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2016年07月31日(日)
『シン・ゴジラ』(TCX)

『シン・ゴジラ』(TCX)@TOHOシネマズ新宿 スクリーン9

ウアアアアア〜一刻もはやくリピートしたいのに今月前半は一年でいちばんの繁忙期なのでした。ロングランは間違いないと思うのだけど期間限定のIMAXに間に合うか〜。てか大きなスクリーンのうちに何度でも観たいヨー!

以下ネタバレありありなので、これから観ようと思っているひとは読まない方がいいです。webやらなんやらのテキストであらすじやみどころを知るより、スクリーンの前で初めてそれを前にして「えええ!」とか「ぐああああ!」となる貴重な体験を逃すのはもったいないですよ! 観るといいよ〜ホントに〜としか言えない。

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ゴジラ知ってるよね〜、あのゴジラがまた来襲したぞー! というシリーズ概念ではありません。巨大不明生物が東京に現れたら? 初めて体験する未曾有の危機に、ひとびとはどう対応するか。対応に追われる政治家たち、現場に赴く自衛隊員、打開策を模索する研究者たちに焦点が絞られていて、極めて機能的にストーリーが進む。まさに「現実(ニッポン)対 虚構(ゴジラ)」。被災者の描写は最小限に留められ、感情がそちらに揺れるのを抑えている。

震災以降でなくては生み出せなかった作品。ある意味「3.11」のシミュレーションでもあり、ゴジラは原発を象徴するものとなっている。あのときああだったら、こうすることが出来たら。という願いのようなものであり、同時にそうしたひとたちは少なからずいたのだ、というしらせにもなっている。皮肉は利いているが過剰な揶揄はない。幼生のゴジラ(てか成長するって考えてなかったんですごいビックリしたよ! キモいよ、でも途中からかわいく見えてくるよ! よだかみたいな顔だよ!)が上陸する描写は、当時何度も目にした津波で押し流される船の映像が明らかに参考になっているし、瓦礫化した都市の様子も同様だ。転んでもただでは起きない、クリエイターのタフネス。非常時(を経た)エンタメに何が出来るだろう? の答えだ。あれから五年、こういう形で還元されたことに胸が熱くなる。スクラップアンドビルドだ。「その後」がこう描かれた。

技術力、解析力、交渉術。軍事力、核使用に対してどういった態度をとるか。あと何日、あと何時間。カウントダウンが迫るなか、極限の状況に立たされたプロフェッショナルたちの奮闘に心が沸き立つ。そして信じる力。終盤、自分たちの研究や技術ソースを盗まれてしまうと危惧する部下に対して上司が穏やかに放つひとこと、「ひとを信じましょう」が胸に迫る。

オールスターキャストもいいとこで、あのひとがこんなところに! あのひとがあの役を! といちいち驚くだけでもお腹いっぱいになるんですけど、思わぬところに舞台人が配されていて、それに気付く楽しみもありました。河野洋一郎が(結構偉いひと)! 小林隆が(あの落ち着いた声の説得力)! と中盤迄はアワワアワワとなりっぱなし。あのー元ネクストの小久保寿人がどこに出てたか判ったひとは教えてください……。ANIもどこに出てたか判らんかった。そして野村萬斎、知ってから観たけど初日に情報なしで観たひとは「ど、どこよ?!」て思っただろうなあ(笑)。ひいきとしては、塚本晋也(の役)がちょーアナログな解析をするところにグッときた。あの図面、自分で描いたんじゃないかなーと思わせられちゃう、塚本さんの描く絵コンテそっくり。そして鋼の無表情を貫き通していた市川実日子が最後の最後に見せる表情がとても効いてる。高橋一生の「ごめんなさい」もよかったです!

ストーリー展開にも出演者にもほわああああ! ほわああああ! となりっぱなしなんですが(あんまりすごい展開になると笑うよね…クライマックスの在来線のあれとか……)、何がすごいってゴジラの迫力ですよ。デカい! 怖い! 絶対かなわねえ! 序盤の幼生はとにかく気持ちわるいやら怖いやらで最初ゴジラってわからんかったもんね…え、これゴジラ? てなもんで。駆除段階になってくると、たまたま来ちゃったのに可哀相……と思えてくる。見慣れた東京の風景にゴジラがいる、という画ヅラにとにかく興奮します。ウチの街にもくる〜と思って楽しみにしてたんだが来なかった。ちょっとさびしかった。正直蒲田のひとがうらやましかった。来られた方はたまったもんじゃなかろうが。

ちなみにマイファーストゴジラでございました。人形やおもちゃは持ってて音楽集も愛聴しているのに(てか今回の鷺巣詩郎/伊福部昭のOSTも素晴らしくてなあ、CD買おうとしたら軒並み売り切れで配信もないので今のたうちまわっています。はよ再入荷してくれえええ)映画本編を観るのは初めてというね……そして『エヴァンゲリオン』シリーズも観ておりません。庵野秀明監督作品は何故か『ラブ&ポップ』だけを観ている。庵野さん、どっちかというと役者として観ているものの方が多いわ…『監督不行届』も愛読しているし……。試しに調べてみたら『茶の味』『恋の門』『さくらん』『クワイエットルームにようこそ』……あとなんたって『キャッチボール屋』に出てましたし! 映画人に信頼され、愛されている人物なのだなあというイメージでした。やっと監督作品を観ることが出来た。何故映画人に愛されているか、観客に熱狂的に支持されているかを垣間見られたような気がしました。そしてこのホンに変な気を遣って自粛を求めたり口を出したりしなかったスポンサーにも拍手を贈りたい。マイファーストゴジラがこの作品でよかった!!! ゴジラのお膝元? 歌舞伎町TOHOシネマズで観たのもイヴェント感あって楽しかった!!!!!

はあはあはあ、細かいところの好きがあってあってありすぎるがキリがないのでとりあえずはこれにて。はやくリピートしたいよー!!!!!

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読んでわあわあ頷きまくるレヴューをいくつか紹介。

・『シン・ゴジラ』、現実対虚構、そして泉修一保守第一党政調副会長の良さについて - From The Inside

・『シン・ゴジラ』レビュー 〜 『シン・ゴジラ』を劇場で観るべき、たった1つの理由 〜 | 瞬きて、視覚

・『シン・ゴジラ』は日本の何を破壊する? 庵野秀明監督が復活させた“おそろしい”ゴジラ像|Real Sound

・虚構と現実は逆転する――『シン・ゴジラ』感想 - 日々の音色とことば



2016年07月30日(土)
『ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆』

『ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆』@シネマート新宿 スクリーン1

ファン・ジョンミン出演作。原題は『히말라야(ヒマラヤ)』、英題は『The Himalayas』。監督はイ・ソクフン。ジョンミンさんとは『ダンシング・クィーン』以来の顔合わせ。以下ネタバレあります。

もう沖田くんみたいなひとが沢山出てくる……(特定の世代にしか通じない感想)。「こんなとこにはいられない、俺は山に登りにきたんだ」的なこと言うんだもんよ〜!!! はい、『生徒諸君!』は沖田くんがいちばん好きでした。沖田くんの後輩野々宮くんのことも思い出したよね…いやもう十九やハタチであんな…もう……。家に帰る迄が登山です! でも帰らせない自然の恐ろしさというものがあるのです! 

はあはあはあ、取り乱した。実話を基にした作品ですが、登山家たちの絆を甘くも苦くも描いたものでした。見返りも名誉も求めない、純粋な仲間への思いから発した計画は完遂されない。フィクションならば、きっと遺体は下山させることが出来ただろう。実際映画なのだから、そうしてもよかったかもしれない。しかしそうはしなかった。

序盤はまだ甘いのです。遺体を置いて帰るのはいやだと駄々をこねる大学生、それをつい助けてしまう登山家。ひとならば、情があるならば。といった部分が見える。しかしやがてそうも言っていられない事態に、登場人物は直面していく。ザイルを切ればひとりが助かる場合、切るか。大荒れの天候の中、道を見失った仲間を救助に行くか。遺体を下山させるか。彼らは決断を迫られる、常に命懸けの決断を。自然は厳しい。人間の祈りなど、全く意に介さない。誰も責めることは出来ない。無傷で帰れることは少ない。仲間は何人も死んでいく。見送る家族の心情たるや。それでも山に挑んでしまう。山に魅入られるということは本当に恐ろしい。

「山は征服するものではない。登山家は征服するなんて言わない」。山への畏怖と魔力が描かれた映画でもあった。

撮影も困難を極めただろうなと容易に想像がつく迫力。凍傷で赤黒く腫れ上がった鼻などはメイクだろうが、雪焼けやさかむけ、切れて血の滲んだ唇などはそのままだったのではないだろうか。演技の域を超えた疲弊が伝わってくるよう。途中ジョンミンさんの声がガッラガラになっている場面があって、もはや演技でどうこう出来る範囲じゃないだろうから、ホントに風邪ひいたりしてたいへんだったんだろうなと思いました。回復を待っていられないスケジュールだったのだろうなあ…いやもうおつかれさまでした……。スクリーンに映っている人物を見ているだけでもそうなのだから、カメラの後ろにいたスタッフの苦労もついつい考えてしまう。映画を撮るって本当に大変……という思いが先にたち、ストーリーにのめりこめなかった部分も正直ある。ストーリーを吹き飛ばす程の、自然の脅威が捉えられているともいえる。もうね、これを撮ろうと挑んだスタッフとキャストにただただ拍手です。

真夏に観るとある意味納涼です。本国では真冬に公開されてたなー。た、たまらん。

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・輝国山人の韓国映画『ヒマラヤ 地上8,000メートルの絆』
作品紹介、データベース。いつもお世話になっております!

