER SONIC 2016』2日目

毎度のことですがとにかく暑さに弱いのでサマソニではいつもぼんやりしている。ホントにダメなんですよ暑いの……。そのうえ連夜ついついオリンピック中継を観てしまっているので、今年の出発はいつにも増してだらだらでございます。会場着は12時過ぎ。メッセをちょっとうろっとしたあと、トリに向けて続々とひとが増えるであろうからということで一度マリンへ行って様子見。[Alexandros]が演奏中で、五郎丸のビールのCM曲を生で聴けました。ラッキー。

さてMETAFIVEですよ、メッセに戻りSONIC STAGEへ。やっと観られた〜。いやあ、よかった……。日本のテクノの血筋がもうたまらん、おらあYMO育ちだとしみじみ思い知る。ユキヒロさんの声ホント好き。LEOくんとのハモりも倍音めっちゃ出てる感じで気持ちよいのなんの。といえばLEOくんめっちゃ気合い入ってる感じでかわいかったなあ。まりんも小山田くんもますますヒゲが濃くなり遠い位置からでも剃り跡が判るくらいでした。往年のびしょうねんもいい感じに大人になりました。最後は水原佑果さんも登場、んもうっお洒落! しばし暑さを忘れてニコニコ(メッセは冷房入ってるしな)。

METAFIVE終了後通りがかったSIDE-SHOW MESSEには丁度A応Pが出ており、『おそ松さん』の主題歌「全力バタンキュー」を生で聴けました。またまたラッキー。

マリンに戻る道すがら、屋台で習志野商工会議所青年部出店の習志野ソーセージを買う。17時過ぎにやっと初ソニ飯ですよ! おいしかった〜。なんでも第一次大戦中習志野にあった俘虜収容所にいたドイツ人から教わったレシピとのこと。屋台の並びにあるISLAND STAGEではSultan Of The Discoが演奏中。日本デビューが決まっているそうで、日本語と英語を交えたMCも楽しい。陽気なディスコサウンド、ファンクでポップで面白かった! 捕虜から伝わったソーセージを食べ乍ら観る、ミリタリーファッションで唄い踊る韓国のバンド。この子たちこれから兵役なのかな、それとももう終えたのかななんて考えてしまった。なんというか、こう…平和っていいなあと思った……。

前日は雨でいろいろたいへんだったそうで、今日も天気が怪しいのでマリンは屋根のあるスタンド席を確保。ほぼ正面。サカナクションの時点でアリーナもスタンドもほぼ満杯、シェー。これはもう動けんな……。とそのままサカナクションを観る。終始アゲアゲで盛り上がった。和太鼓集団や舞妓さんも出てきて楽しかったです。

さあRadiohead。弦の入った「Burn the Witch」とかどうすんのかなと思っていればバンドサウンドでやりきった。5曲目迄新譜から、曲順もそのまま。攻めますなあと思っていたらそっから「2+2=5」、「Airbag」ときたもんだ。以降はもう、ちょっとなんなのこの出血大サービスってな感じでした。個人的には「Airbag」でふんぎゃー! となって、アンコールの「Nude」〜「Creep」ではもう笑いしか出なかった。実際ゲラゲラ笑っていた。てか「Airbag」は久し振りすぎて「Planet Telex」と間違えてツイートしたくらいです。バカ。「Creep」はアンコールの時点で「あるか? くるか?」てな雰囲気がありありで、「Nude」のあとジョニーが一音をチェックのようにつま弾いた時点で「あ、ひょっとしてひょっとして」「やっぱり? やっぱりなの?」てな圧がすごくて、イントロが始まったらもう喰い気味で怒涛の阿鼻叫喚でしたよね。待ってた感半端なかった。二度はないだろうと思っていたけど、思えば前回は13年も前だ。このso fuckin' special感、しかもストレートに期待に応えるという茶目っ気。大人になったんだなあ。肩の力が抜けたとも言おうか。いいことじゃないか、長生きはするもんだよ。「Let Down」も聴けて嬉しかった。ひっそり涙ぐみました。納涼。

ワンマンなみの長尺だったけどステージは遠く(モンスターバンドとはいえRadioheadのワンマン来日でスタジアムの選択はないだろう)、アーティスティックな照明はメンバーの姿を光と色に紛れ込ませる。ステージサイドのヴィジョンも同様。ブート対策かなあ、サカナクションのときはキッチリ映してくれたのに〜。メンバーの表情を目にすることは出来なかった。トムもジョニーも日本語どんどん習得してて、ふたりで日本語で話したりもしていて楽しそうなのは伝わりました。ほんと発音いいよね! 耳がいいんだろうね。ジョニーは随分早くから来日していて、『JUNUN』上映中の目黒シネマにも来たそうです(来場時つぶやいた日本語がまたかわいい)。企画したひとよかったね!