・tumblr(20160110)
4〜8枚目、一月の韓国旅行で偶然通りかかった東大門のタッカンマリ屋さん。『ヒマラヤ』のポスターやらなんやらが貼ってあって、公開前の番宣とかで来た店なのかな〜と思っていたらロケ地だった。だいじな場面で何度も出てきたとこだった。
ちなみに1〜3枚目は街中で流れていた『검사외전(検事外伝)』の予告CMなんですが、本日映画館で観た予告編では『華麗なるリベンジ』という邦題になっておりました。ず、随分……。ちなみに英題は『A Violent Prosecutor』



2016年07月25日(月)
『FUJI ROCK FESTIVAL '16』3日目 その2

■RED HOT CHILI PEPPERS(GREEN STAGE)

思い返せばフジのRHCPは皆勤している。思い入れがありすぎて話し始めると気持ち悪いことになるのでそっとしておいてください。

ライヴの出来自体はなかなか微妙でした。んがーいろいろな要因があるなあとも思うわけです。音量がちいさく、音圧も低かった。これはバンドの、あるいはPAスタッフの意向でもあるのかもしれない。新譜『The Getaway』に、音圧が必要とされる曲はあまりない。ジャムによって音の位置取りを探りあうプロセスが日常の彼ら、間合いが魅力の曲も多い。もともと音の物量で空間を埋め尽くすタイプのバンドではない。ナヴァロ在籍時はその傾向があった。それはそれで好きなんですよ〜てか自分ナヴァロ期すっっっごい好きなんですよ〜。マッチョやジョークでかためた鎧を脱ぐきっかけを与えたのはアンソニーの個人的な作品だった「Under The Bridge」をバンドの曲として採用したリック・ルービン、その後シリアスな面を前面に出すようになったのはナヴァロの存在が大きいと思う。あの時期バンドもたいへんだったしね……。

閑話休題。なんていえばいいか……『Californication』以降の彼らは音の隙間に哀愁を感じさせる、ウェットとは程遠い乾いた空気が魅力だ。それが極まっているのが今回の新譜で、個人的にはドハマりだった。リリースされてからライヴ当日迄何度リピートしたかしれない。これからも長く聴いていく予感がしている。歌詞も訳詞も繰り返し読んだ(アンソニーの詞、読むのも好き〜)。で、読んでみると、内容が相当暗い(と感じる)。メロウだけどウェットじゃない、カラッカラの心象風景。この「誰にも理解されない」孤独感、アンソニーの気難しさがますます増しているようにすら思う。それが魅力になっている(と感じるファン)。そしてアンソニーは歌を手に入れた。もともとの美声に喉の強さ、ピッチの安定感が加わり、しかもそれが年々円熟味を増している。いくつになっても成長するものなのだなあと思う。

で、新譜の曲のよさは爆音で伝わるものかというと、そうではないなあと。過去曲とのバランスが難しい。

ジャム〜新譜の曲からスタート、この愛想のなさとは裏腹に、演奏の安定感は鉄壁。セットリストは今回のツアーからするとレアだったようだ。一曲目が「Goodbye Angels」というのも珍しいというか初めてじゃないか? なんとなく歌詞に「カミカゼ」と入ってるからかなあなんて思う。アンソニーそういうとここだわりそうじゃないの……ちなみにフジの前、韓国のフェスに出ているんですがそこでは「Soul to Squeeze」やってるんですよ(余談ですがウチの日記のタイトルはこれの歌詞から拝借してます)。Shuichiさんにソウルとかけてんですかね〜と言われて笑ったが、あながち間違いでもないような気がする。ちなみにアンコールの「Dreams of a Samurai」はフジがライヴデビュー、これもタイトルからして初演を日本にとっといてくれたんじゃないかなといいように考える。が、その「〜Samurai」でマイクトラブル。そこから悪循環、アンソニーがキレてマイクを捨て(でも最後迄唄いきったところは真面目ねと思った)チャドの機材迄壊す(笑)。苦笑、どよめき、ど、どうなる。このひとほんとこわいわ〜。そこが好きだわ〜。その後マイクを交換しての第一声、「check!」。ギャー格好いい! 怖いけど素敵! ちゃんと最後迄やってくれてよかったですよ……。

極端にジョシュの音がちいさかったり、途中から大きくなったり、というPAのまずさは確かにあった。「Go Robot」ではサポートを加えてツインベース(! ギターじゃなくてよ! フリーがいるバンドでよ!)といった編成もあり、可能性を探っている様子も窺えた。そしてフェスのヘッドライナーという立場上、観客の期待しているものは圧倒的な音量と熱量、そして鉄板のセットリストなのだろう。この相容れなさが微妙な空気を生んでいたように思う。ちょっと距離のあるところから観ていたので、それがより感じられたというだけで、モッシュピット周辺では問題なかったんじゃないでしょうか。そして個人的にはいろいろと感極まって楽しんでいたので、なんだかんだでいい思い出です。

途中アンソニーが「君たちの後ろにはビューティフルな山々が〜」とジェーンズアディクションがフジに出たとき(2002年)ペリー・ファレルが言ったようなことを言い出してにっこり。フリーもビューティフルって言ってたな、うれしかった。ジョシュもサマソニで観たときよりグンとバンドになじんでいたし、要所要所で場を盛り上げようとするフリーとチャドのふるまいにもジーンときた。「Parallel Universe」のときだけリストバンドをするフリー、ジャムで向き合うフリーとジョシュ。天衣無縫にふるまうアンソニー。彼らは現状に留まらない、チャレンジし続けている。それを観られたことがうれしかった。

PAの話といえば、帰り道近くを歩いていたひとが「アンソニーはあんなにいい声なんだから、もっと大きな声で唄えばいいのに!」と言っていてブハッと吹きそうになった……いやそれ声量というより音量の問題だからとか、おかあさんか! とか。そういえばアンソニーは夏休みの小学生みたいな格好でしたね、Tシャツにハーフパンツにキャップ。Tシャツの肩口にはクッキリアイロンの線がついており、おろしたて? みたいな。特別の日には新品をおろすんだ〜みたいなところがまたかわいいねと思ってしまうつくづくバカなファンです。

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セットリスト(instagramsetlist.fm

01. Intro Jam
02. Goodbye Angels
03. Dani California
04. Scar Tissue
05. Dark Necessities
06. Parallel Universe
07. Otherside
08. Look Around
09. The Getaway
10. Californication
11. Go Robot
12. Under the Bridge
13. Detroit
14. By the Way
Encore
15. Dreams of a Samurai(Live debut)
16. Give It Away

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・Red Hot Chili Peppers - Pinkpop 2016

おまけ。今回のフェスツアーのなかでもかなりよい出来と思われるPINK POPの映像がフルであがっているので張っておく〜、おすすめ〜。RHCPてむか〜しからPINK POPと相性いい印象。これソフト発売してほしいな〜。アンソニーがベース弾いたりてへぺろしたりという意味でもおいしい。

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その他。

・なんとシャトルバスの最終が一時間早まっていた。昨年迄ずっと26時だったのに25時に! 宿が越後湯沢なので乗り遅れたらかなわんと急いで乗り場へ行くと、何故か全然混んでない。待ち時間もほぼない状態で越後湯沢に着いたのは23時台。なんでや……例年はグリーンのヘッドライナー終了後すぐバス乗り場に向かっても長蛇の列で、宿に辿り着くの27時前とかなのに! あああこれならBATTLESも電気も観られたかもおおお

・てな感じで今年は待ち時間が全く読めなかった。会場自体はどこも混んでたんだけどどういうこと……自家用車で来てるひとが多かったのか早めに帰るひとが多かったのか。しかし毎年バス待ちの消耗が大きいので(特に往路。炎天下のなかずーーーと並ぶから)随分助かったなあ

・消耗といえば、オレンジカフェ跡地のテント+椅子にはほんと助けられた。遮熱テントだったので入るとかなり涼しい。すごい助かった! オアシス! 無謀な場所取りもなく、皆しばらく休憩したら譲り合って場を離れるしよかったなあ。オレンジコートがなくなったのはさびしいけどね……

・アーティストグッズショップが場外になっていたのはちょっと不便。目当てのステージの合間にちょろっと寄ることが出来なくなってしまったのでなあ。到着したてのときは観たいステージのために急いでいるし、合間にわざわざ場外に出て体力消耗したくないし(これ結構重要)、帰るときは閉まっているし。ジョシュがステージで着てたRHCPロゴ入りパーカーとかあったのかなあ

・OASISへの橋が復活してた! やっぱここあるとないとでは大違い、助かる〜

・お昼ごはんはルヴァンのカットチーズ(これ大好きー)、おやつに今年もいた! Ben & Jerry'sのチョコファッジブラウニーアイス(お店のひとも感じよくて好きー)、夜ごはんはOASISのつけパンのお店(ベーコンクリームシチュー+ふわふわ白パン)。ここ初めて食べた、おいしかった〜
・OASISのおにぎりやさん、クロワッサンソフトのお店は今年もおらず。出店やめちゃったのね(泣)。アヴァロン、FOHの辺りはほぼ変わらず。暑いと食欲がなくなるので飲んでばかり、一日参加だと食事の回数も少ないので行けなかったお店も多いな。朝霧シチュー食べ損ねたの何年振りだろう(泣)

・雨が殆ど振らなかったので砂埃がすごかった、鼻の中真っ黒
・暑いのにタイツなんか履いてられるかと思っていたとしよりですが、今回初めて涼感レギンス履いてみたらすごい快適だった。脚の疲れもとれやすかった気が。ぶ、文明!
・一日参加だったからってのもあるかもしれないけど、前述のバス行列の短さ、オレンジカフェ、レギンスと、いろいろな要素が重なって例年よりボロボロにならなかった。毎年こうでありたい……

・帰りの越後湯沢駅でお土産を物色していると、柿の種のお店に「RED CHILI使用! HOTでPEPPERな味わい!」てなPOPが。ちゃんと出演者把握されてるんですね(微笑)

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ブンブンのライヴを最後に観たのが昨年のフジ。あれからもう一年経ったなんて信じられないなと何度も思った。帰りの新幹線では熟睡、地元への電車に乗り換えて、iPadで孫にポケモンをとってあげてるかわいいおばあちゃんの隣に座ってまったり帰ってきました。楽しかった、また行けるといいな!