しかしこのクロニクルっぷり…トムのプライベートについても考えてしまう。長い道のりだったのだろう。帰り道、最後にワンマンで来たのっていつだっけと話していて、2008年か、と。日本にはその後フジに来たりAFPで来たりTMBで来たりしているけど、Radioheadがこんなに続くとは正直思っていなかったな。こんなに怪物バンドになるとも。これからも聴いていきたい。そろそろワンマンの緊密さで観たいなというのが本音です。

終演後の花火を笑顔で眺める。天気はもった。バンドのメンバーもステージ裏で同じ花火を見上げているのだろう。来てくれて有難う。

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セットリスト(setlist.fm)

01. Burn the Witch
02. Daydreaming
03. Decks Dark
04. Desert Island Disk
05. Ful Stop
06. 2+2=5
07. Airbag
08. Reckoner
09. No Surprises
10. Bloom
11. Identikit
12. The Numbers
13. The Gloaming
14. The National Anthem
15. Lotus Flower
16. Everything in Its Right Place
17. Idioteque
---encore---
18. Let Down
19. Present Tense
20. Nude
21. Creep
22. Bodysnatchers
23. Street Spirit (Fade Out)

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広い広いマリンスタジアム。ブンブンはこんな大きなところで演奏したのだなあと何度も思う。ついこのあいだのことのようだ。フジでも同じことを思った。これから何度も思うことだろうし、何度でも思い出したい。



2016年08月09日(火)
飴屋法水 本谷有希子 Sebastian Breu くるみ

飴屋法水 本谷有希子 Sebastian Breu くるみ@VACANT

「こんにちは、本谷有希子です」。

語りはじめるのは飴屋さん。芥川賞を受賞して変わった自分の身のまわり、夫について、こどもについて。取材の際に受けたなんともいえない扱い、それを自分のなかでどう処理すればいいかの戸惑い、出産の描写。いつのまにか語り手は本谷さん自身になっていく。本谷さんが語る自分とこどもの関係性、出産のとき「つかみそこねた」ものについての言葉にひっかかりを覚える。終盤、飴屋さんはその部分について本谷さんをとことん追及する。「僕やくるみを巻き込まないでくれる?!」と飴屋さんは叫ぶ。その激しさに気圧されたかのように、本谷さんは言葉につまり、発語が怪しくなる。舞台中盤、くるみちゃんが唄った「(本谷さんが)焼肉屋でバイトしていたとき失語症になりかけた、いや、どもるようになった」歌がフラッシュバックする。か、か、カルビ。き、き、キムチ。ま、ま、マッコリ。

自分が書いた台詞を自分で発することを選んだ本谷さん。舞台に立つのは初めてだ。役者を通さず、自分で話す。そんな彼女は飴屋さんとのマイクバトルでぺしゃんこにされる。言葉を扱うことの怖さ、それを書いて生きていくことの怖さ。その姿を舞台上で晒したことすら彼女の作品についてよく評される「肥大した自意識」を感じたのは事実だが、実際に(おそらく)傷付き涙を流す姿迄観客の前で晒したことには、書き続ける腹が据わったのだろうなと思い、演劇に対する意欲(飴屋さんいうところの「熱」)が感じられるものであった。同時に、彼女がまた舞台に立つことはあるだろうか? と思った。

「フリードリヒ二世の実験」については初めて知った。「孤児」「二年以内に死亡」と言及があったので、このリンク記事によると劇中紹介されたのはルネ・スピッツが行った実験とミックスされたものであると思われる。芥川賞は茶川賞になり、本谷さんのこどもの名前は「なに」になる。このあたりの混同は意図的かもしれない。(誤読や混同も含む)コミュニケーションを一切排除すると生きものはどうなるか、という話でもある。母語が日本語ではないセバの話す言葉が心に沁み入るのは何故なのか、セバが双子の兄と話すふたりだけにしか通じない言葉が、しばらく離れると通じなくなったのは何故なのか。「チュッチュのはむはむにて」をくるみちゃんが知らないのは何故なのか。

親離れ、子離れの話でもあるなと思った。常々飴屋さんが言っていることから全くぶれていない。いつのまにかくるみちゃんはいなくなっていて、飴屋さんはくるみちゃんより早く死ぬ。「絶対」に受けとめるから目を閉じたまま飛び降りて、という飴屋さんの言葉にくるみちゃんは動かない。飴屋さんはその言葉を発し乍ら「絶対」に受けとめられる場所にはいない。セバが受けとめるというとくるみちゃんは飛び降りる。セバはしっかりとくるみちゃんを抱きとめる。動物は「今日から私たちは別々に生きていきますよ」なんて宣言しない。ある日突然目の前から消えてしまうのだろう。こどもについて「はじめて自分につながるものが出来た」(記憶で起こしているのでこのままではありません。ニュアンスとしてはこんな感じ)と表現した本谷さんは、こどもとどうやって別れていくのだろう。

タイトルはないが、このひとたちの名前がタイトルだともいえる。言葉の話、名前の話。言葉を使うことでコミュニケーションを図る、ということ。どんなにそれが困難でも、そうするしかないということ。言葉は死んでいく。使うひとがいなくなることと、忘れられることで。飴屋さんは、死んでいく言葉たちを葬るための穴を掘る。いくつかの言葉を「これはまだ使いたい、残したい」と選別していく。そんな言葉と名前を、信じてみること。「絶対」と「かもしれない」を追究しつづけていくこと。言葉を使うことでコミュニケーションが生まれ、他者を信じてみることが出来る。

企画は昨年二月に生まれたようだ。本谷さんのお子さんが生まれたのは昨年十月、芥川賞を受賞したのは今年一月。この作品は今年八月にしか出現しえない作品になった。VACANTの空間がまた忘れがたいものになる。本谷有希子が参加した『教室』のようでもあった。

当日パンフには大きく「ようこそ」の文字。終演後、外に出ると八月の雪。くるみちゃんが退場する観客たちを「ありがとうございました」と見送ってくれる。ようこそ、ありがとう。生まれてきたものへの祝福と、おもてなし。