2016年07月24日(日)
『FUJI ROCK FESTIVAL '16』3日目 その1

今年は最終日のみの一日参加。20周年というか20回目だそうで、毎年必ず行っている訳ではないけど感慨深いものがありましたよ〜。何回来ても楽しいものです。そして何回来ても慣れないものです、今年はこれ迄の経験があんまり役に立たなかったよ(笑)。先が読めねえ!

昨年と同じ時間の新幹線で出発。意外にもそう並ばずシャトルバスに乗れた、待ち時間20分くらいじゃなかったか? 例年は1時間以上あたりまえなのになんでや……と思ったものの、会場が見えはじめてからの渋滞がなかなかのもんでジリジリ。リストバンド交換所の場所が変わっておりおろっとなるがこちらもほぼ並ばず。ここでポンチさんが「BO NINGEN頭から観られるかも」。なんですと、ホワイトへ直行だ! グリーンのMARK ERNESTUS' NDAGGA RHYTHM FORCE(アフロビートですげえ格好よかった。Konono No.1のリミックスとかやってるのね〜ということはバラカンさんも観てたかな?)を横目に急ぐ急ぐ。そういや2CELLOSも観たかったんだった…よ……フェスの宿命、被り悲しい。

■BO NINGEN(WHITE STAGE)
という訳でトップから観られましたよ、なんてラッキー。丁寧なごあいさつからスタート、朝イチとかしらんがななハイテンションの演奏と叫びに目も覚めますな! 思わずスピーカー前迄行ってしまいましたよ。耳がやばい、今日こそはとちゃんと準備してきた耳栓が早速役に立った。耳が痛くなる要素の音をカットする感じなので、演奏はしっかり聴こえます。
で、落ち着いて(といっても盛り上がり乍ら)聴いてみると、メロディの優しい曲が多いこと。童謡やわらべうたのような……郷愁を誘う東洋のふしまわし、この辺りも海外のひとたちが惹かれる所以なのかもしれないなあ。などと思う。疾走するリズムと地を這うベースに乗るこのメロディ、ノイズの海から浮かび上がる美しい声。終盤の「NATSU NO NIOI」では、その歌心で阿鼻叫喚だった聴衆をだまらせよった。野外でホワイトであの静けさ、これは滅多に体験出来るものじゃない。そこへ涼やかに響き渡るヴォーカル……めちゃめちゃ暑い時間帯だったのに鳥肌たちましたよ! 開きっぱなしだった毛穴が一瞬引き締まりましたね! BO NINGENは美容にもいいぞ!
ヴォーカルのtaigenくんはエモさに拍車がかかっておりかなり感極まっておりました。「NATSU NO〜」では泣いてしまったらしい。あああしかしdCprGの時間が迫っているのだった、「最後の曲を〜」と言いだしたところで離脱。なんか客んとこに飛び込んでエラい盛り上がったそうで。あああ〜また会える日を楽しみに!

■dCprG(FIELD OF HEAVEN)
フルで観ないわけにはいかなかったもので……アリガスと田中教順最後のステージです。アリガスは完全に引退、田中ちゃんもドラムから引退(という言い方だったのでなんかしら音楽には関わっていくのかもしれないと希望を持つ)だそうで、人生いろいろ。しみじみ。
FOHに到着すると、既にメンバーが出てきてサウンドチェック中。チェックし乍らも演奏がはじまっていく、曲がはじまっていく。「各自適当に合わせてって〜」という菊地さんは上下黒のトラックスーツでラブハンドルが三周くらいついている。太る宣言しただけのことはあるね〜と思う。それにしてもコロコロした小学生みたいな風情よ、体型が。おしりふりふりがアヒルのようでかわいかったです。そして髪型と帽子が岸野社長みたいになっていた。
「演奏後にメンバー紹介はしないので、今やっておきます」と全員を紹介。このあと一回ひっこんで、さて本番。「おはようございまーす!」とごあいさつ、迎える大歓声。しかし「おはようございまーす! おはようございまーす! おはようございまーす! おはようございまーす! おはようございまーす!」と繰り返し続けるのでなんだかざわざわしてくる(笑)。うひゃひゃ、とあの笑い。「ねっむくてしょうがない!」。笑いがとまらない、「じゃあ、あの(笑)みなさん熱中症に気をつけてください(笑)」。そして、Eの連打。「Ronald Reagan」だ、再びの大歓声。
大儀見さんの髪が伸びてますますジョージ・クルーニーに似ている。菊地さんでなくとも俺、生まれ変わったら大儀見になる。と言いたくなる男前っぷり。高井くんはソロ待ちにマンガを読んではいなかったが欠伸はしており、研太さんと坪口さんはバカンスでリゾートにきたさわやかインテリのよう。アリガスと田中ちゃんはえっ、こうっすか? こう展開するんすか? とコンダクターとの間にしか生まれえない交感に相好を崩しっぱなし。もはやエロい。田中ちゃんと千住くんのアイコンタクトも最後だ。類家くんのtpは刃物のよう、リスのような左の頬袋も本日はより膨らんでおるように見えます。ソリストたちは汗をかき(ヘアメイクバッチリの大村くんは汗ひとつかいていないようには見えたが)、頻繁にポカリを口にし、そしてバッキバキのソロを放つ。合間に聴衆を撮影する。大声で応える、手を振って応える。うだるような暑さなのに頭が冴えまくる。
演奏はガチで素晴らしく、しかし持ち時間50分なので(「Catch22」一曲分じゃねえか)ブラッシュアップされた構成。ところどころ綱渡りのようなところもあり、ジェンガやってるみたいだった。そんなスリルが増せば増す程プレイヤーたちは楽しそう。
「Circle/Line」の前半は初めて聴くようなリズムパターンになっていた。このときの研太さんのあんたら何やってんのという顔がみものだった。導入が相当危うかった「Hard Core Peace」、アウトロは坪口さんと小田さんが前に出てきてソロ合戦。小田さんはショルキー仕様でない有線のkey(ちっちゃいやつ)を持ち上げてきたもんだからシールドがからまりまくって前半は演奏出来ず(笑)その間坪口さんが弾きまくる。菊地さんはゲラゲラ笑ってる、多分ずっと笑ってたんだろう。「菊地ー!!!」ガラの悪い客が終始叫んでる。目をやれば結構な年配な方。ジャズオヤジだね〜。
このガラの悪さ、このカオス。一触即発。これぞ、という感じで最高でした。演奏を終えたプレイヤーたちは固い握手、ハイタッチ、フィストバンプ、笑顔、笑顔。「イキのいいメンバーを見つけたらツアーに出る。そのときはすぐに報告します」。待ってます。
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セットリスト
01. Ronald Reagan
02. Playmate at Hanoi
03. fkA
04. Circle/Line〜Hard Core Peace
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帰宅後菊地さんのブロマガ読んでちょっと涙ぐんだ(エモ)。ホントこのひとの現場を活写する筆致にはヤラれてしまうな。

はああ〜会場についてから怒涛の2アクトでしたよ、ひとまず休みましょ。おやつを買って、オレンジコート跡地はどうなってるのん……とさらに奥地へ。更地にテント、椅子とテーブルでいい休憩所になってました。同じエリアにあるCafé de ParisとBUSKER STOP、SLACK LINES、STONED CIRCLEを見物。ここはのどかでなんだかんだと例年来てしまい、まったりしてしまってなかなか下山出来ない(笑)。当日飛び入り参加OKのアトラクションばかりなので、外国人の方が法被姿でうれしそーに和太鼓叩いてたり、親子が網渡りしてたりとお祭り広場のようで楽しいです。

■はちみつぱい(FIELD OF HEAVEN)
チラ見。K一さんがいる〜。「塀の上で」を聴けた! 世代ではないので矢野顕子のカヴァーの方がなじみなのですが、オリジナルをいい環境で聴けてじわっときた。ときおりヨタロウさんみたいな声がする…と思ったらK一さんと武川さんのハモりで、やっぱ似てるねというか、ヨタロウさんのルーツでもあるからねとか話す。ドラムがかしぶちさんのご子息、橿渕太久磨さん。

■SOIL&"PIMP"SESSIONS(WHITE STAGE)
丈青が金髪メッシュ入ってて、私「MJ(みうらじゅん)……」サさん「YOSHIKIさま……」と思う。個人的にピアノはタッチの重いひとが好きなんだけど丈青は別だなー、むっちゃ軽い、むっちゃ滑らか。音も運指も。おちゃらけフレーズ弾いて社長に「意外な〆だったな」とか言われ、それがまた盛り上がるという。フジ出演も何回めかな、ホームですってな余裕ぶり。秋田さんもみどりんもガンガン行きますぜ。
タブくんはあの重いtp片手で持つことが増えててますますタフ! 素敵! 音も強い〜。よくあの楽器であの音が出るな、しかもこの暑いなか。最後はやっぱり吸入器出してたけどもはやじいさんになってもこのスタイルでいてほしい(鬼)。
やー盛り上がった、やっぱ格好いいなー!

ここでポンチさんとは別れ再びオレンジへ。まったりしていると伸びやかな歌声が聴こえてくる。サさんが「えみちゃんの声に似てる〜」と寄って行き、ついていったら、

■白崎映美&東北6県ろ〜るショー!!(ORANGE CAFE/BUSKER STOP)
本当にそうだったという。いーやーもってかれた、釘付け。ストリートパンク+大道芸の真骨頂といおうか、周囲を巻き込む膂力の強いことといったら。ビラ(こういうときはチラシというよりビラだね〜)を配って告知もバッチリ、しっかり者です。
上々颱風は何度かライヴを観ただけでどっぷり聴いてはいなかった+おかげ様ブラザーズとごっちゃになっていたので(何故)関西のイメージだった。そしてこのいでたちですし(かっこいい〜)、彼らの歌を聴いてカチャーシーを踊るひとたちが多いので(これも何故)沖縄のイメージもあった。白崎さんは山形出身だそうです、あれれ?「それこそよっちゃん(ヨタロウさん)来てんじゃない? と思ったけど『ゴーゴーボーイズ〜』に出てるから無理か」、とサさん。震災時東北をまわった仲。
みるみる踊りの輪が拡がり、なんだなんだとよってくるひとたち。龍踊り(な趣なんだけど龍じゃなくて…あれ、なんだろう? なまはげみたいなの。山形の雪男とかかしら)もはじまると外国人のひとたちがわあわあ写真を撮っている。こういうのがあるから奥地はやめられない。

■J.A.M(Café de Paris)
唄ったり踊ったりしているうちに始まってしまっていた。丈青が進行をしてるのにビックリした。にこやかにさわやかに喋りよる〜! 秋田さんもみどりんもにこにこ、軽口をきき乍らリラックスした演奏。ソイルとダブルヘッダー、間をおかず彼らのもうひとつの顔を観られるのもフェスの醍醐味。
「MINT」聴けてうれしかった、しっとりセットでした。

冷たい風が吹いてきて、雨が降り出し一気に気温が下がる。えっ? という寒さで、山の天気怖い。すぐにおさまったのでよかった。さて降りましょうか。

■BABYMETAL(WHITE STAGE)
dCprGの大村くんもダブルヘッダーです、ここにいる…筈……なんだけど、姿は全く見えませんでした。青山純さんのご子息、青山英樹さんはちょっと見えた……スクリーンで。いやもうすごいひとで。グリーンでやった方がよかったんじゃないかな〜。ホワイトはグリーンから奥地への通路としても使われるので、ここが詰まるとどうにもこうにも。ボードウォークから行くと朝霧食堂に行けないし(そこか)。聴き乍ら移動しとかねば動けなくなりそう、とジリジリ歩く。よって視界は殆どなかった。

■Ben Harper & The Innocent Criminals(GREEN STAGE)
なんとか辿り着きました。ベン・ハーパーとフアン・ネルソンのやりとりが素敵で素敵で。音楽って素晴らしい〜。夕方の風が気持ちいい〜。

ようやく今年初のOASISですよ。ヘッドライナーに備えてごはんなど…といろいろ見てまわるがこれがまあどこも混んでる混んでる。そりゃそうよね…皆アクトとアクトの間にごはん食べるもんね……。行列に並び乍ら天井が高くなったと聞いていたレッドマーキーを外から眺める。結局今年はレッドで何も見なかったなあ。

ようやくごはんを手に入れたが時間が迫ってますよ。もうグリーンに行ってそこで食べよう! となる。わかっちゃいたがすごいひと、そして暗闇。あちこちに転がっている荷物や人間をよけつつ、できあがっちゃったりあばれそうな挙動のひとを避けて場所探し。さてお待ちかね、フジでは10年ぶりのRHCPだ!



2016年07月23日(土)
『レディエント・バーミン』

『レディエント・バーミン』@シアタートラム

おおおフィリップ・リドリーのコメディって初めて観ました。しかしコメディでもしっかりダークであった。ブラックというよりダークだなー。善良な人間が誰かのために、大切なもののためにどこ迄邪悪になれるか。そして登場人物から「おともだち」と呼ばれる観客は、それをどこ迄非難出来るか。まさしく「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。夫婦のやりとりには『マクベス』のようなところもあった。

登場人物と同じ土俵に観客を引きずり出す手法は白井晃の演出にも踏襲されている。戯曲は読んだことがないのだが、観客に呼びかける台詞も多々あり、ホンに指定があろうがなかろうがこうした演出になるのが自然といえば自然だ。しかし、それをやりとおすにはかなりの勇気がいる。客電はほぼ落ちない。客席が明るい。役者は観客に呼びかける。指をさして同意を促す。客席にずかずかあがりこむ、観客の身体に触る、観客の持参していたペットボトルの飲料を飲む(! えーとつい村松利史×田口トモロヲ『人生の意味』の水虫ジュースを思い出しましたよね……)。舞台を観ているだけ、ではない緊張感が終始張りつめる。登場人物が直面した幸福と不幸に、自分たちでも無縁ではいられないことに気付く。

実際どうだろう? 生活が保証され、自分たちのふるまいが住人の鑑として、街を、ひいては国をクリーンにする代表になる。そんなふうに提案されたら。しかしクリーンってなんだ? それは正しいことなのか? 『ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン』でも震撼した「親切をなすりつける」行為は、ともすれば救済になり感謝もされる。時と場合と法と。正しさを宣言することの恐ろしさ。

膨大な台詞、やりとりのスピード、テンポ、リズム。ちょっとしたミスが芝居の流れをとめてしまう、つなわたりのような芝居運び。いやー、白井さん、鬼(笑)。高橋一生、吉高由里子、キムラ緑子の三人、素晴らしい。こなさなければならない事項の多さに必死さが感じられてしまうのは仕方がないのか。しかしリカバリ術も素晴らしく、つんのめってしまった場面を逆手にとったアドリブは見事。それが出来る心臓を持った役者を揃えた座組でもあり、そうしなければ場が壊れるという恐怖が成せる業なのかと思うと、演劇というものも本当に恐ろしい。そこから感じられることもある訳で、「治療」としての演劇の奥深さをも思う。

この感想を書いているのは相模原の大量殺傷事件があった日だ。今作とリンクするところがある。気付こうと思えばいくらでも気付けるということでもある。具体的なことではなく、ひとの心の持ちようの話だ。口には出さずとも本心ではそう思っているひとがいるかもしれない、いや、確実にいる。そしてそれを正しさに置き換える。性悪説を否定しようがない。しかし、それを否定することが出来るのも人間だ。理想かもしれない、しかし理想を失う訳にはいかない。



2016年07月20日(水)
BO NINGEN "VS" LIVE Vol.3

BO NINGEN "VS" LIVE Vol.3@Shibuya WWW

先日のmouse on the keysとの対バンがVol.1ですね。ちなみにVol.2のは対バンはtricot。日本滞在中にじゃんじゃんライヴやったろうという道場みたいなシリーズでしょか。という訳でフジでは間に合いそうにないので観てきました。今回のお相手D.A.N.もフジに出るんだそうですよ。

先攻D.A.N.は初見、サイケが共通項か。なんだか80'sリバイバル…バックドロップに映し出される映像も80'sを彷彿させる。しかも今回の会場WWWは元シネマライズ、バックドロップがまんまスクリーンな訳で、あのサイズで映像が観られる訳ですよ。だもんだからますます80〜90年代が思い出されてしみじみしてしまった。電子音に重なるスティールパンの生音が心地よい。ここでまたヤン富田とか思い出してしまう……と翌日「スティールパン ヤン富田」でなんとなく検索していたらこんな映像が見つかってわああとなる。

・川勝正幸の葬儀でのヤン富田のスティールパン。


しかしなんでしょ、ファッションもだけど時代がひとまわりいやみまわりくらいか? したってことでしょうかね。勿論まんまではなくて、D.A.N.は低音がゴリゴリでベースラインがはねまくり、音圧も相当あったので今の音になっているなあと思いました。格好よかった。

さて後攻BO NINGEN。「対バンは後攻の方が有利、もっていきやすいと言われるけどそんなの関係ないです、全力でやるだけです!」というごあいさつからスタート。D.A.N.の低音がかなり耳にきた、そしてまた耳栓を忘れてきたんでやばいな〜と思っていたが、音が若干弱めであれっとなる。音響のせいかこっちの耳がダメになったか……しかし帰宅後耳が痛くなることもなく、耳鳴りもなくで結果オーライ。いい塩梅で聴けました。

こんな子たちなのでライヴ中は立ち位置と持ってる楽器で区別をつけてますね…紙にウェイヴがかかっていたりヒゲがあったりする上手側のギターの子とドラムのひとは覚えたんだけど、taigenくんと下手側のギターの子がいまいちよくわからん……特に動きまわってると。この日はギターの子が真っ赤、taigenくんが真っ黒な衣装だったのでわかりやすかったです(笑)。

ラママでは首から見えたくらいだったけど今回は全身見えた。WWW段差大きくて有難い。よく見ればフリルとかついててラインも綺麗な衣装でしたよ。普段着かもしれないが。これもMcQだったりしたのだろうか、ロンドンではどういう扱いなんだろこのひとたち…灰野敬二にマークジェイコブスのモデル依頼がくるようなものだろうか……。欧州のひとたちからすると黒髪ロン毛にはオノヨーコ的なオリエンタリズムを感じるのかな? 灰野さんは白髪ですが。ここはしらがでなくはくはつと読んでほしい。ちなみに歌詞は日本語です。こだわっているようです。それであっちで人気あるならすごいね。演奏すごいものねえ。

そんなこんなである意味とてもファッショナブルなひとたちですが、演奏は熱い。taigenくんのMCも熱い。腰は低く敬語だが、ときどきなんかスイッチが入るようでオラーとなったりするそのギャップがよいですねー。演奏しているときフロアに向かって叫んでるというか吠えることも多いんだけど、マイクオフなうえ爆音演奏なので何言ってるかわかりません。そしてベース弾かないときは腕を振りまわして挙動が不思議です。で、大暴れしましてアンコールでは衣装を脱いでる途中なのか破いたのか半裸の状態で出てきまして、ようやっと上半身脱げたらなんていうんでしょうか、長い髪で胸元がかくれて下はドレスっぽいパンツなもんだからまるで人魚のようでしたね! 素面で言ってます! そのままの姿で物販してました! かわいいね! トートバッグとか、袋から出してお客に見せて丁寧な接客をしておりました、ええ子や……。

終演後ポンチさんが冷静に「(衣装がワンピースじゃなくて)セパレートだったんだ……」と言ったのに大ウケ。風邪ひくから冬は汗を拭いて着替えてから物販に立ちなさいね……とBBAは心配しましたよ。

なんか音楽性のこと全然書いてませんが私好みだとしか…あーなんでしょ、ROVO、DMBQ、ボア、キングクリムゾン好きなひとはおっと思うサイケっぷりではと。WRENCHのワダさんばりに迫力ある怪鳥音のような叫びもいいです、てかこの手のバンドでバリトンのヴォーカルとか聴いたことないな、というか低音だとデス声にいってしまうのだろうか。「最後にやる曲はいつも10分くらいになる」と言ってましたがこれツェッペリンばりのゴリゴリっぷりでした。ドラムがしっかりしてる〜。たとえをいっぱい出してますが目安です。BO NINGENはBO NINGENだね〜。

や、日曜日フジに朝イチからいるひとはホワイトのトップバッターを是非ご覧になってみてくださいな。本人らも気合い入ってるようです、「こんなんじゃフジじゃ通用しない!」とか言ってました。いやいやそんなことないでしょ。「フジにそなえてとかそういうのない、毎日やりきります!」とも言ってましたよ。

それにしても昨年のHOSTESS CLUB ALL-NIGHTER(サマソニ)に出てたのな。憶えてない! てか観てない、F・F・Sのあとだったそうなのでごはん食べてたか寝てたわ……惜しいことをした。



2016年07月16日(土)
『ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン』

『ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン』@シアターコクーン

近年の松尾スズキ作品ではいちばん好き。ちなみに歴代でいちばん好きなのは『業音』です。共通項を考える。芸能の力、表現の欲、ひとの命の軽さ、命がけのデート、宗教観、物理的には不要な墓。そしてアップデート。中東情勢、夫婦のありよう、音楽の位置。以下ネタバレあります。

か〜るいとわかっている命を使いきるために、何をするか。どう生きるか。死んだあとはどうするか、どうしてもらいたいか。ヤギ三頭とひきかえに売られるひとの価値、それを救済しようとする人間の傲慢。傲慢を自覚している、表現にとり憑かれた人間が、どこ迄、どうその欲に向き合うか。松尾さんの腹の据わり方。善意の両面を見据え、その矛盾を掘り起こす。矛盾のなかにある美徳を貫く信念を見せる。「自由がないってなんて安全なんでしょう」「夢を見ないって、とっても楽なのよ」。数々のキラーフレーズにめった刺しにされた気分だが、特に「親切をなすりつけさせてくれ」という台詞には参った。背筋を凍らせ乍ら、笑いに笑う。笑い乍ら、頭が冷え切っていく。

作家の覚悟に真っ向から向き合った演者も、やはり腹が据わってる。あてがきとも思える箇所は多々ある。寺島しのぶは『キャタピラー』がモチーフとなっている場面で啖呵を切る。これにはシビれた。歌舞伎仕様の立ち回りもビシリと決まる。背中が美しい、立ち姿が美しい。声が強い。「装苑の表紙」に笑い、『ねじ式』に笑い、幕切れの華やかないでたちに見惚れる。よく思うことだが、いつか彼女が演じるブランチを観たい。そして、あのスタンプほしい。

魂に生えた手足が伸びるような吹越満。どこ迄も追いかけてくる、ついてくる。「頭のいい」「いい男」を慕って。M.I.A.とすら呼べない巻き込まれ方、これが戦場のデフォルト。異形で去るその姿を見送るせつなさ。岡田将生の掛け値なしの美しさには心根も含まれる。そんな彼だから、死後変身に憧れる姿がより胸に迫る。中年になった阿部サダヲは、劇作家の腹の中を表現するような重厚さをも身につけた。音楽でも大貢献の伊藤ヨタロウ、義太夫語りならぬG太夫として、その立ち位置も含め天上から世界を見降ろすよう。あんなに踊れるひとだったんだ! と驚かされた近藤公園、冷酷な二枚目(と判断)女衒(この場合は男衒か)村杉蝉之介、今迄の立ち位置を逆手にとったような顔田顔彦の新境地。もともとのポテンシャルの高さに厚みを加えた池津祥子、宍戸美和公、平岩紙の女優陣と、大人計画の面々も仕事人ぶりを発揮。

出色は岩井秀人。皆川猿時をはじめとする濃い役者たちのハイテンションをスポンジのごとく吸収し、ゆるゆるに排出する笑いで湧かす湧かす。これだけのキャパの劇場は初めてだと思うが、届く届く、その声が、そのふるまいが。しかも突き抜けて格好よい。なんでや…なんであの出で立ちで格好いいんや……。バズーカのとこなんか「やだ惚れる!」と声に出して呻きそうになる。実際「うっ」くらいは口から出た。そして幕切れ近くのあの台詞。これを彼に言わすか! 配役表にクレジットされている彼の役はワギーと似池だけだ。ほぼ全員が複数の役を演じている。転換等の段取りに関係するところもありそうだ。あの役は、岩井さんではない役者が演じることも出来る。それを彼に――あの台詞を彼に託した、というのは、芝居を組み上げていく段階で決められたのだろうか。戯曲も読んでみようと思う。いやまじで岩井さんすごくよいです、岩井さん好きは観に行くといいよ。

綾音による邦楽演奏、義太夫仕様のものがたり。エスニックダンスはボリウッドのようでもあり、日舞も魅せる。振付稼業 air:man、腕のみせどころ。殺陣のクレジットがないので、寺島さんの立ち回りも彼らが振り付けたかな。邦楽のビートとともにエキサイティング。シーンによっては冗長に感じる部分もあるが、これは日を追うごとにブラッシュアップされていくと思う。

きっと再演される。シアターコクーンのレパートリーになる。こういう作品を上演し続けられる世の中であってほしいし、松尾さんがこういうものを書き続けられる世の中であってほしい。それも地獄だ。現世は地獄だし、天国も欺瞞だ。



2016年07月09日(土)
『母と惑星について、および自転する女たちの記録』

『母と惑星について、および自転する女たちの記録』@PARCO劇場

母の欠片は、灰となって風に乗る。「重石」の娘たちを離れ、好きなところへ飛んでいく。重荷を背負わされたままの娘たちも、それぞれの道をいく。三人の娘はそれぞれ母親に似ている。それを認めてもいいし、反作用と思ってもいい。赦しとも諦めとも、どうとでも。気の持ちようで、憎んだり愛したりすればいい。ただ、呪いを解くことは出来る。

身におぼえありすぎてあるいはなさすぎて、ほっとするやらうらやましいやら。ああ、さるまわしのさる、わかるー。私もやったやった。すすんでやっていた自覚がある。けれどそれは自分がまだこどもだという自覚もあったからだ。大概はいい思い出だが、母があと何年か生きていたら戦争になっただろうとも思っている。他者への寛容は、相手が近しくなればなる程線引きが難しくなる。家族だから大目に見てくれるだろう、あるいは大目に見てよ。いや、家族だからこそ許さない、許せない。かくして断絶は深まる。それでも、生き残った側は、生きていくことを肯定していかなければ生きていけない。

ラマダン中のイスタンブール、白昼食べに食べる末妹。配慮に欠ける行為は無知からくるものであるが、必要以上に食べるのには理由があった。それを見つめる街のひとびと。勿論食べ歩く外国人の娘の事情など知らない。これを無知とは呼べない。ただただ見る。これを無言の非難ととるか、異教への寛容ととるか。これも気の持ちようだが、場合によっては命をも脅かす。その範囲は日々狭くなる。震える惑星に生きるちいさき者たちに、幸いを。祈るような気持ちになる。

生きることを静かに肯定する、蓬莱竜太の書く台詞のレイヤーの多さ。あの言葉の裏には、あの言葉を放ってしまった要因は。その多層を観客に伝え得る栗山民也の演出、役者たち。台詞のレイヤーを視覚的にも見せる多層の美術は、場面だけでなく現在と過去という時間もスライドする。滑らかで美しい光景だが、段取りをひとつ間違えると怪我人が出そうだ。オペレーションの妙も光る。一度だけ、終盤のいいところでそのスライドする床面から何かが落ちてしまったようだ。ゴトン! という大きな音がした。ほんの一瞬台詞がつんのめる。のめりこんで観ていた(それほど緊迫感のある場面だった)側も我に返った、惜しい。千秋楽迄事故がありませんように。

姉妹はそれぞれの役割を演じている。長女の責任、次女の奔放。田畑智子と鈴木杏の顔立ちがとても似ていることに気付く。志田未来演じる末妹にはおみそゆえの苦悩がある。意志の強さが感じられる瞳は、母を演じる斉藤由貴とよく似ている。四人とも物語る瞳を持っている。最前列だったので、彼女たちの目の輝きに吸い寄せられる思いだった。憎悪も、諦念も、悲しみもその目は語る。丁々発止の台詞とともに、黙してのにらみ合いに言いようのない迫力。この四人が揃ったことが、作品へのギフトのように感じた。

パルコ劇場はホント良質な舞台をつくるなあ。おそらく現劇場で観る最後の公演、観ることが出来てよかった。で、多分最後だからとあのホットドッグも食べてきた。アルミに包まれてホットプレートに載っている、売店のロールパンホットドッグ。短時間で小腹を満たすのに丁度いいサイズ。既製品じゃないところ、ここでしか食べられないのが魅力。コーンスープは暑かったので断念、残念。新しい劇場にこれらのメニューは継承されるのかなあ。そして今の劇場が閉まったら、あの売店のおばあちゃんはどうするんだろう。引退しちゃうのかな。歌舞伎座前にいた甘栗屋のおじいちゃんのことを思い出した。さびしい。



2016年07月08日(金)
猫のホテル『苦労人』、高橋徹也×小林建樹『1972』

濃いハシゴでして、両方観ている(知っている)ひとにだけ通じる話をすると、中村まことと鹿島達也の格好よさ、色気には共通するもんがありますなあという……。あと『苦労人』の音響は佐藤こうじ(Sugar Sound)。佐藤さんはsugarと名乗りたくなるのだろうか。

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猫のホテル『苦労人』@すみだパークスタジオ倉

再々々演とのこと、初見です。何度も繰り返し上演されるだけのことはある、猫ホテの魅力がつまっている。千葉雅子と演者たちの心意気を堪能出来る。酸いも甘いも噛み分けすぎて、清濁併せ呑みすぎて、苦虫を噛み潰しすぎて諦め諦めそれでもやっぱり抗ってしまう男たちの、500年の歴史。

能楽堂を模した舞台上で繰り広げられるのは「ごん」を名に持つ男の生きざま。初代(室町)中村まこと、二代目(戦国)村上航から、昭和の村上航、平成の中村まことへ。間を森田ガンツ、小林健一、久ヶ沢徹、市川しんぺーで彩る。全員が複数の役を演じ、「ごん」はときに物語の主役となり、ときに市井のひとびとになる。場面(時代)ごとにモチーフとなる作品があると思われる。例えば江戸のパート、死人を踊らせるくだりはおそらく落語の『らくだ』。昭和のパート、スカートを履かない娼婦たちは『肉体の門』。これらをモチーフに、エチュードから構成されたやりとりが進む。昭和の任侠映画の台詞まわし、言葉のリズム感の完コピが見事。千葉さんの腿も拝めて眼福。村上さんの、さびしがりなのにひとりでいるちんぴらっぷりも素晴らしい。ちんぴらがこれほど似合う役者、貴重だわ……。しんぺーさんの死体はもはや芸の域。人生はコントか? としかいいようのない滑稽さは、演じる側が必死になればなる程、汗や唾を飛び散らせる程、切実さに変わる。笑い乍らも涙、涙。

で、この「コントか?」というのが曲者で。久ヶ沢さんという役者の特質ですが、コントの腑をシリアスの皮にくるむのが巧すぎる。シリアスの着ぐるみ着てる感じなのね……。で、いつその着ぐるみを脱ぐのかと身構えていると最後迄脱がなくて、それがえれえ格好よかったりするの。もう、怖いこのひと!『地獄のオルフェウス』のときですらドキドキしたもんね…コントになったらどうしようと……ならなかったけど。今回は笑ったらどうしようと思ってるうちに二枚目ぶりをビシバシ出してきたので素直に素敵と思うことにしました。はい、久ヶ沢さんでこういうのが観たかったです。佐藤真弓との身長差がツボでツボで。といいつつ、おそらくエチュードから出来たと思われるやりとり(社歌のくだり)では頭おかしいっぷり全開で震撼した。それを受けるしんぺーさんも素晴らしい。苦労が窺えた。それにしてもこの役、以前は誰が演じたんだろうと調べてみれば2007年版は菅原永二だったよ! うわあこっちも観たかった!

しっかしオープニング、客席フロアに降りたまことさんが相当段差のある舞台上に助走なしの両足踏み切りで飛び乗ったのにはシビれた。ギャー惚れる! そしてこんなに褌姿の男たちを観たのは『はぐれさらばが“じゃあね”といった』以来です。どなたか仰ってたけどしんぺーさんの肉体は劇団のたからもの。村上さんの身体はアスリートではなく労働者のそれといった趣で説得力あった。久ヶ沢さんの身体はいつものことだが芸術品でした。そういえば『はぐれさらば〜』でも久ヶ沢さんの褌姿観たわ……有難うございます有難うございます(手を合わせる)。

よだん。 NHKの『ファミリーヒストリー』観てて「遡って調査してるうちに何かやばいことが出てきて、お蔵入りになったものってあるんだろうねえ」と話してたことがあるんだけど、それを思い出したな……。今しかない人生なのに、自分の知らない過去がついてくる。それを背負わされてどうしろっていうんだ、ってね。苦い。猫ホテで描かれるひとたちは、それでも前を向くのだ。

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高橋徹也×小林建樹『1972』@LAST WALTZ

いやもう小林さんをひっぱりだしてくれた高橋さんと縁を作ってくれた鹿島さんに感謝するばかりですよ! イリオモテヤマネコとか呼んでたけど最近はもはやツチノコめいてきて「実在したっけな…?」と思うくらいなのでな小林さん……。1972年生まれのふたりによるツーマンです。

ステージ上にはグランドピアノ、これは嬉しい。高橋さんは事前告知でバンド編成だと言っていたな、小林さんはどうなのかな? と思っていると、ひとりでふらりと出てきました。ニコッ、と笑って演奏開始。

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セットリスト(小林さんのDiaryから)
01. 赤目のJack
02. 満月
03. 明日の風
04. Sound Glider
05. 夏の予感
06. 祈り
07. Bless
08. 禁園
09. SpooN
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01〜04はアコギ、以降はピアノ。ライヴは二年ぶりとのことなので一昨年のレコ発以来かな。喉の調子はどうだろう? と思っていたら第一声からあのスッカーンとした声。うわ、かわらん。長いことひとまえで唄ってなくても、ひとに聴かせる目的がなくても唄い続けているんだろうなあと思わせられる抜けの良さでした。最新作『Emotion』では、声を張らずに優しく唄っているナンバーが多い印象だったのですが、ライヴで唄うと力強い。一気に四曲、拍手出来ん。「明日の風」は新曲かな、紹介しとかなきゃ! と途中で気付いたのか間奏中「あしたのかぜ!」と口走ってました。

その後ピアノに移動、今やった四曲は〜とさわりを弾き語りで紹介。いやさわりどころじゃなかった、一曲につきツーコーラスくらい迄弾き語った。何をはじめる……と見守るばかりだったがギターとピアノでのアレンジの違いが聴けて楽しい。久しぶりのライヴなのですごく練習したんですよ、30回くらい、MCも練習しました、何話そうか考えて…ここでモーツァルト弾くつもりだったんですけどやめました、ちょっと違うなと思って。と言った先から弾き出したのは交響曲40番。「一曲まるまる弾こうと思ってたんですけど」。聴きたいけど持ち時間がなくなってしまうやね……。「夏の予感」と「祈り」のブリッジはなんと「祈り」の大サビ(といえばいいのか? “時の中で 遥か未来で”の箇所から入り前奏に戻る)。練習して構成も考えて、しかし自然に指が動いているようでもある。「フリージャズ」の歌詞、“暴れ出す指先”を思い出す。

「練習したら上手くなるかというとそうじゃないんですね、でもオートマチックに演奏出来るようになる」。ルーティンになるってことかな、アスリート的。「渋谷に来るといつも同じ道を歩く。同じ場所を通って、同じところでごはんを食べるんです」「東急が壊れてて、いつも行ってた喫煙所がなくなってた」。このひとの見るもの聴くものは、こういった言葉と音で表現される。やっぱりこのひとは音楽を通して生きているのだなあと思う。生活をメロディ、ハーモニー、リズムに変換して生きている。

何をとっても独特だが、リズムに関しては少しだけ解釈出来る。今思えばデビュー作に窪田晴男やホッピー神山が絡んだことが運命的だが、ファンクからのアフロキューバンリズム、ブラジリアンリズムへの興味と追求がずっと続いている。以前の発言やDiaryの内容からすると、菊地成孔の著書からの影響もあるようだ。だいたいポリリズムを独奏でやってみようと思うのもすごいが(ひとを集める手間や時間を研究に向けたいのかもしれない)、ひとりでやってみると、このひとにしか表現し得ないものになる。演奏し乍ら試行錯誤する。弾き間違えがあったとすれば、そこを拍の起点にして流れを変える。そうするとミスタッチはミスではなくなる。グルーヴが生まれる。おそらく複合リズムのクリックが頭のなかで鳴っている。

モーツァルトもおそらく楽譜通りじゃない、リズムも和音もアレンジしてる。完コピから始めるのかもしれないが、パターンやバリエーションをいくらでも思いついてしまうのだろう。そして演奏と自分のコンディションを照会し、環境との関わりも検証していく。没頭してると日が暮れる。気付けば数年経っている。

常に頭のなかで本人にしか聴こえない音楽が鳴っていて、それを今ある身体と楽器でどこ迄再現出来るか、外に出せるか。音色とリズムでどこ迄拡げられるか。追求していくときりがないのだろう。このひとのライヴは、数ある頭のなかの音楽から外に出せたものをおすそわけしてもらう気持ちで聴いている。ありがたいことです。「SpooN」を聴けたのが嬉しかった。どれを聴けても嬉しいけどね。このひとがいつでも好きに音楽を奏でられる環境がありますように。

・Tateki Kobayashi | Tracks | SoundCloud
頭のなかのおすそわけ、追加されたときに当たるとラッキー。ときどきなくなるんですよね……妄想大河ドラマ『明智光秀』のサウンドトラック「Theme for Mitsuhide Akechi」って曲も以前あったんだよ〜

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さて後攻。Vo/G:高橋徹也、B:鹿島達也、Key:sugarbeans、Drs:脇山広介。ここんとこ不動のメンツ、デカいエンジン積んでるバンド。

(セットリストは高橋さんのブログにアップされたら反映します)
(20160727追記:セットリストは掲載されませんでしたが、高橋さんがブログに当日のことを書かれています)

「以前小林さんのサポートを鹿島さんがしていて、それがきっかけで」。ふたりの共演は[monologue]以来ですかね。オファーを小林さんにかけ続けていて、その度「今はそういう感じじゃなくて…」「まだ……」と断られ続けていたとのこと。ひいーん根気よく声をかけ続けてくれて有難うございますですよ! 高橋さんも行方不明の時期があったそうなので、共感(と言っていいのかは判らないが)するところがあるのだろうか。ブッキングを手間だと思わず楽しんでいるのなら嬉しいことです。「ギターでやった曲をピアノでふりかえるってのをやってましたね。斬新ですね〜」「斬新だけど見習わないでおこうと思います」。そうですか…そうですね……。「僕も変わってるっていわれますけど、小林さんは僕の比じゃない。僕はまだ社会性がある」。バンドの皆さんニヤニヤしてはりますよ。ここに山田稔明がいたら「どっちもどっちじゃ!」ていうね!

それにしてもバンドの状態がよい。腕利き揃いが場数を踏むと、同じ曲を演奏しても聴きどころが増える一方です。鹿島さんは新しい赤いベースでボトムをガッチリ支え、脇山さんとの呼吸もますます自在。ギターとヴォーカルだけのパートで目を閉じていたり、歌詞をいっしょにつぶやいていたりするところもバンマスな風情です。頼りになる〜。佐藤さんはグランドピアノとキーボードを往復し、高橋さんとのハモりも美しく、音の層の厚さに清涼感すら漂わせます。自分でも何言ってるかわからない。

「昨年の今頃は『Endless Summer』のレコーディングも終盤で、他のひとの録音は全部終わってて、ヴォーカルを入れたりなおしたいところをなおしたり、ひとりの作業をしていました」。同じメンバーでレコーディングしているという新譜も楽しみ、どの曲が入るのかなあ。そういえば「海流の沸点」をまだバンド編成で聴いたことないんだ…ぎぎだい……新譜にも入ってほしい……。9月には20th Anniversaryとしてこのメンバー+ホーン(なんとdCprGの高井汐人が参加してる)で『夜に生きるもの 2016』が開催されます。えっちょっと待て、『夜に生きるもの』って半分近く菊地さん参加してたよね。あれを高井さんの演奏で……高井さんのsxで「チャイナ・カフェ」はじめあれやこれやが聴けちゃうってこと?! うひー! 楽しみだよー!

小林さんも呼び込んでのアンコール。[monologue]での山田さんにあたる役割がいないのでひとみしり同士みたいな会話になっていた。今回のタイトルにもなった、お互い1972年生まれという話題も出ず(告知の時点で言ってたから別にいいやってな感じか、単に忘れてたか)、さほどおしゃべりに花も咲かず(笑)。そのうち小林さんが「じゃ、僕の好きな曲をやります」とピアノに向かい、「もういきますか」と高橋さん。弾きはじめたイントロでは何の曲だか全く判らない、端々にあーこのコードなら、リズムなら、といった欠片がちらちらするが、追っていこうとする途端に遠ざかる。予想は諦めて演奏に聴き入る。高橋さんをはじめバンドの皆さんもニコニコして聴いている。演奏はしばらく続き(もはやイントロの長さではない)、やがて高橋さんがマイクに向かう。真顔になる、目を閉じて唄いだしのタイミングを待っている。ここかな? ここかな? 聴いている方はタイミングが判らない……一瞬の間、ブレス、からの〜

あふれ出す想いを 身体中で感じて
走り出す車を 追いかけて行くのさ

おおお、「微熱」!!! 最新作からきた。2コーラス目は小林さんがヴォーカル。ふたりのハモりも聴けた。ふたりともふたりといない歌い手で、どちらも魅力的なのだけど、アウトロの「ナナナナ〜」や「ウーィウ〜」等、スキャットの地声/裏声の使い分けやリズムのとり方がそれぞれの声で聴けたのは嬉しかったなあ。ああいいものが聴けた、また共演してほしい。三年後といわずまた近いうちにお願いします、来年とか年一回でも! 待ってます!

・高橋徹也×小林建樹「1972」@渋谷Last Waltz 感想まとめ - Togetterまとめ
chinacafeさんまとめ有難うございます〜! いやーいい夜だった〜



2016年07月06日(水)
『PLAY VOL.35』

『PLAY VOL.35』@Shibuya La.mama

思えばこのシリーズの初回(『PLAY VOL.1』)がmouse on the keysとスガダイローTRIOだったんですね。あれから四年、VOL.35の今回はmotkとBO NINGEN。

で、motkの演奏、殆ど見えませんで。ひもピーンでワンワンワン! なときの(←このたとえでわかるひとがいるのか)川さんの頭が時々見えるくらい(…)。転換時あの蛍光白色照明片付けてるのを見て、ああ照明持ち込んでたんだなと判る有様です。あとな、このバンド座奏なので、観る立ち位置の判断を誤ると全く見えないのな……。ラママってつくりが独特なので未だにどこに立てば見晴らしがいいのかわからないー。音からして四人編成(メンバー+ケンジーくんかな)、今年はライヴ本数も多いためか、同じ曲をやってもイントロ、アウトロ、ブリッジがインプロづくしで展開が読めなくて面白い。プレイヤーの表情、目線の動きどころか手の動きも見えていないので、音がどこに動いていくか予想出来ないというスリルもありました(……)。

そういえば入場時、フロアをTシャツ姿の清田さんがふらふらしていたんですけど演奏時は黒のジャケットかシャツを着ていたようなので、やっぱりライヴは衣装でという意識があるんだろうなーと。motkはそういうとこ拘ってますもんね。

BO NINGENはお初です。山川冬樹周辺から知ったんだっけな……ロンドン拠点のバンドだそうで、今月帰国? 凱旋? 来日? てな感じで滞在中たくさんライヴをやる模様。耳栓持ってきてなかったのを後悔したが、あの圧! Borisとかもそうだけど、轟音で血流がよくなる気がしますね……低音で肌がビリビリブルブルする感じ。皆さん灰野敬二かゆらゆら帝国の千代さんみたいな姫カットロン毛をふりみだして演奏してるので、あんまり顔が見えません。よってメンバーの区別がつかない。

Vo/Bの子はMCのとききちんと客を見て話すので、顔が見えました。山岸門人に似ている。門人くんがロン毛になったらこんな感じなんだと思う。なんか声も似てたで。かわいらし。演奏とのギャップがすごい。ベースでヴォーカルて難しいイメージあるけど、それを微塵も感じさせないし、しかもゴリッゴリのベース弾くんですよ。骨太い! 好き! や、こりゃハマる。そしてMCは終始丁寧語、日本語で話したあと英語でも話すひとり同時通訳な気配りで(外国人のお客さんも結構いたので)そのギャップがまたかわいらし。帰宅後思わずtwitterのアカウント探したよね…かわべくんという子でした。ツイートもかわいらしいな。終演後も物販に自ら立ち、サインやお話に応じておりました。こういうとこ慣れてるというかこれが日常なんだろうな。オルタナインディーの心意気。

会場でもらったフライヤーを見ると、かわべくん個人で出演するイヴェントも何本かあるようで(千代さんと共演するのもある。ちょ、うつむいたら区別つかん)「ベースで弾き語り……?」と思ったがラップもやるらしい。底が知れんな! ますます気になる。フジでも持っていきそうだなあ、時間的に間に合いそうにない(ホワイトのトップバッター)んだけど間に合ったら目撃したい!



2016年07月04日(月)
『葛城事件』

『葛城事件』@新宿バルト9 シアター3

舞台の感想はこちら。しかしこれ、作品というより赤堀雅秋が書くものについて、の感想なんですよね。というのも赤堀さんの作品には大きく分けてふたつの路線があり、「実際にあった事件をもとに、その凄惨な現場を間近で見てきたかのような筆致で描く」ものと、「ひとびとの悲しく滑稽な営みを愛情のこもった視線で見つめ、落語や似非歌舞伎の形を借りて描く」ものがあるのだ。どちらかだけを観て拒否反応を示したひとをこれ迄少なからず知っているので、両方観てくれるといいな、一作だけでやめないでほしいな……という思いがあった。そのふたつが見事に融合したのが、今年2月に発表された『同じ夢』(一回目二回目)だと思っている。

『葛城事件』は、そのふたつの路線で言えば前者にあたる。舞台版はその色が強かったように思うが、今回映画を観て後者の要素も多いことに気付いた。舞台版の次男の心の閉じようは、演じた新井浩文の強さもあって揺るぎないものに感じた。バイオレンスシーンや、長いレイプシーン(映画にはなかった)の迷いのなさが強烈に印象に残っている。思うのは被害者、その遺族のこと。この人間にどうやって罪悪の意味を理解させることが出来るのだろうか? 対して若葉竜也が演じた映画版の次男は、彼の顔立ちの幼なさもあってか「たられば」を考えてしまう。あのとき父親が不審火のことを問いただしていたら? あのとき母親が「いってらっしゃい」と言わなければ? それだけに、ことが起こってしまうときの歯がゆさが大きい。観客だからあたりまえなのだが、ただ見ていることしか出来ないことがもどかしい、悔しい。そして思ったのは加害者家族のこと。どうしてこんなことになってしまったのだろう?

答えは提示されているようにも見える。しかし、どう対処すればいいのかは誰にも判らない。いつ、誰が、何を、どうすればよかったのか。くすぶり続けてる火種の在り処には気付いているが、その消し方が判らない。「あんな父親では」「あんな母親では」。そんなことが言えるひとは相当おめでたい。反面教師という言葉もあるとおり、「そんな両親」のもとに育った人物を「評価」など出来はしない。父親の理想と傲慢さ、母親の弱さと狡さ。ある意味母親にそっくりな長男、ある意味父親にそっくりな次男。私は彼らに、おまえのここがダメなんだと断言出来ない。

舞台版は、目の前で起こっていることから逃げ出すことの出来ない閉塞感がよさでもあった。映画版は外気にふれられると言えばいいだろうか、怖い、いやだ、ムカムカする、という感情から一歩ひいてその光景を見ることが出来る。庭に出ればみかんの木があり、ふわりとした果実の香りも感じられそうだ。家出した妻とこどもたちが食事をするアパートには、薄くではあるが外の光が入る。そのことでひと息つける。父親があれほどこだわった家を具体的に見られるところも映画のよさだ。立地もわかる。周囲の街の空気や、そこに住むひとびとの光景も。ああ、あの家族はこんな街に住んでいたのだ。映画も観てよかった。そして映画といえば編集で、前後の省略と寸止めの後略が素晴らしかった。赤堀さん二本目でこうとはすごいな。いいスタッフと出会えているのだろう、これからも楽しみだ。

舞台であれ程心の冷え切った次男を演じた新井くんは映画では長男を演じていた。これがまたよかった。役をつきはなして見て、演じることの出来る役者。三浦友和にときどき赤堀さん(舞台版で父親を演じた)が乗り移ったように見えて瞬きをする。南果歩の声が発する空虚な言葉の恐ろしさ。そして次男の若葉くんの迫力。田中麗奈も難しい役をしっかり見せてくれた。

はっとさせられたのは、赤堀作品によく出てくるコンビニめし。最後の最後、父親の食べる様子を見てコンビニめしは優しいな、と思った。どんな状況、どんな環境にいるひとだろうが迎え入れてくれる。これは初めて思ったことだった。母子が最後の晩餐について話し乍ら食べていたナポリタンも、シーンの途中から幸せな食卓に見えてくる。そういうこともあるのだ。そして、そこを見逃さない赤堀雅秋という作家が好きなのだ、と思った。

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アフタートークつきでした。『赤堀監督と仲間たち』と題して赤堀さん、「出演してないのに」(笑)大森南朋さん、荒川良々さんがビール片手にゆるゆるトーク。良々くん意外とトーク転がすのうまくて感心した、話の腰を折るのもうまかったが。良々くんの強烈なおとーさまの話は松尾さんのメルマガで読んだんだっけな……おーもりくんのおとーさまはご存知麿赤兒ですがほ殆ど家にいなかったんで〜との話。親を見て育つひとも、見ないで育つひともいるもんです。どっちにしろ育つ。笑い乍らもしみじみした。

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・『ヒメアノ〜ル』『葛城事件』……日本の“バイオレンス映画”が活気づいている背景|Real Sound
『ヒメアノ〜ル』の様子はまだ観ていないので判らないけど、『葛城事件』は宣伝費がないので……と舞台挨拶やトークイヴェントを連日開催しています。クラウドファンディングもしていた。表現に制約を求められない環境を守るためでもある。ヒットに繋がってほしい。そうそう、トークはノーギャラだったらしく、代わりにってことで赤堀さんが焼肉おごったそうです。三浦さんもそうなのかな…三浦さんにもあかほり焼肉おごるのかな……。
SNSで拡散してくださいと言っていたけど、するする〜。観客に出来ることはこれくらい。
そういえば良々くん、一日でこの二本をハシゴしたそうで「もうね…ぐったり……」みたいなこと言ってた(苦笑)

・「今の映画界では第二のショーケンさんは絶対に生まれない」――三浦友和『葛城事件』インタビュー|Real Sound
三浦さんありがとうありがとう! こう迄言ってもらえてあかほりしあわせもの! あああこんな素敵な男性にあかほりはあんなダサいサマーセーター(衣裳)着せたのね……それはともかくこの役受けてくれてほんと感謝してる〜

・赤堀雅秋“僕の中では希望の映画” 映画「葛城事件」初日舞台挨拶|シアターガイド
赤堀作品に灯るもの、決して消えないもの。これ迄希望と言いきれなくて、光という言葉にしていた。本人が言いきっていてよっしゃ、となった。希望でいいのだ



2016年07月03日(日)
『ハリーとトント』

『ハリーとトント』@TOHOシネマズ日本橋 スクリーン2

『午前十時の映画祭 7』での上映です。1974年作品。

おじーちゃんハリーとねこトントのロードムービー。区画整理のため、終の住処と決めていたNYの家を追い出され、ひとまず長男の家へ。なんやかんやあって長女を訪ねてシカゴへ、次男を訪ねてLAへ。

長い長い道路、広い広いアメリカ。綺麗な水色の中古車でルート66を走る。道中出会ったひととの交流、久しぶりに会うこどもたち。長年連れ添った今は亡き妻、初恋の女性。さまざまな思い出を甦らせ、過去を慈しみ、未来を愛してみようという気になる。

不景気で、物騒で、恐ろしい街NY。物語の序盤、ハリーと友人は古きよきアメリカを思って嘆く。2016年のこちら側は、そんな70年代の光景を古きよきアメリカとして観ている。街のありよう、ひとのありよう。ユーモアと寛大さ。ペットづれだと知る前の大家の、不愛想なのに笑える売り込み。運転手は文句を言いつつしばらくバスを停めてくれる。ヒッピーの彼女を諭しはすれど説教はしない。初恋の女性はハリーのことをアレックスと呼ぶが、ふたりのダンスはあたたかいものに満ちている。ルート66は1985年に廃線。既に亡くなっている出演者も。人間でさえそうなので、トントは言う迄もない。

ちっちゃい頃に観たときは、なんで長男の嫁はここで怒ったんだろうとか、長男の息子が行きたがっているコミューンでは皆が幸せになる楽園みたいなところなんだなと漠然と思っていたものですが、大人になった今観ると「なんでこのおじーちゃんこんなに気軽に車買えるの」「そんなにアメリカの年金はよいの」とか考えちゃう(笑)。いやいやそもそも年金というものはこうあるべきだろうとかね。ああっせちがらい! 自分が! 観るとき自分が置かれている環境や心情により印象が変わる映画。だからこそ、一生観ていける映画。そして人生の伴侶としてのペット、家族としてのペット。ペットは喋らない、ただ、そばにいる。それでいい。だからこそ、一緒に生きていく相棒として、とびきりの愛情を注ぐのだ。

昔の映画はエンドロールが短い。キャストの最後に「and... TONTO」と流れる。ほろり。トントはトントだったんだ。

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・Harry & Tonto (1974) | Cinema Cats
映画に出てくるねこを紹介するサイト。makoさんのツイートで知りました。あかん、延々観てしまう……。
その流れで話題になったんだけど、映画におけるねこって茶トラ(赤毛のしましま)が多いねって話。そういえばそうだよねえ。ハリウッド周辺ののらねこに茶トラが多かったのかな。そもそもハリウッドにのらねこはいるのか。地域性もありそう。ちなみにウチの周辺はさばトラが多いです



2016年07月01日(金)
大駱駝艦 天賦典式『パラダイス』

大駱駝艦 天賦典式『パラダイス』@世田谷パブリックシアター

天賦典式をこんな短いスパンで観られるとは〜。新作です。艦員たちの身体能力の高さがよくわかる公演でした。

全八場中の四場、時間もいちばん長かったと思われる『流れ箱(Falling Boxes)』が白眉。瞬発力ではなく持久力! ストレングス&コンディショニング、そしてフィットネス! 筋力と筋持久力、柔軟性が非常に顕著でした。重力に逆らってのゆったりとした動き、ポーズ。その持続。ジャンプ等の瞬発力でごまかすことが出来ない。あの姿勢をずっと保っていられるのがすごい。さりげなくやってるけど、あれ相当鍛錬してないと途中からブルブルグラグラなりますよ。これが ま っ た く、 な ら な い。 そしてポーズを保持しているとき、筋肉が盛り上がって見えることがないのが不思議。インナーマッスルがすごいということなのだろうか……がんばってまーす! すごいっしょ? すごいっしょ? てな顕示欲が全く見えない…これはすごい……。すごいばっかり言ってる。

白塗りも相俟って、その身体とポーズそのものが芸術作品のよう。同じスキンヘッド、同じまとめ髪、同じ衣裳でも、同じ身体はひとつもない。そしてダンサー各々の個性はしっかり目に見える。「天賦典式=この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とす」とはよく言ったものだ。そのブレなさ。

安部田保彦の美術も素晴らしかった。パラダイスはタヒチか? 白一色のセットに映し出された原色豊かな絵画はさながらゴーギャン。(20160715追記:おおっと失礼、アンリ・ルソーの『夢』でした! 不勉強お恥ずかしい)麿さんの終末思想がより前面に出てきている作品でもあったが、幕切れはそれらを自ら俯瞰するよう。絡まった鎖を「なんじゃこりゃ。なにやってんだ」「百均で買ったんだ」などとぼそぼそ言い乍らもてあます。アメコミから出てきたような扮装のダンサーたちはローラースケートを履き輪になって踊る。観客に向かって手を振る。思わず手を振り返す観客。屈託のない笑顔。もはや戦後ではなく戦前の日本のありようを見届けたいのは欲だ、興味だ、とでも言うような麿さんのまなざし。一部が欠け、もはや丸くない地球が現れる。土井啓輔とジェフ・ミルズの音楽は、世界の終わりのようであり、その世界の終わりを宇宙から眺めるようでもあり。パラダイスはどこにある?

今作のタイトルは『パラダイス』。同じ劇場で2月に上演された白井剛×キム・ソンヨン『原色衝動』のサブタイトルは「ダンサーズ イン ザ パラダイス」。宣美撮影・題字が同じ荒木経惟ということもあり、符合を感じるところも(画像並べてみた)。『原色衝動』は荒木さんの『往生写集−東ノ空・ꟼARADISE』から想起された作品なのでその繋がりもある。死の色が濃く、生の色も濃い。

『原色衝動』のあとに横町慶子さんが亡くなり、『パラダイス』の前に松本雄吉さんが亡くなった。財産が失われていく、思いは残る。

・『敬愛する松本雄吉が逝ってしまった!』麿赤兒|大駱駝艦|Facebook